デビュー作 † 黒十字サナトリウム † キンドル版・配信開始 [ニュース]
† 黒十字サナトリウム †
紙媒体で絶版となっていた『黒十字サナトリウム』がアマゾン・キンドルで登場です。
徳間書店からではなく、クリーク・アンド・リバー社の電子書籍に特化した部門から販売となります。
……と書くと、まるで徳間書店と袂を分かつ状態になったのかと勘繰られそうですが、
クリーク・アンド・リバー社から声をかけていただき、
徳間書店に快諾をもらって、キンドル化と相成りました。
笠井あゆみ先生が描いてくださった当時の表紙絵を活かし、デザインをリニューアル。
色味も、より原画に近い形で、出してもらっています。
笠井あゆみ先生が、私の物語を読みこんで細かいところまで描き切ってくださった華やかな絵に、
文字通りの黒十字をあしらって、
ゴシック小説であることが、以前より伝わりやすいかと。
徳間書店のSF新人賞受賞作の本は奇をてらった結果なのか、
カバー絵=帯という構造。
絵に宣伝文句が被って、
宣伝文句も見にくいし、誰が得するんだろうこの不思議デザイン……。
おそらく……といっても100%わたしの推測にすぎないが、
日本SF新人賞の創設された当初は、
これでも「斬新な」装丁であったのかもしれない。
でも次第にその新鮮さも損なわれてきて、
表紙なのか帯なのか実際のところ扱いやすさも、いま一つ。
一度は刷新することになったのではあるまいか。
だから、私の一つ前の受賞者の作品は、白い表紙で、一般的な書籍の形になったのでは。
ところがいきなり体裁が変わったせいで、
日本SF新人賞の受賞作を応援していた人たちから不評だったとか。
で、元に戻すことになって私の作品が刊行となったという流れかと思われ。
今回、電子書籍リーダー用に刷新するにあたり、
以前よりもデザインに自由がきいたおかげで、
『黒十字サナトリウム』紙書籍ではカットされていた、
ナースドリーの黒いくるみボタンが並んだ、白くカッチリとした袖口も、きちんと見えるように。
また、右下にいるマントの男の鞄(かばん)も入っています。
わたしは今回、初めて、表紙で切られてしまっていた部分を見るに至り……感動。
それまでマントの男が誰なのかずっとわからないままでいたのだ。
教授かな? アンテックなのかな? 誰なんだろう……
鞄を携えているなら間違いなくアンテック・ランセット、
第六章「絶望を罠にかける」に登場する哀れなアンテク!
『サイコパス』の槙島聖護が「紙の本を買いなよ」と口上をぶつそのずっと前から、
断固、本と言ったら紙の本だよと主張しつづけているわたしとしては、
正直、このたびのキンドル化に、当初は懐疑的だったのです。が、
笠井先生の美しい絵の隠れた部分を発掘できただけで、もうキンドル化する意味は見出せたと思っています。
もちろん、笠井あゆみ先生が私の物語の内容を逐一、的確に再現してくださった絵巻の全体像も、
電子書籍の巻末に、再録しています。
今のデザインだと、レイナの上半身と下半身が分断されてしまうので、
全体像でつながったレイナもきちんと見られる仕様にしました。
この絵、本のカバーの時には気づきにくいのですが、
ミシィカを取り巻くバラは白バラで、
レイナのところで、ほんのり赤みがさして、
湊や龍司あたりになるとローズ色に濃く染まっていくのですよ。
ミシィカとレイナ(もっといえばお母さまの少女時代)あたりは白だったのが、
吸血鬼の血の契約でどんどん赤く染まっていくという、なんてドラマチックな仕掛けだ!
(もっというと吸血鬼になっちゃった人には薔薇が、そうでない人には薔薇がない。)
薔薇一つを描くにしても、漫然と描かずに、物語の意味合いをこめてくださるあたり、
見れば見るほど凝っていて、
笠井あゆみ先生、心憎い。
電子書籍リーダーの利点としては、
背景色や文字サイズを変えられることです。
従来の電子媒体だと、本のページを画像として処理していたにすぎないので、
『黒十字サナトリウム』の二段組の、字が詰まっていて読みにくい体裁であることに変わりはなく、
おまけに紙の本でもないから、長編の読書に耐えうるものであったかどうか甚だ疑問。
そんなマイナス点が解消されています。
《第三章》
背景白地・文字サイズ大きめだと、こんな感じ。
『黒十字サナトリウム』二段組よりも、
電子書籍リーダー版のほうが読みやすい……。
紙書籍派のわたしとしては、若干の敗北感を禁じえない。
でも槙島いわく
「紙の本を買いなよ。本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある。(中略)精神的な調律。チューニングみたいなものかな。調律する際大事なのは、紙に指で触れている感覚や、本をペラペラめくった時、瞬間的に脳の神経を刺激するものだ」
この点に関しちゃ、紙媒体に勝るものは無いが!
同じ《第三章》
背景セピア設定で、文字を小さくするとこんな感じ。
画像処理とはちがうので、
文字を小さくすると、
改行位置はそのままに、文字が順繰りに詰まっていく。
字列の字面も変わります。
この仕様にするために、いろいろと手間暇がかかることを、
今回、身をもって知りました。
紙の本を専用の機械で読み取って電子化するのだが、
99.8%くらいの精密度なので、
何百万という文字がある中だと、相当な誤字が発生する。
《耄碌:もうろく》が、《毟碌:もうろく》となっていたり。
毟→むしる、ですから思いっきり誤字なんだが、
機械が似てると認識して、その手の誤入力をする。
《柩:ひつぎ》なんて、何ヵ所《枢》と変換されていたことか!
枢=枢機卿の枢、枢木スザクの枢。
枢は柩ではない、断じて。
物語の性格上《柩》という字が多いし、
紙にプリントアウトできない状態で、
これらを拾っていく作業は神経がすり減りました。
《瀉血:しゃけつ》が《潟血:しゃけつ》と記されていたりだとか、
挙げていったら、きりがないが、
すごい間違いが、しれっと平気な顔してまぎれている。
ルビは正しく振ってあるし、
人間の入力ミスとは違うので、
砂金から黄鉄鉱を見つけ出し、取り除くような地道な作業。
目を皿にしてチェックする過程で、
紙の原文に潜んでいた誤字に関しては、くまなく発見・訂正できました。
いっぽうで機械が犯した誤字・入力ミスに関しては、
(私のみならず入力オペレーターの人の目も、当然通しているのですが、)
誤字がすり抜けてしまっていないかどうか、
いまだ若干の不安は拭いきれません。
電子書籍リーダーで利用できる文字タイプが限られているため、
リーダビリティを考慮しつつ、文字下げにしてみたりだとか、
通常とは異なる、電子書籍リーダーならではの神経を使う局面がちょくちょく発生しました。
《第五章》
個人的には黒背景に白字設定が、一番読みやすい。
物語の世界観にもしっくり馴染む。
SF Japanに掲載された《番外編:逆十字入門》で、
笠井あゆみ先生に描いていただいた扉絵+挿絵2点も、収録させていただきました。
本の時にも入れられるなら入れたかったが、その頃はそこまで気が回らなかった。
たっての願いがかなって嬉しい……。
扉絵として再現できて、読者の方々も、きっと喜ばしいはずです。
雑誌掲載時にはタイトルや煽り文句が入っていたので、
笠井あゆみ先生に再度、原画を送ってもらって、クリアな状態で見られるようにして収録しました。
(右クリック禁止)
実際は原寸大で見られます。
(右クリック禁止)
わたしはこの挿絵が大好きです。
挿絵はほかにもあと一点あります。
Amazonキンドルを皮切りに、楽天KoBoなどでも順次、配信となります。
今回、電子化用にと声をかけていただいた折、
「紙書籍にもなんらかの好影響があるかもしれません。何もしないよりは」
というのが殺し文句でした。
いつか紙で再販を、せめて文庫化できたらという野望はいまだに抱いています。
ここだけの話 [か行]
このたびの新刊
『みがかヌかがみ』
この単行本は、シリーズでも続編でも番外編でもなく、
一篇の独立した小説です。
ですが実は、
『黒猫ギムナジウム (講談社BOX)』にチラッと出てくる共通の人物がいます。
黒猫ギムナジウム165pに出てくる磔刑の侍。
猫目坊にむかって「なあ小僧、首を刎ねてくれ、どういうわけか死にきれぬ……」と声をかけてくる、
案山子のようになった人物。
目縁(まぶち)は死斑で黒ずみ、
散斬り(ざんぎり)になってふりかかる髪から兇暴な眼光が覗いていて、
鳥の嘴(くちばし)に内腑を喰い尽されて、幾日も経った様相なのに、
綺麗な目線をいやにまっすぐ猫目坊へと向ける、彼です。
猫目坊が《お手前様は、もう死んどります》と答える、その相手の人物が、
『みがかヌかがみ』の主要登場人物、
不来方で目を覚ます、雨夜城(あまよ・きずき)にあたる。
『黒猫ギムナジウム』を書いている当初から、
この磔刑の武者について掘り下げて書きたいなあ……と。
ぼんやり考えていました。
裏設定というのか、
ここだけの話。
『みがかヌかがみ』
この単行本は、シリーズでも続編でも番外編でもなく、
一篇の独立した小説です。
ですが実は、
『黒猫ギムナジウム (講談社BOX)』にチラッと出てくる共通の人物がいます。
黒猫ギムナジウム165pに出てくる磔刑の侍。
猫目坊にむかって「なあ小僧、首を刎ねてくれ、どういうわけか死にきれぬ……」と声をかけてくる、
案山子のようになった人物。
目縁(まぶち)は死斑で黒ずみ、
散斬り(ざんぎり)になってふりかかる髪から兇暴な眼光が覗いていて、
鳥の嘴(くちばし)に内腑を喰い尽されて、幾日も経った様相なのに、
綺麗な目線をいやにまっすぐ猫目坊へと向ける、彼です。
猫目坊が《お手前様は、もう死んどります》と答える、その相手の人物が、
『みがかヌかがみ』の主要登場人物、
不来方で目を覚ます、雨夜城(あまよ・きずき)にあたる。
『黒猫ギムナジウム』を書いている当初から、
この磔刑の武者について掘り下げて書きたいなあ……と。
ぼんやり考えていました。
裏設定というのか、
ここだけの話。
2015-12-07 06:45
おもてなし感 [あ行]
金曜日、羽田空港美術館ディスカバリーミュージアム(第二旅客ターミナル3階)に行きました。
モノレールに乗ったりと、羽田はアクセスにどうしても交通費がかさみがちなんだけど、
入場料無料と太っ腹な羽田空港美術館。
美術館はかなり小ぢんまりしている一室で、広くない(石切さんの宝物庫展と同じくらい)。
第19回企画展「徳川ミュージアム所蔵品精選 TOKUGAWA IEYASU 天下泰平の軌跡」
メインのお目当ては燭台切光忠でした。
フラッシュをたかなければ写真撮影もOKです。
燭台切光忠は、関東大震災で焼失したと思われていただけあって、
黒く煤けて独特の存在感。
刃文を写した古文書らしき文献も添えられていた。
美術館のポスターに、刀剣のポスターが貼ってあって、
燭台切光忠のかつての刃文を写した古文書の絵図面とよく似た写真の一振りが。
「光忠」とあったので、あぁかつては燭台切光忠もこんな感じだったんだろうなあ……と。
黒地に、水しぶきのあがった波のような白い刃文がひだをなして波打っていて、伊達で艶やか系。
ほかもいずれも「本当に結構なお道具をお持ちで……」
という徳川由来の所蔵品。
水戸の印籠とか。
くだんの印籠の元ネタの逸品かぁ。
羽田空港には、修学旅行生とおぼしき制服姿の高校生の団体が居て、
中には空港らしく荷物がカートだったりする姿もあり、
友人(高校時代からの友達)と、
「修学旅行に飛行機とは」
「ハイカラっすよね」
「わたしなんて京都と奈良」
「超、京都と奈良」
美術館を見終わって、
終点(つか始発)である第二旅客ターミナルから、
モノレールで2~3駅・浜松町寄りにある「羽田空港国際線ビル」で、いったん下車。
ここには展望台というよりもしろ展望バルコニーと言える、広々とした展望デッキがあって、
そこでしばらく国際線の飛行機の発着を眺めてました。
すっごい気持ちよかった。
次から次、一分毎くらいに飛行機が飛び立っていくので、
飛行機好きのわたしからすると、たまらない。
好物がパノラマで展開されてます。
自分が飛行機に乗る立場だと、
広いガラス窓越しに、飛行機が飛び立つのを見て待っているときは、わりとだるい。
また見送りに行くときには、自分も飛行機に乗って旅立ちたい熱があおられて、わりと凹む。
そういうしがらみや、時間的な焦りとか、荷物やお土産や天候の心配、一切から解放された状態で、
お天気な空っ風を浴びつつ能天気に発着を眺めるのは、爽快感がとてつもなかった。
ケータリング貨物で機内食を積載していたり、
到着した飛行機に、ボーディングブリッジの四角い蛇腹が伸びていって接続されたりだとか、
こまごまとした所も、俯瞰で眺めていると、いちいち新鮮。
風力発電の白い風車も見えました。
わたし、日本で生風車を見たの初めてだ。
昼下がりでしたが、日が短い。
日が落ちて暗くなってからも、離発着を眺めにデッキに出ました。
外なので夜はさすがに寒かったが、景色がぐんと変わってまた高揚した。
装飾イルミネーションの夜景とは違って、
ライトアップされた一種工業デザイン的な光彩の点滅がSF的ともいえるストイックな美しさ。
スカイツリーも東京タワーも遠くに一目瞭然で、
スカイツリーの、先端のとんがってるところから光線の矢を放っていくみたいなイルミネーションは、
良くも悪くも、おもちゃみたい。
一緒に行った友達は、最先端テクノロジーのガジェットとか好きなのに、
飛行機を乗り物として信用していないらしいのです。
「理屈ではわかっていても、感覚的に、あんな鉄の塊が空を飛ぶなんて……」
「なんでそこだけ原始人みたいなの!?」
そんな友人も、おもむろにスマフォを取り出して、カシャッ カシャッ
シャッターを切ってました。
ロングビーチに居た大学院時代、
車を運転して10分くらいのところにシールビーチという海岸があって、
9月10月と2か月間、わたしは毎日、雨の日も風の日も……(ロングビーチはその時期まず雨が降らないので、雨の日はほぼなかった)夕暮れ時の海岸線に行って、一人で日没を眺めに通ってたことがあります。
その時期、咳が止まらなったのだが、海風を浴びているときだけ、これがまったく出なくなるので。
なんかその時の感覚に近い広がりがありました、展望デッキ。
近くにあるなら毎日通いたい……。
この展望デッキは、鎌谷 悠希の漫画『少年ノート』4巻で、
ゆたか少年と、ウラジーミル少年が再会して、
歌をうたって駆けていくシーンの舞台でしょうか……?
(手元に漫画が無いんで、あやふやです)
羽田はいつ来ても清潔感にあふれ、
内装も色々と小洒落ていて、
おもてなし感満載。
モノレールからローカル駅(浜松町)に着いたとたんの落差がエグかった。
モノレールに乗ったりと、羽田はアクセスにどうしても交通費がかさみがちなんだけど、
入場料無料と太っ腹な羽田空港美術館。
美術館はかなり小ぢんまりしている一室で、広くない(石切さんの宝物庫展と同じくらい)。
第19回企画展「徳川ミュージアム所蔵品精選 TOKUGAWA IEYASU 天下泰平の軌跡」
メインのお目当ては燭台切光忠でした。
フラッシュをたかなければ写真撮影もOKです。
燭台切光忠は、関東大震災で焼失したと思われていただけあって、
黒く煤けて独特の存在感。
刃文を写した古文書らしき文献も添えられていた。
美術館のポスターに、刀剣のポスターが貼ってあって、
燭台切光忠のかつての刃文を写した古文書の絵図面とよく似た写真の一振りが。
「光忠」とあったので、あぁかつては燭台切光忠もこんな感じだったんだろうなあ……と。
黒地に、水しぶきのあがった波のような白い刃文がひだをなして波打っていて、伊達で艶やか系。
ほかもいずれも「本当に結構なお道具をお持ちで……」
という徳川由来の所蔵品。
水戸の印籠とか。
くだんの印籠の元ネタの逸品かぁ。
羽田空港には、修学旅行生とおぼしき制服姿の高校生の団体が居て、
中には空港らしく荷物がカートだったりする姿もあり、
友人(高校時代からの友達)と、
「修学旅行に飛行機とは」
「ハイカラっすよね」
「わたしなんて京都と奈良」
「超、京都と奈良」
美術館を見終わって、
終点(つか始発)である第二旅客ターミナルから、
モノレールで2~3駅・浜松町寄りにある「羽田空港国際線ビル」で、いったん下車。
ここには展望台というよりもしろ展望バルコニーと言える、広々とした展望デッキがあって、
そこでしばらく国際線の飛行機の発着を眺めてました。
すっごい気持ちよかった。
次から次、一分毎くらいに飛行機が飛び立っていくので、
飛行機好きのわたしからすると、たまらない。
好物がパノラマで展開されてます。
自分が飛行機に乗る立場だと、
広いガラス窓越しに、飛行機が飛び立つのを見て待っているときは、わりとだるい。
また見送りに行くときには、自分も飛行機に乗って旅立ちたい熱があおられて、わりと凹む。
そういうしがらみや、時間的な焦りとか、荷物やお土産や天候の心配、一切から解放された状態で、
お天気な空っ風を浴びつつ能天気に発着を眺めるのは、爽快感がとてつもなかった。
ケータリング貨物で機内食を積載していたり、
到着した飛行機に、ボーディングブリッジの四角い蛇腹が伸びていって接続されたりだとか、
こまごまとした所も、俯瞰で眺めていると、いちいち新鮮。
風力発電の白い風車も見えました。
わたし、日本で生風車を見たの初めてだ。
昼下がりでしたが、日が短い。
日が落ちて暗くなってからも、離発着を眺めにデッキに出ました。
外なので夜はさすがに寒かったが、景色がぐんと変わってまた高揚した。
装飾イルミネーションの夜景とは違って、
ライトアップされた一種工業デザイン的な光彩の点滅がSF的ともいえるストイックな美しさ。
スカイツリーも東京タワーも遠くに一目瞭然で、
スカイツリーの、先端のとんがってるところから光線の矢を放っていくみたいなイルミネーションは、
良くも悪くも、おもちゃみたい。
一緒に行った友達は、最先端テクノロジーのガジェットとか好きなのに、
飛行機を乗り物として信用していないらしいのです。
「理屈ではわかっていても、感覚的に、あんな鉄の塊が空を飛ぶなんて……」
「なんでそこだけ原始人みたいなの!?」
そんな友人も、おもむろにスマフォを取り出して、カシャッ カシャッ
シャッターを切ってました。
ロングビーチに居た大学院時代、
車を運転して10分くらいのところにシールビーチという海岸があって、
9月10月と2か月間、わたしは毎日、雨の日も風の日も……(ロングビーチはその時期まず雨が降らないので、雨の日はほぼなかった)夕暮れ時の海岸線に行って、一人で日没を眺めに通ってたことがあります。
その時期、咳が止まらなったのだが、海風を浴びているときだけ、これがまったく出なくなるので。
なんかその時の感覚に近い広がりがありました、展望デッキ。
近くにあるなら毎日通いたい……。
この展望デッキは、鎌谷 悠希の漫画『少年ノート』4巻で、
ゆたか少年と、ウラジーミル少年が再会して、
歌をうたって駆けていくシーンの舞台でしょうか……?
(手元に漫画が無いんで、あやふやです)
羽田はいつ来ても清潔感にあふれ、
内装も色々と小洒落ていて、
おもてなし感満載。
モノレールからローカル駅(浜松町)に着いたとたんの落差がエグかった。
2015-12-07 06:17