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刀剣博物館に行ってきた [た行]

『刃文~一千年の移ろい~』
見てきました。

明石国行が展示されているのは知っていた。
が、我が本丸(『刀剣乱舞』)には居ないし、
出足が鈍っており。

明石国行が展示されていなかったとしても、
刀剣博物館には行きたいと思ってはいたのだが、
二の足を踏んでいたのは、まず場所がややわかりにくい(←方向音痴)。
HPを見ても、土地勘ないし、いまいち良くわからない……。
寒いさなかに木枯らしに吹かれながら道に迷うのは厳しい。

おまけに午後4時までに入館しないと入れない……博物館にしては早いのでは?
午後4時半には閉まる。
金曜だろうと祝日だろうと遅くまでやってないんです。

ですが友人が、
「刀剣博物館は刀剣を見せることに特化していて、
展示方法が最適化されている気がする。
刃文がなにより、くっきりきれいに見えた」
といった内容をしたためていたのを読んで、俄然、好奇心が刺激される。

行かねば! これは!

アクセスですが思っていたほど悪くはありませんでした。
私は初台駅から行きました。
方向音痴の私は悪あがきせずに、交番でお巡りさんに即行、訊きました。
運よく、婦人警官が応対してくれ、
道順の説明は、やはり圧倒的に女性から聞くほうが私には腑に落ちる。
(男性のお巡りさんに道を聞いて、さらに迷ったこと数知れず。)
あっけないほどすんなりたどり着けて、大変助かった。

明石国行の展示は今日までですが、
いつも何かしら刀剣の企画展をやっているので、
これから行く人が、私レベルの方向音痴だった場合として、参考までに道順を記しておきます。

1、初台駅の新国立劇場側の出口に出る。
2、新国立劇場を左側に見つつ、右側の幹線道路および高速道路に沿って、1分くらい歩く。
 すると、目につく一番大きい交差点で山手通りにぶつかる。これをわたる。
3、交差点を吉野家(牛丼チェーン店)方面にわたる。
4、吉野家とライオンズマンションの間にある坂道を下る。
 坂道はかなり急な下り坂で、まるい滑り止め加工がついているタイプの道。
 周囲はちょっとした住宅街。
5、坂道をほとんど下りきったところの電柱に、「刀剣博物館は左側」と表示が出ているので、左折。
 (ポストの手前の電柱。ポストを越えては下り過ぎです。)
6、左折してすぐの電信柱に「刀剣博物館は左側」と表示が出ているので、また左折。
7、なんかちょっとした工事をしていて、ひるみますが、工事現場を横目にしつつ、坂を上る。
(さっきくだってきた下り坂の一本隣の道を、ほんのちょっとだけ逆行して上る形。)
8、工事現場→民家?→刀剣博物館となり、刀剣博物館の白い外観が右手側、すぐ見えてきます。
 文字が書いてあるのですぐわかる。博物館というよりは事務所っぽい感じの建物です。

展示室は2階で、広さは羽田空港ディスカバリーミュージアムの倍くらい?
さして広からず、かといい狭からず。

展示内容は99%刀剣です。鎧甲冑も一揃えあったが、
歴代の刀剣が並んでいて、
ものすごい充実度。

刀剣を見るのに最適化されている、という表現も納得でした。
展示物との距離感が良い。とにかく見やすい位置に配置されている。

照明がおそらくは普通の白熱球?……なので、若干、黄色みがかかって、
たとえば青白い地肌はより明るく、
青黒い刀身の鋼っぽい色味などは、黒々と映る気がしますが、
その分くっきり、刃文との境目が対比でよく見えます。

明石国行は大きくて存在感のある太刀でした。
今まで、刀剣乱舞のキャラクターの印象と、刀身の実物の印象がマッチしている気がしたのって、
私はあんまりないんですが、
(それはそれで面白いからいいんです)

……あ、でも骨喰藤四郎は薄幸そうな、繊細に白々と光る美しさと、
殺傷力の高そうな洗練された感じがキャライメージとブレてないと思ったし、
燭台切光忠も、真っ黒に煤けて金のはばきが残っている外見がそれっぽいと思ったので、
物によります。
でも骨喰藤四郎は薙刀直しの脇差ゆえに、
先端までスッと鋭利な曲線を優美に描いているのが妖しげで魅力なのに、
刀剣乱舞の絵だと、切っ先に角度がついて描かれているのが気になってきたりとか……。
(そんなこといったら現存してない刀剣などは想像で描かれているわけで、
ゲームの範疇だし、問題はない。)

太刀・明石国行の実物は、キャラの明石国行の外見と同一視できる印象を受けました。
(写真撮影不可なので、印象と記憶だけで語ってます。)

刀の手元側、鍔(つば)に近い部分に、
三鈷杵(さんこしょ)の彫刻が小さくほどこされているのが目印。
全体的に黒が勝っている、すらっと大振り、ふてぶてしい存在感を放つ刀剣でした。

刀剣博物館が良かったのは、
特色のわかりやすい配置でもって、刀剣が新旧・刀種ともに、よりどりみどり。
刃文の説明も過不足なくわかりやすく、
並列している英文表記もきちんと過不足ない。
展示物によっては、「これは彫り物を見せるために裏面を出しています」といった記載も的確に明示されている点。
東博の三日月宗近みたいに、しれっと裏面を出して展示されていた気持ち悪さとかが、皆無。

他にも鮫皮でこしらえた柄の装飾品とか、見ていて興味深いものばかり。

個人的にはやはり私は脇差が特に好きなんだなあ……と。

なにしろ太刀は大きいですが、太刀の時代は、馬上の戦いを想定していて、
日本の馬上の騎士は、欧米の馬上の騎士とちがって、盾を持って戦わないから、
長々と大きい刀身の棟の大半は、斬るためというより、盾の役割かと。
そのせいか攻守とも備えた安定感が、若干、面白みに欠けるきらいも。

短刀は純粋に庖丁に似すぎている。

脇差は得物を振り回すのに丁度よさそうな手ごろ感……にしては、
刀身まるごと目の前の相手を確実に斬るために存在している。
守備で耐えしのぐ余地をさほど顧みず、
ただ切っ先に全殺傷力を込めまくっている鋭利な仕立てが、
硝子越しに見ていても危ういし、美しいです。

今回、なにかの試験に出るのか、
説明書きをノートにメモりつつ、
あるいは内容をスマフォの辞書でひいてググり閲覧しつついる方々が多かった。

各刀剣の刀相書きとして添えられている文面が、
古式ゆかしい刀剣カタログに用いられていたであろう、
《重ね厚く、よく詰んで無地風となり鉄色黒味を帯び、尖り刃が連なり三本杉風になり、
小沸つき、匂口締まりごころとなり、僅かに砂流しかかる》(←とある刀剣サイトから抜粋)
みたいな、
(半分くらいはニュアンスで汲み取ってるんだけど、読んでで美しいよね)
特有の言い回しでツラツラと列記されていたのも趣あった。

刀剣博物館は、若干、古ぼけた建物ですが、
展示内容は大いに充実していました。
ちなみにエレベーターはMax3人乗りで、すごく狭い。
ものすごく時間がかかって一フロア分を移動する。
階段を使ったほうが安心かも。
わたしは帰りに乗って、一瞬、不安に憑かれた。


ゲットー解体と『シンドラーのリスト』 [か行]

私がアメリカに留学していたのは2000年前後ですが、
(大学院留学中に9・11が起きたのだった)

留学中の当時、3月のこのあたりの日曜の夜には、必ずと言ってよいほど、
映画『シンドラーのリスト』をノーカットで、みっちりテレビが放映したものでした。
最近この時期にアメリカに居る習慣がないから、わからないけど、
ひょっとしたら今でもそうなのかどうか。

日本が終戦記念日近辺に『火垂るの墓』をノーカットでやったり、
夏休みとか冬休みなど、大きな休みに、ラピュタやトトロや魔女の宅急便やら、
懐かしのジブリアニメをノーカットで放映する風物詩みたいに
『シンドラーのリスト』はノーカット。3時間以上。
たしかFOXが、しかもCMを全く挟まなかった。

大きな場面切り替えの部分で、
~ただ今、ごらんの番組は映画『シンドラーのリスト』こちらの会社が提供してます~
と隅にちっちゃく出すくらいで、全編、全面リスペクト。

ジブリアニメがノーカットなのは、まぁ言ってみればテレビ局側のサーヴィスですが、
シンドラーのリストの場合、がっつりR指定映画ですんで、
土日のゴールデンタイムに、テレビでお茶の間に流せない映画のたぐいなんです。

アカデミー賞を総なめにすると、そのへんが治外法権的な扱いになるというか、
題材的に、ものすごくシリアスでもあるし、
「これ下手にカットすると面倒くさいから全編そっくり提示する、きちんと見ろ」
テレビ局が使命みたいな感じでやっていた印象を受けた。少なくとも私は。

で、題材が重いから、うっかり見るのはやめとこう……と思っていても、
ついテレビをつけたときに見はじめると、もう全部見なければならなくなる。
私を含めた留学生連中の大半が、けっこうそんな感じでいました。

描かれている題材と中身の重要性もさることながら、
映画としても物凄く魅力的にできていて、
重すぎる題材でも長い映画でも最後まできっちり惹きつけて見せる起伏と執念があるし、
技法としても、曲も画面も役者もみんな溶けこんで一つになって世界を作り、映画を構成している。

私が一番最初に見たのは、
日本で高校生だった時、友人3人と映画館に繰り出してで、
いろいろ衝撃で胸がいっぱいで無口になって映画館を出たのだった。
いっぽう友人の一人は「良い映画を見るとおなかが減る」といって、
すぐにクレープを買って、糖分を補給していたのを思い出します。

『シンドラーのリスト』
なぜこの時期にテレビで流すかというと、
題材となっているポーランド・クラクフのゲットー解体が3月13日、14日中心に執行されたからです。

ユダヤ人が殺されるシーンは、いかなる場面でも度肝を抜かれるし、
アウシュヴィッツのシャワー室のシーンはもちろんなのですが、
見ていて一番きつかったのは、3月に起こったゲットー解体の場面。
……なにしろアウシュヴィッツまでいくと、ある程度あきらめもついてくる。

ゲットーの時点では、家や財産を没収されたとはいえ、
最低限といえどまだ人間らしい生活を送っているので、
希望が残っている。
そこに突然ナチスが踏みこんでゲットーを解体しにくるところが、すごく堪(こた)える。

Itzhak Perlman - "Schindler's List Theme"

https://youtu.be/WPsAR9Sx-JQ

家屋敷に住んでいるユダヤ人を、
トランクに荷物をまとめさせ、まずゲットーに住まわせて、
次に、住んでいるゲットーを解体して、夫婦も家族も男女ばらしてアウシュヴィッツ送りにして、
アウシュヴィッツで強制労働に従事できなくなると、ガス室送りに。

その要所要所で、規格外をひたすら殺し、
その場その場の殺害を免れさせたとしても、
坂道を転げ落とすようにして、ユダヤ人を貶めていく過程の、
まず家、宝飾、服、次に髪、死なない順に身ぐるみはいでいって最後にガス室に送る。
一見、無軌道な殺戮と、
ナチス特有の几帳面な緻密さのコンビネーションでひたすら病的、片時も気が抜けない。
(ジャーマン・シェパード犬や、聴診器やらの、ドイツのお家芸である技術の結晶を
ユダヤ人狩りに遺憾なく発揮しすぎる描写も背筋が凍る。)

労働力がほしいから奴隷労働に就かせるとか、
財産没収が目当て、
いやキリスト教化が真の目論見だとか思っていると、
結局のところ民族浄化が最終目的だったんだなというのが、知っているけど途方もない。

当時、わたしは親世代にまで、せっせと『シンドラーのリスト』を、お勧めし、
アメリカでビデオを買って、見てない友人には個別上映会も辞さなかったのだが、
この映画、意外にも人によっては不評。

親世代は、
「ドイツ人でナチ党員のオスカー・シンドラーじゃなくて、彼の下で働くユダヤ人の眼鏡かけたおじさん(ベン・キングスレーがやってたイザック・シュターン)この人を主役にしたら良かったのに」
シンドラーが女好きで遊び人だったのが、気に食わなかったご様子。

……シンドラーが単なる人道家だったり、聖人君子だったりしないナチ党員な史実が面白いのに。
(私は『コルチャック先生』は申し訳ないが途中で寝た。座席が悪くて字幕が見えなかったせいもあるけど。)

聖人君子でなくとも、人道家でなくとも、まっとうな感性の持ち主なら、
ナチスがやってるユダヤ人殺戮を目の当たりにしたら「信じられねー」わけで、
そこで尻込みしなかったのは、シンドラーに博打うちとホラ吹きたる才覚があったから。
真っ向勝負でナチス相手どって戦って勝てっこないと知っているシンドラーは、
手ごわいナチスの高官を相手に、賄賂と買収、汚い手段を使ってでも、
ユダヤ人を助けていく、そこが味わい深い。

拝金主義で、お金の力を行使する快感が大好きなシンドラーだからこそ、
金の力の旨味を最大限に利用する。
全資産をなげうって、ユダヤ人助けに乗り出して、
ナチ高官のアーモンと駆け引きし、取り引きに至る。
淡々と描かれる人間ドラマとしても見ごたえがあるのだ。

ところで、ユダヤ人殺戮ナチスもの映画で必ずといって出てくる、
ユダヤ人がゲットーに移されるとき、ドアの近くで細長い留め金を引っこ抜くシーン。

私は当初、ユダヤ人はドアの蝶番の芯に、ゴールドを使っているのかと思っていました。
歯に金(きん)をかぶせて仕込んでたり、とにかく財産を隠し持つことにぬかりないので、
こんな意外なところに金を使って隠す風習があるのか……
蝶番の芯を外しちゃったら、ドアをうまく開けられないし、Not Welcomeってことで、
家を奪われる者の、せめてもの抵抗か、
と勝手に感心していたのだ。
実際はメズーザー(Mezuzah)という小さいお経が刻まれた厄除けであり、
信仰の証なんですね。

かなり最近まで知らなかった。


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