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ついに出ます ~E・A・ポー~ 翻訳本 [ニュース]

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『E・A・ポー』 集英社ポケットマスターピース09(集英社文庫)
・ 2016年6月23日刊行
・ ISBN:978-4087610420

エドガー・アラン・ポー作品の集大成となる翻訳本。
集英社のポケットマスターピース09『E・A・ポー』
全部で次のような新旧訳者による豪華ラインナップで、このたび刊行となります。

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わたし中里友香も、ポーの代表作である詩『大鴉』と、短編『告げ口心臓』を翻訳しています。
「ポー訳者の末席に座すものです。微力ながら、末永く読まれるよう全力を尽くしました」
粟田口・前田藤四郎くん(刀剣乱舞)の台詞っぽく言える感じ。

解説やエドガー・アラン・ポーの年譜なども含め、総ページ832頁にものぼる密度の濃い文庫本。
見本が手元に届いた。
ぶ厚いよ!

わたしが『大鴉』と『告げ口心臓』を翻訳した際に受けた印象や、
一言一句を訳しあげたうえで当該作品をどう解釈するか。
私なりの見解や深読みをしたためた短いエッセー
やみのいろ
(講談社『メフィスト2015 VOL.2』「日常の謎」というコーナーに掲載)
こちら現在、講談社のウェブ上で無料公開となっていて読めます。
http://kodansha-novels.jp/mephisto/daily/55/

このエッセーが掲載された2015年8月当時は、
ポー翻訳本の刊行予定が2016年10月に先送りになった時でした。
2012年時点でお話をいただいて、翻訳作業を終えていた私は、
再三にわたって刊行予定が先送りになるたび、
こういう古典の翻訳って、ずいぶん気が長いプロジェクトなんだな~と
「長生きしないとやってられませんね!?」と目を白黒させたもんです。今となっては良い思い出だ。
のちに2016年6月と少し刊行予定が前倒しになって、今回、その通りに刊行と相成りました。

初校まではずいぶん前に終えていましたが、
再校と念校を終えたのはついこないだで、
その時にもけっこう手を入れたので、
冷却期間を置いて翻訳文を推敲しなおせたのは良かった。
期間分だけ翻訳の精度と練度がなお高まった。

ちなみにエッセー「やみのいろ」には『大鴉』『告げ口心臓』のネタバレがあります。
古典とはいえ一応、要注意。

ポーの翻訳本を、このエッセーと併せてお読みいただくと、
あるいはいっそう解釈の幅が広がったり深まったりして楽しめるかもしれません。

(ポーに関して思うところを一度で書ききると若干長くなるので、後日また補足アップする予定。)

→ポーの『大鴉』に関する考察的な①


絵空事とは異なる次元 [あ行]

先日の金曜日に地上波で映画『ゼロ・グラビティ』(Gravity)をやっていたようで、
私はこの映画、相当、好きです。

近年、我ながら珍しく、ど真ん中ストライク、映画館で打ちのめされて帰ってきた作品で、
後半なんて映画館のシートにぐったり寄りかかって泣きまくっていたもんです(感動以前に、人間としての根源的な恐怖感に打ちひしがれたせいで。さすがにこんな極限状態は無理だよマジでもう太刀打ちできない怖すぎる……と)。
たいていの人が似たような体験をしたかと思います。

DVD化されたとき、すぐさま、そこそこ年配の身内に「見て! 良いから見て!」
と持っていって半強制的におすすめして帰ったのだが、
「見ました」というメールが、あまりにも的外れな感想しか返ってこなかったのだった。

だからつい、
「最近どんな映画を見ても、ぼんやりした感想しかわかないみたいだけど、あんまりにも何を見ても何も面白くない……というのがたびかさなって度を超すなら、体調が悪いか、認知症のはしりか、鬱病かもしれません」
と本気で心配してメールしちゃったくらいである。

それくらい、この映画は年齢や性差を問わず、人間の根源的な恐怖とか帰巣本能とかに訴える、
いい意味でハリウッドだからこそできる普遍性の高い作品だと信じて疑わなかったのだ。

しかし先方の感想は、
「あなたほど宇宙に夢中じゃないし、正直、宇宙のことが良くわからないので、へーえ無重力空間って、こんな感じなのですかね? まさかまさかこんな次から次へとよくもまあ、悪いアクシデントばっかり考えつくものですよね、ある意味でこれも一種の御都合主義的展開」
というのが素直なリアクションだった。

上記のようなリアクションはかなり稀なんじゃないかと、今でも私は思っているが、その人によれば、
「ジョージ・クルーニーが呆気なく退場で、生きて帰ってきたと思ったら、なんかアレだし」
みたいな。

やや、そこは確かにストーリー上、要となる部分でもあるけれども、
そこが映画の感想を左右しないというか、
むしろ、ああいう立ち位置が、実に心憎いキャンスティングなんじゃないか……。

私より年齢が上の世代は、よほどの「宇宙大好き」洗礼を受けていないかぎり、
宇宙に対する憧れも恐怖もさして抱いていないというか、
宇宙について常識的に、知識や想像力が欠如しているのかもしれない……。
私の世代では中学の時「将来、宇宙飛行士になりたい」という理系の女友達とかがいた。

ゼロ・グラビティは、
SFにおけるフィクション部分と、現実に起こりうる境目ギリギリのリアルさが際立っており、
だからこそ手に汗握り、
理系じゃないけど宇宙は普通に好きな私からすると、ノックアウト感が募るのだが。

何がSFで、何がリアルか、その差すらもきちんと区別できない人には、
異空間における単なるパニック映画にしか映らなく、
孤立無援おつかれさん映画としか受け入れられない。

「そもそも宇宙飛行士なんて、大統領よりも、オリンピック選手よりも少ない、
選ばれたごく少数の人しかなれない雲の上の人間だし。——文字どおり雲の上の」
という感覚しか持ち合わせていない人にアピールするのは困難な作品で、ハートウォーミングなお約束が皆無。
その媚のない部分が、余計に魅力的なのかもしれない。

国立情報学研究所というところで私は非常勤で勤務していた時期があるのですが、
そこでは『国際宇宙ステーション搭乗 宇宙飛行士候補者募集』
というリーフレットが誰でも自由に入手できる場所に普通に置いてありました。

こないだ念願の本棚を買って、ようやく搬入と転倒防止器具の設置が済み、
私は今かなり大々的に、本やら、ためこんだ様々なプリントアウトなどを整理している真っ最中。
作業効率を上げるために、やらねばならない雑務だったのを後回しにしすぎていたので仕方ないが、
仕事場が現況てんやわんやで、わりと原稿が手につかなくて困っている。
その作業中に、当時(2008年)の宇宙飛行士候補者募集のリーフレットを見つけた。
スキャンしてみました。こちら2枚ではなくて表面と裏面です。

宇宙飛行士募集2008JAXA.jpg
(クリック推奨。原寸大で見られます。)

宇宙飛行士2008JAXA.jpg
(クリック推奨。原寸大で見られます。)

2008年当時の募集以来、JAXAは2016年現在までに募集をかけていない(たぶん)。
年がら年中、募集していて応募できる職業ではない。
いっぽうで、年齢制限も性別制限もなかったりする。

こういう謎資料をクリアファイルに無造作につっこんで棚に積んでおく癖があるので、
仕事場がどんどん紙に侵食されてきて格闘中なのですが、
これをちょっと読むだけで夢が広がったり、逆に、夢が潰えたりする部分がある……というのは貴重。

この応募条件を見ながら、
(自分には宇宙飛行士に応募するのに、何と何と何の条件を満たせていないか)
(仮に、これと、これと、これをクリアしたとして、さらに数ある資格者の中から万一にも試験の結果、採用されたとしても、訓練業務の一環としてロシア語も習得か。まあ宇宙だものな、英語とロシア語が共通語か)
等々、ほんの一端でも具体的に想像できる余地があるというのは捨てがたい。

宇宙飛行士といえば=「雲の上の人」
ではなく、
どういう資質が重宝され、自分よりも何が秀でて適格であるとされ、必要最低条件としてどんな訓練をこなすのか。
積極的に情報を集めなくとも漠然としてではなく身近で自然に触れえる情報の質が、
物語をどれだけ満喫できるか否かを左右する部分は否めないのかも……。
と思ったりしながら、この手の資料を処分すべきタイミングを逸するのである。


遠征失敗…… [あ行]

二週ほど前、若冲展待機列を目にしてあっけなく尻尾を巻いて帰ったわけですが、
ブログを書いてしばらくしてから、
「あ……なんでその足で、国立西洋美術館のカラヴァッジョ展を見に行かなかったのかな私は? 失敗したね!」
と気づいたのだった。

昨日の月曜日、上野方面に出かける予定があった。
そこで用事が済んだあと、まず、あんみつ屋の「みはし」に寄って腹ごしらえ。
みはしに行くのは初めてです。
上野界隈では有名なあんみつ屋さんですが、最近知った。
「みはし」って何だろうこのなじみ深い響き……
あ、『黒猫ギムナジウム』にて猫目坊が幼少期を過ごしたのが「三箸屋(みはしや)」だ。
三箸屋のほうは甘味処とはいいがたい場所だが、ある意味「お茶屋」と無関係な場所でもない。

……で、みはし上野本店に。

まず、ふわっと卵が入っているお雑煮(http://www.mihashi.co.jp/menu/ozouni.html)をいただく。
写真のイメージよりお椀が大きかった。
削り節の香りが立って、焼いたお餅といい香ばしく、お雑煮好きだけど外でお雑煮を食する機会って考えてみると殆どなかった。
季節を問わず食べたい系なので、アツアツをありがたく平らげます。
そのあとクリームあんみつを(http://www.mihashi.co.jp/menu/cream-anmitsu.html)。
写真のイメージから受ける印象より、これも一鉢が大きい。

あんみつって、好物でもなかったんですが、ソフトクリームの冷たさと、
冷たすぎない餡やみつ豆や求肥(ぎゅうひ)との絶妙なコンビネーションで、
甘いけど甘すぎず、冷たいけどキンキンではなく、何もかもが頃合いで、美味しい。

で、いざカラヴァッジョ展へ!
事前にHPをチェックして、まだやってると確認済みです。
念のため時間もチェックしておいた。問題ない。

ブータン展を開催中の上野の森美術館をわき見しつつ、国立西洋美術館に到着。

閉まってた。

月曜日、思いもよらない休館日……。
いや、美術館や博物館や図書館関係は、そうよね月曜日、要注意だったのに。

おまけにです、精神的にショックだったようで、上野駅の改札でSUICAを紛失。

いやその……チャージ金額が足りなかったので、券売機でチャージしようとしたら、
《ただいま一万円は使えません》

なに?
これからオリンピックやるとか、国際都市の設備投資とかいってるのに、そもそも券売機の少なさが異常だし(……外国人観光客に取り囲まれて日本人がほとんどいない。日本人は切符じゃなくてみんなSUICAやおサイフケータイなどを使うので)
両替機も見あたらない。
なのに一万円が使えないってどういう了見なんだ……どうしたらいいんだ。

大きいお金しかなかったので途方に暮れ、戻ってきた一万円を手にして、近くのコンビニへ。
仕方なく、欲しくもなかったおにぎりを一個買う。
お金を崩して券売機に舞い戻り、チャージしようとしたら、
パスケースに入れていたはずのSUICAが無かったんです。

あー……あれだねー、さっき券売機で戻ってきた一万円を取ったときだね。
SUICAのほうを忘れたんだな。
まぁちょっと面倒な考えごとで頭がいっぱいだったせいもあるし(←言い訳)、
歩きすぎて横っ腹が痛かったし(←言い訳)、
その場で窓口の駅員さんに問いあわせると「届いてます」

迅速!

「お名前と身分証を」

名前を言って、運転免許証を見せて、返ってきた私のSUICA!
紛失時間、5分弱です。

「これ、受け取るの放置して吸いこまれてしまったんでしょうか?」
アメリカではATMにて、ATMカードを放置して取り忘れた場合、
一定時間を置いたのち、ATMの機械がカードを自動的に吸いこむ仕組みになっています。
次のATM利用者が悪意ある人だったら不正利用のリスクが高くて危険なので、
銀行側が保管しておいてくれるのです。

SUICAもそういうシステム?

「通りがかりのお客様が、取り忘れだと届けてくださったものです」
「うわー……ありがとうございます」

その後はどこにも寄らず、家に帰りました。

ささやかな収穫物といえば、不忍池の蓮。
二週ほど前はショボい有様でしたが、今は葉が青々と茂りつつあり。
とはいえ小学校低学年のとき、もっと見渡すかぎり行っても行っても蓮池に感じたんですが、
縮小したのかな。
こうもささやかだったろうか……?

子供目線を思い起こして、しゃがんで写真を撮ってみたら、
写真に映った蓮池は、けっこう視野を埋めつくす臨場感でした。

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(いずれもクリックすると拡大します。)