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『コンチェルト・ダスト』新装電子版制作中③ [黒十字療養所出版部]

1コンチェルト・ダスト新装電子版スクショ.png

コンチェルト・ダスト新装電子版スクショ.png

コンチェルトダスト電子新装版奥付.png

『コンチェルト・ダスト』 電子新装版デザイン(スライド)
https://www.canva.com/design/DADYH0oxCYU/UVj5G0_Ij_dsPyo6PKSnRA/view?presentation

表紙化粧扉→目次()→章扉()→奥付の順。*

Kindleの小説本は、画像ファイルがJPGファイルしか使えないので、
JPGに変換したときベストになる状態で、作っているつもりです。
上記スライドはJPGにする前の時点で公開しているので、
実際にKindleで見るのと、異なって映る部分があります。参考までに。

奥付の文字部分は(仮)です。少し変えるかも。

-表紙
1900年あたりの楽譜の表紙っぽさを意識しつつ、
作品世界の雰囲気を垣間見せられるようにしたかった。
ゴシック要素は抑え気味に、しかし忘れずに。
両脇背面に星空のレイヤーを置いています。

-化粧扉
絵の背面レイヤー、左側は星空を敷いており、
右側の背面レイヤーには大理石(マーブル模様)をうっすらと配置して、
いずれも透過性や明暗をいじっています。

ピアノの鍵盤をどことなくイメージさせる図形をシンメトリーに配置した。
この鍵盤チックなシンメトリーで、登場人物の対比と共通点を、そこはかとなく表したくもあった。
この化粧扉は情報量が多いので、
いかにスッキリ見せられるかに苦心しつつ、これが意外に楽しかった。

-目次
早川書房で『コンチェルト・ダスト』単行本を刊行時、
目次と章扉のデザインは「作品舞台と同年代の楽譜の装丁をイメージできるようにしたい」
というのが私の要望で、
時間の許すかぎりではあるが、ぎりぎりまでイメージに寄せてもらった。

個人レーベルでの電子化にあたって、早川書房にお願いして、
この目次と章扉のデザインを私が買い取らせていただき、画像データをいただきました。
その画像データは、そのままだと、単行本のページ数が記載されていて使えない。
サイズも不都合が出るので、
加工してもOKと許可をいただいた上で、買い取らせていただいたのだ。

単行本にはない、天使のオーナメントや文字、
あるいはページの上下を飾るオーナメントを、
白黒のページにそれぞれ、ちょこっとあしらっています。
単行本時のイメージを損なわず、さらにいっそう思い描いていた状態に近づけられたかと。
単行本をお持ちの方は、比較して見ていただいても良いのかも。

当時、この白ページと黒ページは、黒鍵と白鍵をなぞらえてもいた。
またこれはギュンツブルグ陣営と、クルゼンシュテールン陣営の対比も暗に意味していた。
両陣営、赤・ゴールド系(フェニックスと蜂蜜色)と、青・シルバー系(蒼龍と銀の蘭)であると、
作中で描写あるいは言及していますが、紙の単行本だと表紙以外は色彩を使えない。
そこで、対比を白と黒で表してもいました。

-章扉
前述のとおり、章扉は単行本のデザインを早川書房から買い取らせていただいたので、
第一章の扉は、サイズ以外はそのままで使わせてもらっています。

第二章の扉は、単行本時の白い扉に、大理石模様のレイヤーをうっすらと重ねてみました。
マーブル柄の章扉と思っていただいてもいい。
古びて滲んだセピア色の紙に見えても良し、と。

-奥付
ノルウェイの画家によるノルウェイの景色。
作中でノルウェイについて言及するシーンがあります。
また、この小説の最後のページの空気感と、
この絵がもたらす透きとおった空気感が、つながっている気がしたのであった。
両端の星空は雪のイメージも兼ねています。

選んだ絵画はいずれも『コンチェルト・ダスト』の舞台と、ざっくり同じ時代の作品。
エミール・ギュンツブルグや、ユリアン・フォン・クルゼンシュテールンは、
こんな風景の渦中に存在していて、
あるいはリオネラ、ドラガもかつてはこういう景色を当然のように目に映していた……
と彷彿とさせてくれる、絵画の作品世界です。

というかKarl Wilhelm Diefenbachの『ヴァイオリン奏者』を最初に見つけたときに、
「あ……! この谷、この風景、コンチェルト・ダストのエミールのいる世界観、そのまんまだ!
というか何なの……この少年、ほぼエミールじゃん……! この表紙で電子版を作りたいなあ」
と意欲がむくむくと湧いてきて、
次の瞬間にわたしはCanvaを開いて、チクチクと表紙を作り始めていたよね。

いずれもパブリックドメインの、著作権フリーの古い絵画です。
パブリックドメインの作品は、商業利用も無制限、アーティストの明記も必要ない。
加工もいくらでも好きにほどこし本題で、部分利用・切り取りもOKという、ほんまもんのフリー。
その恩恵を最大限に享受させてもらって、このたび制作がかなった。

せめて画家と作品に敬意と感謝を表し、次に記します。
==========
表紙
中央
Karl Wilhelm Diefenbach (1851-1913)
『ヴァイオリン奏者』

両脇外枠
Aubrey Beardsley (1872-1898)
『How Queen Guenever Made Her A Nun』(部分・外枠の蔓模様のみ)

化粧扉
左上
John Atkinson Grimshaw (1836–1893)
『November』(部分)
1879年

右上
Fernand Lungren (1859–1932)
『The Café』(部分)
1882/84年
(The Art Institute of Chicago所蔵)

左下
楕円の額縁の右
表紙と同じ(部分)

楕円の額縁の左
Karl Wilhelm Diefenbach (1851-1913)
『星への問いかけ』(部分)
1901年

右下
John Atkinson Grimshaw (1836–1893)
『Autumn Morning』(部分)


Aubrey Beardsley
『How Queen Guenever Made Her A Nun』(部分・外枠の蔓模様のみ)

奥付
Harald Sohlberg (1869-1935)
『Fisherman's Cottage』1906年(部分)
(The Art Institute of Chicago所蔵)

*追記*



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『コンチェルト・ダスト』新装電子版制作中② [黒十字療養所出版部]

『コンチェルト・ダスト』新装電子版制作中①の続き。

既にある本をKindle化するだけなのに、
そんなにやることってある?
と思われるだろうし、私自身も内心そう思っていたのだが、始めてみると、これが結構ある。

本当は「こうしたかった」のに、様々な事情からできなかったりした部分を、
なるべく当時、思い描いていた状態に、理想に近づけていこうとしている。
作品としての精度を上げる作業をしているので。

同作を知っている人なら、どこの部分を直しているかわかると思うが、
こんな箇所もチクチクと作り直しています。
チラ見せ。

Canvaであらかた作り、Windowsペイントで仕上げた。カーニングに気を配った。
MikahNameTagtrimmed.jpg

この部分は実際に単行本になってみてから、
「アルファベット名が横書きで見られる、図を挿入した状態で、見せれば良かったかもなあ」
と痛感したので。

ドラガン・ラクロワがMikahという猫の名前を、
「たしかミラァといったかな」
と、猫の首輪についていたペンダントスタイルの名札を目にしたときを思い起こして、発言する。

通常の縦書き表記の渦中に、アルファベットを混ぜて書くと、
わかりずらく、目線が上滑りしやすいんですよね。
(ミカとミラァじゃ、けっこう違うじゃん。ドラガって実は抜けてんの?)
と、思われかねない……。

実際は、ご覧のとおりで、KとRは書体によっては相当、似て見える。
(加えてドラガは実のところ出自がキリル文字文化圏でもあるからな……。)

こういうのは具体的に見せてわかってもらったほうが、
より作品の精度が上がって、より身近に引き寄せて味わってもらえるのではと。
私たちは日本語で暮らしている以上、
KとRが似ていて時として間違いやすいと、まず日々痛感して生活してはいないですよね。
アルファベットを多用していても昨今まず装飾体とかに触れはしないし、
タイピングなら、こういうミスはあまり起こらないですしね。

かといい、
「実際KとRは似て見えるものである」
というたぐいの文章を入れるのは避けたかった。
作品の内容を左右するほどの意味はないのだし、文章の流れがいたずらに妨げられるだけだから。
そこは実際に見て、感覚的に、なるほど間違えるかもなあ……確かに──。
と思ってもらったほうが、共感度(?)が高まるわけで、
そのためには、こちらのほうが一目瞭然だなあと。

むろん、この形式にしても、そうと気づかない人ならば、
まあ気付かなくても、仕方ない程度の些細な部分です。
(何度も言うが、本筋には差しさわりが無い。)
全ての人に一読でわかるように小説を書くことは、不可能だし、
親切な文章を書きすぎると、くどくなって鬱陶しい。それはもう小説ではなくて手引書になってしまうから。

ですので、まあこんな感じに、
当作品の初版の味わいを損なわないようにしつつ、
足さず、減らさず、
本来あるべき精度を高めて、補強していく作業をしています。


共通テーマ:

『コンチェルト・ダスト』新装電子版制作中① [黒十字療養所出版部]

『コンチェルト・ダスト』
Kindle版を個人レーベル「黒十字療養所出版部」にて刊行すべく、鋭意制作中です。
いや、ゆったりペースで制作中かな。

コンチェルト・ダスト(早川書房)』はありがたいことに紙の本の在庫が、いまだ健在です。
藤原薫さんの装画が表紙になっております。背表紙にも装画が。
本の装丁も『カンパニュラの銀翼(早川書房)』のハードカバーと並んでも遜色ない、
かなり高級感あるあつらえにしてもらえて、素敵な本です。
コンテンツとしてだけでなく、物としての本の質感をも愛する者にとって、うれしい本です。

ですので電子版を出す必要性を、正直、私はこれまであまり感じなかった。

え、じゃあ『カンパニュラの銀翼』や、『みがかヌかがみ(講談社)』なども紙の在庫が健在だけど、
電子版もあるよ。なんで?
そう思われるかもしれない。
これらの本は、紙の本の刊行時に、
「いずれ電子化もしますので、いいですよね」という連絡が来て、
私はただ流れ作業的にOKサインを出すだけだったのだ。

わたしは『カンパニュラの銀翼』に至っては、
電子版の確認作業すらしていない(機会を与えられていない)。
その必要性もあまり感じていない(理由は後述)。

みがかヌかがみ(講談社)』も同様で、
ただ『みがかヌかがみ』の時点では、もう私は、
電子本はフォントが明朝とゴシックのいずれかにしか変換できないらしい、
というのを知っていた。
「フォントによって語り手の変化や、雰囲気の変化をつけている部分があるので、
フォントが異なる部分は、せめて字下げ処理にしてください!」
と伝えることができました。

じゃあ『カンパニュラの銀翼』はどうなんだと思われるかもしれませんが、
この作品は紙本の文庫版が出ていることもあり、
電子版が、1年に1冊も購入されていないのである。

いやぁ、呆れるほど電子版の購入がない本でして。

すでに刊行されている電子本を取り下げてまで、手を入れるべくもない。
編集部を騒がせて、あまつさえ嫌な顔をされるかもしれないリスクを冒すまでもないだろう。
そっとしておきたい……というのが現状。

──なにしろ、生ずるとしても字面の体裁の問題。
内容が変わっているわけではない。コンテンツとして支障は出ない。
あくまで紙の本が入手できないときの、救済策という位置づけの電子版だし、
文庫版『カンパニュラの銀翼 (ハヤカワ文庫JA)』も出ているのにもかかわらず、
電子書籍をより好んで買う人は、
もとより本と同じ読み心地や、リーダビリティを求めていないのだ。
コンテンツの入手で構わない、と割り切っている人ばかりだから──

そう分かってきたから……。

出版業界では昨今、電子版の伸び率が目覚ましい。
いまや本は完璧に、電子版が紙の本にとってかわったかのような言いぶりをされることも珍しくない。
とくに経済界などでは、もっぱらそんな見識だし、
出版業界の人間ですらそういう見方をする傾向がますます強くなっている。

しかし私の『カンパニュラの銀翼(第2回アガサ・クリスティー賞受賞作』の例しかり、
現実は全然そんなことないんですよ。

その一方で、書店がどんどん潰れているのは、やはり電子版の普及のせいも大きいらしく、
ネット書店ですらも倉庫に在庫を保管しなくなってきている。

これは先日、編集者にメールで訊ねてわかったことなのですが、
たとえば『みがかヌかがみ』(紙書籍版)
アマゾン以外のネット書店だと、いずれも倉庫に在庫が無い。
出版社に問い合わせて、取り寄せる必要がある、と表示されるんです。
現実はというと、講談社の在庫は、実は健在なのだ。

 もう少し詳しく書きます。
 たとえば楽天ブックスだと、現時点では、
 [メーカー取り寄せ/
 通常6~16日程度で発送
 商品確保が難しい場合、3週間程度でキャンセルとなる可能性があります。 ]
 
 と出ます。
 もう1年以上も、こういう状態で表示されているのです。
 アマゾン以外のネット書店は、いずれも似通った状態です。 
 以前は、この手の表示が長らく出るときには、もう版元の在庫が絶版間近と思って相違なかった。
 
 だから、在庫が厳しいのかな……?
 講談社に問い合わせたところ、在庫は依然、健在とのことなのだ。

では、なぜ倉庫に置いておかないのか……?

「各ネット書店の事情を全部、把握しているわけではないので、はっきりとは断言できないが、
昨今、どこの書店も在庫縮小傾向にある。リアル本に割く規模をどんどん減らしている。
というのも代替品として電子書籍があるからOKという考え方が、一般化してきているから」(要約)

という編集部からの回答であった。
……なるほどね。

担当編集者も、私のような作家にとっては、この状況が深刻で、
命取りにもなりかねないと分かってくれてはいるんです。
「ほしい本がすぐ手に入るのがネット書店のメリットなのに、
数週間もかからないと入手できないで、《取り寄せ》と出ると、
それだけで購買意欲が損なわれてしまいますね」(要約)

(そこまで分かっているのに私達は成す術なく手をこまねているしかできないのか……)

リアル書店で本を常時、平積みに置いてもらっている作家ならばいざしらず。
ネット書店で入手してもらうくらいしか術がないのに、
そのネット書店すら在庫管理を怠る傾向があり、
「本が無いなら電子版を買えば良いじゃない?」
……oh……

コミックの電子版普及が目ざましいのは、よくわかる。
コミックは、電子版のほうがむしろメリットがありますから。
たとえば、本だと見開き絵などが歪んでしまうけれども、
電子版だと、本の咽にあたる部分も、まっ平らに広々とクリアに見える。
見開きを多用する作品などは、紙の本より美しく見やすい。

上記の理由から、私も『ゴールデンカムイ』は電子版を購入してます
(北海道の未開地を表現するために、見開きが多いよね、あの作品)。

ほかにも、カラーがカラーのまま見られるという利点もある。
連載時にはカラーが素敵だったのに、コミック化されたら扉絵が全部白黒……となりがちな作品も、
電子版を購入することが多くなりました。

蔵書スペースの問題を解決するのにも、一役買ってくれる。
コミックは概して小説本より、圧倒的に場所を食いますからね。
『進撃の巨人』とか、こんなに長くなると知っていたなら、最初から電子版を入手したわ……。
当初は、いま既に出ている巻数よりも短めで終わりにする予定だと、
作者が発言したのを見かけていましたから……。
いや、作者が描きたいように描くべきことを描けるのが一番好ましいので、
ここまで紙の本で揃えたら、最後まで紙版コミック購入でついていきますけれどね。

だからそう、漫画ならではのメリットは少なくないんですが、
小説本は電子版におけるメリットを、正直、ほぼ享受できない。
なによりフォントが2種類しか選べないし。
(これは技術的な問題だから、徐々に解消されてくるのでは? と期待してもいるが。)

やはり一定以上の長文の小説、長編小説は、紙で読むのが最も読みやすいというのは、
さまざまな実感としてあるわけだ。
電子書籍は、小説本にとって紙書籍にとってかわれるものでは絶対ない。
ただ以前ほど「ありえない、読めない」というほど、使い勝手が悪くもない。
タブレット端末は進化してきているという実感も同時に、わいてきていて。

これも何度か言ってきているけれども、
出先とか、入院先とか、いつでもどこでも読めるから、
電子本も捨てたものではないもんだと。
電子版ならではの利用価値もあるなあと。
その可能性を頭ごなしに否定してつぶしてしまうのも良くない、と思い至りまして。

私の場合、単行本は『コンチェルト・ダスト』だけが電子化されていません。
ありがたいことに『コンチェルト・ダスト(早川書房)』は紙の本の在庫があるのだから、
中里友香の個人レーベル『黒十字療養所出版部』にて当該作品の電子版を出すならば、
単なる縮小再生産にしたくないし、そうする必要もない。

新装版にして出します。
電子版のメリットを私なりに最大限に引き出したいな……と、試行錯誤中です。

電子版用には、あとがきもつける予定でいます。
あとがきでは、ここでは触れにくいことも、ちらっと言及するつもりでいます。

に続く~


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