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アングラツアー@新宿ピカデリーLive Viewing [あ行]

4/13(土曜)ラルクのファンクラブ限定ライヴビューイングに、行ってきました。

ラルクのチケット争奪戦に素手で戦うのはもう無理だとわかっているので、ラルクがライヴやツアーの発表をした時点で、私はデジタルファンクラブに入ることにしています(そしてもろもろ終わったら脱退し、またツアー発表と同時に、入会する──を繰り返している)。

デジタルファンクラブは、オフィシャルファンクラブよりもチケット申し込みの優位性はかなり劣るが、無いよりはずっとましなのだ。
(今回のラルクのUndergroundツアーも、素手でも勿論、複数をあれこれ申し込みましたが、そちらはいずれも全落ちしました。……まあそうなるよね。)

今回、横浜アリーナでファンクラブ限定アングラツアーがあり、そのチケットはオフィシャルファンクラブ会員しか申し込む権利がなかったはずだが、Live Viewingのほうはデジタルファンクラブ会員の私でも権利があり、無事にチケットを取れて、行ってきたわけです。

で、とても良かった。すごく良かった。
行けて良かった。コンサート会場とはまた別の良さとか堪能の仕方があったりもした。

まぁ……入場できるまでにちょっとしたハプニングが有りましたがね!!!
この時のことはもろもろ落ち着いたらまたじっくり書きたい。
とりあえず今は、後々ブログを書き込むためのスペース確保用に。
ひとまず。

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共通テーマ:音楽

演歌のこぶしは弦楽器でいうビブラート [あ行]

一か月以上、このブログを更新していなかったがために、上部に広告表示が出るようになったので、更新をば。

ちなみに「広告が出てるよ」と教えてくれた人は「かくかくしかじかの広告が出てるよ!」
と教えてくれたのだが、多分その広告はブラウザ検索や履歴などから、あなた用にカスタマイズされた広告です。そこんとこ、よろしく頼む。

ちなみに私にはAdobeフォトショップの広告が表示されていた。
ブログを更新したことでトップの広告は消えたが、今までは無かった位置にブラウザゲームの広告が出るようになっている……いつ消えんの。(追記・更新してから丸一日で、こちらの広告も消えました。)
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さて年末、この時期になると歌番組が増え、自分では主体的に聞かないたぐいの歌謡曲を耳にする機会が増えます。
たとえば演歌。

まぁ最近は紅白歌合戦でも、いわゆる「定番の演歌枠」が縮小されている気がするが。(私は紅白は録画しておいて、好みの曲や、目当てのアーティストだけチェックする派です)。

往年の演歌は耳に残る。
とくに演歌好きでなくとも知らず知らずのうちに口ずさんでいたりして、すると演歌のメロディをなんとなく口ずさんでいるつもりが、いつの間に「黒い瞳」とか「カリンカ」とか、日曜日は市場に出かけ糸と針を買ってきた「一週間」の曲など、ロシア民謡へと脳内音楽が収束されていく。
……といった経験はありませんか?
私はかなりあります。

演歌と民謡は、ともするとごっちゃにされがちだけれど、演歌の起源は実はわりと最近──ですよね。
我々が見聞きするいわゆる演歌が、歌謡曲として盛大に流行り、北国の酒場で流れていたり、遠距離トラックの運ちゃんが、いつも聞いていたりするイメージがついたのは、確実に戦後。

で、私は思ったのだ。
戦前からアメリカ音楽は日本に入っていたけれど、圧倒的に広まったのはやはり戦後直後。
占領時における、GHQの影響が強いように、だ。
演歌はロシア民謡を聞いて過ごした、シベリア抑留兵の影響が色濃いのでは?

もっといえば、つらいシベリア抑留を経た兵隊たちは、強制労働の劣悪な環境とかで、ソ連に対する猛烈な嫌悪感を抱いていると同時に、ソ連で耳にしたロシア民謡の曲調に、ある種のノスタルジーを禁じえなかったのではないか、と。

そのまま聞いたり歌ったりするのは癇に障るので、ロシア民謡風の曲調に、泥臭い日本のソウル(魂というか肝というか)をのせた歌詞で歌いあげたのでは。
イントロと間奏には、必ずと言ってよいほどパラライカと聞きまごう音色──。
それが演歌の主流になり、抑留から帰ってきた多くの元兵隊を慰めたのだ、
と。

たとえば演歌歌手の三波春夫さんはシベリア抑留の生き残り、というのは有名な話でした。
──もう第二次大戦もシベリアも誰一人、口にしない、気配もない90年代前半のちょっとした歌番組だったか、植木等が司会をやっていたのを見たことがあります。特番だったのかな……双方、既に初老で。
「今までに一番嫌だった、惨めだったことはなんですかね」と、出演歌手にそれぞれ振っていくMC内容で、すると三波春夫が、ベースはあの満面の笑みのまま、ちょっとだけ表情を曇らせ、
「それはやっぱりシベリア抑留での初日ですね。犬畜生よりも汚いこの日本兵が、と罵られ、極寒のシベリアで頭から水をぶっかけられたのが、一番屈辱的でしたねぇ」
何気なくダラダラとテレビを見ていた十代の私には衝撃で、「え」となったのを、今でも覚えています。

植木等が「いやあなたそんな話、今こんな番組でしないでよ、もっと軽いやつ」
と、わりとガチの低い声で切り返したのが、記憶に残っています。
(植木等はクレイジーキャッツのメンバーですから、在日米軍のキャンプまわりをしていた、つまりアメリカ音楽バリバリ派。)

数々の演歌はメロディラインをはじめとして、曲の文法? 世界観みたいなものが、かなりロシア民謡に通じる。概してアメリカ音楽が沖縄など南側から東京くらいまでとすると、演歌は圧倒的に北国のイメージとセットだ。私でも知っている有名な演歌──「津軽海峡冬景色」とか「北の宿から」とか、曲名でもう北国。
アメリカだってアラスカも在るわけですし、ロシアだって黒海もあるんですけど、やはり日本人の原体験として、シベリア抑留で接したロシア民謡の影響が強かったせいでは?

……等々と思い至り、ググってみましたら、興味深い記事を見つけました。
こちら↓
http://yoshim.cocolog-nifty.com/office/2009/04/post-1a56.html
「音楽のルーツを辿る旅...ロシア民謡をめぐって」
2009年4月10日のブログで、吉松隆さん(作曲家)が書いています。

嘘つきリュグナーとマイティマハト [あ行]


https://youtu.be/TH_QtHOMa84?si=l5j9WE1LcpnyriHL
【葬送のフリーレン】 YOASOBI「勇者」を500年前の楽器で弾いてみた

一人の演奏家が各楽器を全部演奏して、それを一つにまとめて合奏にしている動画なんですね。おそ松さんみたいにズラッと並んだ25秒地点で気付いた……。

『葬送のフリーレン』は、漫画読書時にリュグナーの声を脳内再生していた声優さん(諏訪部さん)が、アニメでキャスティングされたので嬉しかったし、かなりアニメに信頼を寄せて見ています。

もう一人、黄金郷のマハトの声が漫画読書時に小野D(敬称略)で自動脳内再生されていたので、そうあってほしいと、そこはかとなく期待しているのですが、今期はOPを見るにつけても、たぶん黄金郷のマハト編までは進まない感じかな……?

まあ、OPは魔族側のメンツは一人も出てこないけれど。
片眼鏡の魔法使いデンケン(人間)も見あたらないからな……。


https://youtu.be/QoGM9hCxr4k?si=6E9nzAhJabsToBRg
葬送のフリーレン』ノンクレジットOP/OPテーマ:YOASOBI「勇者」/毎週金曜よる11時放送

↑44秒地点、フェルンと一緒にフリーレンが寝そべって本を開いている石畳に、かつての勇者様御一行が魔王城を攻める様子が描かれているんですね。
ノンクレジット版を見るまで気付かなかった。


https://youtu.be/OIBODIPC_8Y?si=PsFbZh8LR0Sd_tqV
YOASOBI「勇者」 Official Music Video/TVアニメ『葬送のフリーレン』オープニングテーマ

こちらYOASOBIのフルバージョン、アニメ本編にも入っていないあんな場面こんな場面がいっぱいあって、フルで聞くと感動してちょっと泣くし、あとヒンメルのためだけのアニメみたいにすら見えるぞ(笑)
原作漫画のファンの私には2分14秒くらいから非常に刺さります。

『ポーの一族』のエドガーにとってのメリーベルみたいに(関係性とかは全く違うけれども)フリーレンにとってヒンメルの存在が、死後のほうが或いはずっと大きくて、良くも悪くも主人公の生き方を左右する。それが物語のふとした隙に垣間見える、その加減が絶妙なんですよね(特に原作漫画)。
曲中で展開されて絵になっている作品の世界観がとにかく美しいです。

今更かもしれません [あ行]

最近のアクセス解析を見ると、信じられないくらいアクセス数が減っており、それはまあ良いのだが(良いのか?)全国的に雷で、パソコンをつけていられなかったんだろう──
等々、勝手な解釈をしている。
その一方で、どなたか知らねど、過去ログをかなり遡ってチェックしておられる方がいる。

ブラウザの変遷とともに、改行位置が変わって、今となっては信じられないくらい、読みづらくなっている記事もあります。
貼りつけた動画やURLが機能しなかったり消えていたりで、なんのこっちゃわからなくなっている記事もあります。
そういうのもひっくるめて歴史……という感じで置いてあります。

小説や本づくりにまつわる内容、姿勢、言葉や翻訳に関するあれこれ、核をなす私自身は変わっていませんし、ラルク、刀剣、太宰治、萩尾望都の『ポーの一族』や『トーマの心臓』などの好みも、本質的に変わっていません。好き。最近あんまり口にはしませんが、どこまでいってもゴシックです。

またアナフィラキシーやアレルギー関係について、こちらも真剣に、かなりあけすけに書いている、これはある種の記録、誰かの一助になるかもしれないとも思っているので、消す予定はありません。

ですが中には(もう消してもいいけど……消した方がいいのかも……)という記事も少なからずあります。

ただ一応、一度アップした記事は基本的には、よほどの間違いや訂正などがないかぎりは削除しないつもりで、忘備録としても、また時には自戒をこめる意味でも、くだらなくとも置いておこう、と現時点では思っています。そんな感じなので、ご了承くだされば幸い。

また当然のことながらブログよりも小説本のほうが遥かに桁違いに、丁寧に真剣に粋(すい)を凝らして、いつまでたっても恥ずかしくなく読んでもらえるクオリティを目指して書いており、絶対におすすめなので、そこんとこよろしくね、です。

温度調整できる服を着ていったほうがよい [あ行]

現在せっせと制作中の『黒猫ギムナジウム』新装版。
帯をトレペにしようかどうか迷っていたわけですが、やっぱりトレペ帯、素敵ですよね! 
トレーシングペーパーの帯にするつもりで、いま帯のデザインを考えています。

さて、来たる11月23日に開催の2021年文学フリマ東京。
新型コロナの東京都における感染状況が数千という、最もひどかった時期に申し込みの締め切りがあったので、私は今回、参加を控えました。

今となってみれば、感染者数がかつてなく少なく、昨年よりもずっと低い状況で抑えられている。たった3か月であっても先のことは本当にわからない。読めない。
参加を見合わせたことは今となっては残念ですが、当時はそれしか選択肢がないと思えましたし、今回の文学フリマがより安全な、感染の心配の少ない状況で開催されるのは、本当に喜ばしい事です。

昨年、初めて出店したのに、知ったかぶりするのはどうなん、なのだが、私自身が文フリ参加にあたって、過去のいろんな出店者の体験談から情報収集した部分が多い。
新型コロナが蔓延してからの文フリ東京の開催はまだ日が浅いし、情報のアップデート版として、ちょこっと書いておこうかと。
何か参考にしてもらえることがあるかもしれないし、ないかもしれない。
他の人が言及していなそうな観点で、役に立ったものと、そうでないものを。
さしてありもしないんだが。
まずイマイチだったものから。

・チラシ

過去のいろんな文学フリマの出店者によると、チラシをいかにたくさん配れるかが、本自体を売ることと同じくらい、時にはそれ以上に注力するべき項目として記されていて、なるほど……と、私もチラシを作っていった。

感染防止対策のために「公共スペースにおけるチラシコーナーは休止する」というのは、事前にむろんよく把握していました。

それでも自分のスペースで来てくれた人に、チラシを自由に持って行ってもらうことは全く問題がないので、「ご自由にお取りください」として用意した。
大体チラシはオーダー単位が100枚からなので、表と裏がカラーのチラシを100枚持参したわけです。

蓋を開けてみると、持って行ってもらったのは4枚だったと思います。
四人の手にはわたったので、チラシを作ったのが無駄だったとは思わない。
ただ100枚はいらなかったよね。
勿論、100枚のチラシが全部はけるとは、かけらも思ってはいなかった。
ただし20枚くらいは持って行ってもらえるかな、と思っていたのだ……。
購入には至らなくとも、ちょっと興味がわいた、という通りがかりの人が持っていってくれるかな、と。

公共のチラシコーナーにあるのではなくて、売主の目の前に置いてあると、いろんな人が遠慮するというか、気軽に手に取りにくいのかもしれなかった。
手に取ってくれた人も、みな一様に恐縮して、持って行かれるのだった。

もっと気ままにじゃんじゃん取ってもらうつもりで作っていたし、余っても、持ち帰るにも送り返すにも荷物だから、感謝こそすれ、恐縮される必要は全くないのに……。

おのれのチラシの内容、見た目等々もろもろが良くなかったという可能性もある。
が、周囲を見まわしても、チラシのはけが悪い様子だった。
実際の商品である本の購入よりも、チラシが動かない。

そういう風潮になってきているのかな、と。

私自身の行動パターンを顧みても、かつては映画館に行った時に、必ず映画のチラシを棚の端から端まで一部ずつゲットしたものだった。
家に帰ってじっくりと……これは見る映画、こっちは見ない映画……とやるのが、ささやかな楽しみだった。
美術館や博物館でもそう。次の展示、またその次の展示、簡単に行けもしない地方の美術館の展示案内まで、チラシをずらっと持って帰った。へぇ、こんなのやってるんだなあと。
それが5~6年くらい前から全く、しなくなりました。
──だってネットで後で見られるし。

実際はいちいちググってまで、全部をチェックするかと言えば、余程でなければ検索して映画のHPに入ったりしない。紙で持ってきていればこそ、なにかと見るんですよね……。

感染対策ゆえに極力、いろんなものに手を付けないという姿勢もあっただろうとは思いますが、そもそも即売会場に来場している人です。
暫定的に公共のチラシコーナーが休止になったせいばかりでなく、紙のチラシ文化自体がひょっとしたら相当数、衰えているのではないかと。

それでも私はたぶん、次に参加するときもチラシを用意するとは思います。
ただし持っていったら、ほぼその分を持ち帰るつもりで準備する。
私が参加前に見かけたネット上の情報では、チラシありき!
チラシがない文フリ参加は出るだけ無駄! 頑張って配る!
……みたいな勢いの時代の記事が目についたもんだった。

予算やスペース、時間的余裕に限りがあるなら、チラシは最後に用意するのでいい。むろん、あくまで私の少ない経験をもとにした判断にすぎない。

では次に役に立ったものを。

・ニトリのテーブルクロス(130x220)

私は2スペース、つまり長机一台分を使っての参加だったので、テーブルクロスのサイズが意外になくて困りました。
テーブルクロスはピンからキリまであるけれども、大判のものは、粗末なつくりであっても結構、お値段が張る。
サイズ展開も文フリの長机に合う大きさのはなかなか見当たらず、文字通り、帯に短し、たすきに長しだ……。

コミック系の即売会場だと、自分のサークルスペースのロゴ等を入れて、オリジナルテーブルクロスを作るブースも多いのかもしれない。文フリでは、ほとんど見かけなかった。
適当な布で良いわけですが、切りっぱなしの布だと材質によっては綺麗に設営するのにテクニックが必要な感じも。一人で参加したので、端と端を持って引っ張り合いっこしながら固定するのも、ままならぬのだ。

私の場合は、ニトリのテーブルクロス(プレーン BE 130x220) 商品コード7832609が、重宝しました。お値段以上のニトリ、なるほどリーズナブルな価格設定と豊富なサイズ展開。
私はベージュを選びましたが、色は全部で3色あります。

パッケージにぎっちぎちに入っているので、折り皺がきっちりついちゃっている。
ざっくりアイロンをかけて持って行った。
筒状に丸めるにしても、ある程度、畳まないわけにはいかないので、畳みじわは避けられないが。畳まないでは持ち歩けないので。
ざばっと机の上に広げただけで、とりあえず見られる状態になります。
個人的にはこれが助かりました。

・メニュースタンド
(スマイル メニューファイルスタンド 先端湾曲型 740182 )

アスクル/ロハコで買いました。
これは驚異的に便利な代物で、いわゆる薄い本を立てて展示できる……だけでなく、在庫部分もそこそこ置ける。一石二鳥のすごいやつ。
つくりは極めてシンプル。こういうの好きです。

「名刺代わりの小冊子」というB5サイズ薄型本を立てて置くのに、重宝しました。
見本を立てて飾れるだけのアクリル製のスタンドはたくさんあるけど、こちらは見本を一番前に置いて、売り物の本(在庫)も、見本の後ろ側に何冊か立てて置けるのがいい。
しかもメニュースタンドだから安定感が桁違い。換気のため会場の扉が全開なので、たまに突風が吹きつける中、このメニュースタンドだけは頼もしく、ストレスフリーだった。
普通のメニュースタンドだと本の表紙が隠れてしまうが、透明だから問題ない。
使い勝手が良かった。
作った人、天才か。

リーズナブルで、場所も取らないし、しっかりした作りです。
アクリルなので水には強いが、火気厳禁です。まず本が火気厳禁ですからね。

来年の文フリ東京には、是非とも気楽に出店したいです。

癒し系料理番組とやらの癒される基準は人それぞれ [あ行]

バラ科の食べものに、かねてより強烈に即時型アレルギーが出て、アナフィラキシーも起こし救急車沙汰になった経緯があるため、外食やお持ち帰り系のスイーツは、もはや食べられません。

バラ科の果物は長時間、火を通せば、アレルギーを起こす成分が壊れて、食べられるものも中にはあるが、桃はだめらしいし、今では敢えての危険を冒さない。

バラ科には、厄介なアーモンドがありますし。
こいつは火を通しても全然壊れないどころか、成分が焙煎で凝縮されて濃くなるとか。
仮に、目に見えるスライスアーモンドなどを避けても、アーモンドパウダー、アーモンドプードルとして、フィナンシェとかスコーンとかの一般的な洋菓子に高確率で投入されており、即、死につながる。すごい苦しいから嫌だよ……。

あとは気軽に振りかけられているココア、チョコレート、コーヒーとか紅茶の茶葉とか……。
カフェインで誇張ではなく死にかけたことが多々あるので、(なぜ多々あるかといえば、大丈夫なものがある日、突然、体が受け付けなくなるという知識がなかった。カフェインが原因だと診断がつくまでに紆余曲折あり、時間を要した)とにかく洋菓子は全滅と認識しておいた方が、私には賢明なのだ。

では中華、たとえば月餅とか。
私はごまにアレルギーがあることもわかっているので、好きだった月餅もアウト……。
月餅はゴマ油を大量投入して作ってあるし、具がナッツ類なので、アーモンドという点でも危険。
ごまも加熱してもアレルギーの成分が壊れないので、今となっては無理です。

わりと安全に食べられる確率が和菓子、あんころ餅とか大福とか。
茶道部だったくらいで、私は和菓子も大好きだし、良かった……
と、それがうっかりすると和菓子も、ごまだんごとか、ごまのおはぎとか、ごま大国です。
むろん抹茶も。和菓子のごまや抹茶は見てわかる範囲なので、さほど恐れはしないけれど。
脅威なのは、き・な・こ。

Gly m 4(大豆由来)に強いアレルギーが出て以来、豆乳はすぐ死につながるし、大豆もやしとか、枝豆もだめなのは把握していた。
こちらは幸いにも死の恐怖を味わうまではいかず、具合がはなはだ悪い……くらいで済んだのですが(別段、好物ではなかったというのがある)。
きな粉が大豆って、意外に盲点といいますか。
きな粉=大豆で直球なんですけど、名前が変わると、一瞬、誤魔化されかける。
きなこはコンタミとしての危険性も高いから、和菓子屋さんの和菓子も安心できない……。

そんなにアレルギーがあって、食べられるスイーツなんてあるの?
と思われがちなのだが、実は相当あります。

小麦粉や牛乳などは平気なので、クレープをブルーベリージャム(ベリーと入るがこいつはバラ科ではない)で食べるとか。
自分で作るパンケーキとか、蒸しパンとか。
アーモンドプードルの入っていないレーズンスコーンとか(バタータップリにすると美味い、というかスコーンのうまさはバターの量に比例する)。
あと寒天で葡萄ゼリーを作るとかね。
健康を損ないもせず、命の危機を味わうことなく、おいしく普通に食べれられます。
絶望するほどスイーツが食べられないわけでもないんだ、これが。

さとうきびに、上記のアレルギーほどではないが、微弱にアレルギーを起こすとわかってもいる(慢性的に蕁麻疹が出たりする)。
てんさい糖とか麦芽水あめとかで代用すると、むしろ砂糖がさほど豊富ではなかった時代のすっきりとした、あるいはこっくりとした甘さにたどりついたりして。
お汁粉とか、ぜんざいとか、オーソドックスな昔懐かしい、祖母が作ってくれた系お菓子が、私にとっては安全&成功率が高い。

甘味を食べたいと思ったときには、大丈夫な材料で自分で作ろうモードにシフトして、お菓子系動画をわりと見ます。

時には我ながら険しく、しんどい顔をして、テレビのお決まりの料理番組を見ているときもある。「グレーテルのかまど」とかを。
癒し系料理番組と紹介されていたりするが、
こいつは私にとっては死につながる……隠し味とかマジでやめて……
とかを学べるので、見るわけです。癒されはしない。

スイーツに限らず、テレビの料理番組全般を見ていて思うのが、昨今の人気な料理法は、オーソドックスな作り方をするものが減っていますよね。
そこは下茹でして火を通すでしょ、学校でもそう習うし……?
という手間を省きまくる傾向が。

私はとにかく火を通しまくった、かつての軍隊飯で良いんだ……田舎煮込みとかな……。
揚げ物は大豆油を使っている確率が多いから、とりあえず煮ようぜ……。
あるいはバターとオリーヴオイルでシンプルに焼いてくれ……。

くつくつ煮こむとか、じっくり焼く料理番組が本当に減りつつある中、数少ない番組に、
やまと尼寺精進日記(NHK)があるんですが、精進料理なんで。
9割が大豆とゴマでね。あとは梅とか干し柿(いずれもバラ科)とかでね。
大豆が本当にトリッキーなのは、おからとか、湯葉とか、名前を変えまくるところですよ。
豆という字すら入らないじゃん……。

日本のyoutube料理動画も見るには見ていたんですが、概して、しゃべりが多すぎる。
料理番組を見る時って、作ろうと思って見るだけでなく、料理音も味わう。
しゃべりや音楽で、料理音をあえて消してある動画も少なくないし、時短料理が主で……。


https://www.youtube.com/watch?v=gZN3b9irMQ0

自分好みの料理動画を見つけました。

もとは韓国の動画なのかな?
私はハングル語は全くわからないが、しゃべりが皆無なので問題ない。
材料等は日本語のキャプションがある。材料も素朴で、おいしそう。


https://youtu.be/oIDZzA5XXYU

こちらは、もとはドイツ語の動画か。
こちらもしゃべり皆無で、日本語のキャプションがつく。
この動画の日本語キャプションはかなり怪しいのが、ご愛嬌……。
コメント欄がキリル文字と英語とドイツ語と……。
みんな、バターが好きな国民性だよね……。
(英国になると、そこにバターではなくラード!? となるのも多いですけど。)
バターは買うにしても、たのしく見られる。

もしも「お金をあげるから好きな番組を企画して作っていいよ」と言われたら、やまと尼寺精進日記の海外版?
欧州修道院サナトリウム料理日記みたいなのを企画したいし、毎週見たい。
たぶん海外には既にあるんじゃないか。
とはいえ日本の料理番組好きは異様なレベルなので、案外とまだ無いのか……。

癒しに必要なものは概して「生活必需品」ではない [あ行]

昨晩、皆さんは大丈夫だっただろうか……?
揺れを感じたとき、私は動画を見ている最中だった。

こちらを↓
#4 声優 花江夏樹と斉藤壮馬の【GRIS】実況プレイ
https://youtu.be/_ymSquunzRg

以前ゲーム「リトルナイトメア(1)」を、
花江夏樹(以下敬称略)が、斉藤壮馬(以下敬称略)を自宅に招いて、
実況プレーしていた折には、わたしは毎週の更新を楽しみにしていたっけ。

昨年秋ごろには、こちらGRISの実況動画がアップされていたらしいのだが、
私はまるで知らないまま過ごしており、
昨晩発見し、超嬉しく初視聴中であったのだ。

もともとセリフが皆無のインディーズゲームGRIS。
このYoutube花江夏樹チャンネルの動画で初めて知ったのだが、
このGRISの作品の世界観が、アールデコ風の造形美で占められていて、まず最高。
ゲームを進めていくに従い、嘆きの神殿っぽい遺跡が次第に色を取り戻す。
色が灯っていくにつれて深まる加賀友禅みたいな色彩感。
抑制のきいた寡黙な演出に、音の奥行き──広がりや閉塞感の加減があって、
没入感が独特で、すばらしく綺麗。

そのGRISの世界で、
ゲーム操作がやや覚束なめの斉藤壮馬を、
ゲームテクニックが高い花江夏樹がサポートしながら、
協力してああだのこうだの、声を張らない素に近いやりとりをしながらクリアしていく。
その過程が、非常に癒し。

花江夏樹といえば「刀剣乱舞」の髭切の声の人であり、
昨今では「鬼滅の刃」の竈門炭治郎といって知らない人はまずいまい。
私が初めて存在を知ったのは「東京喰種」の金木。

斉藤壮馬といえば、
「刀剣乱舞」の鶴丸国永の声の人であり、鯰尾藤四郎の声の人でもある。
私が初めて存在を知ったのは「残響のテロル」のツエルブ。
ほかにも「ハイキュー!!」の山口であったり、
最近では「ヒプノシスマイク」の夢野幻太郎や、
「憂国のモリアーティ」のウィリアム・ジェームズ・モリアーティだったりで、
超透明感あるイケボをいかんなく発揮してきている。
(ついでに言うと、ジョジョのドッピオの頭がおかしい電話の演技は衝撃だったね。)

花江夏樹がほかの声優さんを自宅に呼んで実況プレーをし、
個人でアップしている動画の数々は、
ほかにもいくつか見てみたことはあるのだが。
この二人の場合、同い年だからなのか、キャリア年数が似ているせいか、
双方の間に、妙なこびへつらいが皆無に等しく、聞いていて全くストレスを感じない。
フランクかつ仕事仲間として一定のリスペクトもあるやりとりで、聞いていて心地良い。

で、この実況動画4の途中で「お!」ズッシーン! 「よっ!」ズシーン、
と「ストーン効果」を使っている最中、ガツンと突き上げるような衝撃が来たのだった。
グラグラ……と揺れが続いてなかなかリアルな演出だな……
と、ほんの0.1秒くらい、昨晩、私は現実との境界線があやふやな時間があった。
で、その後の行動をなぜだかものすごく冷静かつ機敏に取れた。
シミューレーション効果みたいな?

家族の安否確認が済んで、テレビやネットで状況を確認して、
今の私に何か変わった行動を起こす必要はない、とわかった後も、
ずーっと微弱な揺れを感じてはおり、
湯冷まし入りのコップや、水のペットボトルを身近に置いて、水面をたびたび確認。
ああやっぱり揺れてないのか……揺れて感じるんだよな……ざわざわする……
これぞ地震酔いか。
(ちなみに私は乗り物酔いをはじめ、揺れに非常に弱い。
近くで道路工事や地盤工事をやられるとマジで吐き気が起きてくる。)

で、この動画を再視聴しはじめたら、みるみる鎮まった。
再度、ストーンを発動するところで一瞬緊張したが、
問題なくゲームが進んでいき、それにしたがい変な揺れをまったく感じなくなった。
ゲームは通常ただでさえ3D特有のゲーム酔いが起きたり、世界観がグロかったりするものなのに。
GRISはその手のゲームと方向性が正反対で、目に耳にと清涼感が桁違い。

再生回数が高いので、知っている人はとっくに知っているだろうが、
おすすめです。癒し効果が本気で本当に高かった。

#1 声優 花江夏樹と斉藤壮馬の【GRIS】実況プレイ
https://youtu.be/5_dGSGNZmog

#2 声優 花江夏樹と斉藤壮馬の【GRIS】実況プレイ
https://youtu.be/-Soq-IsId-U

#3 声優 花江夏樹と斉藤壮馬の【GRIS】実況プレイ
https://youtu.be/FF-nKqz8ngg

#4 声優 花江夏樹と斉藤壮馬の【GRIS】実況プレイ
https://youtu.be/_ymSquunzRg

#5 声優 花江夏樹と斉藤壮馬の【GRIS】実況プレイ
https://youtu.be/u4jLm4rZL3U

#6(完) 声優 花江夏樹と斉藤壮馬の【GRIS】実況プレイ
https://youtu.be/MyQvno_h_-s


共通テーマ:ゲーム

遺伝子レベル [あ行]

https://mainichi.jp/articles/20200927/k00/00m/040/110000c
「新型コロナ、感染しやすさに地域・民族差なし 遺伝子レベル分析 北大研究チーム」
毎日新聞2020年9月27日

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1201466.html
「重症化遺伝子、旧人に由来 新型コロナ、OISTなど解明 地域で差、東アジア少なく」
琉球新報2020年10月3日 05:00

(毎日新聞の記事は会員有料記事で、私は無料で読める部分までしか読んでいません。)

二つの記事は一見すると全く正反対のことを言っているようですが、
そうではないですよね。

一つ目の記事は、感染リスクは人種や民族(つまり遺伝子を)問わないと。
感染者数の地域格差は医療格差および生活習慣、環境による。
つまり同じ環境におかれれば、誰であろうと罹ると言っている。

いっぽうで、感染した後の回復具合、重症化するか回復するか、
これは遺伝子によるところがかなりある、ということを二つ目の記事が言っている。

遺伝子は関係なく、誰でもかかる。
しかし重症化するのは遺伝子レベルで左右される部分が少なくない。
(むろん重症化には遺伝子以外の要因も少なからずあることを忘れてはならないが)。

というのが、総じて現在わかっていることかなと、捉えています。

ちなみに重症化リスクを持つ遺伝子の人が多くいる、南アジアって、
我々のいるアジアと同じ「アジア」といっても文化圏が相当ちがいますよね。

アメリカに留学時代、私は当然、アジア人としてくくられる機会がとても多かったが、
そのときは概して東アジアでくくられており、広くても東南アジアまで、でした。
南アジアは完全に別エリアという認識だった。
キリスト教ミッション系の大学だったから余計そうだったんだろうと思う。
南アジアはアフガニスタンとかでイスラム教も多いエリアなので、
そもそも留学生がうちの大学には来ていなかった。

授業で一般的にアジアという語が出るときは、たいていがこの南アジアを指していた。
日本はといえば極東=Far Eastですから、
アジアと言われて反応すると、たいていが違った。

これがさらに聖書のクラスだと、「アジア」が全く違うところを指すから
(おそらく日本エリアは聖書の執筆者の面々に存在すらを認識されていなかったし、
むろん日本エリア側からしても。双方が双方の存在について無知だったはずです)。
もう「わけがわからないよ」状態になりがちでした。

当時はウィキペディアもないですし。
グーグル検索エンジン自体ができたばかりで、
ネット上の情報はかなり限定されており、正しいかどうかもわからなくて、
簡単に調べもつけられなかった──。

ちなみに琉球新報に載っている旧人分布図には、
ロシアエリアのデータが全くないんですね……。
オーストラリアもない。
これは居ないということなのか、いや多分研究データがないんだ……
居ないならば日本と同じ表示方法になるはずだ。


共通テーマ:学問

あ、ちょっと待った [あ行]

(この記事、書いてはみたものの結果的に削除してかまわないな、と思ったが、
一応、付記として残しておきます。)

***付記***


迂遠の極み [あ行]

ゲーム刀剣乱舞の「特命調査・慶長熊本」イベント、いつになく内容が充実しており、
歌仙兼定ったら運営にひいきされていませんか……とやっかみたくなるほどだ。
なにしろ私の初期刀の蜂須賀虎徹の特命調査ときたら……!
蜂須賀、ほとんどまともに中身のある事を語ってくれなかった気がするよね!
蜂須賀の特命調査「天保江戸」のボス戦の音楽なんて、ロボットアニメと暴れん坊将軍のテーマ曲を雑に掛け合わせたみたいな、やっつけ気味に聞こえたよね。
今回の慶長熊本イベントは、ボス戦の音楽にしても、いちいち素敵である。

当該ゲームのプロデューサー、でじたろう氏が以前、雑誌ブルータスで語っていた話によれば、
でじたろう氏の初期刀は歌仙兼定。
氏が初期刀に歌仙を選んだのは、かつてでじたろう氏が企画したテレビアニメ『翠星のガルガンティア』の主人公の声を石川界人さんがあてており、歌仙兼定も声が石川界人さんだったからだと。
(やはり贔屓なんじゃ……?)
贔屓であったとしても、なんら問題はないが!
私は歌仙兼定(本体)を永青文庫に見に行ったくらい好きですし。

今回、特命調査にて歌仙兼定はいい感じに出番が多く(蜂須賀虎徹比)、中身のある台詞に恵まれており、和歌をはじめ雅を解しながらも、細川忠興の刀である本分を忘れない。
忠興の妻・細川ガラシャが、歴史修正された偽りの世界の根源となっているとわかっても、懐深く、冷静に判断を下す。けっして冷酷ではなくてだ。歴史をあるべき姿に戻すために力を尽くす。
花丸アニメなら少なくとも2話分、活撃アニメならば1期分に匹敵する内容な気が。

今回はいつもと異なり、「余白を楽しむために史実の核をはっきりとは提示しない」という刀剣乱舞のゲームスタイルと趣がやや違う感じ。歴史というのは、何が事実か、いまだ不確かな部分も少なくないから、刀剣乱舞は要所要所の片鱗を点で見せ、その点をつないで線にするのはプレーヤーの脳内でやりましょう、余白は各自で掘り下げましょう、というのがこれまでのスタンスだった。こと原作ゲームにおいては……(メディアミックスはまた話が変わってきますが)。

核心部分をまっすぐ見せてくれた理由はわからない。
が、今回初登場の豊後国行平作「古今伝授の太刀」が、
……本当に刀の付喪神? 和歌の付喪神ではなくって?
と疑いたくなるほど歌心満点で、いちいちしっとり……時としてねっちりとお歌でやりとりしてくるから、ことごとく表現が婉曲的。
中身のほうは濃く、直截的に提示してくれて、ちょうど相殺されて、いい頃合いになったのかも。

その国宝・豊後国行平作「古今伝授の太刀」は、私が歌仙兼定を永青文庫まで見に行ったときに展示されておりました。
私は歌仙を見に行ったはずが、豊後国行平作の国宝太刀にすっかり魅入られ、帰って来たのを当時のブログに記していた。

こちら↓
https://blackcrosssanatorium.blog.ss-blog.jp/2016-07-15
歌仙兼定登場@永青文庫

2016年7月9日に見に行っている。
3年以上も年月が経っているのか……!
ブログの中盤が国宝・豊後国行平の太刀についてです。

正直、わたしは歌仙兼定の刀身自体には、豊後国行平作の国宝太刀ほど心を動かされなかった。
一目見て、歌仙は武骨な刀なんだな……という第一印象が強かった。
歌仙は本体よりも、歌仙の肥後拵えがスタイリッシュでとても素敵だった。

歌仙が展示されていた4Fのフロアから、順繰りに階下へと降りてくる順路で、
階下のたしか窓際に置かれていた、ひときわ目をひく太刀が豊後国行平作の国宝だった。
この「古今伝授の太刀」を、歌仙お目当てだけで来館していた人は、少なからずスルーしていた。
おかげで、わたしは張りついてぐるっと全体像を鑑賞出来て、幸せだった。

歌仙お目あてで来館はしたけれど、魅力的な刀剣全般に惹かれるタイプの人は、私に限らずとも、古今伝授の太刀が視野に入った途端、ハッと吸い寄せられてもいて、
……なにこの太刀……超雅(ちょうみやび)だな!……一体なにもの?
という反応をしていたので、歌仙兼定登場の際に永青文庫を訪れた人は、かなりの率できっと覚えているだろう。
一目見たら忘れられない存在感で、美麗でつやややか、大振りな白刃なのだった。

その初見の印象をもって私が個人的にゲーム内の刀剣男士を思い描くに、
髭切+鶴丸国永+数珠丸恒次+にっかり青江……を割ったみたいなイメージかな、と。
シルエットから想像していた。
今回の具現化された刀剣男士の全体像には驚いたし、よくよく思えば納得がいくような……。
不思議な感じがします。

「男士だけれど女と見まごうほど見目麗しい」という「あくまで男だが美麗」という範疇をはるかに超えて、まず男だと思うほうが難しい、女性っぽいルックスで登場したのは、想像とおおきく違った。
あの国宝・豊後国行平作の太刀から私は女性らしさを感じはしなかったし、いっぽう死神っぽいというか……一見して、ただならぬ雰囲気がある姿で登場したのは、わかるなぁ……!

その古今伝授の太刀どのは、特命調査の「闇(くらが)り通路」の行き止まりにぶちあたるたんびに、
「糸による 物ならなくに別れぢの 心細くも おもふゆるかな」
と詠んでくれるんですよ、知ってました?
初ボス戦にたどりつけるまでに、三度も右端の行き止まりにぶち当たって無駄足を踏んだから、私は詳しいんだ……! (古今和歌集の紀貫之の歌らしいです。)
遠回りしたおかげで拾い物だよ。
──こんな先細りの脇道に来るなんて心もとない──
と、古今伝授に三度も嘆かれていただけですが……。

(糸のように、こよれば合流できる道でもないので引き返すしかないですよ)
と暗に促されてもいた。

ようやく本丸に顕現した古今伝授の太刀は、遠征に出るときには百人一首の「たちわかれ~まつとしきかば」の和歌を詠んだりと、他にもなじみ深い歌を詠んでくれる。が、索敵のときに詠むのが、
「月夜にはそれとも見えず梅の花……か」

ん? 索敵時になぜそんな歌を引用するんだろう。
──月夜にはそれとも見えず梅の花
この上(かみ)の句は、「香(か)をたづねてぞ しるべかりける」と続くものであるらしい。

うちの本丸では、江雪左文字、鶴丸国永、小竜景光、あたりが古今伝授どのと似通った偵察値。
「不穏な気配を感じます。確認をお願いします(江雪さん)」
「布陣に穴はあるかい? せっかくなら奇襲をしかけたいよな(鶴丸)」
「状況を教えてくれ、俺が覚えているのはゲリラ戦でね(小竜)」
という彼らの索敵の号令を鑑みるに、
我が本丸の男士はみんな、古今伝授どのの索敵には
「お……おう?」
途方に暮れている節がある。

月夜にあっても梅の花は見えにくいが、かわりに香りが匂いたって場所がわかる、
という意味合いの歌だと思ったが、そもそも月夜なら闇夜でもないのだから、よく見えそうなもの……。
正しくは、
「月夜に梅の花は月光の明るみにまぎれてしまって見えにくい。香りを頼りに見つけるべきだった」
という意味らしい(ネットで調べました)。

つまりこの索敵場面においては、
「わたくしは索敵が苦手なので、鼻が利く者は敵さんの姿を嗅ぎつけてきてくださいね」
という意味合いになるわけだ!
迂・遠!

まず下(しも)の句を知らないと「……ぬ?」
という感じで、意味がいまひとつわからない。
古今伝授どの、さらりと要求してくる教養と読解力のレベルが高い。
戦場においては真意がすぐには伝わらぬよ……。
しばらくは歌仙兼定と一緒に部隊を組んで、歌仙に通訳をしてもらわなくてはなるまいな……。

おのれ偏西風 [あ行]

ラルクのライヴ:L'Arc〜en〜Ciel ARENA TOUR MMXX@さいたまスーパーアリーナ参戦について書く気満々でいたところに、新型コロナ肺炎流行を食い止めるためとして、お上からの自粛要請。
横浜公演も、代々木公演も中止に。
代々木公演はせめてライヴヴューイングであっても参戦したい(……チケットが取れなかった)と思っていたから、私は色々と出鼻をくじかれ、気持ちのやり場がわからなくて、宙ぶらりんな気持ちに。
2020さいたまスーアリのラルクライヴの感想を書けるまでに、気持ちを持っていけません。
しばらくかかりそう……。

そもそも3月は確定申告の時期である。
クリエイティヴ系職種フリーランス家業にある者は大体、さまざまな活動がいったん低迷しがちです。
事務処理と創作系頭脳は、使う部分が明らかに異なると思う。
どちらかにスイッチを切り替えると、どちらかが立ち行かなくなる──
そこまでいかなくとも、まったくもって億劫に感じられる。
スイッチ問題だけならまだしも、自分のお金の色々と向きあわなければならない事自体が、
けっこうストレスフルな人も少なくないのでは(私はそう)……。

10年以上前だったか、とある作家のかたが確定申告についての愚痴を、ブログで漏らしておられた。
タクシーの運転手さんにぼやくと、
「だめだよー! そういうのは一年かけてきちんと領収書の整理からなにから、きちんとやっておかないと! 急場しのぎでやろうとするから大変なんだよ!」
そうたしなめられて感心した、心を入れ替える、といった感じのことが書かれていたと記憶している。
記憶だから曖昧な部分や、自己補完している部分もあるかもしれないが。

このほど、その作家さんのSNSを覗いてみたら、
創作系業務に従事する者が確定申告に苦手意識を持っているとかいう流布は大概にしろ、
自分はとっくに仕上げた、こういうの大好き、大の得意、
といった感じの豪語をされていた。別人のようになられていた。
本当に心がまえを変えられたのだ……。
当人にとったら豪語ですらなくて、至極当然のことを言っておられるだけなのだった……。

と、そんな確定申告にくわえて、花粉症と黄砂が猛威を振るう時期でもあるんです。
昨年は花粉量は多かったが、黄砂はこの時期、まだ関東地方には来ていなかったので、症状は想定内だった。

今年は春一番が早かった。春一番が吹けば、黄砂を連れてきますからね。
2020年は2月時点で既に黄砂がものすごくてね……。
おのれ偏西風。はっきりいって私は偏西風が吹いてからの日本はずっと居心地が悪い。
偏西風が日本に吹き出すと、つぎに木枯らし一号が吹くまで、ずっとしんどいんだ……(夏があるしな)!

今年は花粉量は少ないらしいが、症状としては今年のほうが明らかに悪い。
で、花粉症の症状と言うと、テレビCMなどでは、鼻や目にくるということが大きく取り沙汰されがち。
鼻症状がほとんどでない人間は、花粉症だと思われにくいし、
わたし自身も花粉症だと長きにわたって自覚できなかった。

季節の変わり目だから風邪気味なんだ。このころいつも咽が痛くて、咳が出るんだ。
空気が乾燥して風が吹いて、埃っぽいせいだよね。
気温のアップダウンも激しいから自律神経が狂ってるんだよね。
おかげで微熱も出るんだよ……。
そんな認識をしていたのです。愚かだ……一番本質的な部分を見過ごしていた。

たまに目がかゆいから花粉症の気配もする、くらいに長年ずーっと……。

現時点、私の周囲でも「おおお……それ、おそらくは花粉症……」
という咽・咳・微熱症状に悩まされている方々が複数がいる。
彼らは大概、花粉症だと認めたら負けだと思っているように見受けられる。
花粉症だと認めた瞬間に、すべてのアレルギー症状に負ける、病は気からだと思ってらっしゃる。
さもなくば今年は新型コロナを疑っておられる。
新型コロナを疑っても、花粉症は疑わない。
観念して耳鼻科にかけこみ、「花粉症です」と診断され、アレルギーの薬を処方され、それで症状が軽減されても、「いや本当はもしや新型コ……?」
と疑っている人に実際、ちょくちょく出くわす。

新型コロナを疑うのはもちろん大切なんですが、同じくらい花粉症も一度しっかり疑って……。

アレルギー症状の有無はわかったほうが医者も自分も対処しやすくなるし、
認めずに大きく症状が出すぎてからだと、
自分の愚かしさが自分をいたずらに痛めつけていた自己嫌悪で、なかなか立ち直れなくなりますよ……。(私だけじゃなくて似たような状況になった先輩がまったく同じことを言ってたもん……。)

アレルギーって死ぬから……死ななくともアナフィラキシーってすごく苦しいから。
アレルギー体質という言葉が誤解を招きやすく、
体質だから病気ではない、という認識をする人も多いのだが、
他者に感染しない、という意味では感染症ではないけれども、確実に持病の一種です。

そろそろいい加減にテレビCMとかでも、
──のどが痛い、咳が出る、微熱が出る、風邪? 
いちど花粉症を疑ってみましょう。鼻症状が出ない場合も多いです──
みたいな告知を大々的にしてほしい。

国民の3分の1がかかっている国民病で、潜在患者を入れたら多分もっと多いんだから。
人によってはお腹の調子が悪い、肌荒れという症状になる人も少なくない。
必ずしも鼻症状に悩まされるとは限らないのですよ。

いずれにしても花粉を体内にとりこまないことが必須で、マスク装着が奨励される事案。
だがなにぶん新型コロナでマスクは不足しているし、
「今年は花粉量が昨年より少ない」
ということが強調される。
だから余計に、「花粉が少ないのに、この症状って本当に花粉症?」と思えてくるんだと。
正直言って、花粉量は黄砂と一緒に論じないと花粉症の観点からして、欠陥があるんですよ。

ニュースのお天気コーナーも花粉量を示すなら同時に黄砂量分布も出してほしい。
なんのために花粉量を出しているのか……?
まさか杉やハンノキやヒノキや白樺の受粉具合を気にかけているわけじゃあるまい?
花粉症の対策に、この情報を用いよという意図ですよね? 
だったら黄砂情報もくれ!

気象庁のネット情報を確認しても、日本にとっての黄砂情報は、
「洗濯物が汚れるし洗車が必要になる、ひどくなると航空機の離発着の視程に影響がある」
という認識で、花粉症状と直結して把握されていないみたいなんだ……。

→気象庁|黄砂の濃度と視程の関係
https://www.data.jma.go.jp/gmd/env/kosahp/4-7kosa.html

実際のところは、アルコールと睡眠薬を併せて飲むと、
睡眠効果がブーストされて死に至る危険性があるように、
花粉症状を黄砂がブーストする。花粉×PM2.5もまずい。

→環境省
5-1457 黄砂とPM2.5による複合大気汚染の肺炎、アレルギー疾患増悪作用とメカニズム解明
https://www.env.go.jp/policy/kenkyu/special/houkoku/data_h28/5-1457.html

上記のスライド部分を抜粋したPDF
https://www.env.go.jp/policy/kenkyu/special/houkoku/data_h28/pdf/5-1457.pdf
(ざっくりこっちを見れば要点は足りる)

こちらのPDFによると、
黄砂とPM2.5が一緒くたになることで、さらなる影響が生成されるという懸念はない様子だが、
それぞれがアレルギー症状や呼吸症状を悪化させるに足るのは、れっきとした事実で、
そのメカニズム(機序)も解明されているのだ。

どっちも大気汚染……と、ざっくり把握をしてしまいがちなのだが、
黄砂は微生物、PM2.5は化学物質を体内の奥深くまで取りこんでしまう要因となっており、
それで引き起こされる結果は仮に似ていたとしても、メカニズムはまったく異なるんです。

で、いたるところで示唆される黄砂無双ぶりよ。
"複合曝露時のアレルギー増悪作用は黄砂の量に依存する"
黄砂自体はアレルギー物質ではないのにである。
「黄砂が紙やすりみたいに粘膜を荒らすから、花粉が入りやすくなっちゃう?」
と思い込みがちなのだが、そんな生やさしい理屈だけではなく、
黄砂には微生物(バイオエアロゾル)が必ず付着しているのだ。

だからたとえば海水自体はアレルギー物質でなくとも、
海水には魚貝のさまざまな要素が必ずといってよいほど混じっているから、
実験室で作り出した「海水」でないかぎりは、
魚貝にアレルギーがある人は海水や海辺の砂を避けたほうが良い、と耳にしますよね。
その理屈に似ているかと。

花粉が火の粉だとするなら、体内に火の粉がふりかかるだけでも大変なのに、
黄砂による微生物は、人体内において可燃性物質と同意。
炎症が加速度的に燃え広がるのは不可避でしょう。

で、その黄砂に付着している微生物──すなわちバイオエアロゾルは何なのか。
バイオエアロゾル 黄砂 ゲノム解析」等のキーワードで検索をかけてみると、
外気にさらされても死なない、しぶとく厄介な菌が複数ぞくぞく出ます。

黄砂って、そもそもなんぞや? ……につきましては、こちらを参照くだされば。
→気象庁|黄砂に関する基礎知識
https://www.data.jma.go.jp/gmd/env/kosahp/4-4kosa.html

あとで口直しにかわいい動物動画をたくさん見た [あ行]

最近、ちょっとした地震がちょくちょく多いのと、
身内の家の前の公道では、
耐震用のガス管へと現在進行形で交換工事をしていること
(年度末でもないのに……割と最近、耐震用に交換したばかりじゃなかったっけ?)、
NHKで、防災の日の9月でもなければ、311前後でもないにもかかわらず、
災害特番を幾夜にもわたってやっていたこと(私は未視聴)、等々、
かるーく
「ひょっとして今更だけれど、何らかの意識改革をして身構えておいたほうが良いんでは」
モードになってきているので(自分が)、こちらをシェアしておきます。

2011年3月11日 東日本大震災 発生の瞬間映像集

https://youtu.be/McjIOGWmTTk

この動画、私は最近知ったんですが、
再生回数が尋常ではないので、
見ている人は見て、何事かを学んでいるんだろう。

ただこの動画を見て、当時を思いだす以上に私は怖くなって、マジ泣きしたので、
(たかが帰宅困難者レベルの被災者にすぎなくともである)
被災者は要注意かとは思います。

これを見てよみがえったのは何よりも音で、
飛行機の乱気流でガツン、ガツン、ガツンと階段状に高度が急降下するときのような揺れと共に、
凄い音がするんですよね、これだよ……。
見ていて、うっすらお腹も痛くなった……。
(音を消して見ると、画面の向こう側でもあり、驚くほど全く怖くなくなります。反面、船酔いなみに酔う。)

そんなストレス動画でもシェアしておくのは、
安全な場所で冷静に見られる状態にあるならば、見ておいて損はない、
いざというときのために備えられる、プラスになりうると思っているからです。

……というのも、私は壊滅的な方向音痴で、道に迷ったことなど枚挙にいとまがなく、
(ちょっとした隙になぜか迷う。物凄く至近距離とか、複数回訪れた場所でも、むしろ天才的に迷う)
地図を見とけと言われてもさ、何か意味あるんですかねと言うレベルで迷うのだが、
グーグルマップのStreet Viewを使えるようになってから、
かなりの確率で人に聞かずとも、目的地にすんなりたどりつけるようになったのである。
──むろん私道などでStreet Viewが使えない場所だと、詰む。

映像での予備知識がこんなに役立つとは、と。
だからこの記録動画から得られる情報が、
何らかの局面で、役に立つ可能性もあるかもしれないと考えているからです。


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映画におけるチェロの曲(1)『ポンヌフの恋人』 [あ行]

映画に使われたチェロの曲で好きなものや、
有名だったり良い曲だったりする作品を、
独断と偏見でリストアップするつもりであると、以前このブログに書いた。

映画クリップと、もとのチェロ曲と、両方の動画を貼ることになるので、
必然的にリストアップすると、とてつもなく長くなりそう。
そこで、ちまちまと一作品ずつ、合間合間にアップすることにします。

The Lovers on the Bridge / Les amants du Pont-Neuf (1991) - Metro Cello scene

https://youtu.be/Yz-L7zXW16o

1991年のフランス映画『ポンヌフの恋人』には、
印象的なシーンがいくつもある。
炎が出てくる場面が、いずれも飛びぬけて秀逸だった記憶があるんですが、
それ以外ではこのチェロのシーンが、印象的なシーンのかなり上位に食いこんだ。

チェロ弾きとの恋愛で失恋し、おまけに失明しかけでどんどん症状も悪化して希望を失い、
浮浪者になって、ポンヌフ橋で寝起きしている画学生(ジュリエット・ビノシュ)が、
聞き覚えのあるチェロの旋律に反応するシーン。

ほんと今なら「設定盛りすぎ」と言われかねない物語性の高さにもかかわらず、
薄っぺらい嘘くささがない。強烈だが美しいシーンがちりばめられていて、
リアル感のある、胸に迫る人間ドラマが繰り広げられて、
ジュリエット・ビノシュは役になり切るため、自分の前歯を削って挑んだことでも有名でした。

当時、私はビデオレンタルで視聴した。
この動画のシーンは、もう幾度となく巻き戻し、
返却までにテープが擦り切れそうになるほど、見た(……いろいろと死語)。

今、このブログを書いていて突如、唐突に思い当たったのだが、
“極東での若き日々”(「小説すばる 2014年4月号」掲載)
この私の短編で、
某国のスパイとおぼしきアドーリフ・ガフィオが、
極東日本の街角でヴァイオリンを弾いている青年・尚夜(なおや)の、
そのヴァイオリンの音色を追いかけて、たどりあてるシーン。
あれは、ひょっとしたら脳裏のどこかに10代の時に見たこの映画のシーンが、
こびりついていたせいだったのやもしれないなあ、と。

この映画はまったく念頭になく、一ミリも思い浮かべて書いてはいない。
これとは全然違う光景、まったく異なる人間関係を想定して描かれてあるが、
弦楽器の音が聞こえてきて、ハッと反応するのは、まさにこういう感じじゃあ……。

尚、このコダーイのチェロソナタをコンサートで生で聞いたことがあるんですが、
実際はかんなり長い曲です。どこで区切るかにもよるが。
無伴奏で、効果音なのか音楽なのかといった様相を呈し、
『ポンヌフの恋人』で使われていたのは冒頭と、ごく一部の抜粋、その寄せ集めなのだった。

この曲は一体どこに向かってるんだろ……と、集中力も途切れてきて、
ただ聞くだけですら難易度が高すぎて、すごく疲れた記憶がある。
それでも映画で使われていた部分になると、
おおっ! 
と昂揚した。

あまりにも長いから、
Youtubeでは、たまに途切れとぎれに聞くことはあっても、
全部通して聞ききったことは一度もないんだ……。

Zoltán Kodály Solo Sonata, Jakob Koranyi - Cello

https://youtu.be/tDyUCK7K0mE

映画に使われている部分は、この動画だと、
冒頭1分と、26:06~27:47にあたりますね。



共通テーマ:映画

今更ではあるけれど [あ行]

『窓際のトットちゃん』の「ロッキーがいなくなった」という章について、
私は以前、ブログを書いた。2008年11月です。あ、10年以上前だ。
深読みか、あるいは暗黙裡の当然
https://blackcrosssanatorium.blog.so-net.ne.jp/2008-11-23

このたび、2019/8/8の京都新聞の次の記事を見つけて、
ああ~間違いなくロッキーは「供出」されたんだ、と改めて確信した。

(京都新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190808-00010003-kyt-life
〇1944年春、犬の泣き声が耳に響いた― 奪われた多くの命、戦時を知る女性からの手紙

ネットの記事は時間が経つとリンク切れになって、見られなくなることが多いと昨今学んだので、
ごく一部だけでも抜粋しておこう。

===================
国立公文書館アジア歴史資料センター(東京都)のホームページ「アジ歴グロッサリー」によると、1944年、軍需省と厚生省から全国の地方長官(知事)へ出された通知に基づき、軍用犬や警察犬などを除いた犬を献納もしくは供出することになった。狂犬病の流行を防ぐ目的もあり、一部は毛皮や食肉に加工されたが、多くは利用されること無く廃棄されたといわれているという。
===================

記事によれば、結局のところほとんどは適切に「活用」できなかった。
ならば本当に無駄死にであり、犬死にです。

別件だけれど今日はSNS上で、こんなつぶやきも見つけた。
2012年8月3日の「私の猫」という毎日新聞の記事をもとにしたツイートです。


私が『窓際のトットちゃん』を読んだのは小学生の時で、
それゆえに自分の理解が及ばなかったのだと思うが、
その一方で、当時、~トットちゃんを読んでいた人の全員が、
ちゃんと「ロッキーが戦争のために国に供出されて殺された」と、
どれほど正確に読み取れていたんだろうか……。

私が読んだ当時はまだ戦後45年くらい。戦争経験者もまだ大勢残っていたから、
「シェパードの愛犬ロッキーが国に供出の名目で、殺処分された」と書かなくとも、
当然のように多くの大人の読者は、正確に状況を理解できていたんだろう。

馬を供出するというのは、戦時ネタとして聞いてました。
軍馬にできるし、荷を運べるし、
場合によってはあまり考えたくもないけど、馬肉は食肉として今でも流通しているし、
まあ、理解の範疇です。

いっぽう狂犬病を防ぐためと言ったって、野犬や野良猫ならいざしらず、
飼い犬や飼い猫を集めたって、扱いに困るし無駄な仕事が増えるだけなの、
容易に想像つきそうなのに。
机上の空論とはよく言うけれども、机上でも想像することはできるので、
想像力の欠如が甚だしすぎて、もはや机上の空論ですらない。馬鹿すぎ……。

(戦争になって生活が困窮して、飼えなくなった犬や猫を、
飼い主がやむなく保健所に連れていったとかいう話ならば、まだ理解もできたが。)
御苦労なことに他人様の飼い犬や飼い猫をかき集め、殺して回る手間暇も、無駄骨じゃん。

馬鹿すぎ……については、太宰治が『苦悩の年鑑』(1946/昭和21年発表)でこう書いている。
===============  
ある参謀将校は、この度のわが作戦は、敵の意表の外に出づ、と語った。それがそのまま新聞に出た。参謀も新聞社もユウモアのつもりではなかったようだ。おおまじめであった。意表の外に出たらなら、ころげ落ちるより他はあるまい。
指導者は全部、無学であった。常識のレベルにすら達していなかった。
===============

「敵の意表の外に出づ」とは、敵の意表の外に出る、ということか。
意表とは本来突くもので、
意表を突く=「相手の想定外のことをしでかして驚かせること、裏をかくこと」ですから、
意表は突いてこそ、なんぼです。

……え? 意表の外に出るって? は? 
言ってる意味わっかんねーや。
お国が~とのたまってる連中が、母国語である日本語も満足に使えないってか。

……ではあるんですが、私は当初、太宰のこの文章を読んだ時、
太宰もまた揚げ足とるよなあ~意味は通じるじゃん……
大本営の愚かしさに対して、言葉尻をとらえてあげつらうよりさー。
もっと正面切って、批判すべきことがあっただろうに、と感じた。

まあ、太宰も正面切って短く言ってはいるんですけど。
(しかし彼等は脅迫した。天皇の名を騙って脅迫した。)
と。
──当時の日本国民は多くが天皇を多かれ少なかれ推(お)していて、
今風にいうならば皇族を箱推ししていたので、
事務所(大本営)や運営方針に反感を覚えながらも、
運営に人質に取られている推しのため、
ついファンは理不尽な要求にも涙をのんだ……そう考えると、超わかりやすい。

太宰の批判の切り口がしかし「意表の外に出づ」という言い回しに突っこみを入れることから始まる。
無教養うんぬんじゃなくて、言い間違いにすぎないのに、
言い間違いをあげつらうのって、太宰ったらみみっちい、と感じていた。

だが最近、私も薄々、わかってきている気がするのだが、
参謀将校とやらの発言が、
新聞という当時の唯一のマスメディアに、精査もなくそのまま載る。
(まあ当時もラジオはありますけど。ネットはおろかテレビもなかった時代の新聞の影響力よ。)
その記事が、その参謀将校の無教養をあげつらうためにそのまま掲載されたのでは無論ない。

すなわち新聞社というのが本来、ある程度の教養と常識のレベルを兼ね備えた人の集団で、
時としていろんな視点を交えながら、新聞記事を仕上げているはずなのに、
「馬鹿の集団」に加担しているばかりで、てんで機能していない。
麻痺状態だったという意味なんですよね。

小学生でもわかるレベルの参謀将校の語彙力のヤバさすらも、訂正したり、問いただしたりせず、
プレスリリースをそのまま丸載せ。
その「手抜き」「無知」がいかに犯罪的で、低レベルだったか、
ということも併せて太宰は痛烈且つ端的に、批難していたわけだったのかと。

海と毒薬、鯨と水銀 [あ行]

日本のIWC脱退と、捕鯨再開について報じられたのは2018年12月末。
つまり一か月余しか経っていない現在進行形のニュースなのにもかかわらず、
年末年始を挟んだせいもあってか、なんだかすっかり過去の話になっている節がある、
クジラ肉と捕鯨の話題。

いろいろな見解、
つまり伝統を守るとか、日本の食文化を守るとか、
いやいやクジラは今でも立派な現役の郷土食であるんだとか、
一方で、国際世論とのバランスとか、動物保護の必要性とか、協調路線の重要性とか、
政治・経済・環境・文化の見地から、当時はさまざまな議論を見かけた。

そんな中で、あれ……どうして誰も指摘しないんだろう……
そう私が感じていたことが一点、あったのだ。
年の瀬とともに、なんだかんだでこの話題は世論のタイムラインをずいずいと流れていって、
当時は立派な炎上案件も、今ではすっかり下火の話題になった。

実際、より深刻な……たとえばインフルエンザ脳症とか、
耐性菌みたいな、他人事では済まない生命の危機にかかわるニュースが浮上する中で、
沖合・遠洋の捕鯨は、(べつに関係者でもないし)まあ遠い話題として流していい。
人の健康や生死に直結する問題でもなさそうだしねえ。一見すると。

別段、わたしは積極的に捕鯨やIWC脱退について、
その議論の情報を熱心に集めていたわけではない。
だからひょっとすると、私のあずかり知らぬところで、
誰かがちゃんと指摘していたのかもしれないんだが、
──今ちょっとググったところでは、出てはこない……。
なので、どうしてもちょっと引っかかるため、ここでひっそり指摘しておきたいと思います。
なぜ誰も水銀の危険性について話題にしないの、と。

水銀の危険性についてざっくりと把握するにはこちらの記事を。

魚介類・鯨類の水銀についてのQ&A - 日本生協連
https://jccu.coop/food-safety/qa/qa02_02.html

2003年に作成され、2015年更新されています。
リンクが切れたりしたら困るから、重要事項を下記に部分的に抜粋しておこう。
改行位置はいじっています。
気になる方々は、上記URLの全文を読んでね。

=========(抜粋はじめ)

サメ類、深海魚類、鯨類(鯨、イルカ)など
メチル水銀濃度が高い水産物を主菜とする料理を週2回以内
(合計で週におおむね100~200g程度以下)にすることをお勧めします。

鯨肉のうちイルカ(歯鯨類)の肉には特に高い濃度のメチル水銀が含まれるため、
ごくたまに嗜む程度にされることをお勧めします。

◎妊婦、幼児、近く妊娠を予定されている方へ

メチル水銀は特に胎児の中枢神経の発達に影響を及ぼすとされています。
 
妊婦、幼児、近く妊娠を予定されている方は、
マグロ類(マグロ、カジキ)、サメ類、深海魚類、鯨類(鯨、イルカ)など
メチル水銀濃度が高い水産物を主菜とする料理を週1回以内
(合計で週におおむね50~100g程度以下)にすることをお勧めします。

サンマ、イワシ、サバなどメチル水銀濃度が低い水産物を控える必要は特にありません。

鯨肉のうちイルカ(歯鯨類)の肉には特に高い濃度のメチル水銀が含まれるため、
妊婦、幼児、近く妊娠を予定されている方は、イルカ肉の摂取を控えることをお勧めします。

なお、イルカ肉が「ミンククジラ」「クジラ」等と不適正な表示をして販売されるケースもあるのでご注意ください。

(抜粋おわり)=======

ごく一部なので、詳細はURLの記事全文に目を通すことをお勧めします。

また下記の、厚生省による報告書も参考までに。
こちらは長いので、必要なところだけざっくりとでも良いと思うけれども。

鯨由来食品のPCB・水銀の汚染実態調査結果について
https://www.mhlw.go.jp/houdou/2003/01/h0116-4.html
平成13年の調査結果・平成15年に発表されたもの。

なお、厚生省のデータや調査報告書について、
上述の日本生協連の記事内でいくつか指摘がある。
そちらも一部、抜粋を。

=======(抜粋はじめ)

〇なお、厚生労働省は生データでは水銀濃度が高い魚種でも検体数が少ないものについて、
追加データも取ることなく対象魚種から外していることも問題です。

〇妊婦(胎児)に次いで感受性が高いと考えられる幼児や一般の人に対する注意喚起がない。
厚生労働省の注意事項では、対象をもっぱら妊婦及び妊娠の可能性のある方に限っていますが、
その他の方にもメチル水銀は有害です。

(抜粋おわり)=======

厚生省の報告書のほうであっても、ちょっと目を通しただけで、
あ、これ結構、危険な奴です……もっと吟味して周知しなくて良いんですか?
……という案件は、散見されます。

例を挙げると、
「国民全体から見た鯨の摂取量は魚介類と比べ1g以下と極めて少ない。」

……そりゃそうだよね。
少なくとも私の身の回りで鯨肉を食する人はいない。
だからこそ、日本の世論もまっぷたつ、という部分がある。
私を含め、鯨肉は完全に過去のもの。

でも、一部エリアでは日常的に食べている人がいる。
鯨肉を欲している人もいて、なんだかんだと根強い人気と需要が確実にある。
みんながちょっとずつ食べているわけじゃないんですから。
国民全体で摂取量を割ったって、まったく意味がない。
一部の人が極端に消費しているわけですから。

そんな彼らは、水銀の危険性について、きちんと把握できているのか?

とはいえ当時は商業捕鯨もしていない。
鯨肉市場は限られていた。
問題が大きく取り沙汰されなくても、仕方なかった──
と、行政側や供給者が言い逃れできる状況にあったんだろう。

今後は、注意喚起が絶対必要になってくる。
なのにまったく、見かけないんですよね。
健康な大人にとってもメチル水銀は有害なのはもちろんなのですが、
鯨肉の栄養価の高さなどにのみスポットがあたって、
仮に病人や、老人などが食したら、どんな被害が出うるか。
メチル水銀は精神障害も生じます。
病気のせいで精神がおかしくなった、年のせいで認知症になった、
そんな誤解でうやむやになっているうちに被害が拡大しかねず、
その手の想定に対する対策、危機回避は、果たしてきちんと講じられているのかな……?

水銀中毒の危険性を考えるにともない、私はこの記事を思い出したので、

参考までにこちらを。



共通テーマ:グルメ・料理

違和感@『西郷どん』最終回 [あ行]

大河ドラマ『西郷どん』の最終回を見ていたんですが。

……尚、私は『西郷どん』を初回からきちんと見てはおらず、
西郷隆盛が奄美に流されたあたりから、ほぼ毎回見ています。

龍馬と会ってから戊辰戦争あたりまでに、一旦、かなりな独自解釈が展開されて、
こちらとしては興が覚め、つまらなくなりまして。
徳川慶喜と西郷隆盛とのあれやこれやが、いくらなんでもフェイクすぎて呆れてきてしまい、
魅力に欠けるよ、この西郷どん……と、しばらく流し見していたのですが、
新政府になってからの、西南戦争で、ぐんと面白くなりました。
(正確には、鶴瓶の岩倉具視が出てこなくなってから、俄然、良くなった。)

正直、戊辰戦争の描きかたは解せないことだらけだったので、
だったら西南戦争に、もう少し時間をさいてほしかったが。
最終回にかけてのラストスパートは毎度楽しみだったし、
今回も、中身の濃い最終回で、
満足……!
……という感動が高まってきていたところに。
え? 
西郷どん、自刃しないの?

腹を撃たれて、終わり?
いやいや嘘でしょ。
待て待て、撃たれたあとに、城山で自刃するのが西郷隆盛じゃないか……。

昨今の時代劇は、欧米文化を意識しすぎで、妙な具合になっていまいか。
こと、切腹に関して。
追い詰められて自刃したっていうのが、聞こえが良くないから?
事実なのに。(追い詰められていないで、誰も自殺なんてしませんし。)
西郷隆盛は自刃するのが肝であるのに。
西郷隆盛は、ときに誰よりも侍らしくない、でも最後の侍なのだ……
という象徴的な行為なのに。

お茶の間テレビでの残酷描写を避ける、という意味合いではないと思うんですよ。
人斬り半次郎こと中村半次郎、すなわち桐野 利秋が額に銃弾を受けて死ぬ場面は、
ガッツリやりましたからね。
そのあたり、残酷といえば残酷だが、事実だし、とても良かったので、
この分でギッチリやっていくんだな、という心意気を感じていたのに。

最近は、切腹シーンに見せ場を作らない。
それは時代の流れで仕方がないとしても。切腹すらしないなんてありなのか。
あれじゃ、ただの撃たれ死にじゃん。
やられ負けじゃん。
侍の切腹は大切なのに。
侍は自分の死に場所と、死に時を自分で決める。
自分の進退を自分で見極める。だからこそ侍なのに。
「最後の最期まで敵の手に容易に落ちるを良しとしない」
という、武士の意気地があるのに。

映画『ラストサムライ』では、メイキングにて西郷隆盛を引き合いに出しています。
ラストサムライ(渡辺謙が演じたキャラ)は西郷さんがある種、モデルであると言っている。
そのラストサムライも切腹しない。撃たれて死ぬ。
それはいいんですよ。ハリウッド映画ですから。
切腹したら、むしろ嫌だ。
ハリウッド映画で日本人が切腹なんかさせられたら、おぞましいわ。

それにラストサムライのあの死に方は、どっちかというと、むしろ限りなく土方歳三の死にかたで、
馬上で敵に総攻撃をかけ、撃たれて落馬して死ぬという。
あれはあれで相当、最後の侍として華々しく敗れるんで良いのである。

けれども日本の大河の時代劇が、西郷隆盛の自刃を避けるのはなぜ。
幾度もNHKの大河ドラマや、年末時代劇やらで、西郷隆盛についてやるのは、
西郷さんの功績とか人柄とか、良いことも(時には悪いことも)語り継いでいくんだよ、
という人物だからなんじゃないの?

フィクションを交えて変えたりして、全く差し支えないOKな点と、
新しい見方を盛りこんで、新鮮味を見せるところと、
そこは変えちゃダメだろうっていう、要所要所の既成事実があるだろうに。

最後、エンディングのあとに、
大河の舞台にゆかりのある土地をたどる、数分の番組枠内で、
アナウンサーによるナレーションが、
「銃弾を受けた西郷、波乱の生涯に、自ら幕を閉じました」
と言うだけでした。
あくまでも切腹とか自刃という言葉を、とことん避ける大河ドラマよ。
せめてそれ、大河のナレーターである西田敏行が、大河の作中で言ったなら、まだ形になった。

切腹文化が汚点であれ美点であれ、それをてんで無かったことにするのは、
いくらなんでも無理があるだろう。
むしろ全く触れないあたりが、
「気にしすぎてんのがわかって日本、痛々しいよ。日本=ハラキリって思われたくないから?」
「ドラマで無かったことにすれば、切腹なんて文化何それ知らないって押し通せるとか思ってんの?」
という感じで、
起きてしまった事実を変えようとしてくるあたり、かなりな違和感に囚われました。

ドラマとしても、自刃すべき登場人物が自刃しないので、今一つ締まらないし。
いくら『敬天愛人』だからって、天を仰いで本当に終わりなのかい……。
むしろ『敬天愛人』をテーマにしていた西郷どんが、切腹して肉体は地に伏すからこそ、
「敬天愛人」という心意気が際立って光るんじゃないか……。

和泉守兼定@土方歳三資料館 [あ行]

兼さんにまみえるために!
日野の土方歳三資料館に!
行ってきましたよ! 11/18日に。

DSC_0614.JPG
(クリックすると拡大します。)

新選組や、その鬼の副長・土方歳三、
沖田総司、斎藤一あたりは、まぁなんていうか、誰もが通る道ではないかと思われ。
私も例外ではないのであった。

新選組発祥の武州に住んでいるのに。
司馬遼太郎の『燃えよ剣』を読むと、前半なんて土地勘があるというのに……
土方歳三資料館に行ったことがないなんて。
と、かねてより、ずうっと行きたいと思っていたのだ。

しかし土方歳三の子孫のかたが自宅を改造して、
不定期にオープンしている、小さな資料館です。
GWの時期に開くと、いつも激混みであるという情報で、腰が引けていた。

土方さんはいつでも何かしらのメディア作品に登場していて、いつも人気キャラだし、
ゆえに土方歳三資料館の開催日は混雑を極めるとの話で、
それは土方歳三の愛刀、和泉守兼定が刀剣乱舞で一躍、脚光を浴びる前からなのです。

刀剣乱舞で和泉守兼定が広く知れ渡るようになってからはもう、
長蛇の列が半端ないともっぱらの噂……。
これはもう数年は無理だなと諦めていたのですが、
今年の秋は、刀剣ファンの意識は多くが京都に向いている。
『銀魂』も連載が今年の夏に終わっている。

まあゴールデンカムイは絶賛連載中だし、ほかにもあのゲームやこのゲーム……とありますが、
以前よりは、ましだよきっと! 狙い目かも!
と赴いて、果たして、大正解であった。

JR中央線の立川駅から南口に出て、
多摩モノレール立川南駅から、3駅目です。
多摩モノレールに乗るのは初めてで、多摩川を越えるときに若干テンションが上がる。

荷物が多かったので、万願寺の駅でコインロッカーを使いました。
立川駅では、どこのコインロッカーも全滅で、鍵が一つも残っていなかった。
万願寺駅のコインロッカーは、数は少ないけれど、ほとんどがあいていたので助かった。
(土方歳三資料館にコインロッカーはありません。)

なお私が一番最初に新選組という存在を知ったのは、
年末時代劇の『白虎隊』で、
土方歳三を近藤正臣、
近藤勇を夏八木勲、
沖田総司を中川勝彦(しょこたんの夭折したお父さん)が演じていた作品。
当時、私は小学生だった。

次は映画の『御法度』で、これは私世代はみんな好きだったですよね?
沖田を演じた武田真治が、めっぽう良かったのが記憶に残っています。
ご存知、司馬遼太郎の『新選組血風録』に収録されている短編数編をベースに、
大島渚監督が撮った映画ですが、
沖田の何が良かったって、司馬遼太郎の沖田がそのまま映画に出てるよお……という。

からッと無邪気で、隊士みんなに好かれていて、
病で臥せりがちでも、腐らず、明るく、
なにより太刀筋と勘が良い。
という沖田のまんまだった、あれは。

私がそう感じただけではなく、エヴァの庵野監督が、
NHKのトップランナーの収録で、武田真治に直接そう言っていましたものね。
「いやあ、沖田、すごく良かったじゃないですか、御法度の!」

「いえいえ、あれは大島監督がお弁当くれるっていうから、行ったら
(ちょい役だと思っていたら)、思いのほか……」
と、武田真治が笑いながら謙遜して答えていた、
その一連のやりとりはオンエアではすべてカットされていた。

その新選組血風録の作中で、沖田総司が菊一文字を使うので、
刀剣乱舞をプレイし始めるまで、私は沖田が菊一文字を所持していたと信じ切っていた。
ごめんよ加州清光、おかげで初期刀にしそこねた。

『銀魂』でも沖田は菊一文字RXを使っていますし、
司馬遼太郎の作品は、歴史物の教科書的な立ち位置にあるから、
後発の作品が司馬遼太郎をお手本に、作中のネタをどんどん使うんですよね。

司馬遼太郎の作品内で、近藤勇が贋作の虎徹を使いますが、
一説によると実は本物で、薩長の歴史改竄、近藤へのネガティヴキャンペーンにより、
「贋作だった説」にされたという見解もあるとかですもんね。

そんな司馬遼太郎作、土方歳三を主人公にした『燃えよ剣』では、
土方歳三は名刀である和泉守兼定を、
ある種、闇ルート的な方法で破格で手に入れ、それをずっと使います。

本当のところは松平容保が第十一代兼定を、京都守護職の折にお抱え刀工として雇い、
この第十一代兼定=二代目以来の「和泉守」兼定が鍛刀したのが、
土方歳三の愛刀「和泉守兼定」で、
会津藩主・松平容保が歳三に下賜したものであったそうです。
今回、資料館に行って、知りました。

資料館の手前に新選組饅頭だかが出店で売りに出ていて、
そこがごったがえしていたので、一瞬、長蛇の列かと慌てましたが、
資料館には待つことも、列に並ぶこともなく、すんなり入れたのでした。
刀剣乱舞の審神者と見られる人はチラホラ、
あとは往年の歴史ファン、新選組ファン、土方ファン、といった年齢層の高い面々。

入館料500円で、靴を脱いで、下駄箱において上がります。

肝心の刀剣、和泉守兼定は、とにかく大振り。
長くて、身幅もあり、立派!
刀剣乱舞で当初、太刀組に入れられていたのも頷けます。
一般的な打刀の概念で打刀と言われても、俄かには信じがたい。
時代的に打刀として括られているのですよね、おそらくは。

国宝太刀・大包平よりは小さいけれども、
石切神社の御神刀である平安の大太刀・石切丸よりは、ゆうに大きい。
厚みもあり、したたかに野太く、頑丈そうで、何よりすごく重そうなのが見て取れる!

個人経営の資料館なので、ライティングがスポットライト的に当たってはいないため、
地肌の美しさを堪能する、といった感じの鑑賞はそこまで出来なかったし、
写真撮影も禁止。
それでも刀の前にかがみこんでショーケースにへばりついて見るだけの余裕はあり、
皆、順繰りに、そうやって鑑賞していけます。

和泉守兼定の磨いた地肌が鏡のようになって、私の顔が映ったときには、
一瞬、すごく不思議な気分に囚われました。
この刀剣に、土方歳三は己の姿を映してみたことが幾度となく有っただろう。
架空の人物のように思えていた土方さんが、
和泉守兼定という刀剣を通じて、
地続きで、私までつながって感じられてくるみたいな、奇妙な実感があった。

刃文は一見して、白くモクモクッと雲居に漂う感じです。
専門用語的にいうと、おそらくモクモクっと感じる部分は、
「……三本杉の頭が比較的揃う高低差のない互(ぐ)の目……」(土方歳三資料館のパンフより抜粋)
であったり、
雲居に漂う感じは、
「小沸出来で匂口冴える」(同パンフより抜粋)
に、あたるのではなかろうかな。

箱館にて、土方歳三が市村鉄之助に託して、
日野の生家まで届けられた当時は、刃こぼれが凄かったようです。
綺麗に研いであるので、いまは刃こぼれは見られません。
刀剣以上に、ある種、目を引くのが、その和泉守兼定の拵(こしら)え。

鮫皮の柄に、柄巻は「幅の狭い黒糸の小菱巻」
このグリップ部分がよれて擦り切れていて、土方歳三の手汗とか握力とかの名残が、
当時そのままに、まざまざと目に見えるのだ。

刀剣乱舞的に見るならば、随所に兼さんの衣装に反映されている、
鞘の色、鞘尻の形、ポイントの鳳凰など……
本当に和泉守兼定……一色です!

土方歳三資料館にある名刀、和泉守兼定は、
土方歳三とは切っても切れない刀で、
代々、数々の武人や貴人に受け継がれてきた名剣・名刀と異なり、
唯一無二、土方歳三ひとりの刀! 
……なのでした。

個人的に私は、土方歳三は京都で新選組副長として御用改めをしていた時代よりも、
戊辰戦争で敗戦色が濃厚になって、
甲府城で戦うあたりから、どんどん好きになる。
もろ司馬遼太郎の『燃えよ剣』の影響です。
なにしろ猛スピードで進化していく疾走感が物凄く、
大政奉還後、北へ北へと、やがて箱館に着いて、アボルダージュの海戦のところで超滾る。
その箱館時代に共に戦った榎本武揚が、
のちに土方歳三について語った台詞、
『入室伹清風』という書額も展示されていました。
おおお……。

また資料内で興味深かったのが、
「碧血碑」(へきけつひ・へっけつひ)という言葉。
かの有名な乙女ゲー『薄桜鬼*』で、
『薄桜鬼 碧血録』というヴァージョンが有るらしいことは知っていた。
数年前に、ある仕事関係の人が、
「薄桜鬼、へっけつろくって……サブタイトルがダサすぎる……」
といったような事を口にしていたからである。

「どう書くんですか?」
と、私。
「碧い血とかいて……」
「字は素敵ですよね?」
「でも響きがさぁ……」
碧血とかって、中二病すぎて痛すぎる、というニュアンスに聞こえたが、
私は適切な反論ができなかった。

今回、土方歳三資料館の展示物で、
碧血という文字を見つけ、
碧血録という言葉は中二病的なサブタイなんかではなく、
箱館戦争の旧幕府側の死者を弔った「碧血碑」にちなんでいたのだな、と初めて知ったし、
もっというと、その碧血碑という言葉は、碧血という故事由来の言葉にあやかっているのだ。
いろいろと発見があった。

土方歳三資料館は、
土方歳三の京都時代の鉄兜や、鎖帷子の具足や、
歳三が詠んだ、豊玉発句集などの展示もあって、
パンフレットも満足のいく内容。

万願寺駅から徒歩で近いですし、
日野には他にも、新選組・最年長の源さんこと井上源三郎資料館とか、
土方歳三のお墓とかもあるので、足を伸ばしても良さそう。
土方歳三資料館のもよりの万願寺駅は、かなり長閑な風景の広がる場所で、
立川駅で乗り換えたときよりも、周辺は確実に肌寒かった。

資料館はこの連休も開いていて、和泉守兼定の展示は25日まで。
刀剣好きのみならず、新撰組好きや幕末好きは、見にいって損はありません。
小規模で地味ですが、ときには通説とは異なる土方歳三の実像に迫っていて、
中身が濃いので、おススメです。

DSC_0615.JPG
(いずれの写真もクリックすると拡大します。)
この立て看板の文面だけでも、既に内容が濃い。

DSC_0616.JPG
資料館の向かいの道路に、綺麗な水路が流れていました。

*なお薄桜鬼について


推し神社アプリ登場する [あ行]

9月15日に公開になったこのアプリ、使ってみたら想像以上に良い。
刀剣乱舞の石切丸が(正確には中の人の声優 高橋英則さん)が、
いつもの石切丸の声で、石切神社の音声ガイドをしているのだ。

〇石切劔箭神社アプリ(Android版)
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.acoustiguidemobile.am_ishikiri&rdid=com.acoustiguidemobile.am_ishikiri

〇石切劔箭神社アプリ(iOS版)
https://itunes.apple.com/jp/app/%E7%9F%B3%E5%88%87%E5%8A%94%E7%AE%AD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%82%A2%E3%83%97%E3%83%AA/id1425727095?mt=8

私はアンドロイド版をタブレットにダウンロードしました。
どうせ期間限定だろうなあと思っていたら、
まさかの永久保存版な無料アプリで、
おまけに「石切丸の声にあやかっただけのチャラいやつかな」
とチラとでも思ったのほんとすまん、という実にみっちり見せる気満々の気配。
それが、石切丸のトーンで話してくれるので、すんなりと内容がわかりやすく入ってくる。

石切丸の声は、いつも教え諭すテイストなのでガイド役にぴったりだし、
かといい声優さんの地声なのか作りこんだ感じではなく自然だから、
アクがなくて疲れない。
刀剣乱舞を知らない人でも、ふつうに好感を持てるトーン。

想定としては、石切神社の参拝時にイヤフォン装着で当該音声ガイドを聞きながら、
境内をめぐり、
宝物庫展のときなどにも、美術館の音声ガイドのようにして用いる物なんだろう。
……どうせ位置情報特定で現地限定じゃないと、うまく使えない仕様なんだろうな……
と、半信半疑でダウンロードしたのだが、
どこに居ても、いつでも楽しめるやつである。
満点です。

石切神社の歴史や、境内の案内のみならず、
宝物庫の刀剣──石切丸や小狐丸をはじめ、小烏丸とか──
ほかにもなんか色々、なかなか詳しい写真や図解つきで、音声ガイドを提供してくれる。
26項目にわたっていて、決して内容の薄いガイドではなさそうなので、
私はまだ全部は聞き終えていないんだ。
楽しみだ。

私のように、訪れたことがある人なら、
石切丸に案内されてガイドされているうちに、
当時の記憶がありありとよみがえりつつも、その記憶をベースにしつつ、
更に掘り下げた楽しみ方ができる。
(私は5月末にアレルギーのあれやこれやらがあったせいで、
このところ思い切った感じの遠出は控えがちだから、
こういう旅情&知的好奇心を地道に喚起してくれるアイテムは、今いっそう嬉しい。)

また行ったことがなくても、これはかなり行った気持ちになれる気がする、
充実している雰囲気がびしびしと伝わってくる。
むろん予習にも良さそうであるし。
神社側にとっても、遠隔地まで全国ベースで行きたい気持ちをつのらせられるし、
おまけに当該神社の歴史や良さを、興味のある人に広められる(喧伝とは違う良い意味で)、
これはもうwin-winなアプリですな!

この石切神社、大阪の地元民に愛されている、立派だけれど、あくまでも素朴、
今もバリバリ現役で厄払いや安産祈祷などに従事している、
古式ゆかしい神社──という印象を私は受けた。
過去の栄光の観光収入をあてにした感じの華やかな神社という感じではなく。

そんな神社が持っている宝物庫の展示(期間限定)は、
これまたささやかで、小ぢんまりとした規模ながら、
確実に文化や歴史の重みのある物を、良い状態で継承してきているのがわかる代物で。
本来の職務(厄払い等)から逸れぬ範囲で、おすそ分けしてくれる感じ。
有難く、気前がいい。やり方があざとすぎず、気が利いていて、洒落ていた。
「洒落ている」に(スマートである)とルビを振りたい洒落具合。

あのときは体力的にも時間的にも、境内全部を網羅はできなかった。
これでぜひ補完させてもらうんだ。

当時の私のブログはこちらですね。
……3年前になりますか。
(当時はうちの本丸に小狐丸は顕現していなかったし、
 小烏丸に至ってはゲームに実装されていなかった。年月よ。)

===========================
〇大阪人はどことなくアメリカン気風? 
https://blackcrosssanatorium.blog.so-net.ne.jp/2015-09-29

〇石切丸と小狐丸(石切劔箭神社) 
https://blackcrosssanatorium.blog.so-net.ne.jp/2015-10-22
===========================


大包平・大般若長光@東博忘備録 [あ行]

もう二週ほども前になるが、
国宝太刀・大包平と国宝太刀・大般若長光にまみえるため、
東博に行ってきたのだった、4月5日木曜。

その前からずっと時期をうかがってはいたのだ。
花粉がひっど……風がつっよ……
という日を避けつついたら、
なんかいきなり雪が降ったりしたじゃないですか、3月に。
さっむ……のど痛い……と、軽く体調を崩したのは世の中で私だけではなかったはずだ。

そのうち、あれよあれよと桜の花が開花し、春休みシーズンを迎え、
上野公園は花見客と、
パンダのシャンシャンを見に行く行列と、
周辺の美術館に訪れる人々であふれかえり、
おまけに連日の夏日。
黄砂は飛ぶし、暑いのと人混みを避けたい私としては、
空模様を気にしながらため息をついていたのだ。

5日木曜はストンと急に曇って、
チャンス!
いそいそと昼過ぎに出向きました。

上野公園の敷地内は、
ソメイヨシノの桜はほぼ終わっていて、花見客も大分減っている感じでしたが、
パンダの行列が長蛇の列であったであろう、残骸のパーテンションが物凄い列をなしていた。
整理券配布の看板が、動物園より、はるかに離れた地点で見つかったので、
熾烈を極めていたんだな……というのが容易に見受けられた……。

上野駅から、東博の正面玄関に向かうまでの上野公園敷地内、
また東博の館内でも、ポーランドやフランスのツアー客がけっこう多かった。
わたしはポーランド語はさっぱり分からないけど、
赤と白の国旗を持ったガイドさんが先頭を歩いていました。
どこの国における、どこの国の観光客も、
ツアー客というのは老若男女問わず、実につまらなそうに引率されて、
もれなく踵を引きずって、だるそうに歩いているものなのか……。

DSC_0464.JPG

で、刀剣。
大包平は、かつて三日月宗近が展示されていた、三日月の指定席といえる場所の、その右隣、
刀剣展示室に入ってすぐの区画にありました。
切ッ先が見えてきた時点で、
とてつもなく立派な刀が飾られている、というのが伝わってきて、
正面に来て大包平だと分かったときに、
おーぉおお!

IMG_20180405_153947.jpg

たいそう立派な刀で、
「刀剣の横綱」と言われているのも腑に落ちる。
大ぶりの格好いい刀で、なるほど国宝。

たいがい周りと比して、ひときわ目を引く存在感や美しさが映える展示物に近づくと、
もれなく「国宝」と赤い印がついているので、
国宝とは、歴史的な価値や逸話以前に、単純に誰が見ても、
上等、とわかる代物なのだろう。

大包平はまさにその手の国宝で、
これとてつもなく立派な刀だ!
という存在感が明らかで、豪勢。
太刀というより大太刀くらいにも見え、まず第一印象、大きさが、とかく映えていました。

その点、三日月宗近とは大分違っていた。
(三日月宗近は切っ先が細いので、上品かつ優美に見え、
あまりその大きさが目立たなかった印象だった。)

刀剣乱舞のゲーム内で、
三日月宗近の近侍台詞「まあ、人も刀も大きいことはいいことだ、そうだろう?」
あれは自分の姿について語っているのではなくて、
ひょっとして……大包平をなだめ説き伏せようとしているのではないの?
いやおそらくは間違いなくそうだ!
少なくとも私は勝手にそう思ってみたりした。

大包平がゲーム内で実装されたのは、
ゲームの開始より、かなり後だけれど、
しょっぱなから鶯丸が、まだ本丸に居もしない大包平のことばかり口にしていたことからして、
ゲームの開始当初から、大包平がのちのち実装されることは、
既に決まっていたはずです。

「大包平は、天下五剣の称号を気にしすぎだ」
本丸に大包平が来る前から、鶯丸にそう言及されているわけなので、
当の天下五剣の一振りである三日月宗近が、
大包平に対してのコメントをそれとなく漏らしていたのだとしても、
まったく不思議はない……。

刀剣乱舞はそのへんのふわっと小出しにする、現物とリンクさせる作りこみが巧みというか、
ツボです。
極めてきた、へし切り長谷部が「……俺は気位だけ高い連中とは違いますから」
こう抜かすのも、
気位だけ高い連中って……宗三さん……?  
極めてきた宗三左文字に当てこすってる感がすごい。 

極めてくる前は、卑屈でなにかと弱々しく、手間がかかった宗三さん。
極になったら、気位の高さに素晴らしく磨きがかかり、
高慢ちきMAXに振りきれて、良い感じになって修行から帰ってきた、
その様に当てこすってるのよね? (と私は感じる。)
織田信長に愛されたせいで、今川義元から奪われ、籠の鳥にされた宗三さんと、
かたや信長から黒田へと下げ渡されて、でも今や国宝なんだけどね、へし切り長谷部、
という対比を、お互いに意識しまくってるのか。

「大包平は、天下五剣の称号を気にしすぎだ」
というゲーム内の設定、鶯丸の台詞はもっともで、
実在の太刀・大包平は、天下五剣といたずらに張り合う必要ほんとにない……
他の追随を許さぬ、立派な刀でした。

いっぽう大般若長光は、あでやかで美麗。
サイズといい、程良く色々と上品でした。
刃文は華やか。
ゲーム内の大般若さんも本質的にはそうですよね。
上辺はインチキオヤジ風を吹かせて、胡散臭さが炸裂しててデタラメですが、
本質的に上品で美麗で洗練されていて憎めないんだよな、というキャラですもんね。

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こちらも国宝。
上の大般若長光は携帯で、こちら下の大般若長光はタブレットで撮影。
同一の刀剣なのに、色味が相当異なって映っているので、両方、載せます。
(写真撮りが今一ツなのはお約束ですんで、大目に見て……。)

IMG_20180405_154054.jpg

立派だが程良いサイズだし、見るからに美しいので、
武器というより美術品らしさがまさっていた気がする。
刃文から、燭台切光忠の在りし日を思う人も多そう……です。
ただ、煤けて真ッ黒な光忠の刀剣は、
もっと大振りだった気がする……。
そういう意味では、受ける印象はまったく異なっていました。

刀剣展示室のちょっと手前側には、堀川国広もありました。
ゲーム内で実装されている、土方歳三の使っていた堀川国広は消失・行方不明だし、
そもそも本物の堀川国広だったかも、やや疑わしいのだが。

DSC_0462.JPG

DSC_0463.JPG

実直な姿で、刃文もすっきりとしていて端正。
国広の作風ってこう透明感があるんだな、というのが伝わってきたし、
今回、一番写真のおさまりが良かった。
(サイズ的にも撮りやすかった。)

IMG_20180405_155355.jpg

東博は庭園も開放していました。
肌寒かったので、ちょっとしか出てみませんでしたが、
少し前の桜の時期には、さぞや美しかったろう。
(写真にはほぼ入っていないが、桜の樹も手前側にけっこうある。)
ただその分、人もすごいだろうし、
現代日本では桜の花がある限り、もれなく人混みがついてまわるから……どちらを取るかだ……。

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上野公園の射干(しゃが)。


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永年花丸で [あ行]

続刀剣乱舞・花丸、とても良かった。

作画は、初回のずば抜けて綺麗な感じを除いては、
お……何が有った? 軽い事故?
みたいなバラツキがチラホラと最後まであったにもかかわらず、
そんな些細なこと気にしないんだもんと言い張れるほど、
内容の勢いと、テンポの良さと、
原作ゲームリスペクト要素がふんだんに盛りこまれた愛に溢れていて、
毎週毎週、楽しかったです。

3期を切実にやってほしい、既に今から心待ちにしてる。

もう花丸は、サザエさんとか、ちびまる子ちゃんとかみたいに、
永年やってくれていいんでは。
べったりずっとやってると有難味がなくなるかもしれないので、
今みたいに、一年に一期のペースで我慢する。
だから永年、深夜の時間帯に放送してください、ほんと。

基本、人殺しの道具であり、美術品だったり御神刀だったり、権力の象徴だったりした刀剣男士が、
人間の真似事に勤しみ、あれやこれやと日常の課題に向き合いながら、
日々を満喫して暮らしていく仲良し描写に尽きるわけだ。
そこに原作ゲームの設定を活かした、ややスパイスの効いたパンチの強い描写がまぎれこむ。
その塩梅が良いので、お茶の間の時間帯ではなく、ぜひ今くらいの時間帯のまま、続けてほしい。

個人的には、
第一話・睦月(源氏の重宝回)、
第五話・皐月(ふさいでる加州清光に、山姥切国広が桜の樹の下で、的確な助言をする回)
第九話・長月(水鉄砲で手合わせ回)と、
第十一話・霜月(懐を求める信濃+九曜と竹雀のえにし……燭台切光忠が遂に出陣したね)
……が特に好きで、録画を繰り返し見ています。
原作ゲームで玉を集めたり戦力拡充したりながらな。

第十一話に出てくる伊達家の門は、小金井公園にある伊達家の門*を下敷きにしてますよね?
小金井公園には江戸東京博物館たてもの園がありますが、
江戸東京たてもの園が出来るよりもずうっと前から、伊達家の門は移築されて小金井公園に在る。
近隣の学校の小学生は高学年になると、
写生会のときに、小金井公園まで繰り出して、あの伊達家の門を描かされるのよね(経験者)。
各自ビニールシートを敷いて、みんな正面から描きたがるから、
写生時間は限られているし、場所取りの瞬発力が肝だった……。

花丸1期は青江&粟田口の怪談回と、粟田口48の話をくりかえし、見ていた記憶が。
今期の続・刀剣乱舞花丸のほうが、1期よりも色々とテンポが良かったというか、
ちゃんと突っ込みが居た……
おかげで概してより一層、スムーズに楽しめた。
ただエンディングの絵に関しては、当初わたしは拒絶反応が凄くて、
猛烈に一期のアニメーションが恋しかったです。

……2期のエンディングの絵はなんていうのか、
アジア系のお土産屋さんにある古いブロマイドみたいなテイストに見えて、非常に苦手で……。
でもだんだん微妙に路線が変わってきたと言いますか、
アニメ画との落差が違和感なく見られるように修正されてきた気がする。
いま見ても、今期花丸の当初のエンディングは、思わずリモコンに手が伸びるが、
後半は拒絶感がだいぶ和らぎ、むしろ結構、好きになれました。

なお私は、大和守安定のポニテで新選組の羽織をきちんと着込んだ、
当初の袴姿が好きなため、
うちの本丸では、安定を極の修行に出していません。
無論とっくにカンストしてはいる。

今期の花丸を見て、極の修行に出したくなり、現在猛烈に迷っている。
グラブルみたいに、極める前後の衣装や立ち姿を、
プレーヤー(審神者)が好きに選べる仕様にしてくれたら嬉しいのだが……。

*伊達家の門



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厚藤四郎@東博 [あ行]

先日メリル・ストリープのスピーチをネットで見ていて、えらい感情移入していたらしく、
変な力が背中に入っていて、見終えて椅子から立とうとした瞬間に背筋が攣って激痛。
スピーチを聞いて動けなくなった、文字通りに。
背筋ってちょくちょく結構、使っているのが今になってよくわかります。
寝返りが容易に打てない……。

ところで、一月四日に厚藤四郎を見に、東博に行ったんでした。
上野界隈に繰り出す用事があって、
なぜこんな正月明け早々、まだ松の内だというにだ、憂鬱な野暮用を……と思っていたのですが、
おかげで電車も空いていた。用事も早く済んだ。
天気も良いし、これはラッキーだな……。

浮かれ気分で東博まで足を伸ばしたところ、混・ん・で・い・た!
東博のチケット売り場で並んだのは、今回が初めてでした。
考えてみればまあ当然ですよね……外国人観光客や、家族連れ等々。
まず厚藤四郎がお目当てとは思えない面々で、にぎわっていた。

コインロッカーもほとんど塞がっていて、かろうじて最後の一つ二つにありつけた。

短刀、厚藤四郎は、その名の通り本当に分厚かった。物騒な分厚さ。
短刀だけれどなかなかに重そうで、これは鎧通し、確かにな……通るよな……。
重そうだけれど、長刀とちがって重心が手元に来るので、
振り回す必要はないわけですし、突進すれば使い勝手は良かっただろうなあ。

DSC_0018.JPGDSC_0016.JPG
鎧通しの効果は抜群であったろう。
反りがまったくなくて棟側がほぼ一直線。
右の写真は分厚いのが少し伝わるか……(クリック推奨)。

他にも、物吉貞宗とは違う、貞宗の短刀があったりして、こちらはかなり特徴的な刃文で美しかった。
貞宗は亀甲貞宗もそうでしたが、現物は見るからに露骨なまでに美しいです。
(私の写真が今一つなだけです……。)

DSC_0022.JPG
DSC_0021.JPG
クリック推奨かも。

短刀って包丁っぽい……(包丁藤四郎は見たことがないですが、包丁藤四郎に限らず)
短刀は概して包丁っぽいから、目新しさに欠ける……というイメージがあるのですが、
短刀も美しいものは、本当に美しいんですね。

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場合によっては、お姫様も手にしたからなのか、
長い刀にくらべて、美意識や、こだわりがぎゅっと凝縮されていて、
刃文を手元でじっくり味わえる感が。
物によっては一見して区別がつきやすく、乙な世界。

長刀では、長曽祢虎徹が展示されていました。
ちなみにこちらの虎徹は贋作ではなく、真作の。
『刀剣乱舞』の長曽祢虎徹は新選組の近藤が使っていた贋作設定になっていますよね。
贋作設定は、薩長に歴史修正されていたからで、
実際は真作だったらしい説が。昨年ニュースにもなっていました。
http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14778284006693
(これは有りうると思う。
ただ司馬遼太郎が新選組の歴史的概念を正したっぽい記事になってもいますが、
土方や沖田はさておき、司馬遼太郎の近藤は、本当にダメな感じなんで、そこはどうかと思う……。
司馬遼太郎によれば、土方の和泉守兼定が正真正銘の名刀真作なのに、
近藤は贋作の虎徹だったし、
沖田に至っては、幻の名剣ともいわれる菊一文字を託されるという設定でしたよね……。)

こちらの真偽はともかくとして、
展示されていたのは正真正銘の長曽祢虎徹。
大振りで、いやなかんじの切っ先でした。
今まで見てきた長刀の多くは切っ先がスッと美しい代物で、
これで斬られたら痛くないかも、という優美さを兼ね備えていた。
長曽祢虎徹は図太いというか、こいつで斬られたらドスッときてグサッと刺さって、
エグッとなって、ズンと入って無惨に痛みそう!
俄然ごめんこうむりたい感があった。

DSC_0029.JPGDSC_0026.JPG

東博は今回、酉年にちなんで、鳥にまつわる絵画が特集してあるギャラリースペースがあり、
鳥好きの私には、なにそれ天国じゃん超ラッキーな具合で、いそいそと足を踏み入れる。
おもに鶏一択で、日本画の鶏は目つきやトサカなど毒々しい物も多い。
でもひよこを描いた奴や、チャボとかも居たよ!
まっくろくろすけひよこヴァージョンみたいな、かわいい墨絵がありまして、
写真を撮ろうと思ったら、その絵は写真撮影が禁止でした。

刀剣も、絵画も、蒔絵も……写真を撮ってもかまわない品と、撮影禁止のものとがあり、
NYのメトロポリタンミュージアムの場合、シャッターをたかなければどれもOKだった記憶が。
今一つ理由がわからない。必ずしも作品を守るためという判断基準では無さそうだった。

シャッターをたかないと写せないような暗いところに飾ってある、
光への曝露を気にするタイプの品々ならば、わかるんですが、
お隣のよく似た刀剣は撮影OKで、これはダメなの?
お隣のよく似た墨絵は撮影OKで、これはダメなの?
混在していた。
必ずしもすべてが東博の持ち物ではないようだし、持ち主の意向なのかも。

「東博に初詣」というキャッチコピーが書かれたのぼりが、東博の前に大きく出ていたのですが、
たしかに仏像等もたくさん来ていた。
本来ならば初詣以上にご利益のありそうな、歴史的価値の見るからに高そうな面々が、
大小、ずらっと並んでいたが、展示の仕方が今一つ、面白みに欠けて、
仏像自体が大好きな人なら良いんだろうが、見ているうちに飽きてくる。

これは台湾で故宮博物館に行った時も思いましたが、
東洋の博物館の展示方法が生真面目すぎている、単調なゆえか。

伽藍、天井、台座……いろいろを作り上げていって、画竜点睛的な立ち位置にあった仏像と、
いわゆる「目玉部分」だけ持ってきて並んでいる仏像とでは、
空間の全体像や奥行きとの配慮が違いすぎて、
市場(いちば)に並んでいる生鮮と、ガラスケースの向こうで整然と並んでいる食品サンプルほどに、
差がありました。

本館を出た後、東洋館も寄ってみました。
こちらは一転、がらがら。
コインロッカー自体がなかったので、荷物が重かったせいもあり、
全部を見て回れませんでしたが、初めて目にする代物ばかりで、見どころがありました。

DSC_0064.JPG

こういうのとか。 お金がなっている樹といいましょうか。
絨毯敷のフロアで、靴底に優しい。
すでにあちこち見て回った後なので有りがたかった。

エジプトから寄贈されたミイラとかも……初めて見ました。
さなぎ状態で贈られてきたミイラの容器を上下で切って、蓋と本体という形態にして、
中を展示してあり、果たして良いのか、中の遺体をもろに見せてしまって……。
亜麻布で巻かれてはいるが。

東博に訪れたあと、岩崎邸にも寄ろうと思ったものの、足腰がもう限界で帰りました。
携帯の歩数計をチェックしたら、その日13000歩以上、歩いていた。
私にしては、ものすごく多いのであった。

いい兄さんの日 [あ行]

今日は「いい兄さん」の日らしいので、
私が「いい兄さんだ!」と思うランキング上位3位を挙げてみた。
尚、自作品のキャラは除き、完結している作品に限っています。

1位:エドガー・ポーツネル
   (「ポーの一族」)
   高一の時に友人のお姉さんから借りたのが初読でしたが、
   生まれて初めて出会う衝撃の「いい兄さん」だった。
   それまでは大体、兄さんというと、妹や弟に意地悪したり、よくてお味噌扱いにしたりで。
   また歴史上の登場人物だと兄が弟を殺し、
   妹を政治利用したり、セクハラ・パワハラするのがデフォルトなので、
   エドガーは衝撃のいい兄さんだった。

   妹や弟キャラは明らかに今ほど市民権を得ていませんでしたしね。
   私がポーの一族を読んだのは、既にオンタイムより遙かあとになってからですが、
   当時ですら、妹や弟は、兄にまとわりつく生意気なウザキャラで無力という扱いが多かった。
   兄は圧倒的父兄力、家督力を持っていたから、
   しもじもの弟妹は可愛がられるといっても、子分とか、よくて家来同然で、
   兄役の優しさ、懐の深さのステイタスを上げる記号としてのみ、存在していた感がある。

   弟妹は本来なんの疑問もなく邪険に扱ってOK、ことと次第によっては虐げてもかまわない、
   という構図に、読み慣れていた。
   だから妹メリーベルのために身を投げだす兄さん像には、天と地がひっくり返ったのでした。
      
2位:ルルーシュ・ランペルージ(ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア)
  (「コードギアス反逆のルルーシュ」&「コードギアス反逆のルルーシュR2」)
   ほぼすべての行動の原動力は、ハンディキャップを負った妹ナナリーが生きやすくなるよう、
   世界を創りかえる……ですから、濃い。すごい。
   この一点は何があっても全然ぶれなかった。終始一貫していて胸を打った。
   いい兄さんだが、同時に、食えない悪い弟である点も大変良かった。

3位:ユリスモール・バイハン
  (「トーマの心臓」)
   ユーリに妹がいたのを忘れてはいけない。病弱の妹がいるんですよね。
   
   待ってね これがあたしよ
   それはハトだよ
   ハトなの

3位までのうち二人の兄さんが萩尾望都の作品だった。
この手のレトロ漫画の兄さんというと、
「キャンディキャンディのステアがいるじゃないの!」と思われるかもしれないが、
私は断然、弟のアーチ派でしたので……。

圏外だけれど言及しておきたいのは、タッチのたっちゃんですが、
あの二人は双子ですから、正確には兄とは少々言い難い。

ナルトのイタチは「実はいい兄さん」だったオチですが、
それまでの「おのれイタチ!」の刷り込みが凄かったので、
今一つ、実はいい兄さん展開に、私は乗り切れないままでいました。

ハガレンのエドは……(この作者、絶対に弟がいますよね……)
と、わかる感が作品に滲み出すぎていたので、ちょっと……。
エドってば、弟の存在によって自尊心が確立している兄さん感が、やや鼻につきました。
アル(弟)は、あくまでエド(兄)の優しさとか強さとか家族愛とか責任感を引き立てるためだけに、
登場させられてる感が強すぎた。そんな弟をもってして、エドをいい兄さんとは少々呼び難い。
作品は文句なく好きです。エドも決して嫌いではない。

輪るピングドラムの冠葉と晶馬は、病気の妹の陽毬のためになんでもする。手も汚す。
ただあの関係性は、三人とも赤の他人なのを承知しながら、
新興宗教テロがらみで、親に捨てられた子供が疑似家族をやらされていたのが本来の姿だから、
果たして「いい兄さん」としていい定義はなんだ? 
となるので、やむなくランク外としました。

「火垂るの墓」の主人公・清太は作中で類を見ない、
痛々しいほどのいい兄さんぶりをみせる訳なのですが、
作者野坂昭如は実体験をもとに、贖罪として作品を描いたらしい。
実生活においては、野坂昭如は幼い妹を殴りもし、食べ物をぶんどり餓死させた、と。
これは有名で、私は中学生のとき国語教師から聞かされました。
こんなまとめもありますね→https://matome.naver.jp/odai/2137860240391360001?&page=1
原作者・野坂昭如が語った ジブリ作品「火垂るの墓」の真実 - NAVER まとめ

そもそも、清太さん、もうちょっとだけ辛抱できなかったのか、
わかるけど、わかるんだけど、あのさもしい意地悪伯母さんにもう少しだけ我慢できなかったか、
節子のために……節子のためよ……と。
複雑な心境になって、素直に、いい兄さん認定できない。

いい兄さん同3位に「ハンター×ハンター」のキルア・ゾルディックも挙げたいところなのですが、
完結してませんので。
キルアは、いい兄さんという以前に、
言動が謎な妹アルカ(弟?)の一番の良き理解者であるのが素晴らしい。
と同時に、兄のイルミやミルキからすると、
キルアがすんごい扱いにくい、異端児で厄介な弟である点も目が離せません。


言わずと知れたこと [あ行]

では君はアメリカではなんの差別もされずに、心地よく暮らせたんだね、
カリフォルニアは楽園だなあ、
みたいに思っていただいて、半分は正しいけど、
半分は違うかな……と思うのでちょっと付け足しておきます、念のために。

暮らしていく上で、英語を上手く使えない人間に対する白眼視みたいなのは、ものすごく感じました。
英語を上手く使えない人間に対して、心が広かったり優しかったりする人のほうがまれです。
単純にすごい冷たい。率直に物凄く見下されます。
下手するとすごく意地悪な対応や、不誠実な対応をとられかねない。

……おのれ!
と思ったことが無いかといえば、そんなのあるに決まってんじゃん。

留学生同士で、
「母国語しかしゃべれないくせに。母国語の英語を話せるからって一丁前な面して、
どうしてああも威張れるものなのかね。世間知らずってみっともないよね。
英語を上手く話せれば偉いのかよ。ホームレスだって流ちょうな英語しゃべってんじゃん」
と、よく愚痴っていました。

むろんアメリカには、複数の言語を思い通りに扱える人は多数いるけど、
そういう人は概して、英語が拙い相手を決して見下してきたりしないのだった。
超絶寛容だけど、なんでだろう……とか思ってると、
実は両親がアルバニア人で移民二世なんだ、とか。
すごく辛抱強い、なんでだろう……とか不思議な顔をしてると、
実は父親がドイツ人で母親がユダヤ人なんだよ、とか。
あるいは、私は留学経験があるの、
小さいころ海外在住経験があってさ~等々。

逆に言うと、両親がアメリカ人でアメリカ生まれ、英語が喋れない人が身の回りに居ないアメリカ人、
つまりいわゆる「普通のアメリカ人」は、
英語でスムーズなコミュニケーションをはかれない相手をもれなく嫌がる。
大学の教授であっても例外はない。
そう思って、さほど間違ってはいないはず。

英語が下手だと半人前扱いなのは事実ですが、
英語は慣れればある程度、使えるようになる。
おかげで英語が否応(いやおう)なく上達する部分も大きい。
何より、ちょっとやそっとじゃ、心が折れなくなりますし。

人種や性別とちがって、生まれもった存在の根源を見下されたり、
不利益や不自由がデフォルトとして定着している、そんな差別を受けるわけではありません。
気候もいいしね。
そういう点では本当に暮らしやすい所でした。
少なくとも私が住んでいたときは。

アルケミスト的要素? [あ行]

先日、ゲームが開始となったDMMの文アル(文豪とアルケミスト)、
始めてみましたが私は早々に脱落。
個人的に、この文豪の顔ぶれにして、
なぜ梶井基次郎、岡本綺堂、小栗虫太郎、坂口安吾らが居ないのか……。
(三島由紀夫が居ないのはやむを得ない。おそらく著作権が切れた文豪を集めているはずだ。)

別に上記の文豪の作品の熱烈なファンではない。
二~三の作品を齧ったことがある程度だけれど、
しかし、梶井基次郎は……
桜の樹の下には~という、
ゲーム的にも美味しそうな名文を編み出した彼がスルーされてるのは、いただけない。
春に新規投入とか、そういう段取りでしょうか*。

文豪が、弓やら刀、銃や鞭で戦うのが頭悪そうで違和感がすごい。
(当時の文豪なんて無茶苦茶インテリやくざな文化人なのに。)
教師をやってた文豪が鞭(教鞭にちなんで)とかなら合点がいくが、
そういうシステムでもなさそうです。
(たぶん、当時の対象読者層の広さ=標的にちなんでいるんだと思うのだが……。
 大衆小説=鞭、純文学系小説=刃、
 随筆や詩や小説など混合技=弓、詩や児童文学=銃……かな。)

文豪ってば、潜書のたびすごい勢いで空腹になるけど、
[おにぎり](にぎりめし)ばっかり食べてるからでは。
いまに脚気になるぞ。図書館にこもって潜書ばかりさせられるんですし。
きょう日、人じゃない刀剣男士だって幕の内弁当を食べられるというのに……。

そもそも文豪の格付けだけど、これなに知名度順?(怒) 
特殊会話が発生しても、あとで聞き直すことができない仕様なのは、
おそらく今後、変わってくるとは思うけど、
いろんなモヤモヤが納まらないので、続けられなかったのでした。

おそらく一番の違和感の理由は、文豪およびマーケティング対象の設定年齢が、かなり低め?
と感じられる点だったかもしれません。
多くの文豪が夭折なのは知ってるけど、没年齢に合わせているわけでもない。
新見南吉とか宮沢賢治とか……児童小説を書いた文豪が少年的ルックスなのは、
理解の範疇といえども……。
いかんせん皆、見た目が似ている。
(似ていてもアニメ・ジョーカーゲームみたいな絵面であれば私も頑張った。)
服装と髪型、小道具などで区別をつけようとするのだが、
だんだんと、もはや声だけが頼りになって――
あ☆髭切だ、あ☆三日月、あ☆エレンだ、あ☆花沢輝気、あ☆マスタング大佐!

数日で脱落したので、断定的に何一つ語れませんが、
小林多喜二と高村光太郎が良さそうなキャラでした。
一番レベルを上げたのは国木田独歩(弓)。
弓と銃は使い勝手が良く、刃と鞭はいまひとつ頼りにならない印象。
有碍書の潜書風景は完成度が高く、素敵だった。
文豪の内番的装いや、冬場の景種に、お炬燵などがあったなら、
或いはテンションがストップ高だったかもしれません。
ただしこのゲームは設定が図書館と司書室がメイン。生活感が覗くことは無さそうです。

*


絵空事とは異なる次元 [あ行]

先日の金曜日に地上波で映画『ゼロ・グラビティ』(Gravity)をやっていたようで、
私はこの映画、相当、好きです。

近年、我ながら珍しく、ど真ん中ストライク、映画館で打ちのめされて帰ってきた作品で、
後半なんて映画館のシートにぐったり寄りかかって泣きまくっていたもんです(感動以前に、人間としての根源的な恐怖感に打ちひしがれたせいで。さすがにこんな極限状態は無理だよマジでもう太刀打ちできない怖すぎる……と)。
たいていの人が似たような体験をしたかと思います。

DVD化されたとき、すぐさま、そこそこ年配の身内に「見て! 良いから見て!」
と持っていって半強制的におすすめして帰ったのだが、
「見ました」というメールが、あまりにも的外れな感想しか返ってこなかったのだった。

だからつい、
「最近どんな映画を見ても、ぼんやりした感想しかわかないみたいだけど、あんまりにも何を見ても何も面白くない……というのがたびかさなって度を超すなら、体調が悪いか、認知症のはしりか、鬱病かもしれません」
と本気で心配してメールしちゃったくらいである。

それくらい、この映画は年齢や性差を問わず、人間の根源的な恐怖とか帰巣本能とかに訴える、
いい意味でハリウッドだからこそできる普遍性の高い作品だと信じて疑わなかったのだ。

しかし先方の感想は、
「あなたほど宇宙に夢中じゃないし、正直、宇宙のことが良くわからないので、へーえ無重力空間って、こんな感じなのですかね? まさかまさかこんな次から次へとよくもまあ、悪いアクシデントばっかり考えつくものですよね、ある意味でこれも一種の御都合主義的展開」
というのが素直なリアクションだった。

上記のようなリアクションはかなり稀なんじゃないかと、今でも私は思っているが、その人によれば、
「ジョージ・クルーニーが呆気なく退場で、生きて帰ってきたと思ったら、なんかアレだし」
みたいな。

やや、そこは確かにストーリー上、要となる部分でもあるけれども、
そこが映画の感想を左右しないというか、
むしろ、ああいう立ち位置が、実に心憎いキャンスティングなんじゃないか……。

私より年齢が上の世代は、よほどの「宇宙大好き」洗礼を受けていないかぎり、
宇宙に対する憧れも恐怖もさして抱いていないというか、
宇宙について常識的に、知識や想像力が欠如しているのかもしれない……。
私の世代では中学の時「将来、宇宙飛行士になりたい」という理系の女友達とかがいた。

ゼロ・グラビティは、
SFにおけるフィクション部分と、現実に起こりうる境目ギリギリのリアルさが際立っており、
だからこそ手に汗握り、
理系じゃないけど宇宙は普通に好きな私からすると、ノックアウト感が募るのだが。

何がSFで、何がリアルか、その差すらもきちんと区別できない人には、
異空間における単なるパニック映画にしか映らなく、
孤立無援おつかれさん映画としか受け入れられない。

「そもそも宇宙飛行士なんて、大統領よりも、オリンピック選手よりも少ない、
選ばれたごく少数の人しかなれない雲の上の人間だし。——文字どおり雲の上の」
という感覚しか持ち合わせていない人にアピールするのは困難な作品で、ハートウォーミングなお約束が皆無。
その媚のない部分が、余計に魅力的なのかもしれない。

国立情報学研究所というところで私は非常勤で勤務していた時期があるのですが、
そこでは『国際宇宙ステーション搭乗 宇宙飛行士候補者募集』
というリーフレットが誰でも自由に入手できる場所に普通に置いてありました。

こないだ念願の本棚を買って、ようやく搬入と転倒防止器具の設置が済み、
私は今かなり大々的に、本やら、ためこんだ様々なプリントアウトなどを整理している真っ最中。
作業効率を上げるために、やらねばならない雑務だったのを後回しにしすぎていたので仕方ないが、
仕事場が現況てんやわんやで、わりと原稿が手につかなくて困っている。
その作業中に、当時(2008年)の宇宙飛行士候補者募集のリーフレットを見つけた。
スキャンしてみました。こちら2枚ではなくて表面と裏面です。

宇宙飛行士募集2008JAXA.jpg
(クリック推奨。原寸大で見られます。)

宇宙飛行士2008JAXA.jpg
(クリック推奨。原寸大で見られます。)

2008年当時の募集以来、JAXAは2016年現在までに募集をかけていない(たぶん)。
年がら年中、募集していて応募できる職業ではない。
いっぽうで、年齢制限も性別制限もなかったりする。

こういう謎資料をクリアファイルに無造作につっこんで棚に積んでおく癖があるので、
仕事場がどんどん紙に侵食されてきて格闘中なのですが、
これをちょっと読むだけで夢が広がったり、逆に、夢が潰えたりする部分がある……というのは貴重。

この応募条件を見ながら、
(自分には宇宙飛行士に応募するのに、何と何と何の条件を満たせていないか)
(仮に、これと、これと、これをクリアしたとして、さらに数ある資格者の中から万一にも試験の結果、採用されたとしても、訓練業務の一環としてロシア語も習得か。まあ宇宙だものな、英語とロシア語が共通語か)
等々、ほんの一端でも具体的に想像できる余地があるというのは捨てがたい。

宇宙飛行士といえば=「雲の上の人」
ではなく、
どういう資質が重宝され、自分よりも何が秀でて適格であるとされ、必要最低条件としてどんな訓練をこなすのか。
積極的に情報を集めなくとも漠然としてではなく身近で自然に触れえる情報の質が、
物語をどれだけ満喫できるか否かを左右する部分は否めないのかも……。
と思ったりしながら、この手の資料を処分すべきタイミングを逸するのである。



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遠征失敗…… [あ行]

二週ほど前、若冲展待機列を目にしてあっけなく尻尾を巻いて帰ったわけですが、
ブログを書いてしばらくしてから、
「あ……なんでその足で、国立西洋美術館のカラヴァッジョ展を見に行かなかったのかな私は? 失敗したね!」
と気づいたのだった。

昨日の月曜日、上野方面に出かける予定があった。
そこで用事が済んだあと、まず、あんみつ屋の「みはし」に寄って腹ごしらえ。
みはしに行くのは初めてです。
上野界隈では有名なあんみつ屋さんですが、最近知った。
「みはし」って何だろうこのなじみ深い響き……
あ、『黒猫ギムナジウム』にて猫目坊が幼少期を過ごしたのが「三箸屋(みはしや)」だ。
三箸屋のほうは甘味処とはいいがたい場所だが、ある意味「お茶屋」と無関係な場所でもない。

……で、みはし上野本店に。

まず、ふわっと卵が入っているお雑煮(http://www.mihashi.co.jp/menu/ozouni.html)をいただく。
写真のイメージよりお椀が大きかった。
削り節の香りが立って、焼いたお餅といい香ばしく、お雑煮好きだけど外でお雑煮を食する機会って考えてみると殆どなかった。
季節を問わず食べたい系なので、アツアツをありがたく平らげます。
そのあとクリームあんみつを(http://www.mihashi.co.jp/menu/cream-anmitsu.html)。
写真のイメージから受ける印象より、これも一鉢が大きい。

あんみつって、好物でもなかったんですが、ソフトクリームの冷たさと、
冷たすぎない餡やみつ豆や求肥(ぎゅうひ)との絶妙なコンビネーションで、
甘いけど甘すぎず、冷たいけどキンキンではなく、何もかもが頃合いで、美味しい。

で、いざカラヴァッジョ展へ!
事前にHPをチェックして、まだやってると確認済みです。
念のため時間もチェックしておいた。問題ない。

ブータン展を開催中の上野の森美術館をわき見しつつ、国立西洋美術館に到着。

閉まってた。

月曜日、思いもよらない休館日……。
いや、美術館や博物館や図書館関係は、そうよね月曜日、要注意だったのに。

おまけにです、精神的にショックだったようで、上野駅の改札でSUICAを紛失。

いやその……チャージ金額が足りなかったので、券売機でチャージしようとしたら、
《ただいま一万円は使えません》

なに?
これからオリンピックやるとか、国際都市の設備投資とかいってるのに、そもそも券売機の少なさが異常だし(……外国人観光客に取り囲まれて日本人がほとんどいない。日本人は切符じゃなくてみんなSUICAやおサイフケータイなどを使うので)
両替機も見あたらない。
なのに一万円が使えないってどういう了見なんだ……どうしたらいいんだ。

大きいお金しかなかったので途方に暮れ、戻ってきた一万円を手にして、近くのコンビニへ。
仕方なく、欲しくもなかったおにぎりを一個買う。
お金を崩して券売機に舞い戻り、チャージしようとしたら、
パスケースに入れていたはずのSUICAが無かったんです。

あー……あれだねー、さっき券売機で戻ってきた一万円を取ったときだね。
SUICAのほうを忘れたんだな。
まぁちょっと面倒な考えごとで頭がいっぱいだったせいもあるし(←言い訳)、
歩きすぎて横っ腹が痛かったし(←言い訳)、
その場で窓口の駅員さんに問いあわせると「届いてます」

迅速!

「お名前と身分証を」

名前を言って、運転免許証を見せて、返ってきた私のSUICA!
紛失時間、5分弱です。

「これ、受け取るの放置して吸いこまれてしまったんでしょうか?」
アメリカではATMにて、ATMカードを放置して取り忘れた場合、
一定時間を置いたのち、ATMの機械がカードを自動的に吸いこむ仕組みになっています。
次のATM利用者が悪意ある人だったら不正利用のリスクが高くて危険なので、
銀行側が保管しておいてくれるのです。

SUICAもそういうシステム?

「通りがかりのお客様が、取り忘れだと届けてくださったものです」
「うわー……ありがとうございます」

その後はどこにも寄らず、家に帰りました。

ささやかな収穫物といえば、不忍池の蓮。
二週ほど前はショボい有様でしたが、今は葉が青々と茂りつつあり。
とはいえ小学校低学年のとき、もっと見渡すかぎり行っても行っても蓮池に感じたんですが、
縮小したのかな。
こうもささやかだったろうか……?

子供目線を思い起こして、しゃがんで写真を撮ってみたら、
写真に映った蓮池は、けっこう視野を埋めつくす臨場感でした。

2016060614100000.jpg
2016060614110001.jpg

(いずれもクリックすると拡大します。)

Ask.fmはじめました [あ行]

Ask.fm(質問回答サイト)に登録しました。
べつにブログのネタがマンネリがちで困ってるとか、そういうんじゃなくて。
そういうんじゃないから。

Ask.fmに登録している人は匿名で気軽に質問できるはずなので、
気が向いたら気ままに質問してみてください。

私も気が乗ったタイミングで、答えられる質問にはなるべく答えていきます。
質問をお待ちしてます。

https://ask.fm/YuKaNakazato


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おもてなし感 [あ行]

金曜日、羽田空港美術館ディスカバリーミュージアム(第二旅客ターミナル3階)に行きました。

モノレールに乗ったりと、羽田はアクセスにどうしても交通費がかさみがちなんだけど、
入場料無料と太っ腹な羽田空港美術館。
美術館はかなり小ぢんまりしている一室で、広くない(石切さんの宝物庫展と同じくらい)。

第19回企画展「徳川ミュージアム所蔵品精選 TOKUGAWA IEYASU 天下泰平の軌跡」
メインのお目当ては燭台切光忠でした。
フラッシュをたかなければ写真撮影もOKです。

燭台切光忠は、関東大震災で焼失したと思われていただけあって、
黒く煤けて独特の存在感。
刃文を写した古文書らしき文献も添えられていた。
美術館のポスターに、刀剣のポスターが貼ってあって、
燭台切光忠のかつての刃文を写した古文書の絵図面とよく似た写真の一振りが。
「光忠」とあったので、あぁかつては燭台切光忠もこんな感じだったんだろうなあ……と。
黒地に、水しぶきのあがった波のような白い刃文がひだをなして波打っていて、伊達で艶やか系。

ほかもいずれも「本当に結構なお道具をお持ちで……」
という徳川由来の所蔵品。
水戸の印籠とか。
くだんの印籠の元ネタの逸品かぁ。

羽田空港には、修学旅行生とおぼしき制服姿の高校生の団体が居て、
中には空港らしく荷物がカートだったりする姿もあり、
友人(高校時代からの友達)と、
「修学旅行に飛行機とは」
「ハイカラっすよね」
「わたしなんて京都と奈良」
「超、京都と奈良」

美術館を見終わって、
終点(つか始発)である第二旅客ターミナルから、
モノレールで2~3駅・浜松町寄りにある「羽田空港国際線ビル」で、いったん下車。

ここには展望台というよりもしろ展望バルコニーと言える、広々とした展望デッキがあって、
そこでしばらく国際線の飛行機の発着を眺めてました。
すっごい気持ちよかった。

次から次、一分毎くらいに飛行機が飛び立っていくので、
飛行機好きのわたしからすると、たまらない。
好物がパノラマで展開されてます。

自分が飛行機に乗る立場だと、
広いガラス窓越しに、飛行機が飛び立つのを見て待っているときは、わりとだるい。
また見送りに行くときには、自分も飛行機に乗って旅立ちたい熱があおられて、わりと凹む。

そういうしがらみや、時間的な焦りとか、荷物やお土産や天候の心配、一切から解放された状態で、
お天気な空っ風を浴びつつ能天気に発着を眺めるのは、爽快感がとてつもなかった。

ケータリング貨物で機内食を積載していたり、
到着した飛行機に、ボーディングブリッジの四角い蛇腹が伸びていって接続されたりだとか、
こまごまとした所も、俯瞰で眺めていると、いちいち新鮮。
風力発電の白い風車も見えました。
わたし、日本で生風車を見たの初めてだ。

昼下がりでしたが、日が短い。
日が落ちて暗くなってからも、離発着を眺めにデッキに出ました。
外なので夜はさすがに寒かったが、景色がぐんと変わってまた高揚した。
装飾イルミネーションの夜景とは違って、
ライトアップされた一種工業デザイン的な光彩の点滅がSF的ともいえるストイックな美しさ。

スカイツリーも東京タワーも遠くに一目瞭然で、
スカイツリーの、先端のとんがってるところから光線の矢を放っていくみたいなイルミネーションは、
良くも悪くも、おもちゃみたい。

一緒に行った友達は、最先端テクノロジーのガジェットとか好きなのに、
飛行機を乗り物として信用していないらしいのです。
「理屈ではわかっていても、感覚的に、あんな鉄の塊が空を飛ぶなんて……」
「なんでそこだけ原始人みたいなの!?」
そんな友人も、おもむろにスマフォを取り出して、カシャッ カシャッ
シャッターを切ってました。

ロングビーチに居た大学院時代、
車を運転して10分くらいのところにシールビーチという海岸があって、
9月10月と2か月間、わたしは毎日、雨の日も風の日も……(ロングビーチはその時期まず雨が降らないので、雨の日はほぼなかった)夕暮れ時の海岸線に行って、一人で日没を眺めに通ってたことがあります。
その時期、咳が止まらなったのだが、海風を浴びているときだけ、これがまったく出なくなるので。
なんかその時の感覚に近い広がりがありました、展望デッキ。
近くにあるなら毎日通いたい……。

この展望デッキは、鎌谷 悠希の漫画『少年ノート』4巻で、
ゆたか少年と、ウラジーミル少年が再会して、
歌をうたって駆けていくシーンの舞台でしょうか……?
(手元に漫画が無いんで、あやふやです)

羽田はいつ来ても清潔感にあふれ、
内装も色々と小洒落ていて、
おもてなし感満載。
モノレールからローカル駅(浜松町)に着いたとたんの落差がエグかった。


石切丸と小狐丸(石切劔箭神社) [あ行]

ラルカジノ・ライヴ往路のブログを書いている間に、あれれ……?
ワリワリと咽が猛烈に痛みだし、
風邪だ……。
潜伏期間があるので、べつにラルカジノで風邪に罹ったわけではないだろう。
思い当たる節と言えば、たぶんジュラシック・ワールドを見た映画館だ……。
まあちょっと、はしゃぎすぎました。

風邪ひくの4年ぶりくらいだったので、ひいてもおかしくない頃合いですよね、
と、3~4日寝込み……

正確に言うと、風邪のひきはじめに「とあるもの」でうがいをし、
そのうがいに使ったものにアナフィラキシーショックを起こしてちょっと死にかけ、
具体的には「毒殺未遂」症状と言いますか、
全身が臓器を裏表にひっくり返そうとするので、
体からエイリアンがバリバリ体を破って出るんじゃないかと思うほど痛みました。
心筋あたりが痛みだした時には、さすがにこれはマズいんじゃないかと感じた。

「とあるもの」はごく一般的な飲料で、
最近になって、食物アレルギーを起こすので飲めなくなっていたことは自覚していた。
劇症性の食物アレルギーの場合、今までまったく大丈夫でも、
ある日突然なることもあって、
なったら最後、一生治ることはない(……と医者に言われた。あくまでも劇症性の品目においては)。
うがいであれば、問題なかろうと油断していた。そもそもまるで意識してなかった。
殺菌効果が高いので、風邪のひきはじめには、是非こいつでうがいをば、
と、散見される飲料でもあったので、
ガラガラうがいをしただけだったのに。
粘膜からも摂取するんですねー。考えてみればそうですよね。

あとで医者に「そのまま死んだとしても珍しい話じゃなかったんだよ。なんでうがいしちゃったかな!」と説教されましたが、
「……熱でイマイチきちんと頭が働かなくて、この咽の痛みをなんとかできるならば、飲まなきゃいいのかと思いまして……」

持ち直してきたので、
ラルカジノの詳細や、石切劔箭神社について出だしをupし終えたあたりで、
今度は、治りぎわの風邪と、季節性のアレルギーが合体し、偽ぜんそく症状に。
しゃべっては噎(む)せ、寝ては咳きこみ、起きては咳きこむ。コホン、ぜー。
医者に行ったりしているあいだに、数週間が経っていた。

実は以前、8年間くらいずーっと、その手の、偽ぜんそく症状だったのだが、
大きい病院とかにもあちこち行ったものの、ちっともよくならなかったので、
諦めてほぼ放置していた時期がある。
影響するのは花粉と気圧なのだが、日本っていつもなんか飛んでて、いつも気圧が不安定なのよ。

当時はもう、通りの歩きタバコの煙に、嫌味でやってるんじゃなくて本気で咳きこむし、
車の排気なんて悪夢だし、
オサレなレストランとかでテーブルにキャンドルがあると、
うるさく咳きこむばかりなので、店員さんにキャンドルを下げてもらう始末。
百貨店の香水売り場を通るたびに噎せる、
新聞紙広げたときのインクのにおいで噎せる、
「香ばしいね~」←え……煙い、
ネイルやるときはマスクをかけて頼んでいたし、
石油ファンヒーター、石油ストーヴ……あ? 嫌がらせか……
ベープとか、衣類防虫剤(ナフタリンみたいなの)は、虫の前に私が音を上げるのであった。 
挙げればキリがない、考えてみればわりと普通じゃなかった。

慢性の不健康は、命に別条がない場合、良くも悪くも精神的に慣れるもので、
こんなもんだろう、と甘受するようになっていたのだが、
今の呼吸器専門のお医者に行きつき、
数週間の投薬で、あっさり完治したのだった。
今までなんだったんだ、というほど簡単に。
医者の見立てと薬は、ほんとにピンキリ、体質との相性もあります。

その後、3年間ほどまったく咳知らずで、
咳の仕方を忘れた頃合いに、久しぶりの懐かしい感覚ではあったものの、
思い出して有りがたい心地でもないのだった。
咳に対する耐性もすっかり失くしていたし、こんなに疲れるもんだったか……。

で、続きのブログを書くまでに一か月を要しましたが、
遅ればせながら、
先月の、石切劔箭神社の宝物庫展について今さら書く気満々です。

石切剣箭神社は予想以上に加持祈祷のメッカで、
厄払いやら、安産祈願やらの、
由緒正しき、いにしえの神社でした。
宝物庫展は、穂積殿に位置するところでやっていました。

石切劔箭神社(境内案内図)
http://www.ishikiri.or.jp/annai/

私の経路で語るなら、
本殿を参詣して、
崇敬会館で宝物庫展の場所を聞き、
授与所と本殿の間の通路(なにがしの祈願の小さい蝋燭がずらっと並んでいる)を抜けて、
その奥に入っていった。

神社などの宝物庫展は、靴を脱ぐところも多いですが、
靴を脱ぐこともなかった。
外国の人を連れて行ったりするのに、穴場で良いかも。
(欧米人はとかく外で靴を脱ぐのを露骨に嫌がり、
かなり日本の文化に馴染んでいても、服を脱がされるがごとくに難色を示す人が多いので。)

石切劔箭神社は、京都や浅草のように観光用に作りこまれた営業的な顔はなく、
素朴で質実剛健。かなり古式ゆかしいが、
儀礼的な堅苦しさはなく、あくまでも庶民的。
実にいい感じのたたずまい。

宝物庫展をやっていた一階から半地下(?)は、
発掘跡を一部そのままショーウィンドウで展示している、
神社とは思えない博物館的な構造になっていました。
一見、すんごく広い展示場なのかと思ったら、そんなことはなかった。

宝物庫の展示物のかなりが銅鏡でした。
古墳時代とか邪馬台国とか、そういう時代の銅鏡です。
レプリカとか写しとかではなく、
当時のほんまもんの銅鏡。

もともとこの石切さん、
古墳時代レベルの祭事の場所を礎にして、神社になっていたらしく、
法通寺という古代寺院の跡に建てられているんですね。
全く知らなかった。
この法通寺というのが、謎の古代寺院らしく、かなり古代ロマンをあおる場所らしきことが、
石切さんに置いてあったパンフ(近畿大学文芸学部文化・歴史学科が発行している)で判明。

近年、敷地内で穂積殿を建てたときに、
銅鏡やら、棗玉(なつめだま)の首飾り、法通寺の瓦などが発掘されたらしく、それらを展示しつつ、
御神体の石切丸(神剣)やらの刀剣も併せてお披露目。

宝物庫展の展示場は10人くらいの参列者が列になって、順ぐりに展示物を見て回る。
10人ほども入ると、展示室はわりと混み合う広さです。

銅鏡や、ヒスイ色した棗玉は、
ふーん……と流して見るわたし。
とはいえ、銅鏡はどれも丸鏡の背中(模様が描かれている面)が表に出ているだけでなく、
ショーケースに伏している鏡面部分も見えるようになっている。
ショーケースの内側の底辺が鏡張りになっている展示で、
(あ、この銅鏡は本当に鏡だったんだ)
と、わかります。

そうでもないと銅鏡は、大きい文鎮みたいで、
これ本当に鏡? 
という把握しがたい感じになるので、細かいところまで、さりげなく行き届いている陳列です。

で、肝心の刀剣に。

まず太刀・小烏丸(こがらすまる)の写しが。
太刀と言ってもかなり小さい。
太刀というと大きいイメージがありますが、
鎌倉以前の一般的な長刀は基本、ぜんぶ太刀であり、
打刀という存在が、当時そもそも無いといっても過言でない。
脇差はあくまでコンパクト、こいつがどんどん大きくなっていって、
もうそれ太刀じゃない?的なサイズになったのはずっと後年で、
だから薙刀でなく、大太刀でもない平安時代の長い刀といったら全部太刀です(たぶん)。
小烏丸は、よく鶴丸国永と引き合いに出されて、語られてますよね(鳥つながりの白黒で)。
見るからにほっそりとした一振り(66センチ)でした。
先端が槍に近く、ただ刀らしく全身が反っていて、道具っぽかった。

来国俊の短刀もありました。
来派でも、刀剣乱舞に出てくる来国俊の短刀とは別物らしい。

いよいよ展示場中央の島に石切丸と小狐丸が!
まごうことなき本物です。
中央のケースにあるので、表も裏も見られます。
同じショーケースに、大小という感じで、
上に石切丸、下に小狐丸と並んで展示されてました。

石切丸、刀剣乱舞では大太刀となっていますが、実際の神社では太刀と分類されていました。
太刀とあったが、刀剣乱舞の石切丸に相違ない。
(刀剣乱舞の公式刀剣カレンダーでも、ここ石切神社の石切丸が載っています)。

御神刀であり、ご神体なので、写真撮影はできませんでしたが、
本当に大きく、立派な刀(刃長76.1センチ)。

三条の刀の特徴ともいえようか、
切っ先がシュッとすぼまり小さめなので、豪快には見えない。品があります。

小狐丸は、ぱっと見た瞬間の印象といえば、
三日月宗近にそっくり!
小さい!
「三日月宗近より一まわり小さい、三日月宗近」
という感じ。
三日月宗近と同じ刀匠の手による太刀だと、一目でわかる。

何がそうも似ているかというと、
切っ先です。
東博の三日月宗近はかなり大きい刀でしたが(刃長80センチ)、
スリムに見えて、大振りに感じなかったのは、
切っ先がシュッと小口で上品だから。
小狐丸も然り、同じフォルムで先細にしまっている、スッと慎ましやかな切っ先で、
三日月宗近よりひとまわり、ふたまわりほども小振り(刃長53.8センチ)。

ゲーム内では「大きいけれど、小狐丸」と名乗るそうですが
(……うちの本丸には居ないからよくは知らんが)、
小狐丸という名前は伊達じゃない、小さい太刀です。
小狐丸という名前だけれど、太刀なのだという「大きい」であり、
石切丸と比べるならば、3分の2ほどもあったかどうか。
とはいえ50センチ余りあり、
また平安人は平成人よりも小柄だったでしょうから、
十分に太刀として通用したろう。

石切丸と小狐丸は、いずれも三条らしさはあるものの、
三日月宗近と小狐丸ほど、激似ではない……。

小狐丸と三日月宗近は三条宗近・作。
石切丸は三条有成(三条宗近の息子ともいわれている)作なのだそうだ。
なるほど。そんな感じです。

ゲームでも、小狐丸と三日月宗近が同じイラストレーターの絵によるものなのは、
そのあたりを考証してあるんでしょうね、きっと。
そういえば小狐丸の紋は、石切劔箭神社の紋と酷似したモチーフが使われていますよね。
(石切丸の紋は似ても似つかないが。)

宝物庫展では、
刀剣乱舞に登場していない、
かつまた石切丸のように重要美術品の神剣などでもなければ、
小狐丸のように能に登場するわけでもない、
いわゆる無名の、しかしとても美しい1600~1700頃に打たれた「忠國」という脇差(50.6センチ)が展示されておりまして、
切っ先が大きく、乱れ刃の刃文があでやかで派手だけれど、
乱れ刃=女形という刀剣乱舞の刷り込みイメージが必ずしも該当しない。
妖艶な人斬り庖丁ビジュアル系が、異彩を放っておりました。
歴史的に有名な人物が使っていたとかでもなく、
刀剣乱舞に実装されることはまずないだろうが、かっこいい……良い脇差だ……素敵。
人だかりが無いのを良いことに、熱心に見ていましたら、
道すがら駅から一緒に来てくれた、おばあさんに、
「あんさん、刀、好きなん?」
と言い当てられました。

宝物庫展には神輿(みこし)も展示してあって、
おばあさんの話によると、夏にはこの神輿を担いだ先頭を、
神主さんが白馬に乗って、市中をねり歩くんだそうです。
「このあたりじゃとても珍しい、東京じゃどうかしらんけど、このあたりじゃねえ」
いやいや東京でも珍しいです。そんなの見たことありませんもの、聞いたのすら初めてです。

宝物庫展を見終えて、
北授与所で「石切劔箭神社御神宝」の図録をゲット。
もちろん石切丸も小狐丸も、展示してあったものすべてが全頁カラーで載っている46ページ。
1200円だったか。拝観料もなかったのだし、即買い。
やった……! 

本殿のところに戻ってきて、おばあさんとちょっと名残惜しく、ご挨拶を。

――あんさんに会わんかったら、わたしこんな宝物庫展なんて毎日来てても知らなかったわ
――ここまで一緒に来られて、本当に良かったです。とっても助かりました
――気ぃつけて
――お気を付けて、お元気で!

さっぱりと別れて、
私は駅に向かいました。
帰りは下り坂、新石切駅にすぐ着きました。

大阪人はどことなくアメリカン気風? [あ行]

大阪で一泊し、
9/23日13時10分新大阪発の新幹線のぞみで東京に帰る予定。
それまでに、ちょっと大阪のどこかに行ってみたい……。
そう思っていた私は、当初、海遊館を考えていたのですが、
海遊館のHPを確認すると、案の定、ものすごい混みよう。

せっかく大阪まで来ているのだし、
大阪じゃないと行けないところ……行きたいところ……

《石切劔箭神社:いしきりつるぎや神社》はどうだ!
刀剣乱舞の石切丸(大太刀)、小狐丸(太刀)のモデルとなる刀剣が御神宝として存在し、
地元の人には石切さんと呼ばれて親しまれている。石切神社を訪れてみようと思い立った。

キャラの発祥地や元ネタをたどる、いわゆる聖地巡礼が、
ここではほんと文字通り聖地巡礼なので、一瞬、躊躇する。
そもそもいくら石切丸や小狐丸という刀があるにしろ、
ただ神社にお参りにいったところで、当の刀を拝めるわけじゃ……

HPで調べてみたら、なんと! 
9月20日~23日にかけてだけ、限定的に宝物庫展示を行っていると!

なにこの運命的巡りあわせ。
今までのなんだかんだ結構、生きてきてる人生で、
大阪まで自発的に乗り込んできたのは、初めてである私が、
たまたま一泊する、その日程に合わせたかのように、
宝物庫、展示してるのね! 刀、拝めるのね! 
僥倖、ほんとに僥倖なんで、こんなの行かないわけがない。

石切さんには、石切駅と新石切駅とのアクセスがある。
新石切駅のほうが駅から徒歩5~7分と近い。
ハイアットの最寄り駅・中ふ頭

コスモスクエア駅で乗り換え

大阪市営中央線・一番線の電車に乗り、
16駅、しめて所要時間46分。

一度乗り換えればいいだけ、行き方もわかりやすい。
帰りは新大阪に着かなければまずいが、新大阪へのアクセスも悪くなさそうです。

ならば!
新石切側から攻めよう!
朝8時半すぎに出発しました。

ところで大阪の人はみんな歩くの速いの?
ハイアットの最寄り駅である《中ふ頭》まで「徒歩三分です」とホテルの人に教えてもらうも、
3分なんかじゃ絶対無理だし、常にそんな感じでした、大阪。
わたしはハイヒールでもなければ、そこそこ歩くの速いのだが、
歩きやすい靴にもかかわらず、
大阪人の徒歩概念は上り坂とか、ものともしないのか。

さて目的の電車に揺られて、カタカタと進み、
大阪市営中央線は、時間帯なのか、進む方面なのか、終始がら空きでした。
駅についてみると、山がそこそこ迫っていました。
海側から山側へ来たのだ。

事前にネットでググっておいたのだが、
駅にコインロッカーがあるかないか、サイズや値段がわかるという、
今は本当に便利になった。調べによれば新石切にコインロッカーはある。

軟弱な私は、場合によっては荷物を送ろうか、タクシーを使おうかとも考えていたのだが、
実際に着いてみると、たしかに300円のコインロッカーが。
連休中で埋まっているかと心配だったが、
ニ、三、使われているだけで大半は鍵がついている。良かった。
大きなボストンバック一個は問題なく入るサイズで、
さっそくここに泊りの荷物を押し込み、
新石切駅に降りた。出口5番。
快晴。暑かった。

帽子にサングラス姿でうろうろ。
出たとたんに、石切さんへの方角がまったくわからない。
駅の出口までは、石切神社は5番出口、
と書かれていたので、
もうすこし看板的な表示が出ていると期待していた。人通りも極めて少なく、途方に暮れ、
行きがかりの私服女子高生らしき人に尋ねるも、
「えっと~」と彼女も周囲の看板らしきものをぐるりと目で探し、「ごめんなさい、知らないです……」
「いいんです。すみませんでした」

若い人は知らないっぽい。
今度は駅からすぐの交差点を渡ってきた、おばあさんに尋ねました。
「石切神社ってどっちに行ったらいいかわかりますか」
「これから私も行くとこです、一緒、行きましょう」
「あ……はい!」
救世主到来です。

おばあさんは茶色い晴雨両用の日傘をさしていて、私にさしかけてくれる。
わたしは帽子もサングラスもしているし……でもわりと、もやしっこなんで、
日傘をさしかけてもらえると、やはり暑さをしのげる。
しかし、私はおばあさんよりも背丈があるので、おばあさんはのびあがっている。
「あの、大丈夫です。では、持ちましょう」
私が傘の柄にやんわりと手を伸ばすも、
「いやいややや、あんさんほんとスタイル良くてまぁ」
と、断固謝絶、親切な上に褒めてまでくれて、どうしたらいいんだ私は。
素直に、えへらえへらと喜びながら、おばあさんの歩幅に合わせてくっついて進みました。
久しぶりの孫気分で。
普段は見知らぬ人と、こんなふうに同行することはまずないですが、即座に安堵してノコノコくっついていく、こういう時の人を見る目が、私は我ながら優れている、というか運が良いのだ。

「どちらからいらっしゃったん」
「東京から……」
「えぇ……!!?」
「いや、あの用事が! 用事(ラルク)があって! 今日帰るんです、その前に、どうしても来たくて」
「あらーいい所きたわ、あんさんほんと、良いところいらっしゃったわ」
「そうですか?」
えへへ、と喜ぶ。

この石切神社、刀剣乱舞をやっているかたはご存知だろう、
石切丸が、しょっちゅう加持祈祷のことばかり口にして、
戦いよりも加持祈祷が優先、
というか戦いそのものも、穢れをいかに断ち切るかにかかっている。
石切丸のセリフの十中八九が加持祈祷にまつわる中身であるように、
加持祈祷に特化している。厄払い、病魔を祓う専門の神社であるのだと。

(なお、小狐丸のキャラについては知る由もありません……うちの本丸に出現してませんので……。)

「やっぱり今の時代は癌でなくなる人が多いでしょ、
命にかかわるといえば、やはりがんが一番多いねえ」
「そうですよね……」
「たとえば息子がガンになって治療や手術を受けることになったとしたら、
親はそのとき何をしてやれるって。何もできない、そんなとき、
やはり石切さんに通って、手を合わせる、そういう拠り所なんだって、
先日、新聞にも載ってましたよ」
と、おばあさん曰く。

「ほんと、そうでしょうね」
上っ面な返事ではなく、
わかる超分かる、家にも子供のころ生死にかかわる病人が居たから、この思考回路は身近に知っている、
という内心を込めつつ、寡黙に同調します。

病気、病魔の悩みならなんでも祓ってくれるのが石切神社らしい。
東京からはるばる来るなんて、身内に重篤な病気の人がいると思われたら、なんかすまない。
「この期間に限って宝物庫展をやっていて、それが目当てなのだ」
私は早々に打ち明けました。

「そんなん好きなん?」
「はい、わりと」

こっちのが近いからこっち通っていきましょう、と。
おばあさんは歩調がしっかりしていて、つかつか進む。
心臓が悪いから石切さんに毎日通っているそうで、毎日、一時間半、歩いているそうです。
「……毎日、一時間半……!」
オウム返し。そうだよ今日は休日なのに、休日もだ、凄い。
「はちじゅうしぃやで、わたし」
「え、お……若く見えますね!」
最近のお年寄りは、見た目が若いというのは知っていたので、
こう見えて、77、78くらいでいらっしゃるかなあ、と思っていたけど、
84には全然見えませんでした。

孫が東京にいるけど東京にはめったに行かんわねえ、
そうなんですね~

などと、のんきにおしゃべりしつつ、上り坂を10分かそこら、
(気分的には上り坂なんで、15分くらいかかった気もする)
のぼっていくと、神社が左手に!

石切劔箭神社
http://www.ishikiri.or.jp/

それまで閑散としていたのに、神社に来たら、俄然、人が。
賑わっている。
ぎゅうぎゅうではないが、なかなか混んでいました。
お賽銭を入れるまでに、2、3列は待つ感じ。
ぎっしりとした行列になっているわけではなく、まばらな、ふんわりとした列なので、
皆、ゆるい人垣をかいくぐりお賽銭を入れて、てんでに手を合わせる感じ。
頃良い盛況ぶり。
休日だから、普段より人の出があるらしい。

そういえば、おばあさんは、うんと手前の鳥居をくぐる時点でも小さく一揖(いちゆう)してましたね。
何気なく普通に通っちゃったわたしは、おっと……と立ち止まり、そういった小さなチグハグを経て、
手を清めて、そのあとお賽銭を入れて、
二拝、二柏手、一拝礼で合掌……と、
おばあさんの見よう見真似でわたしも手を合わせていると、
せっかくきたんだから、どうせなら鈴も鳴らしたら、と促される。
ガランがらんがらん、と太い縄に自分が振り回されるようにして鈴を鳴らして、
なむなむ……じゃなかった、祓えたまえ、きよめたまえ……。

おばあさんが宝物庫展の場所を尋ねてくれ、(完璧に孫状態。助かりました)
おばあさんと一緒に宝物庫展を見ることに。
拝観料はなんと無料で、
ちょっとした別区画への閾(しきい)を超える感じで、
たしか一度階段を上がり、
それから半地下……? 程度まで階段を下りていきました。

~つづく


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