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殺人の質と量 [さ行]

アイルランドは正しいと思えることを毅然として言ってのける立派な国なのだった。


https://twitter.com/i/status/1747616414603854071

1分10秒の動画の中で、Butcher Bidenと2度呼んでいる。アイルランド、強い。

イギリスと長きにわたって紛争をしてきたからこそなのだろうし、そこから歩み寄って英国と折り合いをつけて和平路線で友好関係を築きだした歴史も、そもそもすごいわけなんだけれど、ハリウッド映画では政治的背景を排除したアイルランド人描写というと、桁外れに貧乏、あるいは飲んだくれが圧倒的に多いという……。

けれど、いざという場面では、弾圧と飢饉を乗り越えてきた根性が、長いもの(大国アメリカ)に巻かれて迎合しようぜなんて日和見主義ではないってところを、ガツンと現在進行形で見せつけるんですね。見上げた奴だ……。

アイルランドというと、ともかく悲惨で不遇な目に遭ってきた歴史的イメージがつきまとうが、唯一アイルランドのわかりやすいラッキーポイントがあるとするなら、第二次大戦を経験せずにしのげた点(中立の立場を取って参戦しなかった)、これはアイルランドの体力──人材とか資源とかもろもろの温存にすこぶる貢献したよなあ……と思ったりします。

それにしてもアメリカのバイデン大統領をこう呼べる西側の国って、本当にアイルランド、年季が違うというか、バイデン大統領はルーツがアイルランドにあるらしく、だからこそ「我々アイルランド人をお前と一緒にされては迷惑。その口で二度とアイルランドの名を出すな」と明言しているのが痛烈。

なおこちらの翻訳のかたはButcher Bidenを上の動画のように訳されているわけですが、本来、人殺しはmurderer とかkillerなわけで、そんな生易しい程度の人殺しではないのが、原文の英語では、より伝わってきますし、それでも訳者の方がこのように訳したのもまたわかります。
おそらく……(というか十中八九、間違いなく)直訳すると、日本では職業差別的な表現として引っかかる。

英語圏は日本のような穢れの文化の背景がほぼないので、「Butcher」の意味合いは、
殺す相手を人間とも思っていない、相手を家畜のように殺す奴──
というニュアンス。
家畜を殺すのなんて生きていくうえで当然で、そんな日常的に人殺しをする、人殺しのカジュアルさを強調しているというか。家畜を解体すること自体は別に問題ない(日本だって養殖マグロの解体に差別的な意味合いは皆無だし、むしろマグロの解体ショーを見に行っちゃうくらいでしょ)、その仕事内容自体に残虐性や穢れのイメージはつきまとってはないと思ってよいかと。

かつて「コンチェルト・ダスト」の原稿段階で、私は「屠〇場」と表現したことが有るんですが(屋敷内は〇殺場と化してきていた)、校正の時にその表現を改めるように指摘され、なるほど変えなくてはいけない日本における根強い「固定観念」もわかったので、
「屋敷内は一斉駆除の土壇場と化してきた」
と、書き換えた覚えがあります。

Butcher……並の殺しには使わない。殺人の質や量のはなはだしさ、むごたらしさを強調する痛烈な表現なので、「惨殺者」「殺戮者」「冷血大量殺人の主犯」といったニュアンスですよね……。

英語でのオリジナルの動画はこちら↓
https://twitter.com/ClareDalyMEP/status/1747323130060697682
発言者は欧州議会のメンバーClare Daly(アイルランド・ダブリン出身)です。

白い鳩と黒い大鴉 [さ行]

私の場合、BUCK-TICKは、ど真ん中ではなくて掠っている程度なのですが(友人にBUCK-TICKファンが居ますし、また群馬県人のいとこが居るため、きっかけがアニメの主題歌だった自分はファンというには未熟すぎるのを自覚している……)それでもやはり今回の訃報は「噓でしょ?」以外の言葉がしばらく出なくって。

私が知っている中で、櫻井さんの出ている一等好きな動画というと、多分これです。→https://www.youtube.com/watch?v=vRq0NLAWNHM
公式にアップされた動画ではない。
そもそも単独アーティストではなく、バンドマン同士のセッション(というのであってるのかな)だし、すごく良い動画なのだがシェアしていい物かは微妙。
でもこれすごく良いよね……みんなも好きでしょ……と、モヤモヤしていた。

そんなときに西川貴教(敬称略)が「権利の問題で絶対だめだろうけど今日ばかりはYouTubeのこの動画、本当にありがとう」といった旨の発言をSNSでしているのを、発見。

ですので、訃報という特殊な環境下でのある種の超法規的な措置として、今だけこちらをシェアしたいです。


https://youtu.be/vRq0NLAWNHM?si=EPj-rDt0cP3PvQZr
Abingdon Boys School e Sakurai Atsushi - Dress

歌い出しはBUCK-TICKの「ドレス」を西川貴教(敬称略)が。
そこに櫻井敦司(敬称略)が登場。
初めてこの動画を視聴したとき、まさか櫻井さんが出てくるとは露とも期待しておらず、出てきた姿を見た瞬間に「魔王じゃん」

その後、櫻井さんが、あっちゃんなどの愛称のほかに、魔王とも呼ばれていることを私は知ったのでした。いやほんと、この存在感と風格は、まさに魔王よね……。

櫻井さん登場と同時に、潮のようにライヴ特有の、ワあああとため息まじりの歓声がわき上がってくるのも、なんか良いです。

光属性の西川貴教(敬称略)のステージに、闇属性の魔王櫻井さんが良い対比。
白い鳩と、黒い大鴉が、双方異様に良い声で戯れあっているかんじ。
歌の世界観も素敵だし、声のバランスも双方よくあっていて、大好きです。

BUCK-TICKの歌詞の世界観について私は語れるほど詳しくないかもしれないけれど──もう抜け出せないけどそれでいいみたいな独特の閉塞感とか、愛への挫折感とか、堕ちていく陶酔感とかが、白眉です。

知らなかった「タスキギー梅毒実験」 [さ行]

私は四年制大学と大学院修士(中退)と米国留学していたし、語学留学を含めれば、まあまあ長く向こうに住んでいたので、日本で暮らし続けていた場合よりはアメリカのこの手の暗部は知っているつもりだったが、この「タスキギー梅毒事件」については、今まで全く知らなかった。かけらも。

1997年5月にクリントン大統領が正式に謝罪しているとのことで、その頃、私はまさに大学留学中だったが、今の今まで知らなかった。私はテレビニュースはよく見ていたけれど、5月から夏季休暇になり、夏季休暇中は日本に帰っていたから、見ていなかったのかもしれない。そのニュースをたまたま見ていなければ、周囲にアフリカ系アメリカ人が居ない環境でもあったし、結局、知らないまま来てしまったわけで、テレビニュースを見ていなくてもネット上のニュースで触れられる、なんていう時代では、まだまだ無かった。

当時ネット上で得られる情報は今のようにきちんとしたものや、公式見解的なものは無かった(断言できる)。「信用していいか怪しい点もあるだろうけど、大筋はさらえる」レベルのものすら、存在していなかった。ウィキペディアもYoutubeも存在していない。

「Amazonで入手できる教科書はAmazonで入手してもかまわない」と大学院のクラスで教授が言ったときに、本気でアマゾン熱帯雨林のことだと思ったのが、思い出されます。
……何、言ってんの? なぜに熱帯雨林の話になってんだ。ジョーク? ……にしては超真顔でやり取りしてるし、私はどこでなにを聞き逃した、だめだ全然わかんない。

ある院生が、「同じ教本を大学の書店でなくて、アマゾンで入手してもかまわないか」と尋ね、それについて教授が答えたわけで、私は完全に置いてけぼりになり、だんだんと、
(あ……これ熱帯雨林の話じゃないわ……なんかの固有名詞だ)
うすらぼんやり理解して、帰宅してからネットで調べた時には衝撃的だった。

そんなで知らないまま来てしまった「タスキギー梅毒実験」
ざっくり言うと、アメリカ公衆衛生局が主導し1932年から1972年まで実施された梅毒の臨床研究で、梅毒を治療しなかった場合の症状の進行を、長期にわたり観察する目的で、1947年には、すでにペニシリン投与が梅毒の標準医療になっていたにもかかわらず、被験者を騙し続けた。一切の治療アクセスから情報隔離し、多くの犠牲者を40年にわたって出し続け、内部告発でようやく終わりを迎えた。ナチスの人体実験も真っ青なレベルの「アメリカ合衆国の歴史上、最も忌まわしい生体治療の研究実験」である。

あと、この人体実験に潜んでいる忌まわしさの一つに、善意の振り、があると思う。
アフリカ系人種は遺伝的に鎌状赤血球症に罹患しやすく……というか、生まれつき鎌状貧血を患っている人が多い(と大学の生物の授業で私は習った)。だからこの病気をなんとかしたい、と切実に願っている人が沢山いたわけですよね。その「病を治したい」という足下につけこみ「悪い血液」を治すための研究だ、と被験者に説明していた点が、極悪非道だと思う。

アメリカにもこういう側面が、ということは頭のどこかで、ちょっとでも意識しておいたほうが良いように思ったので、シェアしておきます。どうせあるだろうな……というのは映画『ナイロビの蜂』とかを見て、うっすら感じてはいたけれど、実際に歴史的にあったのか。被爆者の実情を徹底的に伏せたりした史実があるわけだが、戦争絡みでもないのに、自国民に対しても、かなり最近までやってたのか。


米国の黒い歴史 ワクチン不信生んだ人体実験 #リアルアメリカ(2021年10月22日)
https://youtu.be/Zw4SNIXWucU

すぶり前振り準備運動 [さ行]

Hydeが京都の平安神宮にて7月31・8月1日という2日限定でスペシャルライヴをした。
20th Orchestra Concert 2021 HYDE HEIANJINGU

東京は新型コロナ感染拡大地域ですし、京都まで都府県をまたいで行けないので、当然私はライヴ配信組です。

とはいえ仮に平時であっても座席数が少ないのでチケット争奪戦を切り抜けられたかはわからない……。新型コロナのせいで行けなかったと思っているが、平時でもチケットが取れずにやむなくライヴ配信組だった可能性はある。

映画館でのライヴヴューイングもあったが、その手の音響の良い映画館というのは街中にあるので、私は今回必然的にライヴ配信を選んだ。

開演30分前から、モニターでっかいデスクトップPCに、外付けのステレオスピーカーをつなぎ(日常はわざわざつないでいない)正座待機です。ライヴ配信チケット発券コードの入力が、スマフォデフォルト仕様となっているらしくて、一瞬、戸惑うも無事開通。

そのコンサート内容が本当に想像以上に両日とんでもなく良くって……
すみからすみまで好きな奴で……
ライヴ配信が終了してから、しばらく喪失感にやられましてね……。

何をやっても幾日もまともに手がつかないくらい気持ちを持っていかれるなんて。
うんと子供の時、家に録画機がない時分に、夢中になっていたアニメやドラマが終わっちゃったときとか、友人に貸してもらった漫画(はいからさんが通るとか、ポーの一族とか)を返して、自分でも欲しいのに当時は絶版で、入手不可。愕然となった折ぶりくらいの話ではなかったろうか。思い出せるかぎりにおいて。

今はほら、見逃し配信とかも普通にあるし、映画もすぐ円盤になるし。たとえば夕立の後にすごい虹を見つけても、いつでも何某のカメラ機能を携帯しているから、写真も気軽に撮って残せる。もう二度とこの感動は味わえないかも……と現在進行形ですりぬけていく喪失感を滅多に覚えることがなくなった。

Hydeがわざわざ平安神宮で、ソロ活動20周年記念コンサートを、クラシックオーケストラを引っ提げてやるのだ、そりゃ普通のライヴをやるとは思っていなかったですよ。
いつもの、こじゃれたカジュアルな着こなしでサラっと登場するレベルなんかではない、と分かってはいたよ。
予想外ではなく、予想を超えてみっちりと好きだった。
平安神宮というセッティングを最高に活かしたステージで、かといいガッチガチに作りこんでいる感じではなくて、平安神宮の舞台に不思議となじむ世界観のバランス感覚が絶妙だった。
舞台背景に溶けこみながらも際立って、没入感へと誘う選曲や衣装やアレンジはもちろんのこと、篝り火とか、プロジェクションマッピングとか、もういろいろ。声の調子は言うまでもない。

こういう時、ブログに感想をアップすることはせず、胸の中にしまっておくべきや……この感想はあくまで私の感想で、誰かと共有する類のものではないのやも……といったん迷う。
Hydeやラルクやライヴに興味がある人ならば、他人の感想などにもはや興味はなかろう、自分の感想を大事にするだろうと。
またそもそもHydeやラルクやライヴに興味のない人なら、この内容にも興味がないわけだ。
Hydeやライヴに興味のない人が読んで、偏った印象を持っても難儀だし。良く知りもしない印象だけで仮に茶化してきたりでもしようもんなら、私もイラっとせずにいられるか自信がない……。
(Hydeやライヴに限らず何事であっても軽率に茶化されるのは、そもそも私は良しとしない。相手を軽蔑すらしちゃうんだが……)

そのいっぽうで、ちょい面倒でも書いておこうと書いておいて、後で読み返すと、そうだそうだそんなことがあったと自分が二度三度とおいしく楽しめるのも事実。後々の自分のために、ようやく何も手につかない状態から脱しつつあるのだが、さらってみようと思う。
近日中に。できるかな。

まずは初日7月31日のセットリスト

1.UNEXPECTED
2.WHITE SONG
3.THE ABYSS(未発表曲)
4.NEW DAYS DAWN
5.ZIPANG
6.NOSTALGIC(6月25日リリースの新曲)
7.RED SWAN
8.SECRET LETTER
9.MY FIRST LAST

全9曲。少なめです。
ちなみ2日目は全15曲。
その差の理由は、土曜当日を襲ったゲリラ雷雨でした。


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「進撃の巨人」最終巻の感想(ネタバレあり) [さ行]

『進撃の巨人』最終巻(34)、読み終わりました。

……Huh?(怒)

みたいな気持ちになっている部分もあるにはあるんですが、これ以上読み進めていくのが正直かなりしんどかったので、終わらせてくれてよかったです。
あちこちで腑に落ちぬ部分もあるし、納得できぬ部分も少なくない。
それでもここまで読んできてよかった、途中で読むのをやめなくてよかった……と思える終わり方でした。

30巻くらいからか、私は、はっきり言ってもはや面白くもなければ、さしたる感動もない傍観者の諦念に至ってきていて、
どんな結末であれ、ここまで来たからにはついていくよ……もうどの登場人物の死も見取る覚悟はある程度できているから……と。
最後まで読まねばなるまいという義務的な感覚になっていた。

とか言いつつも、33巻のハンジさんの活躍と退場の場面には、積年の思い出が去来し、一瞬、泣きそうになったんですが……。

最終巻・34巻は怒涛の展開の地獄絵図……というか、これはかなり「風の谷のナウシカ(とくにアニメ映画版)」リスペクトで下敷きにしているんだね……?
という印象が、読み進めていくうちの8割を占めていました。

──進撃の「地ならし」って、ようはナウシカの王蟲の大群、そのまんまじゃん……。
王蟲は山津波の擬蟲化とも思えるいっぽうで、進撃の「地ならし」は火砕流っぽいイメージも加味されてはいる……。地ならしをする巨人は近づくと猛烈な高温で発火する。
進撃の飛行艇は、その役割がもうナウシカのガンシップ。
進撃の「空を飛べる巨人アニ」は、ナウシカでのメーヴェの役割そのまんまだし……。

ナウシカの巨神兵は、進撃でいう「九つの巨人兵」か──しかしナウシカの巨神兵はこの世で最も邪悪な力を持ちつつも、トルメキア軍の傀儡だけれど、進撃の「九つの巨人」は、おのおのが意識も知性も、人間性も個性も持ち合わせてはいる。
厄介なわけだ……。

「進撃の巨人」のエレンの最終決断は、「鋼の錬金術師」のエドが真理の扉との問答および等価交換の駆け引きをするさまに似てもいた。
しかしハガレンのエドは、扉の向こう側に囚われた弟のアルの肉体を、こちら側の世界に連れて帰ってくるのに成功した。いっぽうエレンは、始祖のユミルと語り合った結果、ユミル側にシンクロしちゃってあちら側に取り込まれちゃったんだな……という印象でした。
アルミンやミカサが戸を叩き、エレンも応答したけれど、エレンはついぞこっち側に帰ってくることはなかったんだ、と。

物理的な壁に何重にも囲まれたヨーロッパの小さな町から物語が始まって、その破壊と再建の震源地である「壁」の存在が、エレンが初めて海を見て、父親に託された地下室の秘密にたどり着いたあたりからか。地球上にある現存の「嘆きの壁」とオーバーラップするような様相を見せはじめ、パレスチナ問題(&ナチスのユダヤ人迫害)を露骨に想起させる展開となっていったところで、「テーマのすり替えが起こっている気がする……物語の舵を嫌な方向に切りだした気がする」という感覚がありました。私には。

その懸念(私にとっては懸念だけれど、ほかの読者にとっては深いテーマと思える点かもしれない)が、どんどん強まっていって、社会情勢チックで普遍的な「現実社会において世界平和をどう実現していくか」という闘争を描いていくストーリーに、物語の争点が移っていったように思う。

当初は、どれほど苛酷な世界であれ、自由を求めて外に飛び出そうとする話のはずだったが……。

私としては「進撃の巨人」独自の物語性──巨人は植物と脊椎動物との掛け合わせによって出来たと思えるんだが、それであってますよね? だとしたらどうやってそれを人工的に?
という謎の仕組みをもう少し掘り下げて、種明かししてほしかった。
観念的には解き明かされているが、私がこの物語に求めていたのは、ここまで観念寄りの世界じゃなかったので……。

結局、いろんな風呂敷をこれでもかというほど、あちこちで広げきり、「平和は大事だよ」ということを、陳腐とわかっていても言葉を尽くして、今更ながら声高に言った挙句に、あちこちで広げた風呂敷をいちいち畳むことは一切せず、全部燃やして片を付けたんだね。
と、全体的にそんな印象。

途中、パレスチナ問題を匂わせなんてレベルじゃなく眼前に提示したけれども、結局は、エレンとミカサとアルミンの幼馴染3人組の決断に、物語が帰結した。
それはとても良かったと思っているが、じゃあ進撃パレスチナ問題はなんだったの?

……と、そこはオスカーワイルドの『サロメ』の一幕を思いっきりオマージュした、ミカサがエレンの首を抱いてキスするシーンでお茶を濁した、という点ばかりはさすがに非常に鼻についた。

サロメはもともと歴史上の人物で、聖書に登場する、ユダヤの王の義理の娘ですよね。
王が、サロメの母親の再婚相手にあたります。
つまりサロメはユダヤ王の血のつながらない姫。
ユダヤ王の姫サロメは洗礼者ヨハネの斬首を求め、求めたものを得る。
その歴史的なエピソードをオスカー・ワイルドが退廃的に脚色したのが「サロメ」
「サロメ」において、姫サロメは、父王がとらえた囚人・洗礼者ヨハネに恋をしているが、ヨハネが姫を突っぱねるので、その唇にキスをしたいからヨハネの首を斬って自分にくれ、と王にいうわけです。そのさまをビアズリーが装画にしたのが超有名。
で、進撃最終巻のミカサとエレンの見開きのシーンは、もろそのビアズリーの装画の進撃版にすぎなかった。

洗礼者ヨハネは、キリストに洗礼を授けたから洗礼者ヨハネなわけですが、預言者でもある。ユダヤのヘロデ王に殺されたのもなんだかんだ色々理由はあるが、預言者だったから殺されたというのも大きいと思う。

エレンも未来の殺戮の記憶を見た、ある種の預言者。
エレンはその殺戮の記憶のままに、自らも殺戮をする選択をするんですけど……。

その宗教や信仰について本質的に理解の及んでいない人が、これ見よがしに目に付くモチーフだけあしらって「わかってる感」を出して描いて、読者を納得させようとしている、
という風に映り……違うかもしれないけれども、モチーフとしての使い方があまりにも露骨なあまりそう映り、一気に猛烈に興が冷めた。
本当は「わかってる感」ではなく、心底わかっていらっしゃるのかもしれない。
だったらこのモチーフの使い方は陳腐でチープで付焼刃感しか出ないのでは……?
肝心かなめの物語の着地シーンであるド迫力の見開きが、ド級のオマージュシーンというのは一体なに。
そういう漫画だった……?

ジークの血縁であり(考えようによってはエレン自身も遠い縁戚にあたる)調査兵団の仲間でもあったクリスタ・レンズことヒストリア・レイスが国のために犠牲になるのを救うために、エレンは幼馴染3人組の信頼関係を危うくしてまで、「地ならし」に踏み切った部分も多々ある。なのに、当のヒストリアが、エレンの最終決断──エレンが破壊の限りを尽くした後で、アルミンとミカサに、エレン自身の身の振り方すべてを委ねた──という点について、個人的にどう受け止めたのか。全くわからない。描かれていなすぎる。
いくらなんでも、そりゃないだろ……。

謎はいくつか残っていたほうが物語としての余韻があるし、語りつくさぬ想像の余地をあえて残す物語は、私も大好き。
だが、そういうレベルじゃない、あれやこれやらが放置されたまま、
え、もうエピローグ……?

それでも「ここまで読んできてよかった」と思えるのは、リヴァイ兵長がジークの首を取れたことです。
幾度となくジークにとどめを刺せる機会を得ながらも、様々な事情から寸止めの憂き目にあっていた兵長が、ついに目的を果たしたときには、当初の「エルヴィンとの約束をたがえぬ」という目的とはいささか様相が異なっている部分もあって、それも含めて、とても良かった。

ジークもね、初めて猿の巨人として出てきたときには心底、不気味で、ミケさんやナナバさんを殺したときは本当に憎かった。ナナバさんは直接的に殺してはいないが、あのとき指揮を執っていたのはジーク。
ジーク特有の自虐的なオヤジギャグっぽい変なしゃべりが、
……これ……敵とか味方とか関係なく、寡黙な兵長と性格的にもとことん正反対、反りが合うはずないんだな……
という謎の説得力で。

みんなを死なせたくないし、なんとしてもジークだけは自分の手で決着をつけねばならないと苦渋の決断をしている兵長と、みんな死ねばいいし自分も例外ではなく死ねばいいし、なんならみんな道連れにしてやろうと思っているジークとの因縁が終始、味わい深かった。
この点は作中で過不足なく描かれ、ちゃんと片を付けてくれて、満足でした。

兵長は文字通りに満身創痍で、体のあちこちに不具合を抱えていても、いつまでもリヴァイ兵長のまま……というか悲壮感が増して全盛期よりもっと格好よくなっていったように私には映った。

それにしてもさ……エルヴィン団長と、ハンジさん、どちらも熱い感情がありながらも、感情と理性が拮抗したら、必ず理性的な選択をできるタイプの二人が途中退場したのは、本当に痛かったね……。
おかげで最終巻の34巻なんて、9割がカオスだもの……。

ウォールマリア奪還作戦で、エルヴィン団長とアルミンのどちらを生かすかという究極の局面において、私はアルミンが大好きなこともあり、アルミンを選ぶのは当然だと思った。
アルミンは未熟だがアルミンの代わりになれる者は居ないんだよ!
未来のためにもアルミンだよ、エルヴィンのわけないだろ!

それでもその後の展開はエルヴィン団長の不在がかなりこたえ、
ああ、エルヴィンが居たら、ここまでの投げやり展開とカオス具合には至るまいに、今エルヴィンの統率力があれば……
と、随所で思い知りました。

まあエルヴィンが健在だったら、リヴァイがここまでジークの首を取ることに執念を燃やす必要もなくなるかもしれないですけど……。

ときどき砂も混じっている、かなり刺激的なスパイスのきいた料理を搔っ込んだ、という感じの34巻でした。

ごちそうさまでした。


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ゾエトロープ:回転覗き絵 [さ行]

パラパラ漫画の万華鏡みたいな──と思っていたものに名前があった。
ゾエトロープ
と呼ぶんですね。いま知った。

三鷹のジブリ美術館に、大型のこの手のやつがあったと記憶している。
いっぽう、こちらは海外のファンが作ったもののよう。



私はストップモーションアニメとか、こういうのとか大好きです。
たぶん私と同様に多くの人がこの手の作品に愛着を持っている。
もっと見たいと思っている……。
製作時間が掛かりすぎるせいか、映像化されるストップモーションアニメとかゾエトロープは概して短編なので、今の時代のニーズにむしろマッチする気がしますよね。
CGが日常的になっている昨今においてはノスタルジックだし、ロマンチックですらあります。吸い込まれるように見入る。

主題歌マッチング [さ行]

自宅兼作業場において、ノートパソコン2台体制なのが私の通常モードであったはずなのが、
うち1台のヒンジ部分が壊れたまま、1台だけでもまあなんとか……と。
最近は不便を感じつつも、放置していた。

このほど、そのヒンジが壊れた1台を、一体型デスクトップPCに買い替えた。
ようやくノートPCと、一体型デスクトップPCの二台体制に。
(バックアップPCがないと不安ですし、
ノートPCのメンブレンキーボードは打ちずらくて使い物にならないので、
結局キーボードを別途用意するスペースを考えると、
一体型デスクトップのほうが場所をとらず画面もでかく、ギガバイトも概して豊富で、
冷却台やヒートシンクに気を配る必要が無い……。)
1台を和座卓に、1台を洋デスクに設置している。

要塞のようなマルチディスプレイには憧れもするが、絶対無理。
マルチディスプレイを使いこなす人って、画面酔いとかしないんだろうな……。
私は楽しみにして挑んだ3Dゲームであっても、よくて30分程度で悪寒がして寝込むレベルなのだ。
続けられたためしがない……。タブレット端末ですらも使い方によっては酔う。ゲームなどしなくとも。

考えてみれば、「刀剣乱舞」のゲームを続けられるのは
(あと「グラブル」や、「文豪とアルケミスト」などもそうだが)
動く紙芝居スタイルの二次元絵で、まったく酔わないからも大きいのだな、と。
だからこそ長丁場にわたって、やっていられるのだ。
最近のゲーム性が高い作品は3D展開がデフォルトだから、頭痛・眩暈・吐き気に襲われて、
身体的にやれないんですよ……。
(BloodborneもNieR:AutomataもIdentityVも途中で断念した。)
画面上で動くボードゲームくらいの作品が、長きにわたって楽しめるんだ私は……。

刀剣乱舞やグラブルや文豪~が、いろんな層に浸透したのは、
この辺のテクニカルな部分にも理由があるのだろう、と改めて気づいたりしています。

で、古いPCからデータを移し、整理をしている。
忘れかけていたミュージックデータなどがごろごろ出てくる。
ダウンロード購入した作品って、物がないので存在を忘れがちで、
ちょっと新鮮な心地で聞き直したりしています。
忘れていたへそくりが出てきた気分って、こんな感じ?

今となってはYoutubeでアーティスト当人が公開しているよ……という曲も少なくない。
懐かしむほど昔ではないけれども、懐かしめです。


https://youtu.be/UnfeeRnGjQA
Kalafina 『光の旋律』

2010年の曲だから10年前になるのか……。
この頃のKalafinaはまだPVがちょっと野暮ったい気もしますね。

この曲は「ソラノオト」というアニメの主題歌で、
私は深夜にたまたまつけたときに出くわして、なんとなく見ていた。
私が求めていた内容ではなかったので、物語自体は驚くほど覚えていない……。
ただ絵が可愛く、景色がきれいで、主題歌が好きだった。


ソ・ラ・ノ・ヲ・ト OP-EP01 Ver.

この1話OPを今Youtubeで改めて見てみると、
ノーベル文学賞作家・スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの主著「戦争は女の顔をしていない」の漫画化作品「戦争は女の顔をしていない」(←コミックウォーカーのサイトで1,2話と最新話を読める)を、
こんな感じでアニメ化したら、合いそうだなあ、と思う。

「戦争は女の顔をしていない」の漫画は、苛酷なエピソードも絵柄のせいか、
それともやはりいずれも、さまざま娘たちの体験談を集めているせいか、
いつまでも、どこまでいっても乙女心ならではのひたむきさを忘れないリアルな「美談」なので、
「ソラノオト」みたいなテイストで、できればKalafinaの音楽で、
京都アニメーションの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」くらいのクォリティの高い作画で、
アニメ化してくれたら、しっくりきそう。見てみたいなあ……と。

(なにしろ、そもそも第二次大戦はソヴィエトにとっては勝ち戦で、
ドイツとの本土決戦といっても圧倒的な国土の広さだから、
後方支援はキャンプ活動がメインで、それほど追い詰められていない。
本土決戦の意味合いが日本と全然ちがうのだ……。
日本なんてまともな本土決戦に至ってないのに、あのみじめさ、惨たらしさだってのに。
だから看護兵などの兵隊として参戦しても、実話である作中の彼女らはみんな金髪のおさげ姿で、
散切りとか丸坊主にして男のなりをしないと敵味方の見境いなく犯されるとか、
敵が来たらこの手榴弾の信管を抜いて自害しろ、という命令を下されているでもない。
限界ぎりぎりの毎日でも、可憐な乙女心を保つだけの人間性は失わずにいられた、
「国家の威信を守るために戦った若い娘たちのノスタルジックな体験談の集積」
という色合いが思いのほか濃い世界なので。)

Kalafinaは2019年3月に解散してしまったので無理だとするならば、
Aimerか、やなぎなぎの曲あたり……。

そのAimerが歌った『残響のテロル』のed曲「誰か、海を」も、
もう今となってはYoutubeのAimerオフィシャルチャンネルが公開しているんですよ。まじですか。
6年前の曲だって……。

https://youtu.be/uNlQRyG0th8
Aimer 『誰か、海を。』MUSIC VIDEO(FULL ver.)

やなぎなぎが歌った『ヨルムンガンド』のed曲「Ambivalentidea」も
Youtubeのオフィシャルチャンネルが公開している……。2013年リリース。

https://youtu.be/3JEfvBkRvac
Ambivalentidea
こちら曲のみですね。フルVer。

こちらは同曲の90秒PV。→https://youtu.be/oco6Izf5bWc
【やなぎなぎ】「Ambivalentidea」PV_90sec

アニメ『ヨルムンガンド』の内容の面白さは別として、
私の推しはアール(cv小西克幸)と、キャスパー(cv松風雅也)だったから、
主人公のヨナ(cv田村睦心)も無条件で応援していたが、
アールが作中で登場しなくなってから、テンションがガタ落ちだったのを思い出しもした。


共通テーマ:アニメ

サイドバー更新 [さ行]

当ブログやHPも、開設当初から長らくお世話になっていた『忍者ツールズ』が、
このほどメールフォーム(メッセージ送信機能)等も含め、
けっこうな量のサービス提供を6月1日付で終了した。

当時の告知
→『忍者カウンター』等8サービス提供終了のご案内
https://www.ninja.co.jp/information/all_category/topic/12696/

2020年2月末時点で周知されていたので、
私はちまちま代用サービスを探して準備してはいたのです。

当ブログの右サイドバーに設置されている、
中里友香新刊情報へのメアド登録につきましては、
忍者ツールズからformrunというサービスを利用することにしました。
(最近では一年に一度、連絡がいけば良いほうかも……という頻度になっております。)

また一昨日までは中里友香公式HPのContactsページから、
メッセージを送れる仕様になっておりましたが、
現在、中里友香公式HPのContactsページからは、メッセージ送信機能が失われています。

こちらメッセージ送信機能は、
忍者ツールズからJIMDOというサービスを利用することにし、
こちらもひとまず当ブログの右サイドバーに設置しました。

というのも、これが……。
個人ホームページ黎明期に、しこしこホームページをこしらえていたときは、
ノートやメモ機能のテキストでHTMLのコードをちまちまと打ちこんで、
FFFTPを使ってファイルをネット上に転送していたんです……。

いつしか世の中がHTMLの進化系、CSSコードを使うようになり、
これが私にはよくわからんのよ……となって。
せめても、と私自身、Homepage Builderをインストールし、
もっぱらビルダーを用いてファイルをネット上に転送するようになっていた。

このたびWindows10で、ビルダーを開こうと思ったら、開けないんですよ……!
──まさか、これ使えないんじゃ……こんなにメモリの容量を食っているのにか?
(ちなみにわたしのHomepage BuilderはVer13です……。) 
ブログはさておき、長らくHPのほうは更新していなかったら、気付かなかった。

では、ためにしに……昔は使っていたのだからと。
FFFTPファイル転送のアプリをダウンロードして、使ってみんとした。
が、あーなんか見たことある……というだけで、もはや使い方を全く思い出せない。

古いPCにインストールされているWindows8なら、今あるビルダーを起動できるかもしれぬ。
しかし古いノートPCは、モニターのヒンジが壊れている。
テープで止めてブックエンドで支えて、
ものすごく痛々しい、
首の骨が折れている人を何とか起こしているみたいな状態で起動しないといけないぞ……。

それが無理ならもう一つ前の古いノートPC,
Windows Vistaがインストールされている奴なら、多分、確実に起動できる。
しかしあのノートPCはいざって時のために自分で手を入れ、
HDDをSSDに換装し、インテルコアのメモリも能力アップさせた、
その時にデータは全てまっさらになっている……。

根本的に自分のPC環境を改めつつ進めないと、
ビルダーを立ち上げ、任意のファイルを更新し、ネット上に転送、
ただこれだけのことができない状態になっております。
忍者ツールのメッセージ機能からJINBOのメッセージ機能に、リンクを張り替えるだけなのに!

今後は、当ブログの右サイドバーにメッセージ送信機能を常設しますので、
ホームページのContactsページからのアクセスについては、しばらくお待ちください。
いずれもまったく同じJIMBOのメッセージ送信機能を使う予定です。

HPのContactsページが正しく機能するようになってからも、
当ブログ右サイドバーにある「メッセージを送る」ボタンは常設します。
ボタンを押すと、本来ホームページのContactsページとしてリンクするページに行きます。

サンファン映画・西幽玹歌 [さ行]

『サンダーボルト・ファンタジー 西幽玹歌(セイユウゲンカ)』
EJアニメシアター新宿まで見に行きました。

全国でもかなり限られた映画館でしか放映されていないので、
前回の映画と同様、有料ネット配信待ちでもすっかなあ……と思っている人も多いかもしれない。

連休中に行ったんですが、がら空きでした。
面白いのに。周知されきれてない感。
まあ世の中、案外そんなものか。

今回は新宿でも公開されていることが知られていないのかもしれません。
この映画館、かつては角川シネマ新宿という小規模映画館だったところが、
最近、アニメ映画に特化してリノベーションされたらしい。
(サンファンはアニメではないが、実写とも言い切れまい。)

映画の内容については地上波テレビや無料ネット配信と違うので、
ネタバレせぬよう、ものすごく気を使わなければならないのが……苦手。
基本的にブログに書かないように決めている。

とりあえず、面白かったし楽しかったし、見どころが沢山あったとだけは書いておきたい。
具体的な内容については触れないぞ、いいな(自戒)。

伝統的な布袋劇といっても、
たとえば音楽は今風……というか、ガッツリ西川貴教(敬称略)と澤野弘之(敬称略)だし、
他にもキャラデザもろもろ、この新旧融合具合がたくみで、終始一貫、飽きさせないつくりになっています。

ハリウッド映画のアメコミ系アクションにも最近、かなり食傷気味……
かといいアニメやゲームの実写化2.5次元は、
常世の美形とか、人外的な美形とかを人間が演じてることに、
どうも違和感がぬぐいきれん──
という自分にとって、布袋人形活劇のリアル感と作り物の融合具合が、絶妙な塩梅でした。

布袋人形の造形がいちいち素敵で良いんですが、それは語りつくせない。
実際にTVシリーズや映画を見れば一目瞭然だし、
展示や写真で見るのも良いが、
やはりスクリーンで動いて話していたほうが圧倒的に魅力的に映る。
動かす人や、声で演じる中の人、撮影技術などの集結した結晶だからなんだろうなあ……。
まさに美しい傀儡に魂が宿るのを目の当たりにする感じです。

今回、舞台の大道具的なものもいちいち素敵で、
引きの構図は、雲とか崖とか、いずれもピクチャレスク。
その景色が、東洋の大陸的な壮大さで再現されていて、風や温度が伝わります。

実際の水や火、煙、砂塵、生花などを盛りこんで世界が作られている上に、
風がわかる衣装や帳のひらひらが空気を孕み、あるいはひるがえったりとリアルなので、
下手な実写化よりは、よほど豪華な世界観のつくりこみ。
ライヴ的でもある。

大人の辛口視点で劇中の造作ひとつひとつに目を奪われているうちに、
苦もなく作品の世界観に入っていけて、
物語が展開していき、
クライマックスの〇〇が覚醒するところなんて、
──ガシャン、かしゃーん、かん、カチン、カキーンッ!
となってからの、びゃーん♪ビゃーん♪ヴィゃーん♪──
に、
行っけぇ……!
いつのまに童心に帰っていた。
(未視聴組にわからないように書いているつもりだから、勘弁してほしい)。

それと、内容から少し外れるネタバレだから良いだろうか……
音楽とともにキャストなどが流れるエンディングが、二部構成になっており、
後半のエンディングはメイキング映像。
この短いメイキング映像だけでも見どころが満載で、胸熱です。
布袋人形でも実際に、
香港系活劇映画でおなじみのワイヤーアクションをさせているんだな……等々、
目新しくもあり、興味深かった。

なお、このEJアニメシアター新宿、
極小レベルの映画館で、スクリーンもけっして大きくはないが、
シートはゆったりと大きめ。
通路もゆったりめで、前列シートと膝との間が広めにとってあって窮屈ではない。
トイレも含め清潔で、映画館自体が新しいので、居心地も悪くないです。
ただしクレジットカードが使えず、現金決済のみなのは、ちょっと驚いた。


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サンファン展に行ってきた──Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀2の世界展 [さ行]

 L'Arc-en-Ciel LIVE 2018 L'ArChristmasの詳しい感想は必ずアップするつもりでいる。
 が、時系列を意識していると、順繰りに、滞りそうなので……。

12月に終わったばかりの『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀2
3期制作も決定して、ファンとして嬉しいかぎり。今からもう楽しみである。
その世界展に、友人と行ってきました。

年も明けたばかりの2019年1/6日曜@西武池袋本店・別館2階。

私が池袋に最後に訪れたのは、
第2回アガサ・クリスティー賞受賞作『カンパニュラの銀翼』を刊行して、
池袋ジュンク堂まで、早川書房の人に連れられて、サイン本を作りにいったときだ。

6年ぶりになるのか……。

以前、『萩尾望都原画展』に一緒にいった友人と、
このたび同じ池袋西武デパート別館に向かったのですが、
「ここに二人でくるのが久しぶりすぎる……」
あとで当該ブログで確認したら、2009年12月であった……。
5年とかくらい前、と言い合っていたんだけど……。

サンファン展、なにしろ開催期間が短くて、1/2~8まで。
年明け早々すぎるし、一週間足らずです。
もっとみっちりやればよいのに~。

スペース的には、さほど大規模って感じはしないですが、
中身的には大規模展示で、広告に偽りなし。
かなり密度が濃いし、充実しているしで、大満足。

ごく一部を除いて写真撮影が基本的にOKだったので、
来客者はみんなスマフォや、デジタル一眼レフなどを片手に、撮る撮る写真を撮りまくる。
もう布袋劇の人形の撮影会ですよ、ちょっとした。
もちろん私も携帯で撮りました。

みんな、器用に画面上のズームを駆使して撮るなかで、
私はおもに生ズーム
(自分自身が近づいたり遠ざかったり、中腰に屈んだりしてフレーム内におさめんと頑張る)。
でも恥ずかしがらずに果敢にいっぱい撮ってきたよ……。

照明が薄暗いのと、来場者を写真に入れないようにするのが結構、難儀で、
きちんと撮れているのは少なかった……。

目ぼしい人形を撮った写真のうち、まあまあ見られる写真で、ざっくりスライドを作った。
ほぼ経路順に並んでいます。

サンファン展2:スライド中里友香撮影)
全29枚です。

凜雪鴉(りんせつあ)は、とかく写真映りが良い。

1期から使い込んでいるせいか、それとも煙管を常に持っている設定のせいなのか、
手の指がかなり黒ずんでいた。
また、衣装の青い裾模様、写真では綺麗に見えるけれども、おもいのほか安っぽい素材。
ただ、とにかく後ろ姿から何から全身にみなぎっている美麗ぶりがすごい。
さすが掠風竊塵(りょうふうせつじん)だよ、ってな感じ。

凜雪鴉の一見優美な衣装に比べて、
浪巫謠(ろうふよう)の衣装の作りこみは本物。尋常でなく格が違う。
いちいち刺繍だしビーズだし……オートクチュールや伝統衣装も顔負けの美しさよ。
もと宮廷楽士の吟遊詩人だけあって、装いかたがプロだ……。
それとも宮廷内の信奉者からの貢物ででも、あっただろうか。
こりゃあ、浪巫謠が凜雪鴉を一目見るなり、
「あいつ偽物」
的な発言をかまして軽蔑するのも、無理はなかったのだね。

衣装がきれいと言えば、蠍瓔珞(カツエイラク)も相当、ファンシーでした。
指に毒を仕込んでいるだけあって、手元の作りこみも気合が入っている。

殤不患(ショウフカン)の装いやキャラが、あまりに浪巫謠と正反対で、
その対比ぶりが生で見るとわかりやすかった。
その殤不患の写真が無いのは、
どう加工しても来場者が映りこんでしまったからで、撮ってはきています(が載せられない)。
同様の理由で、蔑天骸(ベツテンガイ)もスライドに居ない。
……そう、2期のキャラをメイン展示ですが、1期のキャラの人形もありました。

刑亥(ケイガイ)が、生で見ると、想定していたより地味でおとなしいのが意外でした。
物語に登場すると、あの物腰、ライティングと、棘を含んだあでやかな声で、
うわぁ面倒くさい姐さんが出てきた、……という毒々しく派手な印象なのに。

作中では三下の雑魚って感じで次々に出てくる玄鬼宗(ゲンキシュウ)が、
実物を生で見ると、黒ずくめで格好良かった。

私の大好きな殺無生(せつむしょう)──
ストイックな殺し屋、律儀な悪党、高潔な一匹狼、まさしく剣鬼。
生まれたときから人の優しさに触れたことがないために、
凜雪鴉の甘言にホロッとほだされ、赤子の手をひねるように騙される、
映画版『Thunderbolt Fantasy 生死一劍』*が、実に哀れなのだったが──
別名・鳴鳳決殺(メイホウケッサツ)である彼の布袋人形は、作中や写真で見るよりも、
(髪の色がすんごい紫なんだ……)

あとで見直したら、
呆れるくらい殺無生と浪巫謠の写真が圧倒的に多かった。
ルックスの好みが大変にわかりやすい、わたし。
もちろんルックスだけでなく、キャラクターとして、声も役回りも性格も含めて、
殺無生も、浪巫謠も(おしゃべりな聆牙こみで)、相当好きです。

浪巫謠はみんな大好きらしく、
クリアファイルなどのグッズも、浪巫謠(&聆牙)だけ、一番に売り切れていた。


https://youtu.be/AImWnxx8IZQ
*Thunderbolt Fantasy 生死一劍 予告編

シングレアの副作用 [さ行]

バラ科の反撃」というブログで食物アレルギー等について書いた。
その追記で、アレルギーの薬をもらって来たし、これでもう大丈夫!
と、ノリノリで書いていた当時の自分が哀れで泣けてきますが、
その後、そのアレルギーを抑える薬で、なんかいろいろ副作用が出て(食欲不振と嘔気等)、
副作用とわかるまで不安ですし、大変でした。
(フルティーフォームというエアロゾルタイプの吸入剤と、
デザレックスという蕁麻疹の抗ヒスタミン薬でした。)

また、同ブログで、当時、私が信頼していた薬、
胃腸薬で言うならばビオフェルミンやラッグビーのレベルで、
子供から老人まで気軽に処方される、抗ロイコトリエンのシングレア、
人によっては内膜症などの症状にも応用して処方されることもある優秀な薬――。

数年、飲み続けていたこの「軽微なアレルギー薬」
「副作用も私には皆無」と断言していたほど、
メリットしかなかったシングレアの錠剤が、
毎朝の微熱と、抑うつ、倦怠感などの副作用をいきなりもたらすとは、
まったく思っていなかった。

副作用だ、と気付くまで、
微熱が続き、倦怠感がすごく、抑うつ(希死念慮)など出て、
しんどかったです。
複数の薬を服薬していたので、何がどう作用してるか、すぐにはわからないのです。
まずデザレックスを一週間でやめ、翌日にフルティーフォームもやめ、
異様な吐き気や食欲不振は治まった。

ただいつまでも微熱が続き、抑うつ症状は日々強まる……。
微熱といっても平熱より一度高いのが毎日2週間以上も続くと、
かなりこたえました。

急患で行った病院や、
かかりつけ医(フルティーフォームやデザレックスを処方したお医者とは、別です)などで私は、
「不安感が尋常でなく、死にたいくらい何もかもが怖いんです」
と打ちあけて、「薬の副作用かなと思うのですが……?」
と尋ねてはいたのだ。が、
「アナフィラキシーのような症状が出たあとは、強い不安に襲われるもので、怖かったですよね?」
「はい、とても」
「そのせいだと思いますよ」

確かに、不安のもとは私自身にあり、誰かの不安ではなく、私の不安。
しかし、その増幅具合が尋常でない。

私はわりと精神が憎たらしいレベルらしく、
「友香っていつ泣くの? 泣いたことあるの?」
と、留学中には友人やルームメイトに言われたりしたものだった。

映画やテレビやいろいろで感動してよく泣くけれど、
辛くて自分のために泣いたことがあるのかといえば、
「泣いて事態が上向くなら泣くけど、泣いたってどうにもならないし」

そんな私が、今回悪い意味での「カクテルパーティ効果」の徴候が出て、
身近な話題や、報道される事件や災害のニュースの悪い所だけに反応して、
脳内で、悪い事態の総集編MADみたいな感覚が増幅し、
いちいち突き刺さって、鑢のように精神を削ってくるんです。
怖くガタガタ震えてきて、見ていられない。

綱渡りでかろうじて歩いている感覚なのに、
そのときに、大丈夫だよ、心配いらないよと善意で励まされると、
それはそれでとっても有難くて、涙ぐむのだが……、
実際は綱渡りで、立っているのがやっとなのに、
それを大丈夫だなんて、無理なんだよ……もうやめたいんだ。

不安で泣きだすと、幾時間でも泣きつづけそうになり、
泣かないでこらえて暮らしているのが、やっと。ギリギリ状態に。
うずくまって投げ出したいが、自分の身体だし、
精神的にうずくまる方法も場所もわからなくて、
ただただ途方に暮れて、重いため息をつくんです。

今にして思うが、
うつ病の患者さんというのは、本当に毎日つらくて、本当に毎日戦っているんだ、と。
身をもって知りました。
私が副作用で抑うつ症状が出ていたのは、2週間ちょっとの期間でした。
夜には必ず薄らいでいた。
それでも本当に厳しくて、常に怯えていました。

あるときシングレアを飲み忘れ、
すると翌朝は微熱もおさまり、抑うつも薄れた。
その時点では気づかずに、就寝前にまたいつも通りに服薬したら、
翌朝には微熱、倦怠感、抑うつ症状。

ぬ?

ネットで調べましたら、
シングレアはごく稀に、微熱や抑うつの副作用が出るらしい。
抑うつの副作用については、私が飲み始めた数年前には確か記載されていなかった。
後日、改めて注意書きが加えられたらしいです。

即座にやめました。
すると毎朝の微熱から解放され、抑うつもなくなりました。
(なんだかんだ、三日間くらいはシングレアの副作用が残っていたが……。)

無論、いまでも不安感はあるけれど、
この不安感は確かに私の経験に根ざした、自分の不安に見合うサイズの不安感で、
いたずらに増幅してはいない。
時間をかけて休息をとったりするうちに、おそらくは慣れてくるんだろう。
あの常軌を逸した恐怖感とは別物かと。

かかりつけ医にも、かかりつけ薬局にも伝えました。
かかりつけ薬局の薬剤師の人が、
「稀にですが、シングレアは微熱や抑うつの副作用、出るようですね」
と教えてくれました。
やはりか……。
(こういう時に、私の医療記録をいちいちつけてくれる、
かかりつけ医とかかりつけ薬局は有難く、とても助かると感じました。)

シングレアって一日一回、就寝前の服薬です。
……だから就寝中に、不安と恐怖感で目が覚め、
毎朝熱が出て、倦怠感が尋常でなく、
夜、寝る前になると、薬が切れてきていたから、調子が良かったの……。

昨今「改良」として、一日一錠で薬の効き目を長くするむきがあります。
これって、良し悪しだなあと感じた。
(そういえばデザレックスも一日一回の服薬だった。)
1日3回飲む薬は面倒くさいけど、副作用に気づきやすいと思う。
なにより副作用が出たときに、薬が抜けるのも早いはず。

一日の効き目が長い薬というのは、副作用に気づきにくい。
副作用が出たとき、薬が抜けるのにも時間がかかる。

今は、フルタイドというステロイドの粉末吸入(朝晩)のみで、しのいでいます。
(又いざという万一の時のためのエピペン注射を処方され、常に携帯する。)

とくに鼻や咽喉や目などがぐじゅぐじゅするなどの症状が出ていなくとも、
恒常的にアレルギーの抗体レベルが上がっていると、
黒ひげ危機一髪のように、
ちょっとしたきっかけで、酷いアレルギー発作を起こしてもおかしくない状態になるらしい。
そうお医者さんに注意された。

かといい、うかつに薬を飲めないため、
アレルギーが起きないように、今はかなり慎重に生活しています。

たとえば私はこの時季、カモガヤ(花粉症)にアレルギーが強くあるのですが、
カモガヤの飛散距離はせいぜい数キロ。
杉花粉のように広大な距離ではないため、
概して、雨の日や深夜は、心配しないで行動できるのだったが。

この梅雨時期、通常ならばカモガヤの花粉を意識しないで暮らせたのに、
今年の梅雨は、まったくもって梅雨じゃない。
東京では、日の長い時節に、晴れていて、さらにはひどい強風。

ちょっと窓を開けたり、
エアコンをつけたりして、外気が室内に流れこむと、
空気清浄機のランプが真っ赤の警告色に変わる。
はっきりいって、うらめしい。

シングレアの副作用については経験談が少なくて、
またカモガヤの花粉症に関しては、スギ花粉などと比して、
世間的に重要視されていない、まず認知されていないので、
(通常は梅雨時期だし、飛散距離が短いから、あまり注意喚起が必要ないんだろう)
長い文面になるが、書いておこうと思いました。

誰かの参考になればと。


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想定内外 [さ行]

NHKスペシャル「被曝の森2018~見えてきた“汚染循環”~」*
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586019/index.html

2018年3月10日(土) 午前0時55分(50分)金曜深夜に地上波で再放送しますね。
オンディマンド*でも見られる(有料216円)。
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2018086459SA000/
(*上記リンク2件が切れていたので、張りかえました。2019/2/5)

もっと淡々と中身の濃い、科学番組に特化してほしい気もしたし、
より詳細に問題点に切りこんでほしい気もしたが。
福島第一原発周辺の森や宅地の野生動物・植物で、いったい何が起きているか?

『黒十字サナトリウム』の最終章あたりで私が書いていた状況が、
実際に日本の土壌で起きているという、
その汚染の実情の片鱗が、わかります。

『黒十字サナトリウム』を書いたときは、
こういう事態が日本で事実、起きるとは思っていなかった。
また『黒十字サナトリウム』の紙書籍は絶版中なので、
だからどうという訳でもないんだが。

時間や精神にちょっと余裕があるならば、
さらっと上辺をなぞる感じの報道番組ではあったものの、
それでもある程度の情報は入っていますので、未見で興味があるかたは見てもよいかも。

見られない人の為にざっくりと要約すると──
・セシウムは半減期が長く、地中にとどまる。

・硬い岩盤に吸着するため、水には溶けださず、湧水の汚染は低い。

・汚染されているのは水ではなくて、土。

・木々が汚染されているのも、森の土が汚染されているからである。
汚染された木々を間伐すれば、効果があるというのは誤りである。
間伐による除染効果は限りなく薄い。

・セシウムは、植物が成長に必要とするカリウムと似ているため、
植物の成長の過程でグングン吸収されていく。
そうして蓄積されたセシウムは、野生植物の花や実に凝縮されているとわかった。

・スズメバチは森林の樹皮を巣作りの材料とする。そのため巣の汚染度が尋常でない。
国の指定放射性廃棄物が、一キロ当たり8000ベクレルを基準にしているのに対して、
スズメバチの巣の汚染は桁違いであり、一キロあたり110000ベクレル(平均値)。

・小鳥は、放射線量の高い果実や種子を食するので、内部被爆し、
高濃度のセシウムを体内に吸収してしまう。
死んだシジュウカラの遺体はセシウムに汚染されており、汚染が顕著なのは脳。
また汚染は親鳥から子(卵)に亘っていた(孵らない卵を集めて計測すると、高い汚染が。)

・汚染地域のアライグマには、放射性被爆に特有な染色体異常(二動原体)が多くみられる。

あと日本猿についても、やっていました。
猿に起こっている染色体の異常具合から、なにやら急にややこしくなってきて、
状況が現在進行形、未知の領域に入ってきているため、これという答えが出ていない。
追跡調査中という感じです。

===ついでに震災つながりで、次のリンク===



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作業空間と生活空間を陰陽で区別するとかかな [さ行]

インテリアに昔からかなり興味があり、
かつまた自宅のインテリアに常に問題を抱えている。
家具調度を愛でることが基本的に大好きでもあるので、
インテリア系の雑誌やサイトをよく見る。
で、最近ようやく気が付いてきたのだが、
こんなの参考になりゃあしないじゃん、という事です。

別に、天井がすっごい高くて、
暖炉全室完備、マントルピースが大理石、
ドアのノブの位置も高くて、カーテンでドレスを仕立てちゃえるような超豪華なお屋敷の、
温室とか庭園とかを一般にも公開してます、別館は美術館です系の住まいのインテリアが、
参考にならないなどと文句を言ってるんじゃありません、私は。
むしろ、作家として参考になるので、そういうのはもっとやってほしい。
海外版のELLE DECORとか、目の保養。

使えない、現実味がない……と感じるのは、
実用的な暮らしぶりを提案しているインテリア雑誌です。
何人暮らし・何平米・築何年
みたいな実例を挙げて、あなたの住まいでもきっと役立てられるインテリアとリフォームを紹介、
これ系の雑誌の、いかに私にとって役立たずな代物であることよ。

想定空間で住人が、仕事をしていないんですよ。暮らしているだけ。
家では料理して、食べて、テレビを見て……あるいは音楽を聞いて、
着替えて、寝るくらいの用向きしか想定されていない。
あとは水回りの場所を確保。
暮らしと収納の空間。以上。

オサレな窓辺に、
キッチンカウンターよりも細い、窓の桟かと思われるほどのオサレスペースがあって、
そこに薄いノートパソコン、オサレなマグカップと、可憐な花の一輪挿しかなんかが置いてあって、
私らしいプライベート書斎! 
みたいな態で紹介されているスペースとか、Huh? 
書斎、舐めてんのか?

スマフォやタブレット端末の普及により、
インテリア雑誌にうっすいノートパソコンの置かれているスペースがあれば、
昨今、まだましなほうです。
断捨離という造語の概念が日本に広まった弊害で、
日本の実用系インテリア雑誌は、もうほとんど清潔で明るい刑務所ですよ。
スウェーデン、ノルウェーの刑務所でググったらいいよ。そっくりだよ。

実際は、家で仕事をする人は結構いる。
むしろ増えてきていると思う。
みんながみんな、文筆業とは限らないけれども、
PCを使って在宅勤務とか、スカイプを使って会社に業務連絡とか、
多様な働き方をしている人が増えてきているわけで。
SOHOビジネスとか、自宅でのダブルワークとか。
さまざまな分野の同人作家さんとか、
社会人でも専門学校や大学の科目を履修したりする人も居るし、
自宅に本格的な作業・勉強スペースが必要な人は、認識されている以上に存在すると思う。

ところが趣味に重点を置いたインテリアなどの特集だと、
ギターが壁にいっぱい飾ってあるとか、
マウンテンバイクやスポーツサイクル系の自転車が壁にいっぱい飾ってあるのとか。
なんだかんだ収集系の趣味のコレクションの飾り方みたいな視野ばかり。

それらも大切だけれど、もっとこう、
家でがっつり作業をしたい人の為のインテリア雑誌や、特集はないものか。

省スペースでどれだけ本や資料を安全に配置し、地震にも怖くない作業要塞を設けられるか。
配線コードをすっきりできるコツ、コードレス化は不都合もあるので、その辺の選択と工夫とか。
作業場兼自宅を、システマチックかつ機能的に、散らかりにくいようにする動線づくり。

生活スペースが作業スペースに占領されないように、
それでいて作業場が生活空間に侵食されないように、
限られた空間で双方が違和感なく共存できる、文具とか家具とか、照明の選び方。

そういう個人ビジネス系インテリアのコツに、特化した雑誌を、誰か作ってくれまいか。
サイトでもいい……。
需要有ると思うんです。


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採算の算出法? [さ行]

最近の東京の寒さと暗さには、ゴシック大好き・太陽は恐ろしい系のさすがの私もひく。
ドン引きである。
雨と宵闇に有難味がなさすぎる。

つい先ほど、霧雨の降りしきる中、
出かける用事があったついでに、お役所に不在者投票におもむいた。
が、想像以上に長蛇の列。
(あ~?)
ってなりました。

今迄、不在者投票というと、平日の昼間にしか行ったことがなかった。
やはり土曜の夕方は混むのか……と思いつつ、
若干、二の足を踏みつつも、列の最後尾につこうとしたところ
「ただいま投票まで、40分ほどお待ちいただいております」

帰ってきました。

明日は悪天候が見込まれるので、
今日中に済ませておこうと思ったのだが、
いいよもう大人しく明日行くよ……。

関東地方の台風直撃は月曜みたいだから、たぶん大丈夫だよ……。
投票所、けっこう遠いんだよなあ……。

つか全国的に台風直撃なのだ。
火曜日くらいまで延長してほしい、切実に……。
これ台風直撃地方でのアクセスの悪さに、不平等具合がすごいでしょう。

お役所の出口付近で、
「もうほんと日本人ってばかだよ、馬鹿まじめだよ」と、
長時間待って投票を終えたらしきおばさんが、その連れに猛烈に愚痴ってるのにすれ違いました。
いやほんとそうですよねーと相槌を打ちたかった。
寒くて暗くて、目くばせ一つできなかったが。

すごすごと帰ってきながら、
人はなんだかんだ困難な状況になっても、必ずやりたいことは達成するものだ、
という理論はわりと嘘だなあ……と。
必ずしも逆境に意欲がかきたてられるとは限らない。
時には、むしろ削がれる。おおいに削がれる。

本が平積みに置かれている作家と、
注文して取り寄せないと手に入れられない作家の本とでは、
アクセスに違いがありすぎる。
便利過ぎても有難味がないけれど、
すぐ手に入らなければ面倒になって、そのままになっちゃう場合もありうるよな……。
なにしろ無くて生きられないものじゃないのだ。
魂の暮らしぶり、その質を変えはするが。

と、ひょんなことから自分の置かれた作家としての立場に照らしあわせて、
嘆かわしく憂鬱が増すのだった。
世の中の不公平感をむやみに失くすことは不自然だが、
機会の平等は絶対必要よ……。

人気作家は売れるから本が刷られる。
しかし私みたいな作家の場合、本が刷られなければ、人に読んでもらえないんだから、
そもそも読者に届かない。
それでどうして売り上げの実績が云々だから今回は残念ながらとか言えるんだ……

みんな最初に同じ冊数だけ刷り、
みんな最初に同じ数の書店に、
同じ冊数だけ並べて、
その統計を取って優劣をつけるのでなければ、
実績データとしても不完全、不健全なのである。

(もっといえば、有名作家はそれだけ名が知れていて、
広告しなくともみんな知ってるんだから、
無名作家にスポットを当てないと、機会均等とは到底、呼べないのだが……
これはいったん置いておくとしてもだ。
無名作家の本が部数も少なく、本屋にも置かれないなら、
どうやって売り上げの実績を出せるのか教えてほしい。

伊勢志摩に住んでいる友人がいるのだが、
伊勢志摩の書店で私の本が置いてあるところは、一箇所もないと言っていた。
今までに一度たりとても見たことがないと。伊勢志摩の人が読書しないわけじゃなかろうに。)

また短期間ではなく、長期スパンにわたっても調べないと、
短期間だけのデータでは、どうしても、すぐ読みおえられる本の売り上げが伸びやすくなる。
長期的な目算を視野にいれないのは、データに不備があるといえはしまいか。

この手の世の中にある不公平感が簡単になくならないのは、
機会の平等に対する是正をすることで、
誰かが逆に損するから、
という見方が強いが、
損するというよりも、そのために労力を割くのが面倒くさいからなだけな気がする。
(それを大局的に損と呼ぶのだ。)

「不平等における得しない側」にいるマイノリティごときのために、
マジョリティの俺様が心を砕き、対策を講ずるのが馬鹿馬鹿しい、ってのが有るんだろう。
心を砕き、手を尽くしたなら、その分の見返りを求めたくなるんだろう。
(マジョリティは見返りなど求められないのに……。)

という感じで、やはりマイノリティはマイノリティぶりを自分の力で脱却できないシステム、
どうにかならないか。
生きにくい。

そろそろ怪談シーズンですが…… [さ行]

東博でまた三日月宗近の展示が始まるようです。
確か一昨年2015年、わたしは七夕前後に見に行った記憶があるので、
なんだろうか、
三日月宗近は三日月型の打ち除けがある裏側展示をするにあたって、
7月中に公開しないと呪われたりするんだろうか、毎度この時期、なんかそういうのなのか。

冗談はさておき、
2015年の三日月宗近展示のときには、亀甲貞宗も展示されていました。
亀甲さん、昨年2016年秋に刀剣乱舞に実装されましたが、
2015年時点ではゲーム実装の噂どころか、まったく刀剣乱舞では影も形も兆しすらもなかった。

ですので当時、三日月宗近を見に行った人で、
国宝・亀甲貞宗に気付かなかった人もいるかと思うが、
実はけっこう目にしていたケースも多いかと。
写真を撮っている人は、過去の写真を整理してみたら出てくるかもしれませんよ。

私は、とかく綺麗な刀剣を忘備録的にやたら写真に収めるので、
(このブログはバイト数が高いとアップロードできないため、
画素数やサイズを下げて載せざるを得ない。おかげで、どれも写真が今いちですが……。)
当時、うわぁ綺麗なのがある、
と(正直、三日月宗近そっちのけ気味で)やたらと撮った刀剣の写真に、
国宝・亀甲貞宗がばっちり映っていたのだった。

亀甲貞宗はその後、刀剣乱舞で実装されて、
私は昨年2016年11月に改めて東博に見に行ってます。
そのときには以前もここで亀甲さんを見たと認識しきれてない。
脳内で整理できてなくて、気づいていないんですよね……。
写真に映っていて初めて存在を認識できるって心霊写真みたいだなあ。

実は [さ行]

カラオケボックスは空調~のブログと、
梅雨になる前に~陸奥守・鳴狐・獅子王を見に行ったよのブログは、
音声吹き込みで8割がたを書いたものでした。
(音声入力ソフトはAmiVoice SP2を使用。)

音声を正しく感知しない部分の修正と、文体の微調整を手入力で直して、
あとでちょいちょい、文を書き加えたり、削除したりした。
後になって読み返してみると、やっぱりほかと文体が異なって感じる、我ながら。
自分で言うのもつらいところだが、冗長。

手で打つよりも吹き込んだほうが圧倒的にやはり早いし、
手荒れしてたりで、タイピングが物理的にしんどいときに良いかと思って試してみたのですが
(メールとかで使えるかと思って買ったのだ)
文章が遅々として進んでいかない感が、やや目に余る気がする。
決して綿密な描写をしているわけでもないのに。
つい無自覚のうちに、ソフトが一発変換しやすそうな言葉を選んでしゃべってしまう。

なお小説は――こと私が書く小説に至っては、
手入力で使い慣れたPCですら一発変換できない言葉が多いくらいだし、
句読点の微調整などは手入力の方が音声よりも楽なので、
音声入力は諦めていて、はなっから試しません。

頭に浮かんだ話し言葉を手入力するまでに、一度脳内でフィルターが掛かっている。
その手入力用のフィルターは、
口をつく言葉よりは、きめの細かいフィルターなのではないかと思う、私の場合。

太宰治はフォスフォレッセンスを口述筆記で書いたというが、
それであれだけの端正な小説になるのはやはり太宰が天才だからと、
書き留めた相手が、筆記速度であって(タイピングよりもさらに遅い)、
そのスピードに合わせて話を口にしていったというせいも、あるかもしれない。

又やはりフォスフォレッセンスは文体が(句読点なども含め)微妙に特殊ですしね。
そこが良くもあるのだが。

ぜひ中性的な声で [さ行]

市川春子著の『宝石の国』のアニメ化発表に、10月放送開始がすでに今から楽しみなところにきて、
出たばっかの最新刊の7巻を読んで、先が気になって仕方がありません。

漫画『宝石の国』いいよね。
わたくし、いちおう日本SF作家協会の会員なので、
日本SF大賞を受賞してもらいたいなあ~と思う作品に出あうと、
まれに推薦とかします。

日本SF作家協会のほかの方々と、わたしの趣味・嗜好・評価等が一致しないことが多いようで、
自分がいいなあと思う作品が最終的に日本SF大賞の候補作にすら選ばれることがない。
若干の徒労感とか無力感とかはありますが、
それでも「どうしてもこれは!」と思う作品は推薦します。

かつては誰がどの作品を推したのか非公開だったのですが、
昨今、日本SF作家協会のありかたが変わってきて、
協会メンバーがどの作品を推薦したか、公開されるようになった。

昨年分の第37回日本SF大賞のエントリーの時は、わたしは『宝石の国』を推薦したのだった。
(あともう一作品はゲームの『刀剣乱舞』。
正確にいうならば、とうらぶと全国の美術館・展示物とのコラボについて推薦した。)

http://sfwj.jp/awards/Nihon-SF-Taisho-Award/37/entries.html
これのP3部分。
右側の名前は推薦者で、推薦文は推薦者の文章そのまんまです。

『宝石の国』については、私が推薦する前年も、
日本SF作家協会メンバーの別の方が推薦なさって、
私は一票を『宝石の国』に投じた覚えがあります。

市川春子さん、きっと萩尾望都作品をお好きだろうなあ、影響受けてる感がひしひしと……
……と、私は勝手に想像していたのですが、
やはり言及されてますね。
http://konomanga.jp/interview/9099-2
【インタビュー】妄想がかたちづくる物語は、自分自身でも予測不能! 『宝石の国』市川春子【後編】

他にも言及されている宮崎駿の『風の谷のナウシカ』、言われてみればわかります。
終末観というのか? 現代文明が古代になっている、はるか未来の世界観。

漫画を読むとき、軽率に「このキャラが好き」となる私ですが、
『宝石の国』は箱推しに近い。が、あえていうなら、アンタークが。
パパラチアも。パパラチアは数ページしか登場しないけど、出てきて即座に大好きになり、
あっという間にガラガラと崩れていったのだった、パパラチアさん自体が……
(正確に言うと音もなく倒れたのだったが、心理的な衝撃度が凄かった)。
シンシャもちょくちょく気に掛かるし、主人公のフォスは独特の軽口が憎めないし、
きりがないので箱推しです。
ルチルの役回りは、とうらぶの薬研藤四郎と共通してるなあ……と、
白衣と黒手袋と、ちょっとガサツめな性格と、適切な医療技術を披露する腕前について思うのだった。
ところでゴーストさん、ハリーポッターのルナとイメージがすごく被るの、私だけか知らん。

世代差CM [さ行]

「女の子の持ち物じゃないものを、片づけて」
という動画。
仕切りが上がっていくときの表情の変化に、泣きそうになります……。


https://youtu.be/sIgA1mu5t_8

しかもこれをP&Gがつくってる、(生理用品、中東向け)CM動画っていうのが、すごいわ。
生理用品はほとんど関係ないというか、姿かたちすら出てこないけど、
女の人が主体的に自分を大切にして生きてもいいんですよ、生理用品はそのお手伝いをしますよ、
というメッセージが伝わる。
青いインクが吸収される絵面を繰り返し見させられるよりも効果的。
センスが良すぎる……。

まあこれも、下手をすれば……抑圧されていた世代の母親が、
自由な時代の娘に自己投影して毒親になっちゃう可能性も多々あり、
そういう意味では自由な娘世代も、まだまだ抑圧下の影響にあるともいえるのですが……。
それでも抑圧され偏狭な価値観を強いられているままよりは、ずっと良い。

そういえば私は「料理好きだとか、裁縫が好きだとか、人に言うな」と言われてました。
女らしく女子力を上げろの逆ヴァージョンです。
料理が好きだとか気軽に口にすると、家庭的な性格だと勘違いされやすいし、
事と次第によっては甘く見られたりするから、気をつけなさいと。

なにを馬鹿な……と思っていましたが、
大人になってみると、実際に料理好きをアピールする人は、
家庭的アピールと直結している場合も多く、
単に、任意の食材を煮たり焼いたり混ぜたりこねたりして自分好みの美味しいものを咀嚼したい、
という素直な欲求の意味でなかったりする場面にも多々出くわし、おのずと口を慎んだ。

私の好きな『The English Patient』という映画にも、
知的な魅力あふれるキャサリン・クリフトンが、
″A woman should never learn to sew, and if she can, she shouldn't admit to it.”
と言うシーンがあります。
女が針仕事が好きだなんて言うと舐められるから、できないふりをしてなきゃだめ、
というニュアンスです。
映画の舞台は第二次大戦前後の時代ですけどね……。

宗三左文字@江戸博 [さ行]

先週ですが、江戸東京博物館の「戦国時代展」にて、
友人と、宗三左文字を見にいってきました。
平素は京都の建勲神社に奉納されている宗三さんですが、二週間ほど東京に出張展示なので、
こいつを逃すわけには行くまい。

戦国時代展は全体的に大河ドラマの「真田丸」を意識した構成だったように思います。
といっても、わたしは真田丸をちゃんと視聴していないので、想像で言ってます……。
あの辺のイベントや小道具にスポットを当てていたような……まあ戦国時代展ですし。
花押とかもありましたよ。
展示物は、かなり文書中心だった気もする。

以前おなじ江戸博の「大関ケ原展」で、出張展示の蜻蛉切や骨喰藤四郎を拝んだ時には、
当時の文書もけっこう読めるもんだなあ……やはり日本語だから相当、見当がつく、
そう感じたものだったのに。
今回は皆目わからなかった。
現代文訳が添えてあっても、
どれが、どこの文のことをいってるのだ……と、じっくり解読する気も失せるほどに。

鎧甲冑は、いつ見ても見栄えが良く、存在感があって、渋いけれど華があります。
やっぱり戦場は武士の晴れ舞台だったんだなあというのが、ひしひしと。
梶の葉のモチーフが大きく兜に角状にあしらわれている甲冑が、
相当、恰好良かったです。

屏風絵巻なども金色が鈍光りしていて、雰囲気があるのですが、
全体的に会場が暗すぎた。いまひとつよく見えないのだった。
おそらくは焼け防止で仕方ないのだ……。

お目当ての宗三左文字こと義元左文字は、
木曜の三時過ぎ、わりとすいていて、きちんと見られました。

とにかく展示会場が仄暗いので、
なにもかもを目を凝らしてみる感じだったんですが、
遠くからでも、左端の茎のところに彫り込まれている金象嵌が、
ところどころ鈍光りして、瞬くように目について、ハッとするのであった。
これ、宗三さんじゃない……?

近づいてみると、瞬くように見えたのは金象嵌の剝げ落ちている部分が欠落して映るために、
かえってキランと、気を引くように浮き上がって光っていたからのようで。
何月何日に義元を討ち捕ったり、といった旨が、
ばっちり刻みこまれていた。

暗いうえに、正面しか見えない展示方法になっていて、
裏はおろか、
切っ先側から、刀身の反りの美しさを確かめたりとか、
切っ先の鋭さをなめまわすように眺めたりとかできないので、
刀身とか刃よりも、とかく茎に彫られたその金象嵌が印象的でした。

たしかその金象嵌の刻印を入れる際に、磨り上げられたんでしたっけね?
そのせいだろうか、それとも明暦の大火で焼けたあとに打ち直されたからなのか、
刀身自体は、刃こぼれや使い込んだ感はまったくなかった。

横に大太刀が並んで展示されていて、
太郎太刀のようなえげつない大きさではないけれども、やはり相当に段違いで、でっかいので、
対比で、宗三左文字は端正に凝縮された、小振りの刀剣といった印象でした。
端っこにあったせいなのかもしれません、なんとなく、頑なな雰囲気と仏頂面な佇まいだった。

戦国時代展のあと、常設展も見ました。
かれこれ17年くらい前に人からいただいた、常設展の招待券がタンスの奥から出てきたので、
期限日が入っていないし、
「ひょっとしてこれ、もしかしたら、使えるかもしれないじゃない?」
ドキドキして試したみたら、呆気ないほど全くなんの問題もなく使えたのでした。
通貨並みだな!
すごいな江戸博。

しかも端をもぎらないで、スタンプを突いて招待券を返してくれるのだった。
あなたも、もしもタンスの奥から大昔の招待券が出てきたら、捨てる前に一考を!

で、中はがらがら。
内容はいろんな予算を惜しみなく、つぎ込んだ感がありありとしていて、贅沢で見ごたえが。
豪勢な展示が多く、羽田空港にあるような日本橋の再現とか。
吹き抜け構造が、趣向を凝らしてあるし、退屈しない緩急ある作りこみになっています。
ジオラマもちゃちくなくて、見るからに見栄えのする数々の縮小風景があれやこれやと。

実際のお姫様の駕籠などは、漆に金にと、これでもかという贅を至るところ上品に尽くしてある逸品で立派。
駕籠ってこんなに綺麗なのか。大名の姫様の駕籠だから?

復元されてある、もう少し質素な駕籠(姫様の駕籠がリムジンならば、軽自動車くらい?)には、
実際に乗りこんでみたりもできます。

解説もわかりやすく、かといい子供向けになりすぎたりしていないので、
見方によっては、かなり楽しめます。
夕方に行ったせいもありますが、閉館になってしまって、最後まで見きれなかったので、
広いのかもしれない。
穴場といった感じでした。

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竄透性(ざんとうせい) [さ行]

竄透性(ざんとうせい)という言葉があります。

旧字体の医学書などに頻出する用語です。
薬による特有の香気や臭気をあらわすときに、よく使われている。

いまは亡き祖父母の残り少ない蔵書に『藥種商全書・完・第五十四版』という薬の事典があって、
昭和13年9月15日第54版(初版は大正4年10月1日)、
私のお宝なのですが、
そこで見られる[竄透性]の語が用いられている箇所の、一例がこちら。
(旧字体は現仮名に直しています。)

[クレオソート] (中略)ぶなタールを乾溜(蒸し焼き)して製る。(中略)
形状 無色か或は微かに黄色のある澄明油状の液で、強く光線を屈折し、味は灼(や)かれる様、 竄透性の烟臭を有す。(後略)


この「竄透性の烟臭」ってどんなにおいなんだ、ですが、
端的に言って、正露丸のにおいです。
薬種全書に、烟臭とは煙臭いということで、火事場の跡のにおいである、と書かれていた。
当時の木造家屋の火事場の跡のにおいは、正露丸のにおいがするんですな。

ウィキペディアの、日局クレオソートを引くと、
上記のクレオソートとよく似た記述が出てくる。

抜粋:日局クレオソート
「ブナなどを乾留させる(通常では木炭を作る)際に水蒸気とともに留出する油層(木タール、水を主成分とする上澄み液がいわゆる木酢液)を蒸留して得られる、淡黄色透明で燻製のような臭いのある油状の液体で、代表的には止瀉薬である正露丸の有効成分として用いられている。]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%B1%80%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%88

よく似た文章なのに[竄透性]の記述だけが、すっかり抜けている。
この[竄透性]、ちゃんとした言葉ですが、昨今の文書で見かけない。
それどころか、広辞苑や大辞林など、
いかなる辞書や辞典などにも、言葉が全く載っていない。
(ブリタニカ百科事典は未確認です。)

なんということだ……。

たかだか数十年のうちに、言葉が消える。
流行語とか俗語ならばともかくも。
辞書とは、言葉の意味すなわち言葉の魂を正しく召喚する道具であるから、
辞書が意味を載せなくなったら、言葉の生存率は圧倒的に下がる。
魂を見失った言葉は、この世に存在できなくなるのと、ほぼ同義。

抹殺されてもやむを得なかった言葉——現代では概念自体が存在しない、
あるいは差別的な意味合いが濃厚だとか、もはや使われていない漢字を用いているとか、
そのいずれにも当てはまらない。
なのになぜ消えた……。

数十年足らずで、れっきとした素性の言魂が殺されてよいものか。

言葉狩りに遭ったというよりは、単純に、
「専門用語的に使われることがもっぱらで、
日常で頻繁に使う言葉ではないから、知らなくても困らない。辞書に載せる優先順位は低い」
というだけの理由で、後回しに、黙殺されているうちに、
ここ数十年間で、ほとんど存在の形骸しか残らない語と、化してしまったのではなかろうか。

超、かっこいい言葉なのに。
絶滅危惧種:レッドデータ用語を保護したい、
わたしの言葉に対する庇護欲とも憤りともつかぬ熱意が、沸きあがることしきりです。

[竄透性]は、ほかにもクレゾールなどのにおいを表すときにも使われています。
粘膜を刺激して涙が出そうになるような香気および臭気のときに頻出する。
ハッカ油(メンソール)なんかの香気の描写にも使われている模様。

においのたぐいだけでなく、
たとえば、
→保存齒科領域で專ら使用せられる各種藥物の竄透性に就て
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1780636?tocOpened=1
国立国会図書館デジタルコレクション - 臨牀歯科. 14(6)

→淋巴に於ける固形成分の増加の由來に就て竄透性大なる肝臓毛細管機能に着眼せりhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/fpj1925/33/2/33_2_150/_pdf

等々。
意味は、ですから辞書を引用して説明できないので、
私が一から説明せねばならないのだが、類似の言葉として、
「滲出性」があるかと思う。

しんしゅつ【滲出】
( 名 ) スル
①液体などが外へしみ出ること。
②炎症などの際、血液成分が血管外に出ること。 〔同音語の「浸出」は液体につけた固体から成分が溶け出ることであるが、それに対して「滲出」は液体などが容器や血管の外へしみ出ることをいう〕
~大辞林 第三版~

滲出性というと、
しんしゅつせいたいしつ【滲出性体質】が、
→外部刺激に対して異常に過敏で、滲出性反応を起こす体質。(後略)~大辞林 第三版~

ですので、滲出性:外部刺激に対して異常に過敏で、滲出性反応を起こしやすい性質。
と言えるかと思います。

[竄透性(ざんとうせい)]は限りなく、この[滲出性]に近いか。
ただ滲出性は、おもに液体が外に滲み出ることをいうわけです。
いっぽう[竄透性(ざんとうせい)]は、
液体も気体もどちらでも使えます。
むしろ気体の時に使うのが一般的とすらいえる。

竄透性の竄は改竄(かいざん)とかの竄です。
「竄」は改めかえる意である。
「改竄」と辞書を引くと、そう説明が載っています。

漢字の様子からしても、
[竄透性]=[滲出性]+α(濾出と揮発と浸透と遊走の性質を掛けあわせ、割ったようなニュアンス)
ではないかと。

総じていろいろを鑑みた結果、
[竄透性]=exude(動詞)の兆候が強いこと, effusiveたりうる。
こんな感じが意味として妥当だと思います。
(当初、横文字の薬理系論文の直訳語として使われていたのかなと、思えたりもしたもので。)
effusiveは、ほとばしる状態、
exudeはhttp://eow.alc.co.jp/search?q=exude(英辞郎・日本語)
exude:https://en.oxforddictionaries.com/definition/exude(Oxford Dictionary・英語)

ざっくり言うと、滲み出る+染み出る+発散する+発露、という意味合いになりますが、
言葉の性質上、
[竄透性]は、やや不穏な感じがつきまとう場面で、用いられがちな気がする。

――ここは竄透性と使ったほうが、
時代性や信憑性や説得力、特有の空気感がより色濃く醸しだされる――
そんな場合において、積極的に使っていきたい。
それが絶滅に瀕した言葉に対する救済措置であると、
意気込んでいます。


共通テーマ:

『視線』 [さ行]

先月、鈴木康士氏の画集が出ましたね!
鈴木康士氏は、私の著作『カンパニュラの銀翼』の単行本の表紙、文庫本の表紙、
両方ともを描いてくださった装画家です。


鈴木康士画集 視線

私は楽天ブックスで先月注文ゲットし、
わりと気軽に、ひゃっほう楽しみ~とページを開いたら、
『カンパニュラの銀翼』の装画が、
どーん!
と出てきて、うわぁァッ……!
嬉しい喜びに体温が上がりました。
エアコンの設定温度を一度下げねばならぬほど。

最初はちょっと上ずって、若干、目線がすべり気味に、どんどんページを繰って次を見たくなるのを、
かろうじてこらえているうちに、今度はなんかゾクゾクきて、
エアコンの設定温度を一度戻さねばならぬほどに。

好きな装画家さんの画集を買って、
ページを開いたときに、自分の作品の表紙絵が出てくるインパクトって、
なんかすごくて言葉にならなく。
まじで語彙力ログアウト。

画集のタイトルが「視線」であるように、
描かれる人物の視線がいちいちゾクっと妖艶で。
冷たい透明感にみなぎっていて、そこはかとなく突き放すような空気感と、
惹きつける吸引力との距離感が、素晴らしいのだ。

神永学氏との対談も掲載されており、
そこで鈴木氏が、神永学氏の小説の登場人物「八雲」について、
「瞳が赤いっていう特徴しか、外見についてほとんど書かれてない。
小説であればインパクトがある特徴だと思うが、イラストだと瞳はものすごく小さいので、
どうやって特徴を引き立たせるか、苦労した」
といったようなことを語っておられます。

インパクトを出すために、大きめに誇張するといった稚拙な表現にしない、
バランスを崩さず、特徴を出すために、創意工夫があるんだな、やっぱり~。

『カンパニュラの銀翼』の装画を引き受けていただいたときに、
担当編集者を通じて、お伝えしたか、
それとも鈴木康士氏に直接メールか何かでお伝えしたか、
あるいは伝えようと思ってやめたのか、よく覚えていないのだが、
――鈴木さんの描く人物は、男性は男らしくかっこよく、
あるいは女性は女らしくフェミニンな色香たっぷりなのにもかかわらず、
女性も男性もちょっと中性的な空気感を漂わせていて。
通常、男性のイラストレーターが女性を描くと、
わりと、どうしても性的アイコン的なパーツが大きく誇張されやすい。
線もしつこくなりがちで、
女性から見ると、違和感が募ったり、時には嫌悪感すら抱かされたりするときもあるのに。
そういう、いやらしい部分が全く感じられない、透き通った魅力があります。

……にもかかわらず、女性も男性もリアルに具現化されていてなお美しく、
骨に芯が通っていないとか、血が通っていないような感じはなく、
したたるような影があって、そのバランスがたまらなく素晴らしいんだ――。

だからこそ『カンパニュラの銀翼』のシグモンドが描かれるにあたって完璧だったのだ。

人物像のシルエットのバランスとか、そういったことは、だから当時もかねてより、
良いなぁ~と私は認識していたのだが、
今回、画集を見て、あらためて感じたのは、
デザイン的なセンスが――背景とか小道具とかそういったもろもろ、ひっくるめて――
一つ一つ緻密で凝っていて、手を抜いてなくて。
絶妙に配置されているんですよね。
カンパニュラ~の単行本でいうなら、小鳥とか、懐中時計とか……etc,
小鳥を手にしたシグの片手が、手袋をはめてるの、さりげなくほんと心憎いんですよ。
これは私の小説の――この物語の表紙なんだ、と実感できるんです。作者も読者も。

どうやって描いてるんだろう……と思っていたら、
付録の特典データCDが、かなり雄弁にそのあたりも見せてくれるのであった。

ものによっては幾層にもレイヤーをわけて、人物や背景や小道具などを描き分けて、
そのレイヤーを統合するまでに、さまざまにバランスを見ながら、
「どんぴしゃ」な一枚絵を仕上げるのだなあ……。

その過程がデータCDで見られるのが、かなり勉強になるし、
見ごたえあります。

『カンパニュラの銀翼』に関していえば、
文庫版の制作過程がデータCDに収録されています。
カンパニュラ~の文庫版は、封蝋をモチーフにした窓枠の内側に、
シグモンドやエリオットやクリスティン、
またベネディクトを想起させる黒い木立……塔のような影が、描かれます。

窓枠に切り取られた空間に、
主要登場人物を3人も配し、でもなお、せま苦しくなく、世界観の奥行きを感じさせるには、
そうか、こうやって描いたのか……!

シグモンドの全体像を、
風でひるがえるコートの空気感みたいなものまで、いったん描いているんですね。
最終的には窓枠や、窓枠の外の黒いベタで塗りつぶしてしまうとわかってる部分すらも。

だからこそ窓の向こう側に見える人物であっても、
四コマ漫画の絵みたいになってしまわず、
動きの一瞬をとらえたような空気と奥行きの深さが伝わってくるんだ。

『カンパニュラの銀翼』のスピンオフ「風切り羽の安息」
この短編がミステリマガジンに掲載されたときも、
ぎりぎりのスケジュールの中、扉絵を描いていただいたのですが、当初は雑誌のモノクロ絵。
これがほんのり彩色を施されて画集に載っていたりもします。

描き下ろし絵や、個展に展示された絵なども数々あり、
海外のグラフィックノベルっぽいテイストなのも。
あとまた、各イラストに添えられている、
粟粒のごとき小さい活字のコメントが、面白い。


若冲展脱落です [さ行]

昨日の金曜日、上野界隈に出かける用事があり、
帰りにそうだ東京都美術館で開催中の若冲展に寄っていこうと思い立つ。
若冲は、花鳥風月をモチーフにしつつも毒々しいまでに精巧華麗というイメージで、
一度きちんと見ておきたかった。

混んでいるのは知ってました。

その前の週末で3時間待ちとか、
又18日(水曜)のシルバーデー?とかいう一定年齢いった人が無料で見られる日には、
激混みのニュースがちらほらと耳に入っていた。

でもなんでもない平日金曜の昼下がり。
並んだとしてもまあ30分くらいか。
私だいたいこういうの運が良くて、激混みのニュースが流れていても、
スッと雲の切れ間みたいな時間帯にすんなり入れることが多いんです。
(人と生活パターンの時間配分が少しずれているのと、
雨の日に行動するのが嫌いじゃないせいもあるかもしれない。)
徒歩圏内だったので東大近辺から不忍池を抜けて精養軒から動物園裏を通って……
歩きやすい靴を履いているし、天気も暑すぎず風は肌寒いくらいだし、
ポカリスエット、帽子とサングラスさえあれば何とかなるでしょ……。

甘すぎた。

着いたのは午後3時前でしたが「210分待ち」。
2時間10分じゃないからね。
210分だから。
3時間半待ち。
レア4太刀を手伝い札なしで鍛刀しても、まだお釣りがくるんです。

チケットを持参していなければ、チケット売り場でも待ちます。
(わたしは事前にチケットを買ったとして万一、入れなければ無駄になると思ったので、買わないで出向いた。)

ここまで混んでいると、中に入っても人間の頭を拝む形になり、きちんと見られないし、
宮内庁所有とかの通常、お目に掛かれない代物がごっそりまとめて展示になってる分、
生きているうちに一度は拝んでおきたい系の参拝者、
御開帳とか参詣とかメッカとかに通ずる苦行と御利益的な趣きを呈しているので、
即Uターン。
諦めました。

それにしても整理券を出さないのは、すぐ近くにある他の美術館や博物館に集客を奪われぬよう、足止めを食らわすための、東京都美術館の目論見か。
日頃、東博や上野の森美術館に客足を奪われている鬱憤を晴らして、見せびらかそうとしたのか。
……そう疑いたくなるレベルです。

展示の終わり際ゆえ激混みに拍車がかかっていたけれど、当初はここまで混んでなかったはず。
早い時期に行けばよかった。
映画とかだと、ドル箱メガヒット作でも終わり際になればなるほど空くんだが……。

ここまで長い行列というと、愛地球博の万博を思い出しました。
「早いうちはガラ空きだったよ~地元民ばっかが何回も足を運んでたもんね、俺なんかもう10回は来てる」とか、話しかけられたのだった、そういえば行列の渦中であの時は(知らない人に他意なく話しかけられると、あ、東京とは違うな?と実感します)。
《後半必ず混む》というよりは、メディアの取り上げる時期にも左右されるのだろう。やっているのを知らなきゃ見にいきようがないんだし。

2016052014420000kakou.png

並んでいる人の顔を隠す加工をほどこそうとしたら、吹き出しみたいになってしまった。
思い思い好きな台詞を入れてね。

善後策と泥縄のあいだ [さ行]

関東甲信越は梅雨明けして、
昼間は晴れたかと思うと、夜はものすごく蒸し暑い……。
校正しおえた原稿を出しに、夜、外に出てみると、
どこからともなく生あたたかい風が……。
なんだこの絶好の怪談日和。

幽霊ずっとスタンばってます、って感じの空気感が周囲に立ち込めているではないか。

……というわけで、ニコニコで見つけた関連動画をいくつか置いておきます。


【刀剣乱舞】意味が分かると怖い本丸エコノミー回避【MMD紙芝居】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm26490308

ご存知の方も多いかと。
怪談の中身としては、さのみ怖くはないのだが、
怪談特有の間(ま)が絶妙で、場合によってはじわじわとくる。
コメつきのほうが怖くないです。


【ニコニコ動画】【MMD刀剣乱舞】(続)意味が分かると怖い本丸次回予告【じっとり青江】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm26510392

こういう怪談特有の雰囲気、あなたも好きですよね?
怪談って日本の風物詩ですからね、
風流だなあ。
美意識や情緒が一抹も感じられない怖さってのは怪談失格で、
怪談と呼んでいい代物ではないと私は勝手に定義している。
……いやだから、それは単に怖い話だから!

アメリカでは、幽霊ものやホラーが流行るのはハロウィン前後の秋が多かった。
次にやはり夏。
私が居た頃だと、シックス・センスとか、ブレア・ウィッチ・プロジェクト、アザーズとかが夏公開で。
また夏休み→片田舎にティーンが旅行→殺人鬼の出現というホラーは定番です。

日本の○○は世界一だ、という流言は十中八九が嘘で、
世界はもっと広い。
日本の○○は世界一だとか主張してる人物の、視野の狭さをアピールするだけ。
そこをあえて、どうしても日本随一は世界のピカイチだと主張せねばならぬと強いられたら、
日本の「怖さ」が醸し出す気色悪さはわりと天下一品ですよね、と答えたい。

つづき


最終回、ルシフェルが登場するも無言だったのは、せめて一声!と思ったけど [さ行]

『神撃のバハムート』最終回、面白かった!
30分だけど、2時間映画を見たくらい濃密にワクワクした!

子供の時、単純に何も考えず、
新しい世界と、新しい物語とに超ウキウキし、
テレビにかじりついてワクワクしていた冒険ファンタジーの感触が、ガンガンに蘇りました。

日本人スタッフで固めたクォリティたっけーアニメを毎週テレビで見れちゃうことに、
感謝せずにはいられないほど贅沢だった。
課金ゲー、おそるべし。

広告費に莫大な予算をもっていかれ、
実際にアニメに携わっているスタッフは、雀の涙しかもらえない……という噂の、
ブラック企業も顔負けなほど火の車、低賃金と、悪名高いアニメ業界。

だがこんなにも、課金ゲーで得たお金を惜しみなくアニメ制作に投入するとは。
なんて清々しく正しいお金の使い方なんだ、Cygames!

通常、苛酷な労働は、
働き手が居なくなるがために、
賃金が高く設定されてくるのが世の習いですが、
アニメ業界の場合、わりとブラックなのがデフォルトだろうと、
――やりたい!
――アニメの仕事がしたい!
という、なり手が尽きないので、
皮肉にも環境が改善されないのかも……。

アメリカでは脚本家協会だかが、ゴールデングローブ賞の時期になると、
いつも賃上げ交渉してる気がする。
日本でも立身出世した有名で有力なアニメーターとかが、
労組的な……メーカーが春闘とかやってる、あれ系の立ち上げたりしそうなもんなのにね。

そう先日、友人に話したら、
「日本のアニメ界隈の住人って、率先して権利を主張し、組織的に動くとか、
待遇を交渉するとか、そういうのもともと苦手な性格そう」
あーそっかー。

そんな中でバハムートは徹頭徹尾、胸熱でした。


じわじわと告知 [さ行]

今年9月からの刊行を予定していた翻訳アンソロジー・シリーズが、
来年9月以降から刊行していく予定に変更なったもよう。
昨年の12月すでにエドガー・アラン・ポーの詩『大鴉』と、
ほかポーの短編一作『告げ口心臓』の翻訳を仕上げていた私は、
おやまあ……と首を長くしている昨今です。

古式ゆかしい名作を翻訳刊行するにあたっては、
既訳本と比較対象されても見劣りしない、後世まで読み継がれる完成度が必須で、
ポーだけでなく、長編短編よりどりみどりに海外作家の名作が順次13冊、刊行される企画なので、
慌てて不完全な本が出るよりは、万全の状態を期するのは致しかたあるまい。

また詳しく告知すると思いますが、
ですので、なんとなく来年の9月ごろを楽しみに期待感を高めていっていただけると……。
いろいろな翻訳家や作家、文学研究家(大学関係者ですね)が、
英語圏にとどまらず海外の名作を翻訳します。

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全然関係ないが、(あえていうなら期待感つながり……)先日行った、進撃の巨人展のCM。

二弾、三弾、四弾と、
開催前、開催直前、開催されても随時タイムリーな心憎いCMをこしらえるあたり、芸が細かい……。


【進撃の巨人展】テレビCM第二弾「アルミン篇」
http://youtu.be/KsX5jM7iG28
わたしはアルミン(CV井上麻里奈)が、どうも色々とツボ。

【進撃の巨人展】テレビCM第三弾「アニ篇」

http://youtu.be/NhuboxsXFhg
展示場ではアニの実物大のパネルがありました。
ちっさ。アニまじ小柄!
頭身がかなりリアルな人間寄りであることも判明。
この小柄な体で、エレンやライナーをぶん投げたのか、すごいな! 

【進撃の巨人展】テレビCM第四弾「ミカサ篇」

http://youtu.be/yR513zrtPFs
ミカサは常にぶれませんねー。

進撃の巨人展@上野の森 [さ行]

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11/28(金曜)に『進撃の巨人展』に行ってきました。
友人と待ち時間をおしゃべりして過ごせましたが、そこそこ長蛇の列でした。
曇り空だったけれども、暑い時期でもなく、かといい凍えるほど寒くもなく。
紅葉の季節だったのでさほど苛酷ではなかったが。

14時~15時30の間に入場可能、というチケットを購入していたので、
これでも運営側は混雑を予想して、時間を分散させていたもよう。
そういった意味では、きちんとしていました。

いつぞや出向いた特撮展は、圧倒的に男性客が多かったですが、
今回は逆転していて、かなり女性客で占められていました。

フルコースまわりました。
3Dの短編映画を鑑賞し、
声優音声ガイダンスつきの展示場を堪能。

3D映画は内容は4分程度で、説明込みで8分ほど。
ヘッドギアゴーグルみたいな、ヘッドマウントディスプレイを装着し、
更にヘッドホンをはめると、360度進撃の世界に閉じこめられます。
正確には、トルスト区奪還作戦。

……やだな、マルコ死んだ時のでしょ、ぜったい無理だよ私すぐ死ぬよ、

と思ってたんですが、いざ始まってみるとテンションあがります。
立体起動装置とか、無理ですよ……と思ってましたが、
こんなだったら、楽しいなって感じです。
これで宙をすり抜けるようにして、
硬質ブレードを振り回してバッサバッサざっくざっく巨人の項を狩れたら、
さぞ気分が良かろう。
喰われない限りは。

360度なので、まさに自分がトルスト区に居る感じ。
上を向けば空が青いし、
火の粉が散りかかってきて、
リコの声が聞こえて左側を向くとリコがいる。
イアンの声が聞こえて右側を向くと、イアン班長がいる。

ミカサやアルミンと一緒に(多分かなり足手まといな状態で)同行すると、
ドシンドシン音がして、
文字通り自分の首をあげて頭上を見上げれば、
巨大岩をかついで、ずんずん重たげに踏みしめながら進む巨人化エレンの姿が、暗い影を落としていて……
戦場でアドレナリンが出る感じ。

欧州の赤い瓦屋根の上を跳んでいくのが、爽快感があります。

今、進撃の世界では有事のときですが、
有能な調査兵団が、戦いのあげく生き残って、
いざ平和な世界を迎えられた暁には、
映画『ハートロッカー』の主人公みたいに、
何人かは確実に、平和な世界で居場所を見つけられなく、
無気力に取り憑かれそう。

トラウマの正反対、アドレナリン中毒というか、スリル中毒になっていて、
やたら凶暴的で好戦的な人間になって、
犯罪予備軍として危険視されながら野垂れ死にとかしそう……。

立体起動装置で城壁からトルスト区に下りて、
街並みをすり抜けていく感触がすごく楽しかったのですが、
人によっては乗り物酔いっぽく辛いみたいです。
4分間、わたしは濃密に楽しかったですが、
これ以上長かったら、確かにきつかった。

展示内容のほうは、
いきなりシンデレラ城テイストの小芝居で始まって……おやおや……(笑)
と思っていたけれども、冒頭だけでした。

8割がた、原画の展示です。
ほかは立体起動装置の模型(あくまで実物という演出)だったりとか、
興味深い小道具などが。

原画は思いのほかキレイでした。
キレイな原画を選りすぐっているにしても、キレイでした。
もっと修正ペンとか入っているかと思ったけど、線も紙も何もかもが、きれい。

絵が稚拙とか、雑とか、人物描写がなってないとか、誰が誰だか区別がつかない、
等々、色々いわれているのも無理はない、みたいな漫画家かと思いきや。
単に、人物書くのにあんまり興味がないんだな……という印象を受けました。
とにかく巨人を描きたいんだなあ、諫山先生。
巨人同士の、あるいは巨人対人間の戦いを、いかに絵で魅せるかをメインに考えているんだなあ。

内容は、人間同士の頭脳戦も、設定も伏線も練られていて、
単に、巨人が暴れまわったり人間喰ってるだけの話じゃないから、すごく面白いわけだけれど。

絵の優先順位は露骨に「巨人ありき」
考えてみれば、キャラの描き分けに難があるとか、
みんなモブっぽい顔とか言われている反面、
巨人については、知能があるタイプ、通常種、奇行種、
いずれをとっても、見事に描き分けが出来てますものね。
二つ名のない巨人ですら、あの時あいつを喰ったあの場面のあの巨人だ、って一目見てすぐわかる。

展示場内は一部を除いて写真撮影OKです。
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巨人の巨大模型。
その手。
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混雑の中、人間が映りこまないように写真を撮るのが至難の業のため、
どれもこれも不完全である。

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エレンの立体起動装置の実物大、というか実物展示。

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立体起動装置をつけたエレンですね(こちらはフィギュア大)。

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いろんな作家が描いた進撃キャラの展示。
進撃アニメにおいては、わたしはアルミンが今のところ一等好き。
《私はとうに人類復興の為なら 心臓を捧げると誓った兵士!! 
その信念に従った末に 命が果てるのなら本望!! 
彼の持つ『巨人の力』と 残存する兵力が組み合わされば、
この街の奪還も不可能ではありません!
人類の栄光を願い……これから死にゆくせめてもの間に 彼の戦術的価値を説きます!!》(CV井上麻里奈)
……というアルミンのシーンは、まじ胸熱であったなあ。


The English Patient [さ行]

イングリッシュ・ペイシェントをBSでやってるので見てる最中なんですが、
わたしはこの映画が大好きです。
飛行機! 砂漠! 廃墟! 発掘! 聖堂! 絵! 落下傘! 諜報員! 
……ってかんじで、好物な素材が出てきすぎて困っちゃうよ。
おまけに役者もとても良い。
終盤の「Thank you」と注射の流れに、えらく感動した覚えがあります。
そのシーンのジュリエット・ビノシュが無茶苦茶よかったので、
アカデミー助演女優賞を取ったのかと思います。

そんなイングリッシュ・ペイシェントなのですが、
冒頭、ジュリエット・ビノシュ演ずる従軍看護婦が、
病人を収容する汽車に揺られつつ、かなり悪い負傷兵の患者に、
Would you kiss me? (キスしてくれませんか)
と頼まれて、
NO, but I will bring a cup of tea.(だめ。でも紅茶を入れてきてあげる)
とかなんとか答えるシーンがあります。

するとその負傷兵が、
That means a lot to me.(それだけでもう僕には大層、嬉しいよ)
と答える。

ジュリエット・ビノシュは、じっとその負傷兵をみて、
Really?
とかなんとか疑り深そうに言ってから、
負傷兵が気の毒になって、可哀想になり、同情で額にキスしてあげる。
で、それを見た周囲の負傷兵が
Would you kiss me? Nurse~!? (キスして、俺にも、さあ看護婦さーん)
ってな感じで、からかいつつ、冗談半分にせがむのを、
That's funnyだかyou are verry funnyだか言って、
ウケるわ、とか笑いながら往なして、去っていくシーンです。

ざっくりなので、細かい言葉はちがうかもしれないが、ニュアンスはそんな感じです。

それがだ。

That means a lot to meのところが、「キスでなおる」と字幕が出ていて、
えええええ~と。
「キスでなおる」と負傷兵が要求し、
「ほんとう?」
とジュリエット・ビノシュが思案顔をして、キスしてあげる、という訳になってる。
That means a lot to meのThatはキスのことではなくて、
お茶を持ってきてくれる、ということを指すのではなかったか。

NHK・BSの日本訳だとジュリエット・ビノシュが負傷兵の「キスしてくれ」「キスでなおる」
というセクハラに屈服して、キスする流れに見えます。

本来は負傷兵は丁重にお願いし、しかも断られ、断られても、
お茶だけでも君が持ってきてくれるの充分に、痛み入るのだ
とアピールし、そのけなげさにジュリエット・ビノシュ演ずる看護婦がじんわり心打たれて、
ほだされて、額に軽くキスしてあげる、
というピュアな流れのはずなのでは……。

字幕は文字数があるので、細かいところは訳しきれないにしても。
確信犯な訳で非常にイラつきます。

基本的にこの作中の登場人物は上流階級だったりと、
ちゃんとした丁寧な英語をさらりと使いこなしている世界であって、
あるいはインテリな国際派の、
古めかしいけど、わかりやすい言い回しってのを多くで再現してあって、
そういう格も、てんで反映されていないのが残念です。

かと思うと、
いきなり門前にやってきた男にむかって、
What do you want?
と問いかけるシーン。
「ご用は?」
って訳されてるけど、
こちらは本来、「なんの用?」
と、ぞんざいな感じであるべきなのに。

radiator(ラジエーター)をアンテナって訳してたけど、
ここ砂漠で(日中熱い)
しかも車が非常に困った状況に直面していて、
予備のradiatorがないとか言ってるのは、果たしてアンテナのことなんだろうか。
助けを呼びにいくことになるので、アンテナの事かもしれない。
が、単にラジエーターの気もしてなりません。

言いだしたらきりがないので、ここでやめます。

あともう一箇所だけどうしてもいいですか。

You can't kill me. I died years ago.(君に私は殺せない。私はとうに死んだも同然だ)

No, I can't kill you now.(ああ。もうお前を殺せないよ)

というシーンがあるんですが、

You can't kill me.I died years ago.
(きみに僕は殺せない云々)からの次の台詞の字幕が、
No, I can't kill you now→「いや、殺す気がうせた」
となっていて、これもう誤訳ですよ明らかに。

否定文に賛同するときは否定形Noで答える、
すなわち日本語にすると、ああそうさ、今となっては殺せない、って意味なのに。
なに「いや」とかいって否定しちゃってるんですか。
発音でIとかyouのところにアクセントが来てたりしたらまたニュアンスが異なる場合がありますが、
そんなアクセントもない台詞ですよ。

訳というのは、難儀なもんです。
微妙なセリフ回しが多い作品で、
言葉のニュアンス次第で、これではまるでB級の昼ドラのようだ。
訳は映画の印象を大きく左右しかねず、訳がダサいと映画も駄作になる恐れが……。

初回、第2話、第4話、地下鉄の回、空港の回が好きでしたが [さ行]

残響のテロル最終回、
な?
……っていう終わりだった。
ナインとツエルブの時間がないとかいってましたが、製作側が時間がなかったか。
後半3回くらい、ナインとツエルブの関係性やら何やらぜんぶ途中で投げちゃった感じがすごい。
空港の事件以来、製作側の力尽きた感が。

初回のとぎすまされた濃密さと比較すると、
最終回の、すかすか、もう適当に片付けちゃおうぜ……っぽさが歴然としていて。
同じ内容でも、もうちょっとこう……見せ方が……。
これ投げやりすぎる……もったいない。
VONの種明かしとかもう、あんなだったら、いらなかった……。
慌てて伏線回収するなら、無理に片付けなくても良かった。

……んでもって、観覧車かと思ったアンテナ……電波研究所だったのは、当たってました。
が、観覧車とアンテナ……あれ関係性あるのかないのか、
初回から原子力発電所がちょくちょく織りこまれていたから、
チェルノブイリもなぞらえていたんだとしたら、
そこ、もっとクリアにやってほしかったなああああ。
(ふつう観覧車とアンテナみてチェルノブイリかっ!って察する人いないし。……ってことはやはり違うのか?)

ひょっとして当初作ろうと思っていたことが、
色々、現実の場所とリンクさせることで難しくなって、
製作途中で方針の変更を余儀なくされて、
最後、ああいう無茶苦茶な妥協ラインに落ちつかざるをえなかったんだろうか。

そもそもハイブがなんでリサを拉致るとき観覧車を選んだか、
ツエルブがどうやって観覧車を突きとめたか、
全然でてこなかったけど。
――小さい時、施設のでっかいアンテナを見ながら「観覧車みたいだね」
「観覧車ってなに……?」
「本で出て来たじゃないか」
みたいな夢見がちなやりとりをして、
「いつか一緒にここから出て、3人で観覧車に乗ろう」
……とか約束してたことでもあったんだろうか。
進撃のエレンとアルミンの「海……?」のやりとりみたいに。

そういうシーンが出てこないことには、さっぱり意味不明だった……。

ネタバレ


策士 [さ行]

残響のテロル#9視聴。
#8にて観覧車に見えた「アンテナ」は観覧車で、あってた。。。思いっきり観覧車だった。日本の。

どうやらこの分ではチェルノブイリは出てこないか……。

女の子がらみで仲間割れすんのまじでやめてほしいが通過儀礼ですか。
仲間割れというか裏切りとかいってますけど、
あれは役割分担として必要だった、とナインは把握してそう。
こうなるように白髪の5に強請られてる以上、不可避ですしね。

お前はリサんとこいけ、
と言いたいが、強制するわけにもいかないし、自分たちの身の安全を最優先にすれば、
たしかに捨て駒にする方法もとれなくはない。
柄にもないこともやれないので、
ツエルブが自発的に救いに行くように、薄情を装い意地悪く仕向けた上で、
自分は一番危険がふりかかる行動をチェス盤なみに先読みして、
確実にやばいほう、ピンチ度が高いほうを選んでこなしてますナインは。
すごーくさり気なく淡々とやってのけてるので、わかりにくいけど。

ツエルブは#2あたりでは、
「邪魔すると殺しちゃうよ」とか薄笑いでリサに警告する怖い子だったのに。
いまや一心不乱に助けに行くとか、なんという体たらくだ(笑)

ナインは良い人やるのも腹が立つし、性格上、不向きだから、
ツエルブが確実に罪悪感を持つようにけしかけて、動いてるよ。

白黒つけないカフェオーレ [さ行]

smile.Glico 篇 90秒
http://www.glico.co.jp/corp_promotion/14_cm_90s.html

グリコのピエロのコマーシャルが苦手です。
テレビをつけてきたときにこのCMが流れると、黙って画面から目を背けつつリモコンを探す。

なぜだろう、
妻夫木は好感度の高い俳優で、柳葉敏郎とのロト7のCMシリーズとか、かなり好きです。
カーペンターズのこの曲も良い曲ではありませんか。
(……たぶんこのCM中で流れているヴァージョンはカーぺンターズが歌っていないと思うが。)

つまりピエロがだめなんだな? 

いや、わたしはサーカスなどの哀愁溢れる、
顔に涙マークがペイントしてある、
暗く冷たい面持ちのピエロは大好きです、ゴシックだもの。
このピエロ(?)は、色も別段、白くもないし、哀愁もないし、終始笑ってるだけなのが怖いんだ。

ただまあ、ピエロはピエロ恐怖症とかあるくらいで。
高所恐怖症とか、閉所恐怖症とか、わりと共感を得られる範疇の恐怖症の代表例のうちに、
少なからずリストアップされるくらいです(http://matome.naver.jp/odai/2136025356494258701)。

ピエロというと、殺人ピエロのジョン・ゲイシー
(ピエロの恰好をして孤児院とか小児病棟とかを慰問するいっぽうで、
少年含む33人を殺害して、死刑になった)
この殺人鬼のイメージが容易につきまとうからもあります。

商品戸棚に潜んでいたり、
気付いたらカップボードから出てきたり、いつの間にトレーラーに居たり、
グリコのピエロもたいがい変質者っぽい。
小学校低学年のとき、友達と登下校中とか公園で遊んでいると、
いきなり追っかけてくる大人の不審者って、大体こういう表情してました。

そもそも欧米の映画とかでは、
ペドフィリアや猟奇殺人犯のたぐいは、
カラフルなアイスクリーム売りとかになりすまして、
陽気なあったかい音楽をかけてやってきて、
道化になりすまし、甘いもので子供を誘惑し、
ハーメルンの笛吹きさながらごっそりさらって残虐に殺人、これがひとつのテンプレです。

お菓子会社が、にたにた笑ってるピエロを……やっちゃうのか。
もやもやします。

しかしこのCM、好きな人には、とことん好感度高いみたいです。
わたしを含む嫌いな人は、これまた、とことん駄目みたい。
世の中はいろんな人がいるわけですが、かなり両極端な反応なんだなあ……しみじみ。

CM中で癇に障っておぞましいのは、
カラカラカラっていう音でもあります。
テクマクマヤコン♪テクマクマヤコンみんな笑顔になーれ的なファンシーな音だったら、
こうもざわざわしないと思うんだが、
しゃれこうべがカラッカラッ骨を鳴らす音みたいで、緊張します。

ずっと満面の笑みである道化君も、
チャップリンのようなダンス性・リズム感もないし
(そもそもチャップリン映画からリズム感を奪って、まったりにしたら、相当きもいよ)。

絵にかいたような偽善的な世界が仕込まれていて、
居心地が悪くて仕方がないっつう……。
お菓子全般食べることが、胸糞悪い気分になるが。

グリコさんは株価を上げたいのか?
純粋に、
「パナップ!」
とか、
「カフェオーレが飲みたいの~」
と、商品の宣伝をしてほしい。
人気商品がひいては企業のイメージ向上に直結する分野ですし。