ギュッとエネルギーが凝縮・発散していたラルクのアリーナツアーについて書きたくて、
色々うずうずしているけれども、少し落ち着いて考えをまとめてからだ……。
今はネタバレは差し控えねばならないし……。
書けることは、さいたまスーパーアリーナだからこそという部分であろうか……
と思ってグツグツ熱気が煮立ったままいるのも何なので、全然関係ないことを書く。
ラルクについては昨日のブログに、追記の形でアップするつもりでいる。

近頃、『昭和25年版 復刻版地図帳』というのをゲットして、
日がな、寝る前にちょこっとずつ眺めては楽しんでいるのだが、
見れば見るほど、ここ掘れわんわん掘り下げ場所満載な、情報どっさりお宝本なのである。

ちなみに私は方向音痴なだけあって、地図とか地理とか、かなり疎い。
学生時代には地図帳とか白地図とか、うんざりしていたものだが、
この昭和25年当時の『中学校社会科地図帳』
図解とともに文字情報が多いのだ。

たとえば日本都道府県の「寄生虫保有者数」
1946年(昭和21年)時点のデータをもとにしてある分布図で、
北海道は例外的にデータなし。
また愛媛は昭和19年、和歌山・広島・鹿児島は昭和20年の戦時中データをもとにしている、
その図表によると、山梨が群を抜いて多いのである。
次に新潟。

地図帳には「寄生虫保有者数』としかない。
はて。
戦時中や戦後直後の寄生虫……?
汲み取り式が原因だと仮定したところで、当時のトイレ環境は主にどこであっても汲み取り式だし、
GHQがシラミ駆除のためにDDTをまいたというのは良く聞くが、
だったら山梨と新潟だけ飛びぬけて多いというのは、奇妙である。
この寄生虫って……?

環境……環境だとすると……
ここまでデータで突出して顕著ならば、その寄生虫が原因で病気になってるはずなんだけど。
ツツガムシ病?

ツツガムシについてググってみる。
……ビンゴ。

ツツガムシがダニの一種であるとは知りませんでした。
昨今、注意喚起されているマダニとライム病に似ている(というか同類)なんですね、ツツガムシ病。

かつては山梨、新潟、秋田の風土病だったツツガムシ病(リケッチア症)。
今は撲滅されたんだよね……と思ってさらにググったら、全然そんなことはなかった。
もちろん、激減してはいる。
が、撲滅とかはしてないんだな……。

あれ……でもなんか撲滅したやつがあったような。
Wikipediaで「秀逸な記事」に選ばれているやつだよ、あのええと……
地方病(日本住血吸虫症)だ……!

山梨県で長きにわたって闘って、撲滅した病気だったんですね。
(山梨だけに限らず、ほかにも何ヵ所か流行地域があったのだが。)
どうりで、この復刻版地図帳で山梨だけ飛びぬけていたわけだった。
寄生虫保有者数と題せば、
当時はそれがツツガムシや日本住血吸虫であるというのが、常識だったのかもしれない。

他にもたとえば、昭和22年時点のデータを基にした、
日本の結核死亡者数の分布図。
圧倒的に死亡者数が多い地方が、福岡、島根、京都。
次いで山口、大阪と北海道。

さきほど寄生虫のところでは最多だった山梨ですが、
結核死亡者数に関しては、唯一、最も少ない地域である。

なぜこんなに歴然と地域差があるのか。
山梨が結核死亡者数が少ない理由はなんとなく想像がつく。
やはり空気が綺麗だからだろう。

大きな工場や炭坑などがあって、大気汚染がひどいと肺の病が悪化するわけだけれども、
これは喘息とかのほうが直接的に影響がありそうな……。
呼吸器に疾患をかかえていると、
肺結核になったときに死に至りやすいのは、勿論なのだが。
結核すなわち肺結核とも限らないし、
当時の北海道は無医村率がダントツでもあるので、複合的な要因もあろう。
これに関しては、いまだに当時の地域差の理由が、私には今一つはっきり言い当てられない。

道路の国道舗装率なんかも載っていて、
当時は6%が舗装、94%が舗装されていないんです、日本。
対して当時のアメリカのグラフが載っているんですが、
アメリカは35%舗装されていて、65%が未舗装です。
あんなに国土が広いのにだ!
そりゃ負けるよ日本、戦争負けるよ……。

山梨の寄生虫が減った大きな理由の一つに、
舗装路にしたからだというのが、ウィキペディアに載ってたよ……。

しかし最近では日本中どこもかしこも舗装路にしまくったせいで、
遊水地が激減して洪水が起きたり、ヒートアイランドが加速している一端も無くはない。
時代を感じる……。
現代はバランス感覚が問われる……。

私がアメリカに留学した時に感じたのは、
アメリカは道路整備があんまりなってないな……であり、
道は古く、ひび割れが結構あった。
日本に帰国するたびに「道路がきれい! 舗装路が新品で黒々としている!」
と感じいった。

戦後日本で、田中角栄が国道を新潟に引っ張って、
道路を舗装しまくったから首相になったんだとかいうのは、
当時の日本においては切実なるところだったんだろうなあ……。
ナチスがアウトバーンを作ったから政権を取ったというのも、
語弊はあるが一理あったんだろう……おそらくは。

復刻地図帳では、
現ロシアがソヴィエト連邦
(ソビエトではなくソヴィエト表記なところが大変好ましい)なのは勿論のこと、
まだ南北に分断されていない朝鮮エリアは「ハーヌ民国」
韓民国の原語読みに寄せた表記かと思われる。

チョンホワ民国とあるのは中華民国のことで、こちらも原語読みに寄せた表記かと。
揚子江(ようすこう)は、「ヤンツー川(揚子江)」と書かれていて、
こちらもなるべく原語の発音に即した表記になっている。

「B」と「V」の使い分けが明確で、
ベルギー、ヴェニス、ヴェネズェラ。
日本人がRとLの区別の次に苦手な、BだったかVだったか問題をすんなり解決。
日本語の時点でBとVが分かっていれば、そのほうがずっと楽だからね!

昨年、地名のヴ表記をなくすと外務省が発表し、
→参照:https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/15156.html
「は?」

そう憤った私としては、
こちら昭和25年当時の、義務教育中学生用の地図帳のほうが、
よほど進歩的で、教養として確かなものに映る部分が多い。

国名からヴ表記が消えるからといって、
全てのヴ表記が消えると決まってはいないが(人名とかもありますしね)、
私は固有名詞以外でも、ヴ表記できるものは、なるべくヴ表記したい。
たとえば、ライブと書かずに、ライヴと書きたい。
日本語表記でもVとBの区別ができるものは、したほうが良いと思っている。

でもたとえばVideoのことをヴィデオと書かずにビデオと書くのは、
ビデオは、もはやカタカナ外来語──つまり日本語として、あまりにも定着しているからです。
ヴィデオってビデオだと思えないもんね。
volleyballもヴァレーボールでなくバレーボールとしてあまりにも定着してるからであって。
でもスポーツの「バレー」と書いてあるとき一瞬かならず、
バレーボールか、踊りのバレエ(ballet)なのかいつもわからなくなるので、
普及時点でなぜvolleyballをヴァレーボールと表記してくれなかったのだ……と思う。

ヴでも通じる、むしろヴのほうが通じる、という言葉は積極的に、
ヴ表記でいきたいよなあ……。

復刻地図帳には、世界の主な国の出生率と死亡率もグラフになっていて、
1948年(昭和23年)のデータをもとにした出生率ランキングでは、
1位日本
2位チリー
3位インド
4位オランダ
5位アメリカ合衆国
6位オーストラリア
7位イタリア
8位フランス
となっています。

死亡率は1位メキシコ、2位インド、3位チリー、
4位日本、5位ベルギー、6位フランス、
7位アメリカ合衆国、8位イギリスです。

こうしてみると長寿国になったのは日本の悲願だし、
思うに昨今、少子化少子化と叫ばれていますが、
むしろ戦後直後、いわゆる団塊の世代の日本の出生率が異常に高すぎなんでは?

戦後で食べ物が全然なく、浮浪児や餓死者も続々出ていた時代に、
世界の主な国で、日本が一番出生率が高いってさ……。
むしろそっちのが異常事態でしょう。
そのイレギュラーのまま突っ走ってきすぎたのでは?

「最早かつてのように人手が有り余っていた時代とは違うのだ。
これからは人手こそを大切にする時代にしなくては、世の中が成り立たなくなる」
と言う説にも、残念ながら私は懐疑的にならざるをえない。

戦時中の最も人手が足りない時代にだって、
特攻隊や玉砕で、人手の無駄遣いでしかない所業をしまくったのが日本だから。
あそこまで追い詰められても人手を無駄遣いしたのだ……。
もったいないがモットーの国などと一時期、もてはやされたりもしたけど、
もったいないのが人ではなくて、むしろ口減らしという方向に行きがちなのだ。
だから程度を越えると、世知辛くなるだけなのが、日本の気風としてある気がしている。

「新聞ができるまで」という項目で、
電話、ラジオ、現場出張、自動車などと同じ連絡手段のトップに、
はと
──が、あるのが可愛いです。

江戸川乱歩の小林少年が伝書鳩を緊急時の連絡に使うため、
かばんにひっそり隠し持っていて、ピンチの時にそっと語りかけるのが、
子供心にものすごくうらやましくて、憧れだった。
窓の外に放つのが超絶ハラハラドキドキしたんだけれども、
あれはひょっとすると別段そこまで特別感はなくて、
今でいうと、携帯の電波が~
くらいの扱いだったんだろうか。