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夢みる惑星 [や行]

SF&ファンタジーの理知的な漫画を得意としている、佐藤史生先生の訃報を知りました。
ポスト24年組、萩尾先生の影響を受けているのは作品を読むとひしひしと感じる反面、
これが数段クールで頽廃的で図太さがあって(しかし絵はおもに硬質で線が細いかんじ)
異質でものすごく卓越した話を描いている、
というのを、私は四年ほど前に初めて知ったのです。

友人が「友香さん絶対好きだとおもうから」と有無を言わさず貸してくれ、
えーそうかなーと半信半疑で読み出したら、好きとかいうレベルじゃなくなんだかすごかった。
読ましてもらった漫画で、いまでも手に入るものは、即決落札したおぼえが。

最初に読んだのはハヤカワ文庫から出ている「天界の城」という短編集で、
これはいまでも普通に購入できる。
しょっぱなの「阿呆船」からすごいんだが、全ての短編において、すさまじい世界観が展開。
設定がまずものすごく凝っているんだが、それを、すごいだろ! ……と、ひけらかさないで、
淡々と展開しながら、
個性的な登場人物が、怜悧かつ情熱的に動く。
理知と情動の二刀流なのが、ナイーヴすぎない、大人に開き直ってる感じがあって、
なんか他に追随を許さないのだ。

短編の中で私は「やどり木」が一番好きで、長編では「夢みる惑星」が一番好き。
日本SF新人賞の受賞の言葉をSFJapanに掲載することになったとき、
私は、影響を受けた……あるいは私の器では影響なんか受けられないくらい大きな作品
夢中になった、今も好きな作品を、勝手に列挙している(SFかゴシック系にかぎり)。
たとえば(以下敬称略)萩尾望都のポーの一族や、
ナウシカやラピュタなど宮崎アニメ、
銀河鉄道999やら、
エミリー・ブロンテの嵐が丘、
太宰治で短編ならフォスフォレッセンス、
シオドア・スタージョンの夢見る宝石、
映画は、ガタカとサンシャイン、
銀河鉄道の夜も挙げたんだっけ……な中に、
もちろん佐藤史生の「夢みる惑星」と「やどり木」も。

佐藤史生は、いわゆるHigh concept Sci Fiの世界と、
土着で神話でファンタジーな感じを融合させていて、
言ってみればかなりSF真っ向勝負な作品を、独特な精緻な筆でつむいで代表作に残している。
にもかかわらず、気づけば日本SFクラブにも組み込まれていない。
こういう先生の意図が反映されなかったなんて残念すぎる。

「夢みる惑星」は、神話の裏側を捏造していくような感覚*が、うきうきする。
おまけに登場人物のずるがしこさが、良い感じに発揮されるところが、私にはツボだった。
最初主人公のイリスは「みるもたよりない風情のお子」で、銀の瞳に銀の髪、
女の子みたいに綺麗で弱々しくナイーヴ、
馬鹿真面目で、ひとの言うことをいちいち真に受けて、おい寝こむのかよ。
あ、こういう路線の主人公ね、と思って読んでいく。
……と、次の章で若者になったイリスは「妙なぐあいに腹のすわった青年になりました」

神殿での修行のあいだ、遺跡から出た経典をまじめに写経していたイリスは、
神殿をぬけだしてとある画策をしている。
斎王イリスが居なくなっちゃったんで、
神殿側は内密に捜索の手をまわしている。と、周旋屋に、写本を売りつけられる。
それが「長老じこみの見事なゴアキール署名体」で、
イリスの写経なんだよな。
イリス、修行の成果物である写経を、周旋屋にふっかけ路銀づくりの元手にしていたわけよ。
神殿でまじめくさって熱心に写経してたのは、もとよりちゃっかり偽造して売っぱらう目論見。
あとで長老に見つかって、ぐちを言われても、やはり300タウスで売ったのは高すぎたか? とか、
のほほんと抜かすありさま、最早まったく悪びれない。
ま、周旋屋がそれを1万タウスで売りつけられるだけの、いい仕事をしているので、
損させてないんだけど。

イリスは幻視者として神殿に担ぎあげられていても、
実際自分に幻視能力がほとんどないことを過剰なくらい自覚していて、
(幻視のインプットは相手によってできるが、アウトプットができないんだよな。)
そのぶん舌先三寸、超化学を駆使して、そこらの幻視者以上のカリスマ性で民衆を動かそうとする。
神殿の長老たちにむかって、
お前らが私を使い物になる大神官として担ぎあげるなら、やってやる、
かわりに邪魔となる本物の幻視者を残らず殺せ、
などと平然と命ずるのだ。いつもは虫も殺さない性格しているくせによ。

(あ、そういうところ、なんかコードギアスのルルーシュにも似てるなあ。
たった一つのギアスを頼りに、あとは頭脳による演出作戦、
たとえ自らはエセな偶像であっても、少ない味方と、手を組むべき手ごわい相手とで、
どれだけ民衆を救済できるか、みたいな。だからどっちも私のツボなのかー。)

佐藤史生先生の、知る人ぞ知る、だけどなぜか広くは知られていない名作を、
どうかこれを機に、一人でも多くの人に読んで欲しい。
遅すぎるなんて事はない。
損はしないから。
*神話の裏側を捏造していくような感覚

→神話の裏側で捏造ではなく、神話の裏側を捏造した結果、「神話の表側」に、結果として残る記録がすなわち「歴史」なんじゃないかなと。

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