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「あんしんBOOTHパック」はじめました [ニュース]

黒十字療養所出版部刊行本のBOOTHでの取り扱い、発送方法につきまして。
6月より「自宅から、あんしんBOOTHパックを利用して発送」
に切り替えております。

「あんしんBOOTHパック」も、これまでの「倉庫から発送」と同様に、双方の匿名性が保たれます。私側も購入者側も、個人情報(住所・氏名・電話番号)を明かすことなく配送手続きができるシステムです。

BOOTHの「倉庫から発送」より、おそらく送料が少し安くなると思います。

例)『黒十字サナトリウム新装版ハードカバー』1冊を購入の場合
「倉庫から発送」→送料750円
「あんしんBOOTHパックで発送」→送料540円~

新書判サイズの短編集など、ほかの本も一緒に合わせ買いをする場合、「倉庫から発送」の時と同様に送料は発送一回分となります。その際は一番送料が高い料金が適応になります。

例)
短編集+小冊子+黒十字新装版ハードカバーを「倉庫から発送」→750円
短編集+小冊子+黒十字新装版ハードカバーを「あんしんBOOTHパックで発送」→送料540円~

なお短編集+小冊子を「あんしんBOOTHパックで発送」の場合、ネコポスで370円になるはずです。

黒十字療養所出版部・BOOTH:https://bcsanatoriumpub.booth.pm/


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「進撃の巨人」最終巻の感想(ネタバレあり) [さ行]

『進撃の巨人』最終巻(34)、読み終わりました。

……Huh?(怒)

みたいな気持ちになっている部分もあるにはあるんですが、これ以上読み進めていくのが正直かなりしんどかったので、終わらせてくれてよかったです。
あちこちで腑に落ちぬ部分もあるし、納得できぬ部分も少なくない。
それでもここまで読んできてよかった、途中で読むのをやめなくてよかった……と思える終わり方でした。

30巻くらいからか、私は、はっきり言ってもはや面白くもなければ、さしたる感動もない傍観者の諦念に至ってきていて、
どんな結末であれ、ここまで来たからにはついていくよ……もうどの登場人物の死も見取る覚悟はある程度できているから……と。
最後まで読まねばなるまいという義務的な感覚になっていた。

とか言いつつも、33巻のハンジさんの活躍と退場の場面には、積年の思い出が去来し、一瞬、泣きそうになったんですが……。

最終巻・34巻は怒涛の展開の地獄絵図……というか、これはかなり「風の谷のナウシカ(とくにアニメ映画版)」リスペクトで下敷きにしているんだね……?
という印象が、読み進めていくうちの8割を占めていました。

──進撃の「地ならし」って、ようはナウシカの王蟲の大群、そのまんまじゃん……。
王蟲は山津波の擬蟲化とも思えるいっぽうで、進撃の「地ならし」は火砕流っぽいイメージも加味されてはいる……。地ならしをする巨人は近づくと猛烈な高温で発火する。
進撃の飛行艇は、その役割がもうナウシカのガンシップ。
進撃の「空を飛べる巨人アニ」は、ナウシカでのメーヴェの役割そのまんまだし……。

ナウシカの巨神兵は、進撃でいう「九つの巨人兵」か──しかしナウシカの巨神兵はこの世で最も邪悪な力を持ちつつも、トルメキア軍の傀儡だけれど、進撃の「九つの巨人」は、おのおのが意識も知性も、人間性も個性も持ち合わせてはいる。
厄介なわけだ……。

「進撃の巨人」のエレンの最終決断は、「鋼の錬金術師」のエドが真理の扉との問答および等価交換の駆け引きをするさまに似てもいた。
しかしハガレンのエドは、扉の向こう側に囚われた弟のアルの肉体を、こちら側の世界に連れて帰ってくるのに成功した。いっぽうエレンは、始祖のユミルと語り合った結果、ユミル側にシンクロしちゃってあちら側に取り込まれちゃったんだな……という印象でした。
アルミンやミカサが戸を叩き、エレンも応答したけれど、エレンはついぞこっち側に帰ってくることはなかったんだ、と。

物理的な壁に何重にも囲まれたヨーロッパの小さな町から物語が始まって、その破壊と再建の震源地である「壁」の存在が、エレンが初めて海を見て、父親に託された地下室の秘密にたどり着いたあたりからか。地球上にある現存の「嘆きの壁」とオーバーラップするような様相を見せはじめ、パレスチナ問題(&ナチスのユダヤ人迫害)を露骨に想起させる展開となっていったところで、「テーマのすり替えが起こっている気がする……物語の舵を嫌な方向に切りだした気がする」という感覚がありました。私には。

その懸念(私にとっては懸念だけれど、ほかの読者にとっては深いテーマと思える点かもしれない)が、どんどん強まっていって、社会情勢チックで普遍的な「現実社会において世界平和をどう実現していくか」という闘争を描いていくストーリーに、物語の争点が移っていったように思う。

当初は、どれほど苛酷な世界であれ、自由を求めて外に飛び出そうとする話のはずだったが……。

私としては「進撃の巨人」独自の物語性──巨人は植物と脊椎動物との掛け合わせによって出来たと思えるんだが、それであってますよね? だとしたらどうやってそれを人工的に?
という謎の仕組みをもう少し掘り下げて、種明かししてほしかった。
観念的には解き明かされているが、私がこの物語に求めていたのは、ここまで観念寄りの世界じゃなかったので……。

結局、いろんな風呂敷をこれでもかというほど、あちこちで広げきり、「平和は大事だよ」ということを、陳腐とわかっていても言葉を尽くして、今更ながら声高に言った挙句に、あちこちで広げた風呂敷をいちいち畳むことは一切せず、全部燃やして片を付けたんだね。
と、全体的にそんな印象。

途中、パレスチナ問題を匂わせなんてレベルじゃなく眼前に提示したけれども、結局は、エレンとミカサとアルミンの幼馴染3人組の決断に、物語が帰結した。
それはとても良かったと思っているが、じゃあ進撃パレスチナ問題はなんだったの?

……と、そこはオスカーワイルドの『サロメ』の一幕を思いっきりオマージュした、ミカサがエレンの首を抱いてキスするシーンでお茶を濁した、という点ばかりはさすがに非常に鼻についた。

サロメはもともと歴史上の人物で、聖書に登場する、ユダヤの王の義理の娘ですよね。
王が、サロメの母親の再婚相手にあたります。
つまりサロメはユダヤ王の血のつながらない姫。
ユダヤ王の姫サロメは洗礼者ヨハネの斬首を求め、求めたものを得る。
その歴史的なエピソードをオスカー・ワイルドが退廃的に脚色したのが「サロメ」
「サロメ」において、姫サロメは、父王がとらえた囚人・洗礼者ヨハネに恋をしているが、ヨハネが姫を突っぱねるので、その唇にキスをしたいからヨハネの首を斬って自分にくれ、と王にいうわけです。そのさまをビアズリーが装画にしたのが超有名。
で、進撃最終巻のミカサとエレンの見開きのシーンは、もろそのビアズリーの装画の進撃版にすぎなかった。

洗礼者ヨハネは、キリストに洗礼を授けたから洗礼者ヨハネなわけですが、預言者でもある。ユダヤのヘロデ王に殺されたのもなんだかんだ色々理由はあるが、預言者だったから殺されたというのも大きいと思う。

エレンも未来の殺戮の記憶を見た、ある種の預言者。
エレンはその殺戮の記憶のままに、自らも殺戮をする選択をするんですけど……。

その宗教や信仰について本質的に理解の及んでいない人が、これ見よがしに目に付くモチーフだけあしらって「わかってる感」を出して描いて、読者を納得させようとしている、
という風に映り……違うかもしれないけれども、モチーフとしての使い方があまりにも露骨なあまりそう映り、一気に猛烈に興が冷めた。
本当は「わかってる感」ではなく、心底わかっていらっしゃるのかもしれない。
だったらこのモチーフの使い方は陳腐でチープで付焼刃感しか出ないのでは……?
肝心かなめの物語の着地シーンであるド迫力の見開きが、ド級のオマージュシーンというのは一体なに。
そういう漫画だった……?

ジークの血縁であり(考えようによってはエレン自身も遠い縁戚にあたる)調査兵団の仲間でもあったクリスタ・レンズことヒストリア・レイスが国のために犠牲になるのを救うために、エレンは幼馴染3人組の信頼関係を危うくしてまで、「地ならし」に踏み切った部分も多々ある。なのに、当のヒストリアが、エレンの最終決断──エレンが破壊の限りを尽くした後で、アルミンとミカサに、エレン自身の身の振り方すべてを委ねた──という点について、個人的にどう受け止めたのか。全くわからない。描かれていなすぎる。
いくらなんでも、そりゃないだろ……。

謎はいくつか残っていたほうが物語としての余韻があるし、語りつくさぬ想像の余地をあえて残す物語は、私も大好き。
だが、そういうレベルじゃない、あれやこれやらが放置されたまま、
え、もうエピローグ……?

それでも「ここまで読んできてよかった」と思えるのは、リヴァイ兵長がジークの首を取れたことです。
幾度となくジークにとどめを刺せる機会を得ながらも、様々な事情から寸止めの憂き目にあっていた兵長が、ついに目的を果たしたときには、当初の「エルヴィンとの約束をたがえぬ」という目的とはいささか様相が異なっている部分もあって、それも含めて、とても良かった。

ジークもね、初めて猿の巨人として出てきたときには心底、不気味で、ミケさんやナナバさんを殺したときは本当に憎かった。ナナバさんは直接的に殺してはいないが、あのとき指揮を執っていたのはジーク。
ジーク特有の自虐的なオヤジギャグっぽい変なしゃべりが、
……これ……敵とか味方とか関係なく、寡黙な兵長と性格的にもとことん正反対、反りが合うはずないんだな……
という謎の説得力で。

みんなを死なせたくないし、なんとしてもジークだけは自分の手で決着をつけねばならないと苦渋の決断をしている兵長と、みんな死ねばいいし自分も例外ではなく死ねばいいし、なんならみんな道連れにしてやろうと思っているジークとの因縁が終始、味わい深かった。
この点は作中で過不足なく描かれ、ちゃんと片を付けてくれて、満足でした。

兵長は文字通りに満身創痍で、体のあちこちに不具合を抱えていても、いつまでもリヴァイ兵長のまま……というか悲壮感が増して全盛期よりもっと格好よくなっていったように私には映った。

それにしてもさ……エルヴィン団長と、ハンジさん、どちらも熱い感情がありながらも、感情と理性が拮抗したら、必ず理性的な選択をできるタイプの二人が途中退場したのは、本当に痛かったね……。
おかげで最終巻の34巻なんて、9割がカオスだもの……。

ウォールマリア奪還作戦で、エルヴィン団長とアルミンのどちらを生かすかという究極の局面において、私はアルミンが大好きなこともあり、アルミンを選ぶのは当然だと思った。
アルミンは未熟だがアルミンの代わりになれる者は居ないんだよ!
未来のためにもアルミンだよ、エルヴィンのわけないだろ!

それでもその後の展開はエルヴィン団長の不在がかなりこたえ、
ああ、エルヴィンが居たら、ここまでの投げやり展開とカオス具合には至るまいに、今エルヴィンの統率力があれば……
と、随所で思い知りました。

まあエルヴィンが健在だったら、リヴァイがここまでジークの首を取ることに執念を燃やす必要もなくなるかもしれないですけど……。

ときどき砂も混じっている、かなり刺激的なスパイスのきいた料理を搔っ込んだ、という感じの34巻でした。

ごちそうさまでした。


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