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九の扱い [か行]

先日、刀剣乱舞は九周年を迎え、私も審神者就任九周年を迎えました。
本丸の九周年と、審神者九周年の言祝ぎをしてくれる、刀剣男士。

審神者就任九周年のお祝いメッセージは、就任日の一両日中しか言ってくれない。
本丸内の刀剣男士が百八振とかそのくらい(もう数えるのも大変)になった今、全員分は聞けなかった。起動すると言ってくれる仕様なので、その都度、ブラウザを閉じては近侍を代えて立ち上げるのが手間……。
等々、思っているうちに審神者就任記念日が終わってしまうの。

本丸九周年については一か月ほど言祝ぎを聞けるけれど、審神者就任は一両日しか聞かせてもらえないのだ。せめて一気見できる仕様にしてくれまいか……?
よくよくとなれば蘇言機があります。が、もう蘇言機でまかなえる桁じゃない。

そんなわけで就任九周年のお祝いは、初期刀やいつもの近侍、また当方箱推しといえど特にお気に入りの刀剣を優先し、言祝いでもらいました。
今回、特に印象的だったのは古今伝授の太刀の台詞です。

もともと私は古今伝授の太刀の刀剣本体が、ゲーム実装前から好きなのですが、本体はべらべっぴん、というイメージの豊後国行平の作、国宝太刀(永青文庫所蔵)。

以前もこのブログで書いたけれど、古今伝授の太刀は審神者に当然のように求めてくる教養レベルが非常に高い。
審神者の理解力を信用しきってくれていて、野暮な注釈や解説などをつけないところも好ましい。

いにしへに ありきあらずは 知らねども 千歳のためし 君にはじめむ

(一応ネタバレなので白字で載せています。読む場合はカーソルでハイライトして色を反転)

素敵な和歌だが、わからんもんはわからんわけです。

なんとなく分かる気はすれども自信がない。せっかく古今伝授の太刀が私の理解力を信用して、古今和歌を詠ってくれているのに……。
早速、歌仙兼定に確認しようとしたところ遠征中だったため──(という脳内設定の末)ググった。

古(いにしえ)に居たかどうか定かではないけれど、千歳(ちとせ)──千年続く命を、まずあなたから始めましょう

みたいな意味合いだった。

すてき。
ありがとう、古今伝授の太刀。

たとえば古今伝授の時代には空を飛ぶ人間は一人もおらず、当時、空を飛びたいなんて言おうものなら妄想、夢想家だったわけで。
でも現在、鳥のように空を飛べずとも、気球やら飛行機やらで人間は空を飛べる。

そうしてみると現在の世において、古今伝授の太刀が、古今和歌の、この歌を選んで言祝いでくれる審神者就任九周年、洒落ているではありませんか。

人間、苦しい時はこの人生を苦しいまま長引かせたくないあまりに、この苦痛が解消されないなら早く幕を下ろしたい、と思う。千歳を祈願してくれる時点で、幸せな状況を夢見られる、この九周年という節目を良いものに出来そうな気がして、嬉しいですよね。

さて、この九周年という数字について。
いろんな刀剣男士が「大台が間近」「大きな節目の前の九周年目」とかと表現することに、非常に違和感がありました。

だって九という数字が、まず大きな節目なのでね。
九は、十の前の数字、というだけではない。
もともと九は最も縁起の良い数字です。
中国伝来の漢数字、奇数が縁起が良いとされており、奇数は陽、偶数は陰。
縁起の良い三五七と来て、九はその最上、最も縁起がいい数字とされている。

刀剣乱舞の運営が特番動画で、十年を目指したその節目の一つ前の年、といった感じの表現をしていたときも「む?」
少々、引っかかりはした。
が、そこは所詮現代ですし、十周年を目指すのも分からなくはない。

ただ、刀剣乱舞は二十四節気を尊ぶような世界観でやってるわけで。
なのに九という節目の扱いが、十の手前というだけだなんてさ……。

そもそも刀剣男士は刀の付喪神という前提。
九十九(つくも)神とも書くわけですし、和風の世界観を全面的に出しているのだから、九について、もう少し特別がったり、素敵がったりしてもいい。

現代の日常において、数字に特定の意味を持たせるということは、あまり私は好きではありませんが。
七五三、これらの数字が縁起が良い節目なのは有名でしょ。

三月三日を桃の花の節句で祝い、五月五日を端午の節句で祝い、七月七日に七夕がある。
で、マックス縁起の良い九月九日は、重陽の節句です。菊の花でお祝いをする。
縁起の良い九が二つも重なるから、重陽。
大層なお祝いですよ(中国だとガチで大きなお祝いのはず)。

節句って、節目だから、節句です。
なのにかなり多くの刀剣男士が「十年を節目と見据えてその前」という認識をしてくる。
これ、作品の世界観の崩壊に近くないか……。

そんな中、古今伝授の言祝ぎはさすがで、ひときわ喜ばしかった。

九という数字が非常にめでたいにも関わらず、その認識が刀剣乱舞の運営をはじめとして、現代日本にあんまり定着していないとするならば、やはり九という数字が時として苦と同音の発音をするがためでしょうね……。

私は九月生まれなので、九という数字が好きですし、だからこそ九という数字に若干敏感かも。
九という数字に苦の意味を込めたり、見出したりする人が少なくないのも、知っています。
この日本の同音異義語にまつわる根強い言霊の法則、なかなかよね……。

九月生まれで九が好きだとはいっても、九に苦しいという意味を込めたり見出している人が、やたらと私に九を勧めてくる場面は、それはそれで不愉快ではありますよ。悪意が如実だから……。

そんな九月九日重陽の節句を題材にした有名な話といえばやはり、上田秋成の「菊花の約(ちぎり)」で。

「江戸時代の文学」の覚えるべき作品として『雨月物語』は高校時代、試験範囲に入っていた。
大島渚監督の『御法度』でも、沖田が「菊花の約」について、土方に語ってみせるシーンがありますよね。
私は石田彰(敬称略)の「菊花の約」朗読CDを持ってもいた。

この話、皆さん御存知の通り、めでたい重陽の節句を題材にしつつ、めでたい話ではない。
雨月物語は怪談だし(私からすると和ゴス)。
怪談は常に死の影が濃厚にある。

このブログを読む人で「菊花の約」を知らない人はいないと思いますが、ざっくり記すと、物語は戦国時代。
母と暮らす儒学者で清貧な暮らしをしている左門が、行き倒れている武士を見つけ、家に連れ帰り、介抱する。武士の名は宗右衛門。左門の介抱の甲斐あって回復した。
左門と宗右衛門は親しくなります。義兄弟の契りを結ぶ二人。
宗右衛門は国許の異変(事変というか)を聞き、急ぎ国許に戻るところで病に倒れたのだった。

元気になって宗右衛門が国許へと発つときに、「重陽の節句に必ず会おう」と再会の約束をします。宗右衛門が左門のところにくる、という形での約束を。

ところが九月九日、左門が貧しいながらも御馳走を用意して心待ちにしているのに、なかなか来ない。日も落ち、もう来ないのか……と思ってるところに現れる宗右衛門。
嬉しそうな表情をするものの影が薄く、疲れている感じで御馳走にも箸をつけず、聞けば、
「裏切り者の手下となっていた親戚筋に捕えられて、長らく監禁されていた。人が一日に千里を進むことはかなわないが、魂なら一日に千里をもかけると聞いた。だから自害して会いに来た」
と告白する。
「人一日に千里をゆくことあたはず。魂よく一日に千里をもゆく」

事情を知った左門は、宗右衛門の代わりに宗右衛門の国許に行き、宗右衛門を監禁した親戚筋を殺し、仇を討った。

つまり霊魂絡みの、仇討ち話。
最終的には目的を果たす。
にもかかわらず、一貫して情感が、めでたくない。

そもそも、待ち合わせに間に合いたくて自害するなんて、日本人の刻限厳守って昔から洒落にならん……。「霊魂は千里を駆けると聞いた」だけで自害して、もしもそれが噓だったら死に損じゃないか、ずいぶんと思い切ったな。会えてよかったよ……。

という以上に、──遅れたとしても左門は絶対許してくれたぞ。もちろんその日は残念で、寂しく過ごすし、場合によっては恨めしく思ったかもしれないが。あとで事情を聞いたなら、約束の日にちに間に合うために死なれるより、遅れてもいいから、生きて会いにきてほしかったはずだよ──
でもそこを思い切って成し遂げるからこそ、美しい物語なのだ。

これが普通の日付だったなら、ここまで「この日に絶対、会いに行かなくては」と宗右衛門も思いつめなかったのでは。当時の読者も「何を早まったか」と思う気持ちが強くて、現代まで名作として伝わっていなかったかもわからない。
監禁してきた相手が親戚筋なので、殺されると決まった環境ではない。
場所も橋の上で会おうとか、船着き場で会おうとかではない。左門の家で再会する約束なんです。その日を逃しても会える。早まったか宗右衛門。

でもそれが……昨今の日本のクリスマス事情にわずか通ずる部分もある(?)一緒に過ごす相手を厳選すべき、そんな特別感をともなって定着している──重陽の節句で、文字通り死んでもすっぽかしたくない節目なんだ……
という認識に後押しされてもいたならば。

重陽という超絶めでたい九月九日であると同時に、同音異語として九が喚起する苦のイメージ、この両極の固定観念が日本に定着していたからこそ、しかも菊の節句です、
「菊花の約」
美しいが残酷で、儚くもしぶとい(自害はしたが、義兄弟にちゃんと会えて、用件を伝えられ、きちんと仇は討ってますから)、そんな両極のテイストを織り込んだ名作ができたのかもなあ。
そう思えたりもするわけです。