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Hyde黒ミサ♪ライヴ・ヴューイング@TOHOシネマズ新宿 [は行]

行ってきました。
尚、わたしが最初からライヴ・ヴュで甘んじたと思わないでいただきたい!
全ての先行発売に落選しました。ええそうです。
こんなことってあるのか……と思いました。
で、先行ではなく一般発売ともなれば、開始と同時に回線混雑中……アクセスができない。
発売後8分後に通じたときには、いずれも、すべて売り切れだったのだ。
SS席もS席もA席も、23日だろうと24日だろうと、
ぴあも、ローソンチケットも、ヤフーチケットも、(以下略)もう、どこも全部が!

はっきりいってライヴ・ヴューイングのチケットすら当選するか、あやうかった。

大抵わたしは最終日を第一希望にするのが常ですが、
(初日は内容のネタバレを配慮せねばならないし)
今回、ライヴ・ビューイングは23日・一日だけしかやらないようで、
本日の初日に行ってきました。

ということもあり、もろもろ感想は後ほどアップする予定です。
内容と関係のないところでいうと、
午後5時開始予定ですが、実際は午後5時25分から始まりました。
これは、いつものお約束な感じですね。
全席指定だから、私は5時ぴったりに映画館に着いた感じで、ちょうど良かった。

終わったのは、午後7時半過ぎだったかと。
今回、腕時計をはめていかなかったのみならず、携帯を忘れていったので、
終わった時間は、駅に着いて、駅の時計で逆算してなんとなく推し量った。
こういうお楽しみイベントには必ず些細なミスをするなあ、わたしは……。

以前、ナダルが来日し、
テニスの試合を観戦するおり、観戦チケットを忘れて電車にかなり乗ってから気がついた。
家に取りに戻ったことがあります。
(身内に持ってきてくれるように頼む手立てもなくはなかったが、
多分一生、あとあとまで言われると思った……)
そんな失態で、試合の1セットをまるっと逃したことがある。

それと比べれば、コンサート中はいずれにしても携帯の電源を切るので、
ちょっと忘れたくらいは良しとせねばなるまい。
(タブレット端末は持ってたんですが、起動するのが面倒くさかった。)

はやい話が、浮かれてたということだ。

盲亀の浮木、優曇華の花待ちたること久し [ま行]

下の忠臣蔵のブログで、
「14日丑の刻ですから実質、15日の今頃」
と書いてますが、これ日にちからして間違ってるよね、私。
14日の丑の刻は、あくまでも14日の未明(つまり13日の深夜)ですよね。*
つい深夜アニメ時間枠で考えてしまってだな……。
昨今では、深夜アニメ時間枠も、14日26時とかいう表記がなされるというのに……。
当ブログにて訂正いたします。
お目汚し、失礼しました。

そのこないだのブログで、
細川家が大石内蔵助以下17名を預かったことにチラッと触れましたが、
この一年前の永青文庫の公式ツイートが、そのことに関してツイートしています。

https://twitter.com/eiseibunko/status/809048715658862595
https://twitter.com/eiseibunko/status/809048728505978880
https://twitter.com/eiseibunko/status/809049640691646465

他の屋敷に預けられた赤穂浪士は、厳しい待遇だったところも少なくなかったのに。
細川家は格別の厚い待遇でもてなした。
その記録がいちいち残っているんですよね。

刀剣乱舞で小夜左文字という短刀がいて、細川家が所有していた。
お小夜のログインボイス「盲亀の浮木、優曇華の花待ちたること久し」

細川幽斎が当時の持ち主に懇願して入手し、
忠興に受け継いだ小夜左文字は、
刀剣乱舞の中で、唯一、仇討ちに使われたという逸話のある一振り。
(細川忠利の代に飢饉の領民を救うため、資金繰りに売却された。)

細川家というと、ガラシャとか茶道具とか、
雅な文化に精通しているイメージが、やや先行しがちな一面がありますが。
義を貴ぶ仇討ちの逸話を、心底、愛する一族なんだなあと。

単に感銘を受け称賛するのは誰でもできるかもしれないけれども、
ある種、身を切ってでも尊ぶだけの精神性が、代々、脈々と受け継がれてきてたんですね。

*追記


「もってめいすべし」 [ま行]

「以って瞑すべし」という言葉をはじめて聞いたのは忠臣蔵だったし、
後にも先にも忠臣蔵以外で聞いたことはない気がする。
当時、小学生でした。

12月14日深夜は赤穂浪士討ち入りの日で、
14日丑の刻ですから実質、15日の今頃ですね。
(といってもまあ旧暦なので、全然今頃じゃないですけど……。)
昨今はググると、旧暦カレンダーなるものが出てくるので便利。
旧暦の12月14日は、今の一月末にあたるようですが……。


https://youtu.be/0VifRvgGwpQ
年末時代劇スペシャル 「忠臣蔵」オープニング 1985年

キャスティングの豪華さよ。

そういえば私、この曲を友人とのカラオケで歌って、ドン引きされた覚えが。
カラオケ中盤の中だるみの時間帯に歌ったのよ、
一昔前の歌謡曲って、とても歌いやすいんだ。
男性ボーカルだけれど、音域が高いので、女の私でもちょうど良かったんだ。

忠臣蔵は数々見てきたけれど、
この忠臣蔵が、一番好きです。
最近でも一挙再放送などしていたようなので、
いわゆる世代じゃなくても、意外に視聴した人もいるのでは。

東Maxの父親の東八郎が畳屋を演じていたり、
あと今では一丁前でらっしゃる坂上忍が、大石内蔵助の息子の主税を演じていたり。
ちなみに私はこの忠臣蔵をはじめ、
森繁久彌が悪い狸爺をやっているドラマがツボなのかもしれない。
森繁久彌が家康を演じた昔のドラマ・関ヶ原(司馬遼太郎原作)も、
アメリカ留学中、週一で古い日本のドラマを再放送していて、そのときに見たんですが、
その憎ったらしいことといったら、なかったよ……。

この忠臣蔵の放送後、
殿中松の廊下の下絵? が発見されたとかで。
昨今、見られる忠臣蔵の松の廊下は、その辺をきちんと反映していて、
海辺に磯松、千鳥が飛んでいる絵柄なんですよね。

今と比較すると美術や照明、鬘や衣装などはコスプレレベルなのかもしれない。
が、なんといっても台詞が良い。
役者陣の演じている声も良い。
このままオーディオCDにして出してほしいくらいである。
この頃の役者さんは皆、本当に声が良いんですよ。今の声優並みと言えばいいのか。
実際、赤埴源蔵を演じている、あおい輝彦は『あしたのジョー』のジョー役でしたね。

里見浩太朗主演 忠臣蔵 前篇
*
https://youtu.be/ps6fwh1OKuw?t=36m55s

個人的には、前篇は36分55秒から47分40秒あたりまでが好きです。
ナレーションの声も良い。
画面が悪いんですが、音声(台詞)だけで充分に楽しめるレベル。

平川門にて、罪人の駕籠に乗せられた殿(浅野内匠頭)からは、
江戸詰めの側近の面々が見えない。
そこで家臣たちが、次々に名を名乗っていくところは、
時代劇らしい鉄板シーン。

見えない殿相手に、次々と家臣が名乗る、というのは、
ドラマ『関ヶ原(加藤剛が石田三成役)』でもありました。
小早川が裏切って、負け戦が決まった大谷刑部(盲目)に、
家臣たちが名を名乗って、討ち死にしに行くシーンです。

最近のドラマだと切腹シーンというのは本当に流れない。
切腹した、と知っているからわかりますが、
知らないで見たら、何のシーンだかさっぱりわからないぐらい。

この忠臣蔵は浅野内匠頭が、きちんと武士としての作法を踏んで、
切腹します。(重ねて言うが、これ映画じゃなくて、ドラマなのにだ。)
また、このドラマの1:56:15から前篇エンディングにかけては、
内蔵助が、息子の主税に切腹の作法を教えるシーン。
粛々と切腹する作法と覚悟を心得ているものが、武士である、
というのを全面に出してきてるんですよね。

里見浩太朗主演 忠臣蔵 後篇
*
https://youtu.be/J29ZKtx7eOg?t=1h10m15s

1:10:16から討ち入りシーン。
画面が悪いし、騒がしいけど、
30分弱でエンディングですし、見て損はないかと。
遺恨あって討ち入りします、という上告書を地面に竹でぶッ差すところで、
見ているこちらもスイッチが入ります。

実際にはこのドラマにあるような陣太鼓を叩きはせず、
ドラを持って乗り込んだらしいですし、
火消し装束なのは歴史考察的に正しい感じよな……。
その、虚実入り混じってドラマを織りなしている塩梅が、程良くもある。

今、この動画を見返して思い出した、
そうだ清水一学って二刀流だったねえ……。
目当ては吉良上野介の白髪首一つなのに、
清水一学を、堀部安兵衛(剣豪)が倒すことに、なんで意味があるかというと、
清水一学は上杉家と通じていて、
清水一学が上杉家(吉良家と縁戚)の兵を連れて戻ってきたら、
一巻の終わりだからなんですよね。
ほんと設定秀逸……。

私は、この動画でいう1:18:55~が好きでして。
威勢良く討ち入りしたはずが一転、暗雲が垂れこめてきてからの、仇討ちの流れが。

わざとらしく炭焼き小屋から畳を敷いて、
「いざ、おであえめされよ」からのシーンは特にたまらない。

忠臣蔵は色々なパターンがあって、
吉良が命乞いしたり、この期に及んで弁解を試みたり、
最後まで抵抗するのも少なくないですが、
この忠臣蔵では、吉良が「人間五十年、下天の内をくらぶれば~」
弱々しくも舞を舞う態で出てくるんです。

吉良上野介の度重なるパワハラに耐えかねて、
浅野内匠頭は殿中松の廊下にて刃傷に及んだわけだが、
まあ、今に照らし合わせてみると、
アメリカ大統領・訪日中に、首相官邸にて、
県知事が官房長官に個人的恨み(パワハラが原因)で発砲するとか、
日本でサミット開催中、各国首脳を接待中に、発砲するとかに匹敵するわけで。

当時、即刻切腹だったのは仕方がないと思うんです。
領地没収・お家取り潰しも、やむを得なかったろうと。

無論、喧嘩両成敗の法を曲げて、吉良には一切お咎めなし、
という、力のある者は、お咎めなしで、
その場で、立場の弱い者だけが罰せられるという点は、
おおいに官僚的で、御政道がまかりならないですが。

ただ、それ以上に心情的な問題として、
一国の大名を庭先で即日切腹というのが、いくら何でも武士の情けから外れている。
(武士道以前に、人の道からも普通に外れてますよね。浅野内匠頭は誰も殺してないんだし。)
目上に盾突くとこうなる、という強者から弱者への見せしめリンチみたいなもんなので。
庭先ですよ。ふつう一室、設けるよ。

だからこそ、
吉良を無理やり引きずり出して、首を落とせば済むのに、
あえて武士として、わざとらしく畳を敷いて
「高家衆筆頭の格式を以ってお迎え申し上げる」というシナリオが際立つ。
痛烈な意趣返し。しかも高踏な。
吉良もそれに応えて、なけなしの威厳をもって出てくる、というのが秀逸です。

吉良のよぼよぼした年寄りの素足の爪先が覗くところから、俯瞰になるカメラワーク、
江戸詰めの面々が吉良を見るときの、心底憎そうな表情と、
対して、赤穂に居た面々が、こいつなのか、という顔をしているところ。
赤穂組は、それまで吉良を見たことすらないわけで。
このちっぽけな白髪頭の爺が、播州赤穂藩を潰し、我々を路頭に迷わせた元凶なのかという。
その対比も、無言の中に伝わってくるんです。

最後、大石内蔵助が切腹を命じられて、
白い着物で、廊下を歩いていくところで終わるわけですが、
大石内蔵助以下17名(他の赤穂浪士はほかの家)が預けられたのは、
江戸にある細川家下屋敷(港区高輪一丁目)なんですよね。
とすると、ここは細川家という設定だったんだなあ。

刀剣乱舞で細川忠興の刀、歌仙兼定を永青文庫(文京区目白台)まで見に行った身としては、
今更、意外なところで、つながりを発見したりします。
(永青文庫の刊行物で知ったのよ。)

追記



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