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ゲットー解体と『シンドラーのリスト』 [か行]

私がアメリカに留学していたのは2000年前後ですが、
(大学院留学中に9・11が起きたのだった)

留学中の当時、3月のこのあたりの日曜の夜には、必ずと言ってよいほど、
映画『シンドラーのリスト』をノーカットで、みっちりテレビが放映したものでした。
最近この時期にアメリカに居る習慣がないから、わからないけど、
ひょっとしたら今でもそうなのかどうか。

日本が終戦記念日近辺に『火垂るの墓』をノーカットでやったり、
夏休みとか冬休みなど、大きな休みに、ラピュタやトトロや魔女の宅急便やら、
懐かしのジブリアニメをノーカットで放映する風物詩みたいに
『シンドラーのリスト』はノーカット。3時間以上。
たしかFOXが、しかもCMを全く挟まなかった。

大きな場面切り替えの部分で、
~ただ今、ごらんの番組は映画『シンドラーのリスト』こちらの会社が提供してます~
と隅にちっちゃく出すくらいで、全編、全面リスペクト。

ジブリアニメがノーカットなのは、まぁ言ってみればテレビ局側のサーヴィスですが、
シンドラーのリストの場合、がっつりR指定映画ですんで、
土日のゴールデンタイムに、テレビでお茶の間に流せない映画のたぐいなんです。

アカデミー賞を総なめにすると、そのへんが治外法権的な扱いになるというか、
題材的に、ものすごくシリアスでもあるし、
「これ下手にカットすると面倒くさいから全編そっくり提示する、きちんと見ろ」
テレビ局が使命みたいな感じでやっていた印象を受けた。少なくとも私は。

で、題材が重いから、うっかり見るのはやめとこう……と思っていても、
ついテレビをつけたときに見はじめると、もう全部見なければならなくなる。
私を含めた留学生連中の大半が、けっこうそんな感じでいました。

描かれている題材と中身の重要性もさることながら、
映画としても物凄く魅力的にできていて、
重すぎる題材でも長い映画でも最後まできっちり惹きつけて見せる起伏と執念があるし、
技法としても、曲も画面も役者もみんな溶けこんで一つになって世界を作り、映画を構成している。

私が一番最初に見たのは、
日本で高校生だった時、友人3人と映画館に繰り出してで、
いろいろ衝撃で胸がいっぱいで無口になって映画館を出たのだった。
いっぽう友人の一人は「良い映画を見るとおなかが減る」といって、
すぐにクレープを買って、糖分を補給していたのを思い出します。

『シンドラーのリスト』
なぜこの時期にテレビで流すかというと、
題材となっているポーランド・クラクフのゲットー解体が3月13日、14日中心に執行されたからです。

ユダヤ人が殺されるシーンは、いかなる場面でも度肝を抜かれるし、
アウシュヴィッツのシャワー室のシーンはもちろんなのですが、
見ていて一番きつかったのは、3月に起こったゲットー解体の場面。
……なにしろアウシュヴィッツまでいくと、ある程度あきらめもついてくる。

ゲットーの時点では、家や財産を没収されたとはいえ、
最低限といえどまだ人間らしい生活を送っているので、
希望が残っている。
そこに突然ナチスが踏みこんでゲットーを解体しにくるところが、すごく堪(こた)える。

Itzhak Perlman - "Schindler's List Theme"

https://youtu.be/WPsAR9Sx-JQ

家屋敷に住んでいるユダヤ人を、
トランクに荷物をまとめさせ、まずゲットーに住まわせて、
次に、住んでいるゲットーを解体して、夫婦も家族も男女ばらしてアウシュヴィッツ送りにして、
アウシュヴィッツで強制労働に従事できなくなると、ガス室送りに。

その要所要所で、規格外をひたすら殺し、
その場その場の殺害を免れさせたとしても、
坂道を転げ落とすようにして、ユダヤ人を貶めていく過程の、
まず家、宝飾、服、次に髪、死なない順に身ぐるみはいでいって最後にガス室に送る。
一見、無軌道な殺戮と、
ナチス特有の几帳面な緻密さのコンビネーションでひたすら病的、片時も気が抜けない。
(ジャーマン・シェパード犬や、聴診器やらの、ドイツのお家芸である技術の結晶を
ユダヤ人狩りに遺憾なく発揮しすぎる描写も背筋が凍る。)

労働力がほしいから奴隷労働に就かせるとか、
財産没収が目当て、
いやキリスト教化が真の目論見だとか思っていると、
結局のところ民族浄化が最終目的だったんだなというのが、知っているけど途方もない。

当時、わたしは親世代にまで、せっせと『シンドラーのリスト』を、お勧めし、
アメリカでビデオを買って、見てない友人には個別上映会も辞さなかったのだが、
この映画、意外にも人によっては不評。

親世代は、
「ドイツ人でナチ党員のオスカー・シンドラーじゃなくて、彼の下で働くユダヤ人の眼鏡かけたおじさん(ベン・キングスレーがやってたイザック・シュターン)この人を主役にしたら良かったのに」
シンドラーが女好きで遊び人だったのが、気に食わなかったご様子。

……シンドラーが単なる人道家だったり、聖人君子だったりしないナチ党員な史実が面白いのに。
(私は『コルチャック先生』は申し訳ないが途中で寝た。座席が悪くて字幕が見えなかったせいもあるけど。)

聖人君子でなくとも、人道家でなくとも、まっとうな感性の持ち主なら、
ナチスがやってるユダヤ人殺戮を目の当たりにしたら「信じられねー」わけで、
そこで尻込みしなかったのは、シンドラーに博打うちとホラ吹きたる才覚があったから。
真っ向勝負でナチス相手どって戦って勝てっこないと知っているシンドラーは、
手ごわいナチスの高官を相手に、賄賂と買収、汚い手段を使ってでも、
ユダヤ人を助けていく、そこが味わい深い。

拝金主義で、お金の力を行使する快感が大好きなシンドラーだからこそ、
金の力の旨味を最大限に利用する。
全資産をなげうって、ユダヤ人助けに乗り出して、
ナチ高官のアーモンと駆け引きし、取り引きに至る。
淡々と描かれる人間ドラマとしても見ごたえがあるのだ。

ところで、ユダヤ人殺戮ナチスもの映画で必ずといって出てくる、
ユダヤ人がゲットーに移されるとき、ドアの近くで細長い留め金を引っこ抜くシーン。

私は当初、ユダヤ人はドアの蝶番の芯に、ゴールドを使っているのかと思っていました。
歯に金(きん)をかぶせて仕込んでたり、とにかく財産を隠し持つことにぬかりないので、
こんな意外なところに金を使って隠す風習があるのか……
蝶番の芯を外しちゃったら、ドアをうまく開けられないし、Not Welcomeってことで、
家を奪われる者の、せめてもの抵抗か、
と勝手に感心していたのだ。
実際はメズーザー(Mezuzah)という小さいお経が刻まれた厄除けであり、
信仰の証なんですね。

かなり最近まで知らなかった。