異形コレクション フランケンシュタインの幻想たち 9/10発売ですが…… [ニュース]
異形コレクション、ひとあし早くゲットいたしました。
光文社文庫から出ています全編新作書き下ろし。
18人の作家が書いた短編のアンソロジー、プラス挿絵は小島文美先生!
文庫と言えども、ぶあつい全601P、これが税込960円とお買い得商品ですよ!
アンソロジーですんで、わたしは単に、
フランケンシュタインをテーマにして、短編をしあげてください、
ってなお話をいただき、
しあげた作品を混ぜてもらっただけですが、
大好きな小島文美先生の挿絵も収録されている!
そんな本の中に、連ねていただけたってだけで、ラッキーだ!
さて、その異形コレクション本編、私の作品p.361~
† セイヤク † について、実は一言(どころじゃないかも)あるのです。
かなり残念なミスを3点発見しました。
読者の方にはわからないですが、
私からすると、
ひどい、なぜ……?
という。どうも校閲のかたとの意思疎通が、うまくかなわなかったようです。
1.p.381 1行目
看護婦は無言で息を止める。逃れるように目だけを背ける。
という文章が出てくるのですが、
わたしこういうシナリオのト書きみたいな文章を絶対つらねて書かないんで、
なんじゃこれ? 誰の文章?
と思いました。
ゲラをコピーして手元にとっておいてあるので、確認してみると、
看護婦は無言で息を止め、逃れるように目だけを背ける。
なんです。
ではなぜ、
~る。~る。
という文章になっちまったのか。
おそらく、もともとが
看護婦は無言で息を止める。顔を尚夜に向けたまま、逃れるように目だけを背けた。
という文章だったのを、
看護婦は無言で息を止める。顔を尚夜に向けたまま、逃れるように目だけを背けた。 →る
といった感じに修正をいれた。
校正記号なので、実際には赤の二重線だったり、囲んで矢じるしをひっぱってきたりと、
このままではありませんが、それを読み違えられた模様です。
しかしだ、黒十字サナトリウムのときは、わたしは原稿にものすごくすさまじく修正を入れ、
ゲラ第2稿のとき「もうあんまりたくさん直さないでくださいね!」
と編集さんに言われたくらいだったので、
そういうとき校正を読み間違えられたとしても、やむをえないと思っている。
が、黒十字のときはそういった手違いは全くなかった。
あとで誤字は一つ見つかったが、
私がもともと起こした変換ミスを、誰もが見つけられなかっただけです。
今回のは短編。
私が発表した、数少ない作品のなかでも最も短く、なかでももっとも修正個所が少ない。
私の作品のなかでは、ゲラに手を入れる部分がほとんどなく、真っ白にちかいくらいでした。
初めて書かせていただく出版社だったから、
ものすごく丁寧に、几帳面に、線を引いたり指示をいれたりと心がけたので、
読みづらくもなかったはず……。
(なんならゲラの写真をアップしてもいいのだが、著作権的な問題が生じたらイヤなんで自主規制。)
ゲラに第2稿があればいいのだけれど、異形コレクションは第1稿だけ、
となると修正がきちんと直ってるか確認する手だてがない。
それもあるから、ほとんど直さなかったのだけれど、あぁ……。
まちがって出てくるなら、手を入れないもとの文章のほうがまだよかったです。
2.p.386、10行目(ページ中ごろ)
着物から一寸ばかり覗き出るシャツの袖口は、(以下略)
この文章に勝手にルビがふられているのです。
私がつけてもいないルビが、しかも意に反した用途で、いわば間違って!
一寸→これ私は「いっすん」と読み、なにもふらなかった。
「一寸の虫にも五分の魂」の「一寸」ですよ。一寸法師のいっすんです!
これに勝手に「ちょっと」とルビがふられているのです。
着物から一寸(ちょっと)ばかり覗き出るシャツの袖口
……ってなんですか?
一寸(いっすん)ってのは約3センチです。
着物に下にシャツを着込んでいる、
ようはマンガ「絶望先生」みたいな恰好をしていると思ってくだすっていい。
下記の太宰治の「おしゃれ童子」の抜粋を読んでもらってもわかると思う。
着物の袖口から出す、シャツの長さの一寸(約三センチ)が、いかに重要かを!
私がそこをどれだけ意識して書いていたのかを……(泣)
太宰治「おしゃれ童子」
===========
その際、この子は何よりも、自分の差し出す両腕の恰好(かっこう)に、おのれの注意力の全部を集めているのです。絣(かすり)の着物の下に純白のフランネルのシャツを着ているのですが、そのシャツが着物の袖口(そでぐち)から、一寸(いっすん)ばかり覗(のぞ)き出て、シャツの白さが眼にしみて、いかにも自身が天使のように純潔に思われ、ひとり、うっとり心酔してしまうのでした。……<中略>……シャツの袖がちらと出て、貝のボタンが三つも四つも、きらきら光り輝くように企てたのでした。家を出て、学校へ行く途々(みちみち)も、こっそり両腕を前方へ差し出し、賞品をもらう真似をして、シャツの袖が、あまり多くもなく、少くもなく、ちょうどいい工合(ぐあ)いに出るかどうか、なんどもなんども下検分してみるのでした。
===========
一寸じゃなきゃダメなんだ、「いっすん」じゃなきゃ。
ちょっとばかり袖口をのぞかせるんでなく、一寸=3センチあまりでないと。
そもそも一寸を「ちょっと」と読むほうが難しいだろう。
なんで作者がふってもいないルビを、勝手にふるのー! しかも間違って。
今まで、SFJの短編掲載作品でも、私はルビについて、とやかくここに書いたのですが、
それはあくまで私の自己満足の範囲。
「仇討ち」を「かたきうち」と読もうが「あだうち」と読もうが、
語感がちがうだけ、意味は違ってこなかった。
私がうるさくルビをつけたのを、省かれただけです。
文章の見た目の体裁が悪くなるので、うるさくつけたルビを省くことはよくあります。
が、今回の仕事については、作者に許可なく、
しかもゲラの際にはふっていなかったから、確認のしようもない。
結果、見た目の体裁が悪くなるばかりでなく、
不用意に意味まで変えられてしまっては、もう本当に私には打つ手がないし困るんです……(泣)
3.p.391、うしろから5行目(ページ中ごろ)
……想定していたように手際良く、縫い針をアルコールに浸し、ピンセットでつまみ
これに関して、ゲラに
「つまみ」→抓(つま)み
(つまみを抓みと書いて「つま」とルビをふってくれ、の意。)
と入れた修正が、直っていないままだ。
抓みという字が一般的でないからとかではありません、
この字を私は同作品のなかで使っており、既出です。
ほとんど修正いれてないのに、どうして色々うまくいってないんだろう……。
しかも駆け込みで原稿をぶちこみました、みたいな大急ぎの作業を要したわけでもなく、
売れっ子でもない私は締切日よりうんと前もって原稿を提出しているのです。
やっぱりあれかしらね、今回のアンソロジー、著名作家がわらわらといらっしゃるから、
新人かけだし無名作家の校閲は、流し見のやっつけ仕事なのかもしれないよね。
(……ひがみまくるさ。)
だってそうじゃなきゃ、たかだか数ページにこんなにも修正が反映されてなかったり、
それどころか勝手に改悪のルビがふられたりっていう、不手際はおこりえないでしょう。
これはやはり私がもうちょっと成長するしか解決策はないのかもしれませんね。あぁ。
出版社にやんわり抗議を言うのもためらわれるのが現状です。
めんどっちいこと言うなら、もうお前に頼まないよって、言われればおしまいなのだもの。
むろん、先方はそんなことは言いません。
口に出しては言わないけど、善処しますって丁重に言われるだけよ。
ヘタリアにもでてきますが、「善処します」って答えはNOって意味ですんで。
でもたぶん、指摘すると思う。丁重にさらっと連絡をいれるでしょう。
連絡をいれないで放置するのも、仕事に不真面目で怠慢になります。
今さら連絡入れたからって、刷り上った本はどうにもならない、
本当にただの文句みたいになっちゃったらいやなのだが……それも仕事だ。
ついでに、
私の作品紹介として、
次のように書いてもらっているのですが……
「SF-Japan」「三田文学」に発表した作品など、昭和初期を舞台とした重厚なゴシック小説を
しかしだ。
○SF Japanに掲載された短編は、平安時代を舞台とした和ゴス。昭和初期ものではないです。
○三田文学は昭和初期ものですが、ゴシックものじゃないです。
と、まあ、いささか齟齬がある。
昭和初期の日本を舞台に書いた、ゴシックの作品を発表したのは、今作がはじめてです。
(ほかに手持ちの話は、あることはあるので、書いたのは初めてではありませんが。)
とはいえこの紹介に関しては、デビュー前の三田文学の短編まで、
くまなく網羅してくださっている。
こまやかさに脱帽でした。ありがとうございました!
光文社文庫から出ています全編新作書き下ろし。
18人の作家が書いた短編のアンソロジー、プラス挿絵は小島文美先生!
文庫と言えども、ぶあつい全601P、これが税込960円とお買い得商品ですよ!
アンソロジーですんで、わたしは単に、
フランケンシュタインをテーマにして、短編をしあげてください、
ってなお話をいただき、
しあげた作品を混ぜてもらっただけですが、
大好きな小島文美先生の挿絵も収録されている!
そんな本の中に、連ねていただけたってだけで、ラッキーだ!
さて、その異形コレクション本編、私の作品p.361~
† セイヤク † について、実は一言(どころじゃないかも)あるのです。
かなり残念なミスを3点発見しました。
読者の方にはわからないですが、
私からすると、
ひどい、なぜ……?
という。どうも校閲のかたとの意思疎通が、うまくかなわなかったようです。
1.p.381 1行目
看護婦は無言で息を止める。逃れるように目だけを背ける。
という文章が出てくるのですが、
わたしこういうシナリオのト書きみたいな文章を絶対つらねて書かないんで、
なんじゃこれ? 誰の文章?
と思いました。
ゲラをコピーして手元にとっておいてあるので、確認してみると、
看護婦は無言で息を止め、逃れるように目だけを背ける。
なんです。
ではなぜ、
~る。~る。
という文章になっちまったのか。
おそらく、もともとが
看護婦は無言で息を止める。顔を尚夜に向けたまま、逃れるように目だけを背けた。
という文章だったのを、
看護婦は無言で息を止め
といった感じに修正をいれた。
校正記号なので、実際には赤の二重線だったり、囲んで矢じるしをひっぱってきたりと、
このままではありませんが、それを読み違えられた模様です。
しかしだ、黒十字サナトリウムのときは、わたしは原稿にものすごくすさまじく修正を入れ、
ゲラ第2稿のとき「もうあんまりたくさん直さないでくださいね!」
と編集さんに言われたくらいだったので、
そういうとき校正を読み間違えられたとしても、やむをえないと思っている。
が、黒十字のときはそういった手違いは全くなかった。
あとで誤字は一つ見つかったが、
私がもともと起こした変換ミスを、誰もが見つけられなかっただけです。
今回のは短編。
私が発表した、数少ない作品のなかでも最も短く、なかでももっとも修正個所が少ない。
私の作品のなかでは、ゲラに手を入れる部分がほとんどなく、真っ白にちかいくらいでした。
初めて書かせていただく出版社だったから、
ものすごく丁寧に、几帳面に、線を引いたり指示をいれたりと心がけたので、
読みづらくもなかったはず……。
(なんならゲラの写真をアップしてもいいのだが、著作権的な問題が生じたらイヤなんで自主規制。)
ゲラに第2稿があればいいのだけれど、異形コレクションは第1稿だけ、
となると修正がきちんと直ってるか確認する手だてがない。
それもあるから、ほとんど直さなかったのだけれど、あぁ……。
まちがって出てくるなら、手を入れないもとの文章のほうがまだよかったです。
2.p.386、10行目(ページ中ごろ)
着物から一寸ばかり覗き出るシャツの袖口は、(以下略)
この文章に勝手にルビがふられているのです。
私がつけてもいないルビが、しかも意に反した用途で、いわば間違って!
一寸→これ私は「いっすん」と読み、なにもふらなかった。
「一寸の虫にも五分の魂」の「一寸」ですよ。一寸法師のいっすんです!
これに勝手に「ちょっと」とルビがふられているのです。
着物から一寸(ちょっと)ばかり覗き出るシャツの袖口
……ってなんですか?
一寸(いっすん)ってのは約3センチです。
着物に下にシャツを着込んでいる、
ようはマンガ「絶望先生」みたいな恰好をしていると思ってくだすっていい。
下記の太宰治の「おしゃれ童子」の抜粋を読んでもらってもわかると思う。
着物の袖口から出す、シャツの長さの一寸(約三センチ)が、いかに重要かを!
私がそこをどれだけ意識して書いていたのかを……(泣)
太宰治「おしゃれ童子」
===========
その際、この子は何よりも、自分の差し出す両腕の恰好(かっこう)に、おのれの注意力の全部を集めているのです。絣(かすり)の着物の下に純白のフランネルのシャツを着ているのですが、そのシャツが着物の袖口(そでぐち)から、一寸(いっすん)ばかり覗(のぞ)き出て、シャツの白さが眼にしみて、いかにも自身が天使のように純潔に思われ、ひとり、うっとり心酔してしまうのでした。……<中略>……シャツの袖がちらと出て、貝のボタンが三つも四つも、きらきら光り輝くように企てたのでした。家を出て、学校へ行く途々(みちみち)も、こっそり両腕を前方へ差し出し、賞品をもらう真似をして、シャツの袖が、あまり多くもなく、少くもなく、ちょうどいい工合(ぐあ)いに出るかどうか、なんどもなんども下検分してみるのでした。
===========
一寸じゃなきゃダメなんだ、「いっすん」じゃなきゃ。
ちょっとばかり袖口をのぞかせるんでなく、一寸=3センチあまりでないと。
そもそも一寸を「ちょっと」と読むほうが難しいだろう。
なんで作者がふってもいないルビを、勝手にふるのー! しかも間違って。
今まで、SFJの短編掲載作品でも、私はルビについて、とやかくここに書いたのですが、
それはあくまで私の自己満足の範囲。
「仇討ち」を「かたきうち」と読もうが「あだうち」と読もうが、
語感がちがうだけ、意味は違ってこなかった。
私がうるさくルビをつけたのを、省かれただけです。
文章の見た目の体裁が悪くなるので、うるさくつけたルビを省くことはよくあります。
が、今回の仕事については、作者に許可なく、
しかもゲラの際にはふっていなかったから、確認のしようもない。
結果、見た目の体裁が悪くなるばかりでなく、
不用意に意味まで変えられてしまっては、もう本当に私には打つ手がないし困るんです……(泣)
3.p.391、うしろから5行目(ページ中ごろ)
……想定していたように手際良く、縫い針をアルコールに浸し、ピンセットでつまみ
これに関して、ゲラに
「つまみ」→抓(つま)み
(つまみを抓みと書いて「つま」とルビをふってくれ、の意。)
と入れた修正が、直っていないままだ。
抓みという字が一般的でないからとかではありません、
この字を私は同作品のなかで使っており、既出です。
ほとんど修正いれてないのに、どうして色々うまくいってないんだろう……。
しかも駆け込みで原稿をぶちこみました、みたいな大急ぎの作業を要したわけでもなく、
売れっ子でもない私は締切日よりうんと前もって原稿を提出しているのです。
やっぱりあれかしらね、今回のアンソロジー、著名作家がわらわらといらっしゃるから、
新人かけだし無名作家の校閲は、流し見のやっつけ仕事なのかもしれないよね。
(……ひがみまくるさ。)
だってそうじゃなきゃ、たかだか数ページにこんなにも修正が反映されてなかったり、
それどころか勝手に改悪のルビがふられたりっていう、不手際はおこりえないでしょう。
これはやはり私がもうちょっと成長するしか解決策はないのかもしれませんね。あぁ。
出版社にやんわり抗議を言うのもためらわれるのが現状です。
めんどっちいこと言うなら、もうお前に頼まないよって、言われればおしまいなのだもの。
むろん、先方はそんなことは言いません。
口に出しては言わないけど、善処しますって丁重に言われるだけよ。
ヘタリアにもでてきますが、「善処します」って答えはNOって意味ですんで。
でもたぶん、指摘すると思う。丁重にさらっと連絡をいれるでしょう。
連絡をいれないで放置するのも、仕事に不真面目で怠慢になります。
今さら連絡入れたからって、刷り上った本はどうにもならない、
本当にただの文句みたいになっちゃったらいやなのだが……それも仕事だ。
ついでに、
私の作品紹介として、
次のように書いてもらっているのですが……
「SF-Japan」「三田文学」に発表した作品など、昭和初期を舞台とした重厚なゴシック小説を
しかしだ。
○SF Japanに掲載された短編は、平安時代を舞台とした和ゴス。昭和初期ものではないです。
○三田文学は昭和初期ものですが、ゴシックものじゃないです。
と、まあ、いささか齟齬がある。
昭和初期の日本を舞台に書いた、ゴシックの作品を発表したのは、今作がはじめてです。
(ほかに手持ちの話は、あることはあるので、書いたのは初めてではありませんが。)
とはいえこの紹介に関しては、デビュー前の三田文学の短編まで、
くまなく網羅してくださっている。
こまやかさに脱帽でした。ありがとうございました!
2010-09-02 09:37
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