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上りエスカレータで下らないために [な行]

人生の教訓みたいなタイトルですが文字通りの意味で。
昨日、上りエスカレータで下ろうとして怖かったです。
ヒヤッとしました。
なにやってんの。

初めての場所に行くと大抵とんちんかんな小っちゃいミスを一つくらいして帰ってくるのが最早、
自分のしきたりなのですが、
クロークでもらいうけたコートのホックを留めながら階下のロビーに降りようとして。
上りエスカレーターに直行してたわけだったのね。
いや、さすがに上下どちらかのエスカレータに人がいたら気づくかと。

……いえ、たしかに以前、
上りエスカレータかと思って突き進んだら人がどんどん突進して降りてきて、うわ、こわ、おっと!
と、なったことがあった気もするけど、あれは、ものすごーく慌てていて。
時間的にピンチで急いでいたのである。しかもやはり慣れない場所だったので。

今回は、誰もいない滑らかなエスカレータが二基並んでおり、わたしはぷち、ぷちん、とコートの前を留めつつ下ろうとして足を踏みだし、乗りかけて、手をベルトに置いた瞬間、
抵抗を感じて、ふいっと顔をあげたら、うおぁっ……。

足許がおろそかすぎます。
すぐさま周囲の目を意識して、自嘲気味に少々気恥ずかしく小さく笑い、
いやだ私ったらテヘぺろ的にそそくそさとお隣のエスカレータに行って無事に下りましたが。

ここから割とまじめな主張をする。

一昔前のエスカレータって、エスカレータの昇降口が交互に設置されていた。
上りと下りを間違えるってトンチンカンはまずありえなかったです。
上りたいのに、こっちは下りか……ちっ
と、ぐるっとまわらねばならない手間はあった。

最近のエスカレータは上りと下りの昇降口が並列で、
二基が同じスロープをなしているので、
遠見に、右側と左側、どちらが下りでどちらが上りか、区別がつかない。

交互にするより空間の構成上、うつくしい。
あとまた交互になってると、子供などがエスカレータの脇から身を乗り出しての事故(エスカレータが交互になっている三角の一隅に首を挟んでの死亡事故)が防げるから、積極的に採用されている構造なのだと思います。

ただ、ちょっとぼんやり歩いていると、けっこう(そうだよ実はたびたび)上りと下りを間違えかけて、ひやっとする時があるのです。

いつもコートの前を留めながら歩いているわけではないが、マフラーを巻きながら、あるいは外しながら歩いたりする瞬間ってある。荷物を肩から掛け替えようとする瞬間とか、ちょっとした一瞬で注意がおろそかになるときってありませんか。

歩きながら携帯は見ないポリシーであっても、メールが来て誰からだとカバンから取りだす瞬間とかね、運転してるわけじゃないし、そういうの誰でもあると思うんです。

まあ……あの、私は、性格診断というのやると大概、“考え事をしている事が多いので、周囲を見ていない事が多々あります。事故に合わないように注意が必要です”という分類に括られるんで、そのせいはありましょう。ええ、そうですとも。

当日、それまでずっと上下を繰りかえしてきた駅のエスカレータが全部左側通行だったせいもあり。
脳内にエスカレータは左側と自動刷りこみが成されていて、当然のようにその自動モード設定に準じて歩いていた。

で、私としてはなんかこう、基本ルールとして、エスカレータは左側通行設置とか、あるいは右側通行設置でも無論構わないが、統一して建築の基準として設けていってほしいなあと。

よく「福祉に優しい社会は思いやり社会」みたいなの言われますけど、福祉に優しい社会って、普通に健常者にとっても、便利でより安全な街づくりなわけだ。「思いやり」がなくてはむろん世の中はダメになるけど、日本って「まず思いやり、ありき」の前提で、「思いやり」に頼らないとやってけない構造が強すぎる。

人に道を聞かなくとも進めるような街づくりとか、誰でもわかる道筋や導線(および動線)の整備にまずつとめてくれると、ぼんやり屋も助かるなあと。

私のささやかな人生経験上と旅行経験上、この整備がもっとも素晴らしかったのはスイスでした。
スイスの空港から電車を乗り継いでドイツに入国。女一人で、夜十一時ごろに、初めての場所で。
おまけにドイツ語わかりません、ろくに読めもしない、
あいさつ程度の片言のフランス語は役に立たないので、
英語と下調べだけで勝負、
ちなみに方向音痴、道に迷った経験は国の内外を問わず、星の数ほどです!

……という私が、初めての空港で、ドイツ行の電車のチケットを購入する場所にまず行けるのか、というところからはじまって、目的地までの適切な電車を選び、そのチケットを窓口でゲットし、的確なホームに直行し、まちがいない電車に飛び乗る。その電車を逃すと翌朝まで電車がこない。あるいは1時間半程度で着くところに、夜中かけて(ひょっとすると寝台料金を払って)ゆっくり進んで目的地に着く電車にのる……という瀬戸際な状況下で。

何ら問題なく、一ミリも右往左往しなかった。大きなトランクを引きずりつつ、一切の滞りもなく進んで、すんなり目的地に到着したのは、わたしが実はすごいのでも、運が良かったのでも全くなくて、スイスがすごかった。(それとドイツのタクシーの運転手がきちんとしていたのは言うまでもない。)

ただスイスは、これまた私の数少ない経験値から語ってるにすぎないのですが、
ローカルな人たちは、基本、無愛想を通りこして、もんのすごく意地悪で、
険悪ですらあり、呆気にとられるほどした。

だって私がスイスから英国に降りた国際空港で、ごまんといる旅行者の中で、あきらかにスイス人じゃないなこのお姉さんという白人女性が(NW航空で英国からアメリカに向かうアメリカ人のようだった)
私に近づいてきて、
……そう、あきらかに、あの空間でもっとも英語が不得意そうな私のところに、同じ行き先でもないのに(私は日本に帰国するBAのチケットを持っていた)不安げにやってきて、
あの、私はここでシャトルバスを待っていていいんですよね?ね?
と、キョロキョロおどおどしながら尋ねてくるくらいに。周囲のなみいるスイス人は圧倒的に近寄りがたいんですよ。

先進国での忙しい都会の日常における無愛想、とまたちがって(先進国なのに)
むしろ都会的に訓練されている場所のほうが人は普通で、しかも生真面目で、
きちんとした仕事ぶりをしてくれるのであった。
で、我々の基準からすると、「田舎の偏狭な偏屈者ッ」みたいなのが国民性に流れる血のデフォルトみたいでした。

でも、だからこそ外国人でなにもかも不案内の旅行者の私が、
人に頼らずに進める街づくりが整備されていて、さもなきゃ国際都市として成り立たなかったのかもな、と解釈した。
いや、かれこれ十年ちかく前の話なので、今は違うのかも知れませんけれども。

動線がきちんと整備され、確立された土壌に、
ここ日本特有の「思いやり」も備わったら、怖いもの知らずだよなあ、と期待したくなったのだった。
最近の日本のエスカレータは長いし、動きが滑らかだ。
エヴァンゲリオンの第三新東京市の地下へおりていくエスカレータ並みなのも珍しくない。

エヴァのパイロットでない、たとえば眠たい人でも、私のようなボンヤリ屋でも、
慣れない場所でヒヤっとしないように対応してくれると、
今後エスカレータでの転倒事故の誘発を、いくらか未然に防げるのではと思ったのでした。
オリンピックもやることだし。

もとはといえば明らかに自分の不注意です。