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カーディガンと前あきセーター(その2) [黒十字療養所出版部]

http://blackcrosssanatorium.blog.so-net.ne.jp/2017-08-30
カーディガンと前あきセーター(その1)の続き。

カーディガンという語は、クリミア戦争で活躍して、
その名をとどろかせたカーディガン伯爵にちなんで、つけられた名称です。

クリミア戦争といえば、ナイチンゲールが活躍した戦争ですが、
日本のウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/カーディガン)によると、
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クリミア戦争のバラクラヴァの戦いに於て無茶な突撃を行った事で有名な、英国陸軍軽騎兵旅団長の第7代カーディガン伯爵ジェイムズ・ブルデネル(en:James Brudenell, 7th Earl of Cardigan、1797年10月16日 - 1868年3月28日)が考案、その名前の由来となっている。
怪我をした者が着易いように、保温のための重ね着として着られていたVネックのセーターを前開きにしてボタンでとめられる様にしたのがその始まりと言われている。
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このように書かれていて、引用文献も添えられているのだが、
はっきりいって、これは間違いというか……誇張を多分に含んでいる。

クリミア戦争で活躍したカーディガン伯爵にちなんで、
怪我人のケアに便利な、ボタンで前開きにできるセーターがカーディガンと名付けられた。
ここまでは良いんですが、
カーディガン伯爵が、カーディガンという前開きセーターを考案したというのは、言い過ぎかと。

英語でちょっとググってみても、まず、そんなふうには出てこない。
またカーディガン伯爵にちなんで呼ばれるようになったカーディガンは、
袖なし前あきボタン、ジレスタイルの編み物をいうようです。

そもそも長袖前あきのセーター(つまり今で言うところのカーディガン)は、
カーディガンという名前を付けられる前から、この世に普通に存在していた。

17世紀にはフランスの漁師が厚手の前あきセーターを着ていたというし、
長袖前あきの編み物は、ほかにも長いものはローブと呼ばれ、物珍しい衣服ではない。
わりと一般的に着られてきている。
ローブの短いバージョン(今でいうカーディガン)も当然あったわけなので、
今のカーディガンが、カーディガン伯爵による発明品とみなすのは、誤解を招く。

実際のところ、今、我々がカーディガンと聞いて思い浮かべるカーディガンを、
カーディガンという名称で広めたのは、コ・コ・シャネルのようです。
当初は男性の服だったカーディガンを女性向けにして発表したら、
男女問わず、たちどころに流行したらしい。

又、ボタンで留めるのがカーディガンというイメージが強いものの、
前開きでさえあれば、ボタンで留めるタイプでなくとも、
カーディガンと呼ばれることもあることは、我々も昨今、知っているとおり。
トグルで留めたり、ひもで結んだり、ブローチで留めたり、いろいろできるのがカーディガン。

かつてボタンは贅沢品であって、高価な一点もの。
昔はボタンの数に税金がかけられたそうです。
(どのくらい昔の話なのかが、よくわからないのだが、想像するに、相当な昔。
私はアメリカ留学時に、大学の先生から授業内の雑談でそう聞いた。)

ボタンは特権階級の贅沢品という概念は、その後もずっと受け継がれてきてるんですよね。
上流階級のご婦人のバッスルスタイルのドレスの背中に、
ずらっとこれ見よがしに、くるみボタンが並んでいるのなんか、
装飾・ファッションとしての意味合いだけでなく、
上流階級なめんなよ! という暗黙裡の印でもあるわけだ。
あんなに隙間なくボタンを並べなくとも、機能的には留まるもの。

男性の軍服などにも、重たくないのか……というレベルでキラッキラしたボタンが、
やたらとついているのは、
ボタンに服を留め、装飾する以上の価値があった、名残のはず。

前あきセーターをボタンで留めるスタイルが確立したのは、
ボタンが実用品として一般社会に広まるだけの、1800年代~の産業革命があってこそ。
『風切り羽の安息』の舞台は、由緒ある英国ボーディングスクールで、
生徒はいわゆる資産家の坊ちゃまばかり揃っている。
時代はヨーロッパの産業革命の渦中あたり
(一番産業革命が早かった英国においては産業革命後期くらいか)です。
生徒の一人が、はしりのボタンで留める前あきセーター、いわゆるカーディガンを着ていて不思議はない。

問題は、時期がクリミア戦争よりちょっと前、ということである。
カーディガンという名称が存在しなかったのに、カーディガン姿と言っちゃうのは、どうなんだ。

ティモシー・ギャレットが着ていたのは、今でいうところのカーディガンに間違いはなく、
しかも物語の舞台設定はさておき、読者は現代日本の読み手である。
そもそも日本語で物語を書いていること自体、ある種おかしい、矛盾といえば矛盾なのだし、今更だ。

日本人が「カーディガン姿」と書いてあるものを読んで、
思い浮かべる一定の共通概念のシルエットがある以上、
「前あきのセーター姿」と書いてあるものを読むより、
「カーディガン姿」のほうが、すんなり頭に入ってくるはず。

『風切り羽の安息』はミステリマガジンに掲載されたのが初出で、
雑誌掲載とは、私の短編に初めて触れる人が大多数なわけです。
第2回アガサ・クリスティー賞を受賞した『カンパニュラの銀翼』の刊行よりも前に、
「中里友香・入門編」といった感じで接してもらうための短編だった。
引っかかる言葉はなるべく避けたほうが賢明……。

と、カーディガン姿と書いて発表したわけですが、
いざ数年経って今になってみると、そのほうが個人的によっぽど引っかかるのだった。
多分、クリミア戦争、という言葉が作中に全く出てこなければ、
「カーディガン姿」と書いたまま、私は直さなかったと思います。
ただ、クリミア戦争という言葉が出てくるからには、ちょっと……と逡巡しまして、今回、
手腐レ風切り貴方まで: 中里友香短編集』に収録するにあたり、改めました。

一語を変えるとき、そこだけ変えるとかなり違和感が出てくるんです。
絵筆で例えると分かりやすいが、
勢いよくバッと塗り付けてあった油絵を、後世になって修繕するときに、
一部を直すとそこだけ色浮きしたり、筆跡の凹凸が違ったり、勢いが遮断されて不自然になりがち。
細心の注意を払って、復元しなくてはならない、あれです。

文章も、概して一語だけを入れ替えると、文章の流れが途絶えたり、
脳裏に浮かび上がるイメージが微妙に異なってきたりするので、
その辺を考慮しつつ、前後左右を見極めつつ、
ちくちくと目立たぬように……目立たせないために、周辺の語彙を改めることになるのだった。

また当時は編集部に、
「まだ『カンパニュラの銀翼』の刊行前です。
この台詞(後述)はシグモンドが冷酷なイメージに映るおそれもあるので、避けた方が無難かも」
と言われ、
そんなもんかな~と、時間が差し迫っていたこともあり、
すんなり受け入れて削除した台詞がありました。

今はもう『カンパニュラの銀翼』が刊行されているわけだし、
シグモンドの性格が、その台詞なしの短編だと単に、クールなわりに意外と世話焼き……
そんな一面的な印象になりがち。
その分、とっつきやすいともいえるかもしれませんが。
あとになって、
……やはりここは残したままで載せてもらいたかったなあ! と。 

シグモンドという人格に定着している猜疑心と用心深さ、
辛辣に見せかけた思いやり、冷やかしめいた物言いで相手に感謝させる隙をつくらない、
素っ気なく、ともすると冷淡な優しさとか、
一筋縄ではいかないタイプの奥行きの深さがチラと一瞬だけ覗く、
「私に濡れ衣でも着せる気なのか」
この台詞が有るのと無いのとでは、
私からすると大違いなのだった。

削除する前はそんなに気にしなかったのですが、
失くして初めて重要さに気がついたんだよ的な――削除してから後悔したのだ。
今回、元の通りに復元できて良かった。


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