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盲亀の浮木、優曇華の花待ちたること久し [ま行]

下の忠臣蔵のブログで、
「14日丑の刻ですから実質、15日の今頃」
と書いてますが、これ日にちからして間違ってるよね、私。
14日の丑の刻は、あくまでも14日の未明(つまり13日の深夜)ですよね。*
つい深夜アニメ時間枠で考えてしまってだな……。
昨今では、深夜アニメ時間枠も、14日26時とかいう表記がなされるというのに……。
当ブログにて訂正いたします。
お目汚し、失礼しました。

そのこないだのブログで、
細川家が大石内蔵助以下17名を預かったことにチラッと触れましたが、
この一年前の永青文庫の公式ツイートが、そのことに関してツイートしています。

https://twitter.com/eiseibunko/status/809048715658862595
https://twitter.com/eiseibunko/status/809048728505978880
https://twitter.com/eiseibunko/status/809049640691646465

他の屋敷に預けられた赤穂浪士は、厳しい待遇だったところも少なくなかったのに。
細川家は格別の厚い待遇でもてなした。
その記録がいちいち残っているんですよね。

刀剣乱舞で小夜左文字という短刀がいて、細川家が所有していた。
お小夜のログインボイス「盲亀の浮木、優曇華の花待ちたること久し」

細川幽斎が当時の持ち主に懇願して入手し、
忠興に受け継いだ小夜左文字は、
刀剣乱舞の中で、唯一、仇討ちに使われたという逸話のある一振り。
(細川忠利の代に飢饉の領民を救うため、資金繰りに売却された。)

細川家というと、ガラシャとか茶道具とか、
雅な文化に精通しているイメージが、やや先行しがちな一面がありますが。
義を貴ぶ仇討ちの逸話を、心底、愛する一族なんだなあと。

単に感銘を受け称賛するのは誰でもできるかもしれないけれども、
ある種、身を切ってでも尊ぶだけの精神性が、代々、脈々と受け継がれてきてたんですね。

*追記

14日に茶会があって、そのあとを狙って討ち入るのならば、
14日深夜(15日未明)だが……。

下の忠臣蔵の劇中で大高源吾は討ち入り前の14日に
「明日待たるるその宝船」と詠んでいます。
とすると、その14日の深夜、つまり実際15日未明に討ち入りとなる。

が、史実だと討ち入りは14日だから……14日の未明から早朝にかけてになります。