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つつやみ くけじ [た行]

『惣闇』と書いて、つつやみ、と読みます。
まっくらくらーの闇のことです。

『漏路・匿路』と書いて、くけじと読みます。
ぬけみち。間道。

これらの言葉、以前はネットのgoo国語辞書に載っていて、入力すると引けたんです。
それが最近、goo国語辞書で引けなくなった。
《該当する言葉はありません》
と出ます。

ぬぬ!

つつ闇、としては出てくるが、惣闇では該当単語が出てこない。
くけじに至っては、平仮名のくけじでも、くけち、でもかすりもしない。

わたしは気になった言葉や、こいつはかっこいいと思った言葉で、
ぶっちゃけ日常用語ではないから、いざってとき使うの忘れちゃいそうよね、
……と思った単語をIEのお気に入りに、入れておきます。

お気に入りには、goo辞書の各単語の意味のページが、わりとずらっと並んでいます。

時々、それらを整理するのだが、
つつやみ、くけじと見出しが入っているgoo国語辞書のリンクがいずれも機能しないではないか。
リンクが壊れたのかと思って、新たに語を打ちこんで入力しても、
該当単語が無いと出るばかりで、言葉が抹消されています。

どうやらこういう仕儀らしい。
(引用→)
goo国語辞書は、約24万2,000語(2010年7月現在)を収録した小学館提供の『デジタル大辞泉』を搭載しています。本辞典は、現代日本語をはじめ、カタカナ語・古語・専門語・故事・慣用句などを収録した本格的な大型国語辞典です。また、デジタルデータの特性を生かし、年3回の定期更新によって、政治・経済・医学・ITなど最新用語の追加や、時代とともに変化する記述内容の修正を行っています。(←ここまで)

定期更新によって、
『惣闇』
『漏路・匿路』
これらは不要な日本語になった的な扱いを受けたってわけか……。

辞書が載せなくなったらその言葉、本当に終わりなんですが。
わかんないとき調べられなくなったら、もうその言葉は魂を失ったも同然なんですが。
ことだまがー、殺される……。

ネットの辞書なんだから別にページ数もさほど限られてはいないし、
掲載単語を増やす分にも、減らすのは待ってくれてもよいんじゃない?

……言葉がなくなる、ということにうっすら恐怖を覚えます。

なにしろ、
『あやかす』
という言葉も載ってないんですよ。

ゴシックとか怪談とか好きな人種にとっては、もはや日常語。
めずらしくもなんともないからむしろ辞書で引きもしない言葉だけれど、
この『あやかす』もgoo国語辞書で載ってない。

あやかし(妖魔等)は、なぜあやかしかといえば、
あやかす(動詞)からこそ、あやかし(名詞)なんじゃないか!

惣闇(つつやみ)
漏路・匿路(くけじ)
あやかす

……いずれも三省堂の大辞林では載っていて、
現時点においてYahoo辞典ではネット上で調べられます。

だけどgooの辞書機能は複数の辞書をいっぺんに調べられるから、すごく重宝していたんです。

今後『あやかす』とか使おうものなら、
バカはなんでも名詞を動詞化しやがって、
とか、お叱りを受けたりするようになるわけ?
つつ闇を、惣闇とか書こうものなら、
ルビをふらないと読めない、辞書にない言葉は日本語じゃないとか眉を顰められるのか?

ぶるっ(……こわ)

公共の辞書としての役割として、恥を知れよう……(泣)

特撮博物館@東京都現代美術館 [た行]

特撮博物館、行って来たんだった。
導入部分は、日本特撮映画およびテレビに使われたミニチュアの飛行機・戦艦・宇宙船のたぐいが陳列してあって、楽しいといえば楽しいけど、あれ、案外地味かな、私そこまで特撮に思いいれ深くないし夢中ってわけでもない。
と思っていたのだけれど、奥に進むにつれどんどん濃くなります。

特撮マニアとかじゃなくとも、充分楽しめます。というか巨神兵、すごかった。
宮崎駿監督と庵野監督のコラボで『巨神兵東京に現わる』というスタジオジブリの短編特撮映画(実写)を上映していて、こいつが目当てだったんですが、とんでもなくやばかったです。

巨神兵、強すぎ。複数いるし。
エヴァに出てくる使徒が全部、量産機も混みで束になってかかっても、かなわないんじゃないか。
巨神兵のフォルムは、エヴァにそっくりだし、拘束具を外したエヴァンゲリオン初号機並みの強さだろうと見込んでたんですが、ケタはずれに凶悪。
巨神兵って、情緒不安定なパイロットもいらないで歩けるし空も飛ぶし、動力源無限っぽいし。
腐ってやがらないと、とんでもないよ・・・・・・。
圧倒的破壊力に、観客、絶句。
ジブリのショートフィルムは基本ハートウォーミングがお約束なのに、ハートがウォーミングする隙なんて一ミリもありません。

特撮映画の俯瞰映像は、ヘリコプターとかでリアルに撮ってるんだろう、
と思い込んでいたんですが、全部航空写真からミニチュアを起こして撮っているんですね。
庭先、店先、ランドマーク、一瞬で爆破するものであっても精魂こめて作ってあるのがわかります。もっと手が抜けそうなのも、作り手の自己満足のレベルにまでいっちゃってる、ものによっては酔狂なまでに緻密なつくり。根気と美意識と再現率へのこだわりが凄まじかった。

出口近くで、特撮に利用されたミニチュアを写真撮影できるスペースがあります。

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共通テーマ:アニメ

中性脳 [た行]

ピングドラム15話「世界を救う者」
5回に1回くらいのペースで、すっごく面白い回がくるっぽい。

ゆりさんの回想シーンは、もろ、元祖「高校教師」の繭(桜井幸子のヴァージョン)まるかぶり。
あれも父親が彫刻家で。ああいう――表向きはれっきとした人物。
母親が不在(死)で、閉塞的な家庭環境で、父親の病的嗜好の暴走がジワジワと、
一人娘に長期間にわたって及んでるんだよね。
娘は本心はいやなんだけどいやって言えない立場に追い込まれていて、
これでいいの、って納得してるつもりで、
それでも繭は、高校教師の羽村先生の下駄箱に「助けて」って無記名で手紙を入れている。

今回のゆりさんの場合は、まだ小学生だから、
まんまといい手すさびにされて身の毛がよだつのがハンパない。
でもあくまで直接的な表現はなくて、ただ超美少女のゆりさんにむかって
「お前はママと同じで醜い。だからきれいにつくりかえてあげよう」
ってなお為ごかしなせりふを言い放ち、ノミとかツチとか持ち出し、
娘を「芸術品」という名のおもちゃにしていく父親がマジ変態。
日増しに、包帯ぐるぐるまきの腕を、首から吊ったり、脚にギブスみたいなのつけたりで、
体をひきずって歩くユリさんの姿が示す虐待の暗喩が、却って怖い。

ちなみに父親が、ゆりを孤立させ、誰にも助けを求められないようにするために、
「友達でもできたのかい? ステキな子かい? なら信じちゃダメだ。
ステキな子っていうのは、自分がステキかを確認するために甘いことを言ってだますんだ」
ってなことを言い含めている。
どこでもほとんど例外なく、このゲスジジイみたいな悪質で横暴な嘘つきってのは、
嘘をつく相手に他者との交流を望まないわけで、
(知恵がついたり、いろいろが、ばれたりすると困るからね)
よその人とやりとりするな=「たちの悪い嘘つき」フラグが立つわけです。

しかし一方でこの「クラス一番の人気者は一番嘘をつくのがうまい」
という訓えはアメリカのわりと最近の学術論文で発表された、実験に基づいたいわば事実です。
(Lie To Me #2)のエピソードもそんな警句が出てきていた。

実験はたしか、ものすごく酸っぱい耐え難い食事をとらせて、その表情をチェックする。
マズッというのが顔に出ちゃう生徒と、即座に平気な顔をつくろう生徒とで、
平気な顔ができる生徒はみな、クラスの人気投票でトップの生徒だったらしい。

この「嘘」ってのはつまり巧言令色、
自分の不快感などを表に出さず偽るのがうまいっていう意味。
いわば「空気が読める」「つねに相手を気遣う」ってことなので、
ユリの父親が言う、
「ステキな子はお前をだます。偽者だ。(だからデタラメで狡猾でお前を駄目にする)」とは、
巧みに論点のすり替えが行われているわけだ。
一片の真実を駆使して、本当のことを言ってるふりで、
ちびっ子をだまし自分の都合良く束縛する、紳士ぶったあざとさがいやにリアルだった。

「高校教師」では大人(先生)の介入があっても、結局悲劇に終わる感が否めないけど。
ピンドラは女の子同士の友情が炸裂。
小学生の桃果が、頑なになってるゆりの異変に、的確に対応するのが感動的。
ピングドラムのパワーを使って、桃果がゆりを助けて世界の風景がガラッと変わる設定は
ゾクッときた。
幾原邦彦監督は本当は女なのか? 太宰並です。

謎が紐解かれてくる感じに、期待感が募るし、
みんなそれなりにあくどくも凛としてるキャラたちがいいんだけど、
冠葉だけ、主人公なのに(あるいはそれゆえか?)あがいても報われない結果が待ち受けていそう……。
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太宰の墓参り [た行]

にわかに思い立って、先日、太宰治の墓参に禅林寺まで行ってきました。
天気もいいし、五月の木漏れ日もさわやかだし、ぜっこうの墓参日和だなあ……と。
都内に住んでるくせに、太宰の作品が好きなのに、
一度も太宰のお墓に行ったことないって、なんかモグリみたいじゃないの。

かねてよりそう思ってはいたんだけど、身内でも友人でもない人のお墓参りに訪ねてくなんて、
なんかちょっとストーカーみたい、まあ当人は生きてないので、
おとなしく墓参をするくらいは、迷惑行為もへったくれもなかろうが、
正直ちょっと恥ずかしい――そんな熱烈なあれじゃないし……
と、変な恥じらいですったもんだと思いとどまったりしてたわけです。
そもそも身内の墓参りさえけっこうおざなりなのに、
太宰のお墓に行ってる場合じゃないような気がするよ、と。
しかし今回そちらはゴールデンウィークに済ませていたので、心置きなく、行って参りました。

三鷹駅からバスでもいいらしいですが、歩いて行けました。10分程度です。
とちゅう、右に曲がるらしいところで左に折れて、
白壁に門蔵のある、都内じゃちょっとめずらしい感じの敷地を、寺とがっつり間違える。
〇川さんというお宅は禅林寺じゃありません。

太宰のお墓は、木陰と木漏れ日にいい案配に庇われていて、良い感じのところにありました。
斜向かいに、森鴎外こと森林太郎のお墓もばっちりございます。
森鴎外のお墓に来た太宰が、将来自分はここに入りたい、と思ったらしいんですが、
なるほど良い風情で。派手でもなく、さびれすぎてもなく。

で、墓参といえば、お墓を掃除したり花を供えたり、お線香あげたりするんですが、
思いたって急に来ちゃったので、なんの準備もしてない。
身内じゃないのにそんな、しゃしゃり出ちゃっても……とお墓相手にためらいまして、
手を合わせてきただけでした。

しかし邪念が。
アカギの墓参りに詣でる、全国のバクチ打ちと同じことを、熱心に祈らんとする。

おまけに森鴎外の墓の前では、
「高瀬舟が好きです。ほかの話はあんまり知りません」
と、森鴎外だって言われても、はた迷惑みたいなことを告ってきました。

その帰りに、日傘もあるし、井の頭公園まで歩いてみよう……として、
道中でちょっくら斃れかけそうになったのであった。

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脱線 [た行]

電子レンジが壊れた
スイッチが反応しない。
コンセントを差込むと、ミリミリミリッとなにやら奥でスパークする音がして、明りがつかない。
あーこれはやばいな、危ないわ。

ああああなんでこの面倒な時期に壊れるんだろう!
この暑い時期、ガスコンロの前に立つのイヤなのにー。
いまこそ電子レンジさんは、一層の活躍を期待される時期なのに……。

冷蔵庫は凍りすぎで、
あらら、生卵の大半が凍って割れちゃってるよ、らら。
冷えすぎる分にはまあいいけど、いや……いいのか?

風呂自動湯沸かし器も交換しないと、
気まぐれに、お湯が出なくなり、
エラーが点滅……。

家電系は10年前後をめどに、しかけられたみたいに本当に一気に壊れだしますね。

よし、考えても仕方がない。
これからウィンブルドンのシングルス決勝を見よう。
ナダルもベルディッチもどっちも応援しているぞ! 目が離せないわ。

テニスのウィンブルドンは、チャレンジシステムがあって、
選手が判定に抗議する権利、コンピューターで球すじを再現してインかアウトを見直すという、
これ、まことにすばらしいシステムが存在します。
十中八九、選手のチャレンジが正しいと証明されます。

チャレンジ権は、選手が失敗すると失われていき、
成功すればチャレンジ権はそのままなので、チャレンジするほうも慎重だし。

ただたまに、あれは去年のフェデラーとアンディ・ロディックの確か決勝戦。
ロディックが押していたとき、
不調だったフェデラーが、あきらかにアウトとわかるボールに、チャレンジ権を使った。
その幾許かの時間に、息をととのえ、攻勢のリズムを変えて、相手のリズムをくずし、
ゲームのながれを自分にみちびき結局勝った。

試合の間、ロディックはフェデラーのその汚い戦略、
プレーマナーが「紳士的」として評判の高いフェデラーの、ずるい作戦に、
気付かないふりをしながら、猛烈に頭にきているのがわかり。
ここ一番というときに勢いをかき乱されたロディックは、どんどんバランスを崩していった。
あれはそう見えた。

ゲームの流れを故意に妨害して変えることができなくもない、
チャレンジ権が必ずしも万全なシステムとも言い切れない。が、
間違った判定がなされるよりは、断然まし。
すっごい超豪速球なので、目では追いきれないところもあるし。

先日、ジョコビッチとベルディッチの準決勝のとき、
ちらっと副音声で見ていたところ、
英国の解説が、「ワールドカップもこのシステムを取り入れるべきだ。
信じられない、あの判定、信じられない、あれでゲームの流れが変わっちまった」
と。英国のお家芸ウィンブルドンテニスの準決勝という大きな局面で、
ワールドカップサッカーの、イギリスに下された誤審を、くどくど口説く実況。
もうそれテニスの実況じゃないからね。

ちょっと言わせてくれ、言わずにおれない、とばかり、
ちょっとした隙に差し挟んで、あけすけにケチをつける皮肉な感じが、なんとも英国人らしく(?)、
愉快でした。

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共通テーマ:日記・雑感

同姓同名 [た行]

Twitter、わたしはやってません。
いやあ、わたしはべつにすっごいずぼらってわけでもないと思うんだけど、
Twitterをやれるほど性格がマメじゃないっぽい。
乗り物の中で携帯メールを打ってるだけで次第に気分が悪くなる、ていたらく(……酔う)。
Twitterは、やっぱりモバイル性の高い媒体でやるのに適しているんだろうなあ。
というわけで、中里友香でTwitterが出てきたりしますが、
わたしではなく、どこぞの、よその別のかたによるものです。
わたしの名前は、姓も名も珍しくないので、同姓同名、ググればいっぱいヒットする。

そういえばデスノを読んでたとき、
主人公の名前からして超珍しい名前だから機能するけど、
これって同姓同名の顔見知りだと、機能しないんだよなあ……と思った記憶があります。
わたしがLの立場だったら、竜崎とかいう芸能人から名前を借りて偽名にするんではなく、
自分と同じ名前の人を世界中からよせあつめ、
あやしいな、とにらんでいるライト(キラ)に対して、
全員で顔合わせをする。
あるいは全員の顔写真をライト(キラ)に見せ、
同姓同名全員でキラ対策本部をつくる。

そうすればライト(キラ)がデスノートに名前を書き込む際、
全員の顔がちらつかざるをえなくなり、機能しなくなるから、
それで予防線を張れる。

と、考えたりしてました。

メロとかニアの場合なんて、かれらの本名はさして珍しくもないから、
この手法を取ったらよかったのに……。
しかしキラでなく、キラの女である高田に名前を書かれたために、メロはあえなく死、
という感じにすればよかったのに……。

しかしデスノの楽しみ方はそういうとこではないのだ、
ライトが頭脳明晰なくせに、神がかりに馬鹿なのがウケる……という話だった。
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TRAVIS [た行]

27(金曜日)トラヴィスの来日単独公演に行ってきた。
すっごい良かった。
とりあえず告っとこう。好き! 好きですTRAVIS☆ また日本に来てくださいね。
10年後とか言わないでね(前回の公演は10年前。そのとき私はTRAVISを知りませんでした)。
至福の時間をすごしたその詳細は、きちんと書ければ書くつもりだが、曲目の順番とか漠然としか覚えていないし、何曲やったかにいたっては数える気がないし、おまけに私、6~7年は熱心に聞き込んでいるのに、Vo,G,B,Dという役割の呼び名で認識しているために、メンバーの名前がかなりあやふや(どういうこった)。
……だけどそんなこと問題じゃないんだ、って開き直って言い切れるくらい、すっかりじっくり満喫したのでした。
ひとまずここに書き付けておこう。

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共通テーマ:音楽

どっちも [た行]

キリスト教でなく本当は吸血鬼を書きたかっただけだとか、いやいや吸血鬼になぞらえて本当は哲学を書きたかったんだろうとか。ちがうちがう宗教談義や様々なセオリーは効果音、物語の肉付けにすぎなかろうとか。いえいえエピソードは見せかけだとか、いやいや民俗だの宗教だの伝説だのという薀蓄は、賢げな羅列にすぎなくて、べったべたな背徳世界をやりたかっただけだろうとか。硬質文学ごっこにみせかけた少女漫画だ、華麗な表紙を見てみろとか。いいやその逆で、純文筋だなど、まあいろんな読みとり方があって然るべきだけれど、作者としては全部だ! 全部、書きたかった、全部本気で書くのだ。(だいたいキリスト教やマイノリティを抜きにして真正の吸血鬼は語れないよ。)

量産型ベストセラー作家で原稿依頼がいっぱいあって仕方がない、書きたいアイデアはもう使い尽くしてたかがこれっぽっち、カサを増さなきゃ、みたいな小説家は、この出版不況のさなかにさして居ないのでは。(居るの?)
分厚い本や、字が詰まっている本はまず敬遠される昨今なのだ。凝縮された文面を読みたい人は、昔の文学読みますよ、現代作家はもうちょっとスカスカした字面で、わかりやすくキャッチーな読み捨て作品を書いてればいい、通勤で読むんだもん、みたいになりがちな世相において(無論そんな読み手ばっかではない)それでも「書くんですってば」と作者がおしすすめる中身だ。自分の内で無駄を入れる余地などなく、書こうとする中身に決まっているのだ(私からすると)。

だから例えば、そうだな佐藤亜紀(敬称略)の『ミノタウロス』において、作者が本当にやりたかったのは後半の若者三人の無謀な横行だ、という読み取りかたも当然ありだけれど、前半の不穏な兄貴の存在も絶対書きたかったはずだ(……と私は思うし)。

だからたとえば森鴎外の『高瀬舟』において、鴎外が本当に書きたかったテーマは「足るを知る」か「安楽死」か、いずれか――などという設問は愚問だ(……と私は思うし)。森鴎外についていえば兼業作家でおまけにあんな短編なのである。書きたくもない中身を織り込ませたる余地なぞ無いはずだ。にも関わらず、どちらが作者の意図する本当のテーマか、レポートを仕上げろ、という課題を出されていた知人がいた。私の高校では国語の先生がそんなピント外れじゃなくて良かったよ、と思った記憶がある。

むろん物語には本筋となるバックボーンが必要で、学校の国語の授業では「読み取り方」を教えてくれるわけであり、読み取り方にはたしかにある程度、正しい読み方がある。ただその弊害で、要点と意味をつかんで本筋を見失わないロジックにのみ終始し、物語内の情報に極度の優劣をつけ、本筋以外は目くらましの無駄だと言い切り、読書の味わい方を知らない人も結構多い。

つまんない本を無理に読まされるだるいときにも課せられたように読む状況は起こりうるけれど、本を読む行為全般において、テスト問題を解かされるみたいな読み方しか出来ない、味わえない人がわりと居るのだ。この手の、自分はデキる人間だとおごっている人(そこそこの実績をあげてきた社会人に多かったりする。たとえば『銀魂』の動乱篇前半の伊東みたいなタイプかな)に共通してありがちなのが、物語の味わいについては好みだとか嫌いだとか萎えとかツボとか萌えとか燃えるとか、そういう語でしか時として表現し難かったりするせいで、レベルの低い読み方だと思い込んでいるのである。萌えにのみ特化した話をモエモエと享受する一部の人が軽蔑されるのと同じくらいに、頭脳で情報を選別することのみを正しい読書と信じこんでいる、自称・頭脳派一本槍の、感情派のくせに頭の固いかわいそうな人も、同等の読書レベルだってことに全く気がついていないらしい。

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テニス四大大会くらいは地上波でやってほしい [た行]

小生、スポーツに詳しくないのだが、テニスとフィギュアスケートだけ、けっこう真剣に観戦します。
無論、テレビの前で。チャンスがあったら見に行きたいと思いつつも、まあテレビで。
中学頃からウィンブルドンだけは深夜ひっそり熱心に見ていたので、随分ながいことテニスに興味があるはずなのだが(あくまで見ることにのみおいてである)いまだにルールがところどころわからないってのはどういうこった。
このゲーム、キープ、とか、ブレイクポイント、とか解説が言わない限り、自分でカウントできない。
タイブレイク制採用とか、なんだっけかしら。

当時は女子テニスはグラフが大好きだった。
グラフのテニスは職人風というか、規律ある軍人風というか、克己、鍛錬なストイックな美しさがあって、しかし華麗。隙がなく見事。オスカル・フランソワ・ド・ジャルジュみたいな感じがしてかっこよかった。

男子テニスはリチャード・クライチェクが好きだった。
表情一つ変えないで、眩しげに顔をしかめつつ、何事にも怯まずにビッグサーブでエースを取り続けるところが。

今、全豪テニスまっさかり。
現在応援しているのは、ラファエル・ナダル(スペイン)と、アンディ・ロディック(アメリカ)。
ロディックは先日、フェデラーと対戦して準決勝で破れちまいましたが。
ロディックは、2003全米で優勝する前年あたりか、大会のトーナメント中に、いい線まで来ていたところで試合中にケガをして、棄権する羽目になった。
その当時まだまだ青二才で、悔し涙を流して怒りまくっていたのが印象的で、
若いんだから戻ってこられる、と説き伏せられて棄権して、ちゃんと戻ってきて優勝したとき感動したのでした。

ロディックの見所といえば、弾丸サーブと、トロフィーをもらうときのスピーチのうまさ。
できるアメリカン特有というか、洒落た機転のきいた物言いにクラクラさせられる。
スポーツ選手のインタビューってわりとアホっぽいことが多いですが、この人は嫌味なくらいスマートで気さく、ピリっとジョークをきかせたスピーチをかまします。
で、この人の弾丸サーブが、いかに弾丸なみかというと。



ロディックが、審判のジャッジに抗議。
だけど相手にされず、露骨にイラッとします。
次のサーブ「さーてロディック、プレッシャーがかかります」
実況中継がはいり、ここでロディックの本領発揮なのです。
弾丸サーブが敵陣のクレイコートに、めり込みます。
本当に、めり込むのですよ。前代未聞。
ボールが消え、ロディックはますますイラッとして、なにが起きたんだ、と歩み寄ると。
自分の打ったボールがコートにめりこんでいるのだ。

この映像はのちにスポーツドリンクのCMにさえなったのだが、
そのせいで、むしろ、CGに決まってるだろーがとか言い出す輩が出てくるくらいだったのでした。

さて、ナダル。決勝進出で、フェデラーと対戦です。2008年はセミファイナリスト止まりだったので、期待が高まります。
ナダルは昨年ウィンブルドンで優勝するその前の年、フェデラーとやって準優勝だった時から応援しつつあるのだが、初めて見たとき、とにかくなんでも打つのでびっくりした。

ふつう絶対に取りにいかないボールを取りにいく。駄目でも取りに行く。あきらめない。
体力を消耗するので、ふつうボールは選んで追うのに、この人は最後まで追うのです。
へばっちゃうよ、と思うんだけど、負けません。で、追いついて返して場合によっては点さえ取る。
ふつうならば取られている敵のスーパーショットを逆襲です。
体格も、戦いかたも、グラディエーターみたいなテニスなのです。
このひと本当にテニス選手なのか?
悪魔かマフィアに恋人でも人質にとられていて、セットポイント幾つで取らないと殺すよ、とか言われてるんじゃないかと思えるくらい、鬼神の集中力のパワーが怖いくらい。

で、戦闘態勢にあるときのおっそろしさと、コートの外での素朴で、はにかんだ好青年ぶりとのギャップがすごすぎです。
んでもって、スペイン語なまりの英語がひどすぎです(笑)
それが妙に生真面目な感じに見えるのです。

彼の腕の筋肉を見たいというファンが男女ともに多いらしく、今期からNIKEの提供するテニスウェアが袖つきになったのが、一部で不評の様子。それまでナダルといえば、ノースリーブでした。
CNNで放送されたインタビューにおいて、そんなところをつつかれてました。

対戦相手についてナダルは生真面目にインタビューに答えるわけです。この人はいつも、敵プレーヤーを的確に称えます。とにかくすごい人なんだ、あんなところや、こんなところが。だけど僕はやるよ、一緒に戦えて光栄だ、というのです。そんなときにあるインタビュアーが質問をぶつけます。



え? は? なんだって? 
ナダルは一瞬何を言われたのか分からない。
インタビュアーは、新しいテニスウェアについて言ったのだよ。
「なに? ファンが今期のやつ嫌いだって? なにがさ」
困惑しまくるナダル。なにか意地悪を言われたと思ったらしい。

袖つきでプレイに邪魔ではないかと心配するファンが多いんですよ。正直、あなたの二の腕が見えないのが残念だという人たちがね、とかなんとか言われ、急激に照れてはにかむナダル。おお、それはSORRY!と笑って、今期のウェアは悪くない、気に入っている。ある人は袖つきが好きだし、ある人は袖なしがいいみたいだしと、
「僕にとって大事なのは服でなくてテニスボールで、いいプレーをすることだから」
しかめツラでまじめに答えつつ、はにかみ笑いを零すのが微笑ましい。
私が出先でCNNニュースを見たとき、この袖のインタビューが特にフィーチャリングされて報じられていました。
ナダルの二の腕に世界中のどれほどが注目しているのか、CNNったら。

だけどCNNがナダルの袖についてニュースにするくらいなんです。
せめて日本の地上波で、準決勝~決勝くらい大々的に流してほしいとおもいます。 


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『トーマの心臓』ノベライズ [た行]

萩尾望都(敬称略)の名作漫画『トーマの心臓』を森博嗣(敬称略)がノベライズ。

なんで?
え、なんで? 
というのが私のファーストリアクション。

映画をノベライズ、ゲームをノベライズ、アニメをノベライズ、舞台をノベライズ、そういうのはわかるのだ、媒体の種類が異なるわけだから、ただ漫画をノベライズって企画の意味がいまいち……。漫画は読ませるもので小説も読ませるものだし……。たとえば名作映画やアニメをリメイクする場合、同じ媒体だけれど、その登場人物を今のキャスティングで見たらどうなるのか、という醍醐味が有るわけだが。

小説の漫画化があるのだから、漫画の小説化、いわゆるノベライズがあっても変じゃないんだけど、なんかしっくりこないのは、バターとバターミルクで生クリームをつくるみたいな。生クリームを攪拌するとたしかにバターとバターミルクができるし、間違ってはいないけど、でもなんで? なわけなのだ。

しかも『トーマの心臓』って、漫画にしてネームが、文体がすでに完璧じゃん。自殺しにいくトーマの靴底の下にある溶けかけの雪の描写も、トーマがユリスモールに宛てた遺書の長い文面も。(あれは文字通り、一篇の手紙文だ。)エーリクがオスカーに体調の不調について問い詰められたとき、幼少の頃の、いやだマリエ、やめてその人とキスしないで僕を一番愛してる言ったでしょ、っていう回想シーンの語り口とか。病床の校長を前にしてオスカーがユリスモールに、父親について打ち明ける独白のくだりも。ユリスモールがエーリクにする長い罪の告白なんて、もう文学です。

といっても勿論漫画だから、漫画としての絵の素晴らしさがものをいっていて、あの絵、コマ割り、もう大好き、特に後半、だけどその絵の部分を文章に変換して余りある、既に文学・小説の部分を、新たにノベライズする違和感が。

たとえば『ポーの一族』なら、同様にネームは完璧に文学だけど、エピソードとエピソードの間に、新たにノベライズできる相当の猶予があるし、そこをこの小説家がどう書くんだろう、っていうノベライズ特有の楽しみも存分に残っているとは思う。そりゃトーマだって、脇役キャラにもうちょっとスポットライトを当てるとかそういう真似はできるけど、基本が、ドラマ『北の国』からの脚本を国語の教科書に載せるみたいに。漫画だと載せようがないから小説ね、みたいな『教科書用』にならざるを得ないんじゃないか。

と思ったけれど、音楽のリミックスみたいな感じ、と考えなおしたら途端にすっきり腑に落ちた。
そっか、なるほどなー。

ノベライズ版『トーマの心臓』、萩尾ファンが読むというよりは、森ファンが読む用なのかもしれない。

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