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日本的美意識 [な行]

カズオ・イシグロがノーベル文学賞を獲ったことが話題ですね。
「カズオ・イシグロは日系ギリス人で、日本語はしゃべれないし、英語で話を書いている。
なのに、まるですっかり日本人扱いの日本文学扱い。日本人てば調子いいよ。
おいしいところにとっつきたがる、すぐ尻馬に乗りたがる」……的な発言もチラホラと見かけます。

たしかに、日本の研究土壌では予算や着眼点その他が認められず、
海外にいわゆる研究的亡命を果たし、アメリカで永住権あるいは市民権すらをも取得し、
海外で研究した成果が認められた、研究者の功績を「日本人研究者の功績」
として扱って憚らない、昨今の現状に関しては、
私は「恥ずべきだ」と思う。改めるべきだと。

しかし、カズオ・イシグロに関していうと、
彼の作品は、日系人作家だということを抜きにしては語れない部分が色濃く出ていると思うので、
よくある、「なんでもかんでも日本産扱いしてフィーバーしたがる」というのとは異なるのではと。

(あと彼は日系二世(?*)イギリス人。
これは単に私がアメリカに留学した時に感じた個人的な経験にとどまるが、
二世の人は、日本人のわたしが想像している以上に、
排除するにせよ取り入れるにせよ、日本や日本文化を意識していた。
場合によっては日本人以上に、日本的な価値観に縛られている人も少なくないのだった。)

といっても、私はカズオ・イシグロのファンでも何でもないし、
それどころか、映画化している作品しか知りません。
だから何言ってんだお前、と思われても仕方ありませんが。

ただ、カズオ・イシグロがブッカー賞を受賞した『日の名残り』
この映画化された『日の名残り』――アンソニー・ホプキンス、エマ・トンプソン主演
この映画が、わたしは異常なほど大好きでして。

キャスティングも良い。主演二人のほかにも、
クリストファー・リーヴ、彼は落馬事故で首下が不随になり、
車椅子生活を余儀なくされた挙句に、数年前に亡くなりましたが、
まだ事故前の、まったく壮健な状態で出演している。
よくも悪くもアメリカ人らしい言動をかます役どころが印象的です。

ヒュー・グラントも、今みたいに女ったらしのキャラが定番になる前で、
まだ映画『モーリス』のクライヴ役の余韻を引きずっている、
名家出の品の良い、ちょっと影がある若者で出てきます。

とにかく私はこの映画が大好きで、
アメリカ留学中にビデオを見つけたときに即買いしました。当時は高かった。
ビデオというところがポイントで、まだDVDなんて無かったんだ!
ビデオだから一回見るごとに擦り切れて、劣化してくわけです。
見るときには、こと好きな作品のビデオのときには、
気合いを入れて巻き戻しとかなるべくしないで、一気に脳裏に焼きつけるように見るんですよ。
そうやって幾度となく見てきた。

(似たような舞台設定であるテレビシリーズ『ダウントン・アビー』を何シリーズも見るのであれば
正直、『日の名残り』の映画を百回、繰り返し見たい派なのである。)

『日の名残り』の映画に日本人は一人も出てこない。
日本の話題も全く出てこない。日系人も居ないどころか、アジア人も出てこない。
ユダヤ人とドイツ人とアメリカ人とフランス人は、ちらっと出てきますが、
がっつり英国人の英国映画。
それでも猛烈に日本ぽい侘び寂びが、いたるところに滲み出てるんです。
無視できないほどに。

それが英国のお屋敷の作品世界に、絶妙にマッチしている加減がたまらないし、
作品世界にそこはかとない影を落としていて、それが妙に腑に落ちる、深い味わいと化している。

カズオ・イシグロは映画化に恵まれている作家だと思います。
映画がいわゆる「原作レイプ」に陥っておらず、
作品へのリスペクトがちゃんとなされていて、文学の端正な三次元化に仕上がっている。
まれにみる成功例といえるケースな気がしています。
タイトルもすべて、映画が小説タイトルのままですしね。

映画『わたしを離さないで』の原作小説『わたしを離さないで』は、
「エモ系ディストピア小説で、淡々とひたすら嫌な感じの展開が続く」
といった一部批評を先に目にしていたので、
そのいっぽうで過剰なまでな絶賛組も多く、遠巻きにしたまま、
正直、いまひとつ気乗りしないで映画を見に行った。が、
好き嫌いはともかくとして、これもとても良く仕上がっている映画でした。

この作品にも日本人は一人もいないし、そもそもイギリスなのかどうかもわからないような世界観。
ディストピアな世界線で描かれるSF(?)なんですが、
施設内の雰囲気はイギリスっぽい風景1930~1950年くらいの設定に映る。
でも一歩、施設の外に出ると1990年の世界が広がっているんですけど。

主人公の「苦難」を受け入れようとする姿勢と言動に、共感できるところは少なかったが、
(私ならば何としても逃げ出す、抜け出す努力をするので)
これもまた、カズオ・イシグロが書きそうな世界であることよ、という……。
「耐え忍ぶ、我慢は美徳。それが他人(ひと)の為になるならば」
という観念が、美しい哀れみを誘うという展開なんですよ。

「自己主張は悪」
「自分の感情があるのも本当」
このジレンマの存在を認識しつつも呑みこんで、流されていく感じです。
日本文化に根強く宿る「美意識」じゃありませんか? 
(私個人はその精神を美意識とは呼びませんが。)

これらはしかし、私が勝手に「日本的な精神性が強いなあ」と感じとっているだけだし、
作中のそこはかとないペシミズム、
清貧に宿る孤高さ……(下手すると、しみったれた感じになりうるギリギリ手前)な感じは、
カズオ・イシグロ独自の個性なんであって、日本文化は関係ない、
と言われれば、それまでか。

『上海の伯爵夫人(The White Countess)』という映画がある。
カズオ・イシグロのオリジナル脚本。
監督は、『日の名残り』のときのジェイムス・アイヴォリー。
この作品、私、好きなんですが、
これは珍しく日本人ががっつり出てくる。
日本人役は真田広之です。

この真田広之が、かっこいいのだ。英語もとても自然。
英語で台詞を言わされているという感じがまったくなくて、
ふつうに役になり切って、その役どころが英語で会話をしている。

カズオ・イシグロのオリジナル脚本なので、
監督やプロデューサーに「こういう作品書いてね」と言われるがままに
脚本を仕上げる、ライター稼業の脚本とは、わけが違います。
映画化ありきで、カズオ・イシグロがお話を作ったのだ。

主役は、『イングリッシュ・ペイシェント』のレイフ・ファインスと、
ナターシャ・リチャードソン(リーアム・ニーソンの妻で、近年スキー事故で亡くなった)。

ナターシャ・リチャードソンの実母はヴァネッサ・レッドグレイヴで名女優ですが、
このヴァネッサ・レッドグレイヴが、作中では義伯母役をしてます。お姑側の伯母さま役です。

白系ロシア人の亡命貴族が上海に落ち延びて、租界で貧しい暮らしをしている。
(タイトルのThe White CountessのWhiteはこの白系から来ている。)
いっぽう、事故で妻と小さい娘を失い、自らも盲目となったアメリカ人の元外交官役、
レイフ・ファインス。
二人が出会います。

おりしも日中戦争がくすぶりそうな不穏な時代で、
日本人であるマツダ(真田広之)は戦争勃発までの根回しに暗躍している、謎めいたキャラクター。

真田広之の役は敵役であり(べつに愛情関係はからまない。政治的に敵役)、
いってみれば悪役なんですが、
そのカッコいいこと! 悪いのにですよ。
とにかく知的で有能だし、気品があるし、礼儀正しいし、
それがわざとらしい、あからさま感じではなくて、日本人だから滲み出てくる知性、
という描かれ方です。
日本人独自の気骨を持って、スマートに行動する。

欧米映画の作中で、日本人が日本人役で、わざとらしくなく、こうもカッコよく描かれている作品、
私はほかに出会ったことがありません。
(無害な空気みたいな役とか、ユーモラスなあるいは滑稽、もしくは粗野なのとかばっかり。
『ラストサムライ』は信念があって良かったですけど、あれは侍がテーマだし、
ちょくちょく不自然さは有りました。)

これは日本人作家であったなら、
日中戦争の準備のために暗躍するマツダ役を、ここまで格好よく描くことに躊躇しただろう。
又、日本にゆかりのない作家が書いた場合、ほぼ間違いなくこのマツダ役は、
下品かつ横暴に描かれたのではなかったか。
日系人カズオ・イシグロは恥ずかしげもなく、マツダをここまで格好良く、上質に描く。

ほかにも歴史的な視点と扱い方が、
カズオ・イシグロが日本と全く無縁の作家だったら、こうは書かなかっただろう、
というのを色濃くうかがわせるのだ。

とはいえ、これはあくまでも私の感じかたに過ぎません。
未見のかたは、とても良い作品ですし、
これを機会に、映画『上海の伯爵夫人』おすすめです。
日本ではメロドラマやラブストーリー扱いになってますが、
そういうレベルの映画じゃないです。
カトリーヌ・ドヌーヴの『インドシナ』を髣髴(ほうふつ)とさせる大河ドラマ。
亡国の民の描きかた、
〇系人という、二つの祖国を持っている者特有の悲哀とか強さとかが際立ってます。

後半、どの船に乗ったら逃げられるか、という場面に至っては、
なにしろ主人公の目が見えないので、並大抵の切羽詰まった感じゃない。
どの役者も鬼気迫る演技力。
かといい無様に錯乱したりしないから、見ごたえがあります。

*
日本で生まれたようなので、正確に言うと二世とは言わないですね。
日系二世イギリス人とは、親が日本人の移民で、イギリスで生まれた人を言うはずですので。
ただ、限りなく二世と呼ぶにふさわしい、日系イギリス人ということで。



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