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相乗効果ってじつは稀有 [さ行]

『進撃の巨人』の原作漫画、とりあえず6巻までゲットして読みました。
10巻まで一気に入手しなかったのは理性です(笑)

アニメ現時点の12話は、
原作3巻終わり~4巻あたま付近。

これは多少エピソードが前後して、アニメでは時系列に語られているからで、
基本的に、コミック±5巻分でアニメ1クール(……って呼ぶのかな。30分×12話)。このくらいがやはり一番妥当ですね。
(ヨルムンガンドとか、もろそうだったな)
それ以上やそれ以下でも、
緩慢で冗長に引き伸ばされているか、
あるいはカットされまくりで惨憺たる出来となる作品の、ああなんと多いこと!(泣)

進撃、原作を読んじゃったから、ドキドキと手に汗握る感は、さすがに薄れるか……
今までどんな漫画も必ずそうだったし、
かといい原作とアニメがあまりにも乖離して別物なのも、
原作はなんのためにあるんですか、っていう絵空事の茶番を見させられている気分になる。
進撃は原作に忠実なようだから、もはや今までの躍動感は味わえないだろうな……

と思っていたのは、超杞憂だった。

アニメすごい面白いぞ。いっそうすっごい面白いぞ!
手に汗握りっぱなし。恐るべし進撃。

いい塩梅にオリジナルシーンが、ごく短く織りこまれるのがスパイスですね。
大抵そういうの蛇足になったり、改悪となるのに、
原作の足を引っ張らないで、むしろ、よくぞここを掘り下げてくださった! そこ見たかった! 
――っていう感じ。
(ちょっと前のハンジさんに関しては、原作を読んだ今となっては微妙だが)

原作進撃で、トルスト区奪還作戦のあとの遺体収容作業中に、
街の片隅にてジャンが、○○○の片側上半身を失くした遺体を発見する、
というシーンが実は唐突ですごいショックだった。

しかも遺体には立体起動装置もついてない、ってところが猛烈に引っかかって、
なんで? 壊れて捨てたのか? 軽量化してあっても徒歩で逃げる場合は重いから?
それともなんかの陰謀に巻きこまれて?
(まさか、一番遅い自分が巨人をひきつけて皆に巨人の後ろをとらせる作戦が一番役立てる、
とか言ってたのを実戦で実行したんじゃないだろうな)

と、いやーな気分で、気持ち悪かったのだが……

今回アニメ12話、立体起動装置がイカれたジャンが街角に逃げこむアニメオリジナルシーンは、
このへんを絶妙に掘り下げてくれる伏線になっている気がする。
無意味にオリジナルシーンを足してあるんじゃなく、補足が過剰でもない。
アニメではカットされるシーンも当然原作にはあるし、双方の美点を殺さず適度に補い合ってて、
エレンのいばら道は加速中だし、ミカサの美しい野良猫的な気性は研ぎすまされつづけてるし、
アルミンは体力ないのに頭が切れるおかげで、いつも渦中で精根を賭して知恵をしぼっている。
面白い。

===
NHK大河の『八重の桜』も相変わらず面白い。
というか、分かっているけど、どんどん会津が消耗戦に追い込まれていく……
八重目線だから、これからが戦の本番だな。

Hunter×Hunterといい……今の時期、私が見ている作品全部が消耗戦に突入中。


共通テーマ:アニメ

食傷気味 [さ行]

ラファエロ展、お友達に誘われて上野の国立西洋美術館まで行ってきました。
ラファエロとその周辺の絵画です。

チケットやさまざまの告知でみかける聖母子像は、噂にたがわぬ神聖な美しさ。

でもラファエロで良かったの、わりとそれだけだった。

聖母子像だけ異質な美しさを放っていて、
背景が黒に塗りつぶされていたのは、後世に誰かが当時の流行として……また劣化していた背景を消すためにも、施したものらしく。
ぐっじょぶ誰かさん!
この背景の黒が異様なほど生きている。

暗闇に浮かび上がる聖母子像……キリスト教信者でなくとも恍惚となる美しさ。

おっかあと、赤子を、ここまで神聖にけがれなく冒しがたい気品に包む筆致も、演出も、
ラファエロはいうに及ばず、キリスト教ってすげえや、です。

こんなの眼前に突きつけられたら、
母親であれば自分もこんな母親になりたいと憧れ、
かつまた母である己と、いとけない子供を誇り高くも思えるし、
夫であれば、自分の妻が母親であるときはこういう顔をしていてほしい、
やわらかそうな赤子ともども神聖で手が届かぬほどに、

そんな母性がとことんまで浄化され、天ほどの高みに極められているのです。
素敵な瞬間を切り取って、よくもここまで作りこんだな……なるほど聖母らしき気品だと。

でも母親だって、ようは女じゃん所詮は男のはけ口にだってなりうるわけじゃん、笑わせやがる、
(だいたい母性って独善の極みでそんな清らかなもんじゃねえだろ)
――と、当世の風俗からして現代以上にそう一笑に付されることは想像がつくわけで。

そこで母性の清らかな優しさを描くにあたって、
『性交渉なんて無縁な体です、でも清楚なだけじゃなく懐深い母なんです、ゆえに聖母です。ひれ伏せなんていってない、救ってあげるの。(赤子のように無条件に抱きしめてあげましょう)』
とはキリスト教、よくぬけぬけと言い切った。
なんと無茶な初期設定……それを逆手にとって『神聖』で解消する、きちんと全体通じて機能しているギミック。すごいや。
(子供の頃はしかし初期設定なんて思えないので、処女懐胎とか何それマジ恐ろしすぎで……笑)

全人間のあこがれる純化された=神聖な=母子像を目のあたりにして、
いろんな意味で心底、
やるなー……。
と敬服し、ほれぼれとなりました。

で、あとは……いっそ聖母子像だけ飾ればいいんじゃないかと思ったのだが、
そうすると行列ができて人波が分散できないから、あれこれを持ち寄ってきたように見えた。
本来、祭壇や天井画と一体化して、場所の空気感で何乗にも高められ拝まれるべきもので、
その一部のタペストリーやらタイルやら祭壇画もろもろを、展示室にぽつぽつ並べられても、
欠損部品を並べられているみたいである。

どうせならもうちょっと欧米の一流美術館なみに、かっちょいい演出を考えてほしい、
あるいはもういっそヴァチカンに行くべきや。

題材もね……。
使徒とか聖人ってのは歴史上、ほとんど例外なく、
迫害されて惨めに獄死してるか、見せしめに手ひどい処刑をされているわけで、
新約聖書だって大概が、キリストの弟子が捕えられて死にゆく牢獄の中で、根気よくしたためた中身だったりとかである(……んで刑死か獄死)。

そういう意味では吉田松陰も顔負けな、涙をそそる、超絶カッコよい信念の伝承方法なのだが、
立派な使徒や聖人がいわば負けた、敗北絵図なわけでもある。

それらを潔く描いてくれれば、胸打たれもするんだろうが、
ラファエロの描く聖人は押しなべてみな、心ならずも去勢されたみたいな、
のっぺらな顔をしてるし、
残酷な処刑・エグい獄死場面を切り取った宗教画は、
かたわらに訳知り顔の天使が寄り添っていたり、
神の光が高みから差していたりして。

一枚にしては説教が過剰で、絵画というよりイラストチックこの上ない、のみならず
『救済』とか『解放(鎖に繋がれ血を流して処刑されてるのに解放というのはすなわち魂の解放と救済ですよ)』
そんなタイトルがこれ見よがしについている。物は言いようにしたってさ……。
旧教特有の抹香臭さが芬々(ふんぷん)としすぎて、
ほとんど生理的に胸糞が悪かったです。


白い服 [さ行]

fate/zero 遠い記憶

以前ずいぶん前、このブログで、
「映画やドラマやアニメでの白い服は、ただの死亡フラグでなく殺戮フラグだ」
と言及したことがあったけど
にもかかわらず、全く気がついていなかった。

シャーレィがまっ白いワンピースを着ていたのに・・・・・・。

焼けた肌に似合うなあ、かわいいなあ、こりゃあ少年時代の切嗣は顔を赤らめもするか、
とか呑気に構えていたら、大変っな展開に。

アニメ黒執事第二期のアロイス過去編のエピソードを彷彿とさせるつくりでした。
たぶんKalafinaのエンディングの入りかたのせいでしょう。
いやしかし、こいつ大嫌いなんだよ不愉快だマジで!と思っていた登場人物の、
少年期過去編が出てくるのは、反則だ。

そもそも大昔にさかのぼれば、ポーの一族のエドガーだって、第一印象最悪なのに、
「メリーベルに手を出さないでね」
のエピソードで完璧に持っていかれた感が、
NARUTOのイタチもそうだしさ、
最近ではそう、黒執事のアロイスとか・・・・・・、
ピングドラムの晶馬なんて、なんかいらないこいつとすら思っていたのが。

でも成人の衛宮切嗣がディルムッドをどれだけ汚い手口で死に追いやったか、
ランサー陣営をいかに非情に騙し討ちして、えげつなく惨殺したかは、絶対忘れてやらないからね。

しかし今回のエピソードをこどもの日の深夜にやるって、どういうたまたま?
偶然じゃないとしたら、すごい外道。胸熱。
とりあえずナタリア・カミンスキーが超絶颯爽と登場して、
救いの少ないエピソードで唯一、目をみはる。


今回、シャーレィが魔術の怪しい薬に手を出し、
吸血衝動に襲われて、鶏の生き血を吸いだすところから話が急展開するわけですが、

以前、まだデビュー前に、伝書鳩の話を考えたことがあります。
幼少期に、家がちょっと離れているので、伝書鳩でやりとりしていた、かわいい幼馴染同士、
(伝書鳩農家のせがれと、仕立屋さんの家の娘)
この二人が、なんか凄くいろいろあって一緒になるものの(・・・・・・片方が片方を連れて逃げる)
なんかすっごくいろいろあってヒロインが病み、
ヒロインが、二人で一緒に飼っていた伝書鳩の頭を次々食いちぎる、という。
鳩小屋には散乱した羽と、転がった鳩の首と・・・・・・うずくまるヒロイン。
目の当たりにして愕然となる主人公。

このヒロインをどうやったら救えるだろうか、思案どころなのだが、んんんーと頓挫。

今日、シャーレィが鶏の首にかじりつくのを見て、
無理だ、生きてる鳥の頭を食いちぎっちゃったらもう手遅れ、救えないかもしんないや・・・・・・と痛感しました。

【Fate/Zero 2ndシーズン「第十八話 遠い記憶」総集編】 満天 【Kalafina】

セリフあり

↑Youtubeが消されていたけど、ニコニコで再発見。(リンクをはりかえました。)
個人的に特筆すべきはいっぱいあって困るんだけど、
あまり指摘されなさそうな地味な、うぉおお。。。というポイントを一つあげると、
電球が映るときの音です。
――まったく無言、ただ押し殺しつつも殺気だった物騒な物音がもつれるところが、
グッジョブすぎる・・・・・・。



【ニコニコ動画】【Fate/Zero】 16話 切嗣陣営の鬼畜シーン

上の切嗣が下の切嗣になるわけですよ。

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知らぬが仏・言わぬが花 [さ行]

“原発に近い” ロシア展が中止に
9月29日 13時10分
群馬県高崎市の美術館で12月に予定していたロシアのガラス工芸展の開催について、ロシアの国立美術館が「群馬県は東京電力福島第一原子力発電所に近く、作品が放射性物質に汚染されるおそれがある」という理由で中止を申し入れ、展示会が開催できなくなりました。
=======================================

いやだロシアったら、チェルノブイリ起こしといて(正確には旧ソ連・現ウクライナ)。ところによりフィンランドとかパリまで汚染しといて。群馬での放射線をこわがっちゃっていいの?
笑い話じゃん、手前の心配しなって、あはははは!
と、揶揄ったところ、
「逆かもよ? ロシアはどこより原発事故汚染の内実を身をもって知ってるから、群馬ですら怖いんでは」
シーン……ってなりました。

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サルコファガス [さ行]

Sarcophagus=石棺

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贈賞式 [さ行]

日本SF大賞&大藪春彦賞の贈賞式に3/4(金曜日)東京會舘まで行ってまいりました。

大勢の人がいるせいで、かなりの人に不義理をした感じがします……。

メールや、日本SF作家専用の内部掲示板(アクセスキーがないと書き込めないミクシみたいなの)
これらを通じて、数回やり取りした、名刺も交換した……というか手元にあるから、授賞式のときに一度お会いしているはずなのだが……顔がうるおぼえ、覚えていても名前と一致しない……自分から声をかけられない……見つけ出せない、という人が少なからず居たと思います。

もともと私は道を歩いてても、有名人にしろ、むかしの同級生にしろ、まあず気づかない。

「あ、○○君だ。そういえばここって中学の地元だもんねー」

と連れの友人が言っても、
え? どこ。や、ぜんぜんわかんない。あれってそう?

「あ、庵野監督だー。めだつねー」

と連れの友人が言っても、
え?え?え? ああああほんとうだー! エヴァの庵野監督だー。

イタリアンレストランから窓の外のでっかい塔を指差して、
「あの、あれってなんですか」
「スカイツリーですよ! なかざとさん!」
「ああぁ私あんまり上見て歩かないからさーハハハ……」
連れの知人はその後も優しかったですが、周囲の人の目が怖かったよ。

先日は、今まで打ち合わせで3回は行ってる国分寺の、あるビルに行くのに迷いました。
一本手前で曲がったあと、後々で誤差を取り戻そうとして、
ますますこじれて、どこまでいっても行き当たらなく、いやあ自分でびっくりしたわ。

贈賞式では、今回日本SF大賞を受賞した森見登美彦氏をお見受けしました。
写真とかTVとかの媒体で見かけるとき、ひょろっと手足の長いイメージなので、
すらっと背の高いバレーボール選手みたいな人なのかと思っていたのですが、
思っていたよりずっと、か細く小柄なかただった。
んでもって、
ヒョウヒョウとして何が本気か不真面目かわけのわからんスピーチとかなさると思っていたのですが、
至極ふつうに真面目な受賞の言葉を述べられていた。

東京會舘の立食パーティでは、今年はブイヤベースが私には一番おいしかった。
イチゴショートは相変わらず間違いのないかんじ(……生クリームが固めだった気もするけど)。
マカロンが、湿気ているのか硬すぎなのかわけがわからないほど、イマイチでした。
甘酸っぱいラズベリーケーキ?が、見た目もかわいくて、味もほんのり甘かった☆
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共通テーマ:日記・雑感

サスペリア [さ行]

見ました。

すっごい子供のころ、小学校に上がる前とかそれくらいのとき、日本公開になったこの作品の(追記・ググったら私が幼稚園にもあがっていなかった頃なのだが、思うに日本公開はもっと遅かったか、さもなくばロングラン、あるいはリバイバル放映的なので同じ宣伝を流していたのを、小学校に上がる前とかに見たのだろうと思われる)、
「決して一人では見ないでください」
キャーアアアア!
とかいう悲鳴の予告に、
こわっ……!!!
と思った記憶が染み付いています。

一昔前のホラー映画って、変にリアルで気持ち悪かったりするので、
(「シャイニング」とか、「オーメン」とか、なにげに怖かったよ)
「サスペリア」の舞台はドイツのバレエ学校、イタリアの監督作品とくれば、
鷹揚なアメリカ人の作るドタバタスプラッタなホラーとは、格が違うだろうと思っていたわけです。
で、見たらびっくりするほどつまんなかった。
いやほんとびっくりした。呆れるほど茶番だった。
主人公の若い娘は、可愛い。
この人が、落ち着いたトーンで雰囲気があるので、なんとか最後までは見たけど、
もう終始見るに耐えない。

バレエ学校だっていう設定なんかひとつも生きてない。
寄宿舎であればなんだっていいじゃんこれ。
そもそもバレエのシーンもろくすっぽ出てこないし、
数少ない練習シーンで、もうすこしバレエの真似事を器用にさせたらどうなんだ。
バレエ学校っていうなら、トーシューズに怖い仕掛けがしてあって、バレリーナの足が……!
みたいな鉄板な定番があると思うじゃないですか!
なんとなく「オペラ座の怪人」の、バレエ学校ヴァージョンなゴシックホラーを期待していたよ自分。

なにが一番ちゃちいって、音でした。
この映画がスタイリッシュで映像の最先端みたいに語られていたときもあったみたいだから、
いやあ、映画の技術って進歩したんだなあ……とか、
サスペリアの予告が怖いって思ったのって、本当にお子様のときだったものなあ……とか、
逆にしみじみしました。

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共通テーマ:映画

そうだ京都 [さ行]

週末一泊、京都に行ってきました。紅葉狩りです。
私は京都、くわしくありません。
中学でも高校でも、修学旅行に京都は織り込まれていたけど、
なぜか銀閣も金閣も清水寺も見たことないって、日本人として何となくやばくないか?
と。

今回、永観堂、銀閣、清水寺、金戒光明寺(黒谷さん)、真如堂、化野念仏寺(嵯峨野)、
と見てきました。
永観堂は拝観料が1000円でびびりました。
拝観料ってだいたい500~600円なので、永観堂のチケット購入場所で、
えっ……ちょっ……と、ひるむ観光客多数。

タクシーに乗るたび、どこを見てきたと聞かれ、永観堂と答えると、
「高いお金払って永観堂を見てきたとは物好きだね!」
と笑われました。そうなんですね。
地元の人間は行きゃあしないよ、というわけです。

金戒光明寺と真如堂は、宿から近いから歩いて行って来い、
そう、ことごとく、どのタクシーの運転手さんも勧めるので、
行ってみたら、錦を織ったみたいに紅葉でした。

個人的には銀閣と、清水寺の夜間ライトアップが、すごく良かった
(……ちなみに私は庭園びいきです)。

銀閣は、天気の良い昼下がりに、地上における清浄、浄化空間、って感じで。
清潔すぎで切ないの。

清水寺の夜間は、とにかく暗い。街燈もない真の闇。
今の時分、京都のめぼしい観光スポットは、どこに行っても人、人、人(……自分含む)。
東京のラッシュアワーなみに人ごみで前へ進めないのだが、
夜間観覧は、いくら人が居ようとも見えないので、
風景を汚すものが目に入らず、ライトアップされた美しいものだけ堪能できます。

山中の闇を背負って、清水の舞台や、木々が、光で浮かび上がっているわけで、
そこを歩いていくのは、なんかもう魔界の宮殿を渡るみたいで、かっけーです。
(んでもって、身を切るようにひやっこく、空気が澄んでます。)

夜空には、ライトアップで彗星さながら青白い虹の架け橋が、はるか天空に渡してあって、
清水の舞台から下界を見下ろせば、街の夜景で、
暗くて、舞台ゆえ、足場が不安定な気がして、人々が黙々と慎重に歩いていくので、
心底、清水寺を堪能できます。

……だが銀閣にはカメラを忘れ、清水寺は夜間なので写真はよく映らないのであった。

真如堂
2010+年+11..222.jpg2010+年+11..401.jpg
混雑する渡月橋
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共通テーマ:旅行

在庫破棄 [さ行]

先日は、徳間文芸三賞の授賞式に行ってきました。
日本SF大賞、日本SF新人賞、大藪春彦賞、の贈賞式です。
黒い服で出向きました。気分的な問題です。
いや、アクセはキラキラだし、
バッグは、薔薇がついてたりだったんだけど。お祝いなのだし。
ただ日本SF大賞の受賞者は、昨年3月に若くして亡くなってるし、
特別賞の大物受賞者も昨年5月に惜しまれて亡くなってるし、なんかなあ……なんだかなあ……と
クサクサと錯綜する感情を秘めつつで、行ってきたわけです。

受賞スピーチも遺族の方がなさるわけです。
御遺族のお話はもったいない、ありがたいに違いはありません。
ただ受賞作品についての思い入れとか、苦労話とか、逸話とかね、
当人から聞きたかったわけで、私はもったいないお話をうかがいたいわけではありませんでした。
なので、ものっそいどよーんとした顔をして、終始やさぐれな気分をひしひしとみなぎらせつつも、
ここは大人ですから、猛烈に混雑してる、でかい会場の壁にもたれて、
ウーロン茶やらオレンジジュースを静かに飲む。

それにしても、文筆業の人たちはヘビーな喫煙者ばっかり、いまどき本当に珍しい光景。
いたるところモクモクです。

で、立食パーティ。
昨年、うまい! と思ったカレーが……ん?
あんまり美味しくない。つか、おいしくない。むしろ、ま(……以下自粛)
わたしの味覚が変わったのか?
そこで昨年おいしかった、子羊の香草焼きに挑むと、おいしい!
ちょっとシェフを呼んでくださる。あなたいいお仕事なさる……みたいな気分になる、
舌鼓を打つ美味さであります。

あと美味しかったのは、舌平目のクレオパトラ焼とかいうやつ。
ほかの人が敬遠するように、遠巻きにされて行列が一切ない。
カレーとオムレツにすごい人だかりができているのにだ。
もしや皆さんタバコで味覚がおおざっぱになってるとか? 
カレーとオムレツは、ハズレがないからか。
たしかに海外で、この手の魚料理に迂闊にありつくと、たいてい死ぬほど泥臭くて、うっ……となる。
覚悟してもらってみたら、すっごいおいしかった。驚きのうまさだ。さすがここは日本だ魚料理万歳な。

ケーキ類は、クレープシュゼットと、あとやはり昨年同様、苺ショートがおいしかったのだが、
ケーキのうまさなのか、私が単に苺がすっごい好きだからなのか。
自信がなくて、苺ショートにいたっては二つ食べた。
うん、たぶんケーキがおいしいのだわ。

その後、化粧室にて萩尾先生とすれ違う。あっ! 
となったが、なんだか話しかけられなかった。
外で待ってようかなあとも思ったのだが、
化粧室の外でぴったりはりつくように待っているのも、失礼か。諦めながら、残念だった。
ポーの香水の件に関して、また作ってくださらないのか、うかがいたかったのだけれど。

会場で小谷真理さんをお見受けして、御挨拶。
そのときに「同年代の作家にワイワイ混じっていったら」
と、貴重なアドヴァイスをいただいた。
しかし私がパーティ会場で、根掘り葉掘り話をうかがいたかった同世代の作家は、
若くして死んじゃっているのでした。 
(あとSF界って女性の作家が同世代かけだし組に一切いない……。)

その折、最近の出版不況に関してお話をうかがった。
展望は、書籍のWEB化にあるらしいです。

そうなんですか……やはり私は浮かぬ返事をするしかありません。
紙で読んでもらいたいのは、だめなのか……。
WEBは、情報をゲットするのに非常に適した媒体なのだが、真に楽しむには不適切だと思っている。
ネット配信のアニメも映画も、わたしは結局、DVDレンタルか購入で見直すし、
ネットで読める青空文庫も、全部プリントアウトして読む。あるいは本を買う。
大英博物館とか、エルミタージュ美術館とかの電子展示品も、日本の古文書も。
こういうのがある、というのをチェックして、概ね把握するのには非常に役立つ。
けれども、鑑賞レベルの楽しみは、やっぱり実物でかなうように。
宝石は眺めるのもいいが、身につけなきゃ本来の意味が無いように。
本は本で読みたい。ページをめくりたい。
内容の情報だけ把握すればいい、たんなる情報源とは違うじゃないの、と。
Web化するなら、その読書の感触をそこなわない再現化に努めてほしい……と、切に願う。

みんなマンガは携帯で読まないでしょ、せめてパソコンでしょう。
と思ったら、携帯で見れるマンガもあるらしいな……。
じゃなにか、皆、わたしにケータイ小説を書けというのか?(←論理の飛躍・笑)

会場で、出版社の方にうかがった感じだと、出版不況なので本が出版社の倉庫をふさいでいて、
場所取りなので、新品本を破棄するサイクルが、順ぐりにかなり速くなってる様子です。
出版社の倉庫保有量にもよるが、かつては10年置いておいたって話もあるが。

面識はない、ある同世代の作家さんのブログでも、
初版本は、売れ行きがいいとかではなく、出版部数が少ないので……と、にごしてらっしゃった。
(その方なんか近年の直木賞受賞作家だから、謙遜してるなあと思ったものだ)
いろんな作家さんが、初版部数が少ないのでお早めに、と書いているのは、
売り切れちゃう以前に、すぐ買わないと、破棄処分になって出回らなくなるからもあったのです。

2008年9月に出版された私の「黒十字サナトリウム」、
有るのはいま市場に出回ってる分だけ。あとはすでに在庫なしです。
どうやら出版から一年半弱で、早々に在庫破棄処分の憂目にあったようです。

こういった実情をつきつけられると、本として紙媒体がいいのに……
と言っても、私の声など届かないか。
読みたいかたはダウンロードしてください、ダウンロードではお買い得価格で手に入ります、
と言うしかなくなる。だけど携帯ダウンロードに、私の作品はあきらかに不向き。
やはり適切な媒体で読めるWEB化の整備を、いっときもはやく望むより、道は無いのか……。

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総督はチョウチョ:Viceroy [さ行]

今回、コードギアスR2を19話まで見直していて、実は初めて知ったのだけれど、
総督ってViceroyって言うんですね。
ナナリー総督→Viceroy Nunnallyというわけです。

Viceroy, 意味が二つあるようです。

1、《昆虫》カバイロイチモンジ(チョウ)、バイスロイ
  北米に広く分布するタテハチョウ科イチモンジ属のチョウ。
2、副王{ふくおう}、総督{そうとく}
  植民地などの統治者の代理を務める者
(引用元:http://eow.alc.co.jp/Viceroy/UTF-8/?ref=sa)

へーえ。チョウチョなんだ。
バイスロイってこんなの。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Viceroy_Butterfly.jpg
オレンジ色に黒たてじまのチョウチョ。たしかにアメリカで見かけた。

……ん?

コードギアスR2のナナリーは、いつもチョウチョの大きいチョーカーをしている。
かなり可愛いんだが、大きなチョーカーで、たぶん七宝とか宝石とかで出来ている。
うたた寝でもしたら、首が「うっッ」てなるんじゃないか、と思える主張してるアクセです。
ナナリーのドレス姿とマッチして、ナナリーのイメージに合っているので、違和感はない。
女の子って、蝶のモチーフ、ふつうに好きだし。
これって、英語でだけの、たまたま偶然だろうねえ。

……そうなのかな。

思い起こすに、コードギアス一期のとき、ナナリーはチョウチョのチョーカーをしていないんです。
一期のとき、ナナリーは総督じゃないのです。
だからアッシュフォード学園の中等部の制服だったり、部屋着だったり、回想シーン……
いずれもチョウチョのチョーカーをしてたことはない。
特にチョウチョのモチーフが好きな気配もみえない。

R2でも、総督に任命されて総督の座にいるときだけ、蝶のチョーカーをしているのだ。

これはたぶん偶然じゃないや。
芸が細かいじゃありませんか。
しかも、別に視聴者に気付いてもらっても、もらわなくてもいいんです、
こだわりです、好きでやってますから、物語に直接関係ないし、でもええ、そうなんですよ。
という意気込みが、心にくい。

ルルーシュが、心ならずもロロにあげてしまったロケットも。
ナナリーにあげるつもりだった誕生日プレゼントですよ。
ロケットって……ルルーシュ、自分の写真でも入れてもらいたかったのか。
ナナリーは目が見えないんだぞ。押し付けがましいプレゼントじゃないか。
ロロが、ロケットを手放したがらないんだったら、いっそもうロロにくれてやればいい。
……それでは腹の虫がおさまらないか。そりゃそうか、無理もない。

と、受け流していたわけなんですが。

ルルーシュがロロに対して激昂し、
これはナナリーにあげるつもりだったんだよ、この偽者め、
と、やらかした直後、ルルーシュは味方総勢の裏切りにあい、殺されかけます。
そのときロロが身を呈して、ルルーシュを救い出すわけだけど、
やめるんだロロ、どうして俺なんかを助けるんだ、俺はお前のことを利用して、
って言いかけるルルーシュに、うるさい、といわんばかりロロはギアスをかけまくり、息も絶えだえ、
そのときゼイゼイしてるロロのポケットから携帯がすっこぬけます。その拍子にロケットが開いて、
オルゴールが流れ出す。ロロの努力をむなしく儚く盛りたてる演出のバックミュージック。

どうやって切り抜けるんだこの場面、ぬあああああ、
と思って見ていたので最初はまったく気に留めなかったんだけど。
このロケット、オルゴールだったのか、蓋があくと、可愛い、優しい曲なんだ。
と、明らかになるわけです。

そうかルルーシュ、このロケット、本当にナナリーにあげたくて、ナナリーを思って用意したんだなあ(目の見えないナナリーが喜ぶものを)。
と、はじめてわかるのです。
だがそんなナイーヴな思い入れをさらう暇もないほど、ざくざく話が進みます。

ひとつひとつの小道具の設定が丁寧で緻密で、もったいぶらず使われる。
芸の細かさというより、作り手たちがコードギアスを好きで好きで、作りこんだんだ。
そう、いちいち想像できるのです。
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「精霊の守り人」殺陣アニメ [さ行]

ちょくちょく会う友人としょっちゅう話題に出るのは、NHKアニメ「精霊の守り人」、続きやってくんないかなー、である。つか最近はもう、優しい友人は私の毎度同じ繰り言を、静かに聴いてくれるだけになってきているけれど。

「精霊の守り人」は、いちおう見事に完結していて、ものすごく完成度が高かったので、あの完成度の高さが保たれないのならば、へんな続編ができても困るけど、原作の児童小説は守り人シリーズとしてまだ続きがあるようだから、見たいのである。NHKとしても自信のアニメなのか、BSでやってたのを、地上波教育テレビでやってみたり、かと思うと今BShiでまたまた再放送しているみたいだが、なんかいまいち知られてない。

設定も、人物造形も、物語も、声の演技も、音楽も、絵も、ここまで上質なのって滅多にないし、NHKがつくるアニメのなかではっきりいって群を抜いていると思うんだけど、たぶんあれよね、物語設定がめんどくさくて鬱陶しいのがキャッチーじゃないんだ。私も当初は、物語の番組紹介を見た時点で、めんどくさ。見るのやめよ、と即座に却下した。良い子むけ高品質アニメなんか見てられますか。……面白いよ? と友人に教えてもらわなかったら見ていなかったろう。

面白いお話にかぎってありがちなのが、設定がいささかややこしく、それについて説明されると胡散臭く、そこで説明を大幅にはしょると、ざっくりな粗筋では「ありがち」に聞こえ、今更いいよそんな話、だるいなあ、となるってこと。設定なんて実際に見たら子供だって余裕でわかる。そもそも子供が見てもすばらしく教訓のよろしい中身だし、難しくもないんだが、紹介するとき物語のあらすじとか、舞台の設定だのから語ると、精霊の守り人の場合、たぶん良くないんだ。

槍さばきのアクションがいい。
殺陣がスリリングなんだ。
物語、けっこう苛酷。
命の駆け引き、わりとしょっちゅう。
そのためには、しばしば相手を欺いていかなきゃならない。

そこらへんをアピールすると、NHK製作・良い子アニメとしてふさわしくないとか思っちゃうのか、強調されないのである。Youtubeをあさったらわかるけど、海外アニメファンやらは、その苛酷かつ華麗なアクションや槍使いにみんな正直に惹かれている。んで、見だすと話が良いの。

Seirei no moribito spear fight


Seirei no moribito spear fight 4


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死人花 [さ行]

「死人花」といえばこの時季、見ごろの彼岸花の別名なわけですが、死人花といってパっと連想するのは実に桜花だったりもします。しませんか? ほらだって、……花よりもなほ我はまた~と詠んで、庭先で切腹命ぜられた浅野内匠頭が死ぬのも、花散る桜の木の下で。

梶井基次郎「桜の樹の下には(青空文庫)」の、『桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる! これは信じていいことなんだよ。何故つて、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことぢやないか。』
……っていうのはあまりに有名だし。私は中学のときたしか国語の授業で知ったような。桜の花の美しさは、剃刀の刃と同様の美しさ、墓場を暴く惨劇のような憂鬱に似ている、とかいう中身。

坂口安吾の「桜の森の満開の下」でも、
……彼は始めて桜の森の満開の下に坐っていました。いつまでもそこに坐っていることができます。彼はもう帰るところがないのですから。
……とか。文学にかぎらず、漫画とかでも、たとえば今市子の『百鬼夜行抄』に、桜の木の下で待ち合わせ、というエピソードがあったけど。満開の桜の木の下に行き着くイベントは、かなりの率で死亡フラグ。満開の桜の木における死亡フラグは、夜桜であれば尚更その確定率は、昭和二十年八月六日広島における快晴の午前八時ごろの朝並なのだ。

むかし読んだ忠臣蔵の本で、四十七士が討入りを済まして、お上の判決が出るまでお屋敷におあずけになって。さて全員切腹の命が下ったとき、そこの家人が、お上のお達しを赤穂浪士になんて伝えたらいいんだあ、とてもじゃないけど言えねーよ、でも言わねばだ、ってなって。そうだ、床の間に花を飾ろう。罪人の床の間に花、侍の彼らには通じるぜ。っつうので花を生けるっていうエピソードがあった。花って、おめでとうに贈られて嬉しいハッピーアイテムでありつつ、奇麗さゆえに、不吉めいた影も。

欧米で薔薇といえば吸血鬼、吸血鬼といえば間違いなく薔薇がつきもので、吸血鬼に薔薇アイテムは必須ですよ!……な感が否めぬように。桜はバラ科なだけあって、日本で鬼とか夜叉とか吸血鬼とかいうときに、外せないよなあ。吸血鬼には、薔薇がよく合う。夜叉に桜はよく似合うんだよなあ、と思います。

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ジャパネスクSF特集 [さ行]

坂口安吾の「不良少年とキリスト」における太宰像と、そういった太宰像を語る坂口安吾もろもろの観点が私は好きで、共感しちゃったりするのだが、次のような文面がある。

(……前略……)
その死に近きころの作品に於ては(舌がまわらんネ)「斜陽」が最もすぐれている。

(……中略……)「斜陽」には、変な敬語が多すぎる。お弁当をお座敷にひろげて御持参のウイスキーをお飲みになり、といったグアイに、そうかと思うと、和田叔父が汽車にのると上キゲンに謡をうなる、というように、いかにも貴族の月並な紋切型で、作者というものは、こんなところに文学のまことの問題はないのだから平気な筈なのに、実に、フツカヨイ的に最も赤面するのが、こういうところなのである。

 まったく、こんな赤面は無意味で、文学にとって、とるにも足らぬことだ。

 ところが、志賀直哉という人物が、これを採りあげて、やッつける。つまり、志賀直哉なる人物が、いかに文学者でないか、単なる文章家にすぎん、ということが、これによって明かなのであるが、ところが、これが又、フツカヨイ的には最も急所をついたもので、太宰を赤面混乱させ、逆上させたに相違ない。

 元々太宰は調子にのると、フツカヨイ的にすべってしまう男で、彼自身が、志賀直哉の「お殺し」という敬語が、体をなさんと云って、やッつける。
(……後略……)

さて、ところでいったん話はそれると見えますが、9/7発売予定の『SF Japan 2009 Autumn』、今回は前半がジャパネスクSF特集です。日本とおぼしき舞台背景で時代物、そのうちのひとつに私の作品が入っています。私は一足先に入手しまして『葉コボレ手腐レ死人花』はp52~、その他さまざまな特集や著名作家ばかりなので、わたし簡単に埋もれます(笑)

でも、笠井あゆみ先生の扉絵には、誰もが目を惹きつけられずにいられないでしょう。えっへん。(お前が威張るなw)
扉絵にいる、クチナシ姫&高良祁月槻の妻のたたずまいにいたっては、まるで物語から抜け出てきたよう。

この『葉コボレ手腐レ死人花』において、

p52「杜若紋」

「かきつばたもん」と振り仮名するところ「かきつばた」になってます。
これ、杜若の部分に「かきつばた」と振り仮名をつけることになり、「紋」は読めるとふらなかったのがアダになったもよう。杜若の字数に「かきつばた」と入りきらない分が「紋」にかぶっちゃって、「杜若紋=かきつばた」と見えるのだ。

p56「香を焚き染めた衣装の衣擦れと共に」

この文章に振り仮名がついています。
「香を焚(た)き染(し)めた衣装(きぬず)の衣擦(きぬず)れと共に」

おや?
なに「きぬず」って。衣装って「いしょう」じゃなくて「きぬず」って読むのか? きぬずのきぬずれ? 
つか、そういった読み方はなさそうですし、わたしそんな振り仮名してないし。私の手元のゲラ原稿コピーも、そういった様相になってない。印刷所でなにか単純な手違いがあったもよう。

あとまたp64において「仇討ち」
まず「かたきうち」と地の文で読むようにふってあるのですが、同頁で主人公が、
「仇討ちとはね――」
と思うシーンではこれ「あだうち」と読みたかった。私はそう振り仮名をふってもおいたの。

ですが常識的に、同じ頁の場合、初出単語には振り仮名をふって、あとは振らないんです。それで自動的に、外されちゃったよ、「あだうち」の振り仮名が。

だけどここは語呂的に「あだうち」って読んでほしかったんだぁ~あああああ! と、しばらく悲嘆にくれる。

そんなこと、物語に差し障る部分じゃない。大したことじゃないんです。ですが坂口安吾も指摘するように、太宰もいちいち、いきりたっちゃったみたいに、作者ってのは、そういう、ちみっちゃいところが、時として気にかかって仕方がないのですよ。内容についてはね、「信じるところをやるだけやって、通じなければ仕方がない」「誰にも好き嫌いはある」と、ある程度なら割り切れる訓練ができていたりするんだけども。

私はまた、振り仮名の使い分けとか、漢字の使い分けとか、けっこう好きなので、面倒くさいほうだとは思うんです。

たとえば「手蹟」は「てせ」とも「しゅせき」とも読むわけですが、これを場面や物語によって振り仮名を使い分けたい。
姫様の手蹟は「てせ」で。
書画骨董の手蹟は「しゅせき」です、といったように。
かたき討ちを「敵討ち」と書いたり「仇討ち」と書いたり。
敵を「てき」と読んだり「かたき」と読んだりとかね。
自分なりに微妙に意味を使い分けたり、字によって受けるイメージを選んだりしているんだが、読み手にとったら些細な、取るにも足らぬ、どうでもいい、読み流して差し障りない部分です。

『黒十字~』においても私は、たとえば「あかり」を
○灯り、
○明り、
○明かり、
で、使い分けてました。
○ロウソクやランプなど炎によってもたらされる質感を強調したいときは「灯り」
○一般的なあかりに関しては概して「明り」
○光とほぼ同義の、特に月光や陽光などであることを意識したいときは「明かり」
みたいな、まあその場その場の雰囲気で。

『作者というものは、こんなところに文学のまことの問題はないのだから平気な筈なのに、実に、フツカヨイ的に最も赤面するのが、こういうところなのである。』

まことにもって。べつにどうってことないのは分かってるし、誰にも何も言えないし、だいたい、自分の誤字やら変換ミスについては、どんなにつらつら探してもなかなか見つけられないのに。自分の書いた作品にちょっとでも見覚えのない景色があると、頁をさらさらさら……とそよいで見た瞬間に、あれ? 風景がちがう、って読む前から気付いちゃうのがなんかいやだよもう。でも実にそんなだったりするのです。
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ズシューン [さ行]

最近そこはかとなく身近で感じる、太宰治とエヴァのセオリー。
太宰を好きな人は、新世紀エヴァンゲリオンの碇シンジも結構好き。少なくともシンジにさほどイライラしない。劇場版「破」のシンジには、むしろ一抹の物足りなさをおぼえるほどだ。

さて、この季節につきものの雷雨。ゴロゴロのご……って聞こえただけで震え上がります。雷は嫌いじゃない、というかむしろ好き(怖いけど)。震え上がるのはPCを思ってだ! 雷雨でこれまでPCを幾度オシャカにされたかしれないよ! 巨大箱型デスクトップを使ってた昔は、PCがかくも雷に弱いと全く知らなくて、雷雨のときにPCで音楽を聞いている最中にズシューン。ちょうど赤木博士が実験中、停電くらってネルフの電源が全部落ちたときのような音をたてて、まさにエヴァが活動限界突破で起動しなくなるように、何をどう操作してもダメな「完全に沈黙」
……動け、動け、うごけッ。……うごいてよ!
エヴァじゃないしそこはもう再起動は不可能となったら不可能なので、基盤の入ってるでっかいコンピューターを直しにタクシーを使って電車で運んで、それはそれは大変だった。

以来、サージプロテクターを使ったり、PCを万一入院させる際にも楽なノート型だよ当然だよ、って感じでいるのだが、それでも壊れるときってのは来る。私はかつてIBM信者でThinkpadが大好きで。IBMの赤ポッチはマウスよりもずっと使い勝手がよいのだよ、ほかのノートパソコンの同様のタイプのとも比較にならないよ、で長年愛用してきていた。だがIBMはけっこう胡散くさくもあって、突如電源が立ちあがらなくなり、IBMに連絡をつけて入院させた。保証期間はとっくに切れていたのに、送料も部品費用も一切かからず、無料できちんと直されて戻ってきた。たぶんあれ、リコール部品があったんだと思う。不具合を生じたやつには、だまって交換。理由を聞いても「今回はサーヴィスです」ってやってたんではなかろうか。何が壊れたか尋ねても教えてくれなかったし。企業が、気まぐれに親切でおまけってことはなかろうさ。それから1年後に、まったく同様の症状になり、そのときはRenovoになっていたせいもあるのか、もう相応の部品を作っておらず、交換できないので直せません、と。移送&チェックアップ代金をとられた挙句に申し伝えられた。見積もり期日がすぎてもいっこうに連絡が来ないから、業を煮やして電話をかけた折にである。

「つきましては、こちらで個人情報等が行き渡らないように、メモリーデータを一掃して、破棄しておくことにいたしますがよろしいでしょうか?」

……よ、よろしくないですよ。

『メモリに手をつけないでください』『消さないで』
あちこちPC本体に貼り付けて入院させたのに、何を言ってくれちゃってるのですか。何が入ってんのかあなたわかってらっしゃるの!?

「いいえ。メモリに手をつけずそのまま送り返してください」
「は?」

電源が立ち上がらないPCなど、ごみより悪い、捨てるにも面倒、なんでこっちが親切にデータまで消して破棄してやるっていってるのに、無用の長物を手間ひまかけて送り返せといってるんだこいつ。……といった感じを露骨に漂わせつつ、オペレーター女性の声には棘が……。

戻ってきたIBM ThinkPadは、IBMを専門に直している中部なんちゃらどうとこ、に送りました。きちんと直って戻ってきました。データもメモリも全部そのまま無事です。(この数ヶ月あとにモデムが壊れて、私は別メーカーのノートPCに買い換えた。)

金は惜しまないから頼む、なおしてやってくれ、という私の密かなテンパリ具合を察知して、身内は
「捨てろよ」「買えば」「メモリに何が入ってるんだか」「どーせろくなもん入ってやしない」「馬鹿げたことに費やすお金はあるんだね」「大事ならバックアップをとっとくもんだ。バックアップをとってないってことは、いかがわしく人目に晒せぬ恥にちがいない」的な、傷口に塩をもみこむ雑言を矢のように……(作家デビュー前の話です)。

この際、パソコンごと危うくオシャカになりかけた小説の中に、後に受賞する「黒十字サナトリウム」も入っていました。だいたい悲しいのが、どうせろくでもないしょうもないもの、と決めつけられて「ちがう」と言い切れないってところなのだよ。
「くっだらない」
そりゃまあ己の嗜好まっしぐらなわけだから
「くだらないです。くだらないけれどもだよ……」
バックアップを取るなんざ、もしもの事態で私が死んだらPCはそのまま破棄してちょうだいよ、書き途中の話くらい見苦しいものはないからな、という気持ちで打っているのに、バックアップを取って妙な証拠をさらに増やしてどうするんですか。で、今でも気は進まないです。
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シャロットの女 [さ行]

シャロットの女(1888年)」という絵を教えてもらい、はじめて見たんだけど猛烈なる既視感。デジャヴですよ。……なんかこういう世界観、前に視たことがあるんだよ……。

一昔前の映画「赤毛のアン」で、アンが小船に乗って白い服で横たわって花に埋もれて、誰かになりきって川をくだっていくシーンがあった気が。 (んで無残にも小船は浸水し、橋げたにしがみついているところをよりにもよってギルバートに助けられる) そのシーンはもしかしたら?

と、思い立ちYoutubeへGo.
そしたらあっけなく出てきました。


Anne of Green Gables: Anne Pretends to be The Lady of Shalott
https://youtu.be/qo-vxToXOHc?si=hhdJix_AEeJ64S4L

そうだったんだー。シャロットごっこをやってたのか、アンはー。
と、十数年ぶり(おぉ……へたしたら20年ぶりだ!)に合点がいった。
そういえばアンはキャメロットがなんちゃらとか言ってたわけだけど、当時のわたしは元ネタ「シャロットの女」自体を知らなかったし、その後のアンとギルとの本筋に気を取られていたのである。
魚釣りよ、
とか言い張るアン(この期におよんで!)に、
「へー、魚釣りなんだ。さすが」
「は、はやく助けなさいよ」
と、たしか少女マンガ王道風の展開へ。

========
久しぶりにこのページを見に来たら、Youtubeのリンクが壊れていて表示できなかったので、張り替えました。いつまで持つかな。(追記:2023年11月)

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醜形恐怖 (フォビア) [さ行]

醜系恐怖っていう病気があります。恐怖症(フォビア)の一種です。

まず言っておくと私は医者じゃないし、醜系恐怖を患った経験もないので、この発言により面倒が生じたらすぐに記事を削除します。

さて、あまり認識されていないようだが一般論だよの話をすると、今回世界的スターであるマイケル・ジャクソンが亡くなって、彼の整形癖……というの? あれを「あの人は白人になりたかったんだねえ」とコメントする人がけっこう多くて(以前から彼を「白人になりたかったんだね」と言う人は日本に多いんだけど)、んでもってそれをアメリカの人種社会のなんちゃらに結びつける発言が多い気がするのですけれども。

たぶん間違いなく、マイケル・ジャクソンは醜系恐怖という精神的な病気です。知る人ぞ知る、といった感じで。

醜系恐怖ってのは、ググればすぐ出てくると思いますが、自分を過度に醜いと思い込む心の病で、これがたいてい、比較的、どっちかっていうとはっきりいって見た目いいよね? という人に限ってなりがちです。美しい人は美しさをつきつめるとたまにベクトルを間違えちゃうね、くらいの呑気な捉えかたをされたりもするが、実際は、場合によっては、かなり深刻な病気だったりします。

で、この醜系恐怖にかかっている人が、うっかり美容整形にいったん足を踏み込んだら泥沼、っていうか、ここも、そこも、あそこも、いやあっちもおかしい、まちがってる、醜い、どうしよう、って歯止めがきかなくなるので、こういう患者に美容整形手術は禁忌に近い行為になります。このへんを、美容整形外科医は手術前に見極めなくてはならないわけです。で、たぶん良心的な美容整形外科医はそこらへんをきちんと判断するはずです。あなた、美しいですよ。治す必要ないですよ。切ったり貼ったりしなくとも、ほかに手段があるんじゃないかなあ、と。

でもそうすると、自分で顔を治す、とかいって自前のメスで(カッターとかでよ)なにかしでかしちゃう人とかも中には居るので、だったら美容外科医に、ちゃんとやってもらおっか、ってことになるのかもしれないけど。

場合によっては、患者&顧客からお金をむしることしか考えていない医者も居る。あるいは醜系恐怖について無頓着で知識のない藪医者とか、また医者当人が醜系恐怖で(醜系恐怖ってのは自分を醜いと思う病気で、醜いものが嫌いっていうことではない)ビジネスだからではなく、率先して自分自身にあちこち手を入れているようなひとだったりすると、どんどん「治す」。

それどころか患者の症状を煽って「ここも手を入れたほうがよくなります」「そこも醜いですよ」って、悪徳エステまがいの真似をしてお金をむしる(……エステは良いところですよ。美しくなる努力を応援してくれるスポーツジムみたいなものでしょう? 悪徳エステってのは文字どおり悪徳のエステで、エステが悪徳なわけじゃないですからね)。

いったん切ったり貼ったりの手を入れだすと、醜系恐怖の患者はどんどん病気を悪化させ、かくして治るどころかドツボにはまっていくことになります。

だから、醜系恐怖の患者で切った貼ったを過度に望む人に、お医者は
「いいの? あなたの場合、顔を『なおす』より、醜系恐怖を治さないと、いまにマイケル・ジャクソンみたいになっちゃうけど?」
と警告するのです。

そんな醜系恐怖のデフォルトとして語られるくらいだから、マイケル・ジャクソンは多分その病気だったと思われ。んで彼が醜系恐怖を患ったきっかけは、或いは人種問題でなにか感じたところがあったからかもしれない。ただマイキーが骨格を白人に近くしていったからといって、彼が白人へのコンプレックスがあったと直結させるのはいささか安易で、どちらかというならば醜系恐怖で整形を突き詰めすぎると、もう別人になるしかないので、だから黒人だった彼はどんどん見た目を白人化させていくしかなかった、と言えるんじゃないかと思うのです。

言ってみればマイキーの見た目は、白人化とも言えますが、女性化&中性化しているようにも見えます。(少なくともアメリカ人は、マイキーを白人化とは思わず、女性化・中性化していると見ていたように思う。)男性だった彼は自分の見た目を否定すると、女性化および中性化することになり、だけど彼は性転換手術をしていたわけではないですよね? あくまで見た目の完全自己削除。醜系恐怖を病んだ果ての、ああいった見た目のチョイスに思えるわけです。



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塩にまつわるジンクス [さ行]

週末、お清めの塩を使う機会がありました。

洋画を見ていると、料理で塩を一つまみとか、豪快に一掴みとかして、鍋やらフライパン料理に放ったあと、手に余った塩を肩越しにえい、えい、と投げるジンクスが出てきます。
あと、塩を入れた容器を倒して塩がこぼれたときとかも、欧米では肩越しに、えい、と塩を放りますよね。

これって東西共通のお清めなんじゃないかな、と思って調べたら、ある意味やっぱりそうでした。
これに関しては、日本より西洋のほうが日常的で神経質ともうけとれる。
塩をこぼす、っていうのは悪行だそうで。聖書時代、塩が貴重だったので、そんな塩をこぼしちゃう、ってことは悪徳の栄えに匹敵する悪事というわけです。

で、その悪事を悪魔に見咎められ、つけいられる隙を見せてはいけないので、肩越しに塩を放り(なんかよけいにもったいなくはないか……)あなたの背後に忍び寄った悪魔に対して目くらましをくらわす、見てんじゃねえよ、これでもくらえ、という意味だそうです。むしろ日本の豆まきに近いか。

日本では、イザナギが黄泉の国を覗いてあわてて戻ってきたときに海水で体を洗ったことから来ているそうですが。

悪魔への目くらましとか、イザナギの海水の禊とか、こういうお話は、既にあった風習の理由付け、後付け、こじつけが多いので、本当の真意がどこに根付くかはまだ謎です。だって悪魔ともあろうものが、塩ごときに、あわわわ、と慌てて逃げ出すとは通常語られる悪魔らしからぬ醜態だもの。


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十人十色 [さ行]

これまでにわたくしのところに寄せられた数少ない『黒十字サナトリウム』の感想をまとめると、

一、冒頭の章で引き込まれた。
一、冒頭の章が読みにくかった。

一、湊が嫌い。
一、湊が好き。

一、最後が「?」
一、最後が「!」

一、少女漫画ふうだよね?
一、新青年ふうだよね?

一、長編だ。
一、短編風だ。

……などです。



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