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『斬リ結ビ』は年明けに [黒十字療養所出版部]

『斬リ結ビ』は今回の文フリには間に合わないので、年明けにでも出せたらいいな、と思っています。8割がた書き上げ、あとはクライマックスを書くだけ、というところで表紙やクリアファイルを作っていたら、間に合わなくなったよ……。

二次創作は後にも先にも『刀剣乱舞』以外ではやる予定はなく、初めての試みでもあり、楽しみながら書いているので、今更あまり慌てて作るのも……という気持ちでいます。

なお主たる登場刀剣男士は──

源清麿
加州清光
山姥切長義
にっかり青江
肥前忠広
古今伝授の太刀
へし切長谷部
薬研藤四郎
毛利藤四郎
水心子正秀
一文字則宗

──という面々です。


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付録の紙製しおり [黒十字療養所出版部]

そうだ、栞を作ったんだ。

今までも小説本にはいずれも紙製のしおりを付録で添えています。
今回もまた作りました。

ブログに埋め込むと巨大になりますが、いわゆる標準的な栞のサイズ。
幅47mm×高さ143mmです。
またブログにCanvaで画像を埋め込むと、自動的に角が少し落ちた状態で映るんですけど、本体はふつうにかっちり直角です。


中里友香による公開用・黒猫ギムナジウム付録しおり大

マウスオーバーで矢印が出てきたら、クリックするとページが進みます。
表→裏です。

表面(おもてめん)にUV加工をしてあります。
ジェルネイルのようなつややかな質感になっています。
裏面は普通の印刷です。

表のほうが華やかですが、裏面のデザインを作り上げるほうが難しかった気がする。
その分、仕上がりを見た時にはテンションが上がりました。
いずれも明治時代の着物の柄をベースにして、モチーフを足しています。

なお、私は本もカバー表紙も帯もいずれもどこでプリントしたか、印刷会社を必ず商品自体に記していますが、栞だけは書きこむスペースが無い。
ですのでこの場で──栞はいずれも「グラフィック」で頼んでいます。
というか、ほかに紙製栞を扱っているところって、まず無いよね?
(そこしか取り扱ってなくない……?)

栞は本の最初のページに挟んでパッケージしています。

新装復刻版『黒猫ギムナジウム』帯デザイン [黒十字療養所出版部]

今回、帯を二種類作りました。こんな感じです。

中里友香さんによる公開用: 黒猫ギムナジウムカバー表紙・背表紙・裏表紙with帯

マウスオーバーで順に見られる矢印が出てきたら、クリックするとページが進みます。
(帯付きカバー表紙 → 帯付きカバー背表紙 → 帯付きカバー裏表紙 → トレペ帯付きカバー表紙 → トレペ帯背表紙 → トレペ帯つきカバー背表紙)

両方の帯に共通して、銀杏(イチョウ)の葉のモチーフを使っています。
『黒猫ギムナジウム』は明治時代の帝都が舞台で、帝都といえば銀杏。
現在でも『都の木』は銀杏ですし、ね(ちなみに『都の花』は桜)。
桜の花のモチーフは重ねて用いてきているので、帯には銀杏をと。

江戸時代から火事が多かったので、好んで銀杏が多く植えられてきたというのは有名な話。
東京五輪で樹齢百年を超える「いちょう並木伐採」という話が浮上した時には「正気か?」と思いましたよ、本当に。

トレーシングペーパー製の帯は、他の帯と比べてサイズ制限が厳しい。
前回、短編集でもトレペ帯を作ったのですが、その時にお願いした印刷会社と、今回は変えてみました。(何ら問題があったわけではない。)
前回、帯をお願いした印刷会社は、そこで本を刷った人がついでに帯をオーダーするというのが本来の注文の仕方らしかった。
お願いしたらトレペ帯だけ刷ってくれたのですが、例外的に都合をつけてくれた気が……。

その時も、トレペ帯はサイズに制限があって、本当はカラーカバーと横幅を揃えたかった。
既定のサイズがカバーより幅を長くとらないといけなくて、ちょい長めの帯となったのだ。

今回は四六判。もともとカラーカバーの幅を広めにとっていることもあり、トレペ帯がカラーカバーよりちょい短めに。規定の最大幅がその長さでいっぱいいっぱいなのだった。
そこが気になる人は、気になるかな……。


中里友香による公開用:黒猫ギムナジウムのカバー&帯

マウスオーバーすると、矢印が出てきて、クリックすると順番に見られます。
(フルカラー帯つきカバー → 帯デザイン → トレペ帯付きカバー → トレペ帯デザインの順)

なお、トレペ帯は透け感のある白い紙に、白い特色インクで刷るので、デザイン提示のときはシアン(青)で白い特色インク部分を示すことが多いです。

──カラーカバーのほうを短めの幅にしときゃよかったじゃない?──と思われるかもしれないが、今回、ソフトカバーの本で、見返し加工をしているので頑丈かつ美しくできていますが、ハードカバー本ではない。
カラーカバーはなるべくしっかりと、多めにたっぷり本体をカバーできると、安定感がより増すわけです。500頁越えの本ですから。

見返し加工の紙色は桜色にしました(正確を期すればコスモス色。桜色はかぎりなく白に近すぎる薄桃色なので)。
見返し加工の薄桃色と、カバーの江戸紫とのバランスが、ベストだなと思える幅にするのを優先した。
なので、カバーのほうをトレペ帯の最大幅に合わせることは考えませんでした。
(見返し加工とカバー、帯の折り返し部分も、のちほど当ブログでアップしたい。)

私個人としては、トレペ帯だと華やかさと儚さがあって、ガーリーめで可愛さが引き立ち、持っていたい本という感じが募るかなと。
フルカラーの帯は、夜の帝都感が出ていて、作品の世界観にマッチする。読書意欲をそそる感じで実にしっくりくる、物語の雰囲気を伝える納得の出来映えになっています。

デザインとしては、トレペ帯は素材の良さ(トレーシングペーパーの透け感と、特色白インク)を活かしたいので、デザインはごくごくシンプルに。

逆に、フルカラーの帯のほうがデザインを作る上では難しく、試行錯誤を重ねました。
帯の折り返しにキャッチフレーズの一部と、デザインを入れたかった。満足です。

前も書きましたが、本の中身は全く同じです。帯だけが違っています。

本の装幀全般においても、今まで商業出版と私家版とで本を作ってきたわけですが、私家版はこれで小説本は3冊目。私家版の中では、この『黒猫ギムナジウム』が現時点で一番良い出来だと思います。
印刷会社が期待通りに刷り上げてくれたし(これ重要)、紙の質とか(厚すぎず薄すぎず、しなやかで扱いやすい)、文字サイズとか、行間とか。とても読みやすくできたなと。
そのあたりも後程、このブログでもう少し詳しくアップしたいと思っています。


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お品書き(2022年秋・文学フリマ東京) [黒十字療養所出版部]

新刊本の書籍本体、カラーカバー、帯、どれもきちんと問題なく刷り上がってきました。
帯は2種類つくりました。お好きな方を選んでいただこうと考えています。
あとで当ブログでアップします。

で、ちょっと気が早いかもしれないけれど、お品書きを作りました。
こちら

中里友香による公開用:2022年秋文フリ東京お品書き
右下コーナーをマウスオーバーすると拡大できます。

【文学フリマ東京35】ブース位置G35/36に確定しました [黒十字療養所出版部]

きたる11月20日に東京流通センターで開催予定の【文学フリマ東京35】
私(中里友香)がやっている『黒十字療養所出版部』のブース位置が確定しました。
第一展示場のG35~36です。

tokyo35_visitor_map_1黒十字療養所出版部sizemodified.jpg

クリックすると拡大します。↑

あれ……宅急便搬出受付の場所と、ゴミ集積所の場所が遠い……。ちょっと弱ったかも……。

わざわざ来てくれた人に「売り切れました」としたくない。
なるべくたくさん本を用意して、余りを持ち帰るのは当然、という考えでいる。
そのため2020年では、宅急便搬出受付の場所がかなり近くて、とても有難かった。
今回は2020年に私が出店した区画自体が無いですね。

2020年、私のもらえたブースは換気用出入口の向かいにあって、風が吹き込むと展示物や商品が軒並み倒れ、お隣のブースともども、かなりな被害に遭った。宅急便搬出受付は近く助かった反面、あのブースの区画自体が改められたのは妥当だな、とも思います。

とはいえ今回、宅急便搬出受付が遠いのは、ひそかに戦々恐々なのであって……これは売れないと困るやつだ……。
売れ残りが多いとカートを駆使しても自力で運ぶのが至難の業。
会場にどのくらいの冊数を用意すべきかが思案どころです。

黒猫ギムナジウム新装版カバー [黒十字療養所出版部]

こんな感じで印刷会社に本刷りをお願いしています。


中里友香による(公開用)黒猫ギムナジウム新装版カバー

右下コーナーをマウスオーバーして拡大できます。

画面上だとかなり鮮やかに見えると思います。
液晶画面は発光しているおかげでカラフルに見えるので。
印刷した状態はもう少し、落ち着いた色合いになるかな? 

簡易色校正で、いつも自分が想定していたより「うわ……くすんで見える……暗い」
となって修正・再入稿するのが、私のお決まりのパターン。
小舟の脇に描かれている青い波が、ほぼ真っ黒に近く、背景と波との区別が目をこらさないと全然わからないくらい印刷に出ていなかったり……。
色校正は絶対やったほうがいいと、毎度、実感します。
色校正をして、いろいろ修正し、再入稿したのがこちらなわけです。

色味は印刷会社の癖とかにもよるかなと。
紫系は、印刷会社によって相当の差があって難しい気がする。
紫色はそもそもどぎつくすると下品になるし、控えめにしすぎると、どす黒く映る。

たとえば「名刺代わりの小冊子」を刷ってくれた印刷会社は、しょっぱなから私の想定通りの色味で刷り上げてくれるのですが、しかしそこはこの手のカバー印刷は、やっていない。

『黒十字サナトリウム(新装版)』や『手腐レ風切り貴方まで(中里友香短編集)』のカバーをお願いした印刷会社に今回も頼んでいます。
どちらのカバーの仕上がりも気に入っているので。
どちらも色校正のあと再入稿をして、カバーが納得のいく出来栄えになったのだった。
今回もイメージ通りに刷り上がってくると良いなあ。

前回は「黒十字~」も「手腐レ~」どちらもグロスPP加工をしたのですが、今回はマットPP加工でお願いしています。

マットPP加工というと、私の場合は早川書房で出してもらったハードカバーの本が、いずれもマットPPのはずです。
──ちなみに当時はマットPPという言葉を私は知らなくて、
「さわると指紋がくっきり残るタイプのフィルムではなくて、つや消しっぽい透明のフィルムを使ってもらえると」
という、お願いの仕方をしたおぼえがあります。

『黒猫ギムナジウム』新装版の進捗状況 [黒十字療養所出版部]

こんな感じで、まずは試し刷りを印刷会社にお願いしている段階です。


中里友香による公開用・黒猫本体表紙・化粧扉・目次・章扉

https://www.canva.com/design/DAEn3NdhlKo/view?utm_content=DAEn3NdhlKo&utm_campaign=designshare&utm_medium=link&utm_source=publishsharelink

本体表紙→背表紙→化粧扉→目次→各章扉→本体裏表紙
(画像左下をマウスオーバーすると>が出てくるので、>をクリックすると見られます。)

この本体の上にカラーのカバーを巻きます。
まずは本体の印刷を。

当ブログで「こんな感じで進めています」と紹介した段階から、更にけっこう手を入れました。上書き更新しているので、途中経過・変更後の比較をお見せできないのだが……。

目次にページ数が入っているのだとか、背表紙も作ったのとかは、お分かりになるかなと思います。500頁を超えるのも目次を見ればお分かりになるだろう。
現在絶版状態の講談社の初版単行本(468頁)は二段組で刷られており、やはり一段組のほうが圧倒的に読みやすい。
せっかく私家版で刷るのだから、どうせなら読みやすい一段組で出したいですし、新装版あとがき分を入れると、おのずと500頁をちょい超えてきます。

表紙等で繰り返し用いている花は、桜を想定しています。
しかし桜の花びらは先端に切り込みがあるのが一般的ですよね。
とはいえ、原種の桜とか、花びらに切り込みがないタイプの桜の木もあります。
だからこの表紙の桜は切り込みがないタイプの桜の花なんだな……と思っていただけると幸いです。
バラ科の木であることは間違いないのだが……。
花びらに切り込みのあるモチーフだと、いくら探しても、この表紙に使いたい感じのが無かったんです……。

商品本はオフセット印刷で刷ります。

その前にまずは見本としてオンデマンド印刷で1冊刷ってもらい、これで行けそうかどうかを確認します。今その見本刷りをお願いしている段階というわけです。

2020年に短編集を刷ってもらった印刷会社と同じところに頼んでいます。
前回も見本刷りを頼んで確認したのでした。その際には、見本を確認した段階で、フォントサイズやら章扉の位置やらを変更する必要が生じました……。(試し刷り段階ではフォントサイズがやや小さすぎ、また章扉の位置を全部左側にしたほうが、より体裁が整うので、白紙ページを入れたりした。)
又、ノドのスペースを多めに取ることにして、その分、なるべくページの端まで行をずらしたり。分厚くて良い紙を使うほどに、本が閉じやすく開きにくくなるという難点も生ずるので、やっぱり物理的に手に取らないと、感覚的に今一つ、加減がわかりにくいんですよね。

今回は多少勝手がわかってきているので、スムーズに運べば良いなあ。
さっそく「これとこれに塗り足しがないので再入稿をお願いします」とか「モノクロ印刷のページはグレースケールで作ってください。再入稿をお願いします」とかの連絡をいただき再入稿しており、すでに地味にやらかしてはいます。

「文学フリマ東京35」無事に出店確定です [黒十字療養所出版部]

文フリ東京の事務局から当確メールが届きました。

〔今回は抽選を実施せず、すべてのお申込を当選といたしました。
したがいまして、「文学フリマ東京35」へご出店いただけることとなりました。〕

第一展示場と第二展示場Eホールを使って、昨年の文フリ東京の1.5倍の面積でやることになったそうです。

出店料を支払い終えたので、これで出店は確定。
2022年11月20日開催の第35回文学フリマ東京に出店予定です。
どうぞよろしくお願いします。

文フリ東京開催までには新型コロナ、収束に向かってほしい。
文フリ東京まで待たずにいくら早く収束してくれても構わないんで頼む。
このところ、ずっと高止まりですよね……。

感染者数が増えているだけの時はさほど心配していなかった。
「今はワクチン接種済みで軽症で済む人が大半で、病床ひっ迫も起きていないのならば、死亡者数も少ないし」と思っていたから。
結果的に第七波の現在、東京都内の感染者数は毎日大体2~3万の間であり、死亡者数も第七波が一番多く、最悪の状況になっている。

私が2020年の文フリ東京に初出店した11月、当時過去最高の感染者数で、感染対策に万全を期しての出店でした。
都内の感染者数が多くて300人から500人台に届く、という状況だったのをよく覚えています。
桁が2けたも違うんだよ。2桁だよ。
当時も既にワクチン接種は始まっていた。

第七波のウィルスは会食しても伝染しないとか、喫煙室でも伝染しないとか、そういうタイプのウィルスになったわけでは全然ないのに。
「経済優先」という名の下に国が行動規制をしないので、呼吸器疾患持ちの自分としては「ますます生きずらい」と感じています。

ちなみに「生きにくい」「生きずらい」というと「死にたい」と同意だと思っている人が居ますが、私の場合、正反対です。
生きようとしてる人間の邪魔をしてくれるなよ、という意で言っています。

喫煙室とか今、全部封鎖したらいいのに(喫煙室での感染が後を絶たないと聞いた)。
個人的には、時限立法で喫煙ルームを全部封鎖してほしいです。
それが難しいなら、電話ボックスタイプの一人しか入れない喫煙BOXをずらっと設置したらよいのでは? こっちのほうが現実的ですよね。喫煙BOX会社が潤うし。喫煙BOXはコインパーキングスタイルで展開したら経済もまわる。

それも無理なら、もうみんな大昔の不良みたいに屋上に行って吸ったら良いじゃん。 
昨今『東京卍リベンジャーズ』の登場人物ですら、メインを張る面々は誰一人として喫煙していないから、不良と喫煙を結びつけるのも時代遅れな喩えだし、こんな時でも吸わずにいられない喫煙は依存症だから、ほんと、病院に行ったほうがいい案件なのだが。
ライアビリティの関係で、飛び降りとかをされると面倒なので、たいていの屋上は封鎖になっていると思いますけど(つまり吸うなと言っているのか? このブログを読まれる方は読解力が高いからお分かりのはず)。

ヤニの煙を心底憎んでいる割に、私の小説内に喫煙描写が結構あるのはなぜなのか、
と思われる方もいるかもしれないが、時代性を鑑みてのことです。
嫌いだからと言って描写しなかったら、嫌なものは何も無かったことになりますし、物語として作りこむ部分と、嘘があってはいけない部分がある。
その線引きをどのあたりに設定するかは作風もあるでしょうが、私は喫煙の描写は入れます。
私が描く世界観の当時としては、とくに男性は当たり前に吸っていたからです。
喫煙を過度に貶めて書くこともしないです。当時は悪いものだと知られていなかったから。
経験値として喫煙による健康被害があることは皆、把握していて、その集合知が医療雑誌等々で科学的研究成果として明らかにされた上で、取り上げられるようになったのが第二次大戦後です。もっといえば朝鮮戦争の後くらいです。
それもせいぜい喫煙者のみが体に悪いことをしているという扱いです。
1980年代までは、副流煙の有害性は知られていなかった。受動喫煙だなんて概念自体が存在しない。

受動喫煙が知られるまでは、喫煙は「カッコいい」「ダンディ」「すかしてる」色合いが強かったわけで、作者の視点を投影させようとして、当時の登場人物が「喫煙習慣なんて最悪、マジで滅べ」と思っているのは、いくらなんでも不自然がすぎる。

作中に喫煙者が居る場合は、うっすら「迷惑だな」と思っている喫煙しない人間も必ず登場しています。
当時としては、迷惑がっている人物のほうがどちらかというと特異で、なんらかの喫煙しない理由があるとか、喫煙できない不都合があるという状況で。

話が逸れましたが『文フリ東京35』に出店する予定ですので、楽しみにしていてくださると嬉しいです。既刊3冊と、『黒猫ギムナジウム新装版』を新刊として持っていく予定です。あとクリアファイルも。

プラスもう一冊、遊び心のある書き下ろし新作が間に合ったらいいな……。
遊び心というのはこの場合、必ずしもコメディタッチとかギャグ色が強いという意味ではなく、私なりの遊び心の概念で、四六判で400頁くらいで納まると良いなあ、という感じで進めています。長編です。

この書き下ろしについては、のちほどまた進捗状況をアップしたいです。

A4オリジナルクリアファイル第3弾 [黒十字療養所出版部]

4月4日~4月10日の期間、黒十字療養所出版部はメンテナンスのためBoothを一時的に閉めていました(暫定的に在庫ゼロ設定とし、購入不可状態にしていた)。

メンテ明け後も、メンテ中の文面が商品画面に残っていたページがありました。
御不便をおかけしました。

不調法のお詫びかねがね、新たにまたクリアファイルを作りました。
BOOTH→https://bcsanatoriumpub.booth.pm/items/3813657
よろしければ御覧になってみてください。

今まで作ってきたクリアファイルの色味や透け感具合が、どれも私のイメージした通りに出来上がって気を良くしまして、また違うのを作ってみたくなったというのもあります。
今回もイメージ通りに出来上がってきました。
今までのクリアファイルはA4縦型でしたが、今回はA4横型です。

こちらのクリアファイルも、2022年の秋開催の文学フリマ東京に持っていくつもりでおります。(5月開催の文フリには出ません。)

秋はまだまだ結構先。
先行お披露目として、BOOTHに置いておくことにします。
中里友香短編集「手腐レ風切り貴方まで」に使った写真を、よりオリジナルに近い状態でクリアファイルにしました。
写真は2007年にヨーロッパで私が撮ったもの。
今から思えば信じられないくらい、のどかで平和なヨーロッパだったな……。

写真を撮った当時は近年のヨーロッパ史上、ひょっとしたら一番平和で治安が良い時代だったのかもしれない……という気すらしてくる。誇張でなく。

BOOTHに商品登録はしたものの、商品写真よりも文フリで実物を確認してくれたら一番嬉しい。気が向いたら見てみてねというスタンスで置いておきます。
もちろん全ての人が文フリに来られるわけではないわけで、光源バックに写真を撮ってみたり、スキャンしてみたりと試行錯誤をしてはいます……。

大きいサイズもスキャンできるスキャナーを買おうかチラっと思いもする。
が、大きい上に画質もちゃんとしたスキャナーって、びっくりするほど、お高いのだ。
A4サイズが5万弱くらいなのに、A3サイズになると価格が最低でも5倍に跳ね上がるんですよね。
置き場の問題もあるし……。
A4より大きいサイズで平らかに高画質でスキャンをしたいのって、当面クリアファイルくらいだし……。
だったらその予算で、別の本を刷ることを考えたいかなあ。

ご購入の場合は、安心BOOTHパックの送料になります。
薄いですが、サイズ的には送料が商品と比して割高になるので、合わせ買いが推奨です。


中里友香によるA4横クリアファイル・ヨーロッパ220×310公開用

画像1:デザイン
画像2:クリアファイルの実物写真オモテ
画像3:クリアファイル実物スキャン画像オモテ(スキャナーがファイルより若干小さいため、画像の端が少し見切れてしまっています)

pikomaroさんに白雪と猫目坊を描いてもらった! [黒十字療養所出版部]


『黒猫ギムナジウム(中里友香著)』 pikomaroさんの絵

1枚目は私が帯をつけてみたもの。
2枚目にちゃんと原画のままで出てきますので、慌てないで「>」マークをクリックしてページをめくってくださいね。
右下に対角線上に描かれているマークをクリックすると、全画面表示にできます。

Skeb──スケブ。

スケブというのは本来イベント会場などで、イラストレーターさんや漫画家さんなどにスケッチブックを渡して、その場で希望の絵を描いてほしいと依頼する、
というある種、ゲリラ依頼みたい習俗文化。
なんだそのハラハラするやりとりは……と思いながら噂に聞いてはいた。

このスケブ文化を活かしつつ、そのある種、あぶなっかしいゲリラ性を回避して、気楽にかつ安全にネット上でやりとりできるシステムがSkebというものなんですね。
最近知りました。

坂口安吾の「明治開化 安吾捕物帖」「南京虫殺人事件」を原案にした、
東京開化事件譚』という漫画がヤングエースで載っていて、ちょっと注目しています。

  坂口安吾の原作本をアレンジして、まさかの新選組と絡めている。
  結城新十郎と、花廼屋(はなのや)因果が、新選組の生き残りの……あの人なの!?
  これはありうる改変というか。面白いぞ、私が好きなやつかもしれないぞ……と。
  新選組の生き残りは皆、素性を隠して生きないとならなかったわけですし。

読み始めたきっかけは絵でした。絵が好き。
明治時代っぽさが、ちゃんと出ている。

明治時代らしさって、文明開化の洋かぶれ具合&思いのほか江戸時代なんですよね。
わりとよく見かけがちな明治時代のイメージ描写というのは、実はけっこう大正ロマンだったり昭和レトロだったり。
この作品の絵は、幕末の名残と文明開化が折衷した、ちゃんと明治っぽい空気が流れている。
明治の再現率が程よい頃合いで、素敵だなと(いや……私も明治時代を知らんがな)。

これからどんどん面白くなりそうな予感がしていて、その漫画の絵を描いているのがpikomaroさんという漫画家・イラストレーター。東京開化事件譚で存在を知りました。
このpikomaroさんが、まさかのSkeb募集をしていたのです。
「東京開化事件譚、最終的にどうするか決まるのにまだあと1か月くらいかかるらしく……
めちゃくちゃスケジュール空いてるので」と2月の中ごろに。

頼むでしょ。そりゃ。迷わないでしょ。
スケジュールが空いているという書き込みを見つけて、すぐにSkebの依頼をしました。

Skebというシステムを使うのも、Skebをお願いするのも、私はなにぶんはじめてのこと。
わたわたとSkebの利用者として登録をしました。
今となっては意味不明な突撃メッセージみたいなのを送って、pikomaroさんなのにpicomaroさんと綴りミスで連呼しちゃったりと、本当によくすんなり引き受けてくださった……。

『黒猫ギムナジウム』の白雪と猫目坊をお願いしました。
明治時代が舞台です!

今年中に刊行予定の新装復刻版の紙の本『黒猫ギムナジウム』に、こちらのpikomaroさんの絵を収録する予定はありません。
紙の本のデザインはもう出来上がっている。

それでも描いてほしかったんです。
描いていただいた絵を、このブログで紹介できたら嬉しいなと思って依頼しました。

……いつごろ仕上がるのかなあ……。
納品締め切り日数が60日とある。
平均納品日数が2週間程度ともある。
そろそろかなあ。

と、思って本日、見に行ったら、2月27日に納品されていた。
はやい! 

お願いしたのは白雪と猫目坊で、背景から明治時代だなとわかる感じにしてほしいというのが、私の依頼内容でした。

──九鬼白雪が故郷を離れ、僻陬の地から帝都東京に上京してきたのは一八九三年、弥生の暮で、春特有の風のある昼下がりだ。開きかけた三分咲きの桜が、そわそわとした期待感を募らせた。──
という、まさに『黒猫ギムナジウム』の第一章の光景を描いていただけたと思っている。

『黒猫ギムナジウム』の話はその後、圧倒的に夜の描写が増えてくる。
さもなくば日暮れ時。
この一章のシーンは作中において数少ない、澄みわたった昼下がりの描写といえる。

講談社BOXで刊行時に描いていただいた絵と、当然イラストレーターさんが違いますし、タッチもかなり異なっており、今までのイメージとまたちょっと違う、猫目坊と白雪の二人の表情が見られて、とても新鮮です。嬉しい。

素敵な絵を有難うございました。


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オーディオブック挑戦中『黒猫ギムナジウム』 [黒十字療養所出版部]

オーディオブックを自分一人で作ってみようと、ちょっと無謀にも思ったのだ。

2012年に講談社BOXで初版が刊行されて、現在、売り切れ絶版となっている『黒猫ギムナジウム』を、今年中に少部数、自分で刷って復刻版として刊行するにあたり、購入してくれる人への特典・おまけとして、オーディオブックを無料でつけたりできたらいいな、と。

刊行する本の巻末にパスワードを記しておいて、そのパスワードを入力すれば、希望者は無料でダウンロードできる。欲しくない人はダウンロードしないというの無論ありで、とか。
オーディオブックはあくまで無料で配布するのだが、オーディオブックが紙の本の営業妨害になっては悲しいので、本購入後に入手してもらう形で、工夫したいなと。

私はYoutubeとかの動画を見ていても「視聴より読んだほうが手っ取り早いじゃん」と思うタイプではあるのだが、眼精疲労などから文字を読むのが億劫なときはある。
なぜか目線が字面を上滑りするばかりで、中身が頭に入ってこないときもある……。
電子書籍の小説は概してそう。

漫画は電子書籍で問題なく読めるので、最近ではもっぱら電子版を臆せず購入する。作品にもよるが。
小説本は電子書籍になると、本当に上滑りするばかりで内容が半分も頭に入っていかない気がする。小説本は絶対に紙派!

いろんな環境でも入手できるよう、電子書籍も媒体の一種としてむろん必要ではある。
(耳の不調とか、音を出せない環境下では、紙の本がないならば電子書籍が必須になる。)

ただ、単純に紙だとダメな事情があるだけの場合は、小説はいっそ電子版よりオーディオブックのほうが良い。

漫画は文字を読むだけじゃ伝わらないが、小説は文字を読むだけで伝わるように書いているのだから、オーディオブックはむしろ非常に好ましい、小説にぴったりな電子版としてのありかたではないか?
と。

幼稚園の頃、わたしは2月は1日も通園できなかったりしました。
単純にまあ冬で……子供だからごく一般的な風邪を引き、扁桃腺がくわーッと腫れて高熱が出て、その後、延々と長引く咳、というのがお決まりのコースでして。
幼稚園でとんだり跳ねたりお遊戯するほど元気ではない、体力が落ちたところにぶりかえすといけない、という状態なのだが、家でぬくぬくしている分には、少なくとも精神的にはけっこう元気で暇なんです。

通園はできないだけで、その間、大好きなぬいぐるみを抱っこしながら、布団の中で、童話読み聞かせのカセットをとにかく聞いていました。
日本の童話シリーズは黄色の本の形をしたパッケージ。西洋の童話シリーズは青色の本の形をしたパッケージだった。
カセットテープがそれぞれ6本くらいずつ入っていて、A面とB面で違う話が収録されていました。

今でも覚えているのが、
「あーんあん。あーんあん。うりひめこののるカゴに、あまんじゃくがのっている。あーん……あん」
というフレーズです。
オーディオブックは思えば昔っから馴染みがある。
媒体がカセットテープから変わっただけではないか、と。

昨今、大人が楽しめるオーディオブックといえば超有名声優が朗読をしており、ほんとうに羨ましいかぎりで、当然、購入者側目線になると本の単価としては高額ともいえる。
好きな声優が一冊まるまる読んでくれるとすれば、それを高額と感じるかというと別の話だが。
いずれにせよ、一個人としての私が手配できる代物ではない。
だったら、VOICEROIDを使ってみようと、一念発起してみたわけなんだ……。

どの声が実際に合うかは、サンプル声だけでは今一つわからないので、最初、お試し版をダウンロード。あれこれいじってみて、私でもある程度、形にできるかもしれないなと、3日目くらいに購入を決めた。
VOICEROIDの中でも最新版A.I.Voiceの声を4人──
結月ゆかり、日ノ出賢、伊織弓鶴、風見壮一
それからVOICEROID2(前のヴァージョン)の紲星あかりを購入。

なぜ何種も購入したかというと、地の文の目線が狭霧にあったりと男子の時には男性声、地の文の目線が白雪だったりと女子の場合は女性声にしたいな……と。
それであれこれ調声しても、私がイメージしている猫目坊の声はどうやっても出せないみたいなんだが。
(今まで実在の声優さんの声で一番、近いかも! と思えたのは刀剣乱舞の青江です。)

遠野怜士朗の声はかなりイメージ通りに調声できた。
怜士朗さんの日記や手紙の章を作るのが楽しみだな。

そんな感じで序章から初めて、試行錯誤を繰り返し、なるべく自然に発音してくれるように調整(調声)をしつづけ、とりあえずできた冒頭が、今回アップロードしたものである。

なお当ブログは音声ファイルを一度に5MBしかアップロードできないので、暫定的に、音質を最高品質より少し下げています。
この量で6分11秒というと、『黒猫ギムナジウム』全編全部で16時間ほどのオーディオブックになるはず。

ここまで作るのにみっちり2週間。
単語一つ一つは手を入れなくても結構きれいに発音してくれ、難読漢字も結構な数を訂正いらずで読んでくれる。
だが、デフォルトそのままで長文を読んでもらうと、とたんにロボ色がすごい。

ロボ色というとイントネーションが平坦なイメージがあるかもしれないですが、VOICEROIDは、むしろ過度に強弱をつけ気味。
息切れ気味に切れぎれに息継ぎを挟んできて、なめらかさを欠く傾向が強いんですね。

息継ぎの時間や回数を調整しつつ、声質の調声のみならず、アクセント(イントネーション)、声の高さ、話の速さ、抑揚などを一つ一つ調整する。

アクセントを正し、VOICEROIDが読めない言葉を単語登録するだけで、一気に聞きやすさの精度があがるのだが、そこから……より自然に、VOICEROIDの朗読だと気づかないくらいにしたい、
というところまで目指すと、かぎりなく時間が消えていくの……。

あまりに一定の速度だとロボ色が出る。
ずうっと一定の声の高さであってもやはりロボ色がにじみ出てくる。
抑揚の範囲が一定だと飽きもすぐ来る。
ばれない程度にゆらぎの強弱を滑らかにつけていくのが、やたらと時間を食うのである。

あと、どんなに調整しても、滑舌がダメだなんだなこれはという単語とか文章もまれにあります。

またトリッキーなのが、簡易慣用字体と印刷標準字体。
本来なら正しい印刷標準字体を、VOICEROIDはきちんと認識しないのだ。
つまりたとえば、ネット上などで便宜上よく使われている「掻く」
これは簡易慣用字体で、右上が又になってますよね。
印刷標準字体は右側が蚤(のみ)という字です。
蚤がつくから手で「搔く」というわけだ。
この「搔」とかをVOICEROIDは把握できない。

当然、私は印刷用に作っているので、印刷標準字体を用いている。

いちおう読むんですよ、VOICEROID。
その単語自体を間違って読むとか発音しないとかではないんです。
ただ、その単語を使っているフレーズを調整したあと、更新が一切できない。
正確に言うと更新登録はできる。しかし反映されないんです。
どんなにアクセントの位置や息継ぎの回数を訂正し、登録しても、デフォのロボ色イントネーションに戻る。

何度やっても特定のフレーズの調整部分が更新できず、おかしい……。
ほかの文は問題なくできるんだから、故障じゃないはず……おかしい……。
本当に困りまして、試行錯誤の上に気づいた。
漢字を簡易慣用字体に直して無事に更新できた。
この仕様については、どこにも注意書きが無いと思う。
ある種のバグなのではと疑っている。他の人が困らないように、ひとまずここに明記しておきたい。

そんなこんなで怜士朗さんの手紙文の所になど、このペースで、いつたどり着けるのか。
毎日、ほかの作業をせずに根詰めてやったとして、単純計算で仕上げるのに1年と数か月、掛かるっぽい。それはさすがにまずい。そんなにぶっ通しで続けてやれない。
仕上がっていく達成感というのはあるが、楽しい作業でもなくて……。

最初のうちは一番てこずるから、もう少しスピードアップできるとは思いますけど……。
付録は別なのを考えたほうが良いだろうな……。

気が向いた合間に、時間が空いた時に、ちょくちょくやり続けていれば、いつか必ず仕上がるはず。
地道に少しずつアップロードして、進捗をお伝えできればと。

気長に応援していただけると嬉しいです。
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『黒猫ギムナジウム』朗読 序章冒頭部分
(A.I.Voice日ノ出賢を調声)


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クリアファイルを作ってみた第2弾 [黒十字療養所出版部]

BOOTH→https://bcsanatoriumpub.booth.pm/items/3527446

懲りずにまたクリアファイルを作りました。

前回のステンドグラスのファイルが、想像していたよりも仕上がりが良くて、私としては気に入ったので(商品写真の撮り方が下手すぎるので、説得力に欠けるきらいはあるが)、別ヴァージョンを作ってみたくなったのである。

というか商品写真ってみんなどうやって撮ってるの。
BOOTHのページにデザインだけでなくて商品現物の写真を載せるにあたって、全くうまく撮れないのだ。特殊な機材とかいるのかな。
ググると、ライトとかレフ板とか撮影ボックスとか……何やらいっぱい出てきて、黙ってそっとブラウザを閉じた。

こちらのクリアファイル、来年の文学フリマで刊行予定の『黒猫ギムナジウム新装版』と合わせて商品登録するつもりでいましたが、先行お披露目として、BOOTHに置いておくことにしました。
なお、本のほうはまだルビ調整などで、刷る段階に至っていない。

フルカラーのクリアファイルですが、印象としては一瞬モノトーンを思わすかのような仕上がりにしたかったので、満足しています。夜に、炎と火の子で花が浮かびあがって陰影が際立つような、色味を抑えた仕上がりにしたかった。
クリアファイルの半透明感と相性が良く、奥行き感のある仕上がりになったかな、と。

周囲の人間に感想を聞いたら、わりと好感触なのは良かったのだが、
「本はたくさん刷りたがるくせに、クリアファイルはなんでそれっきゃ作らなかった?」
いや、だって私、小説家だし……。
紙の本を提供したいし、みんなも本を目当てに来てくれるんだよ。そうでなくては。

BOOTHに商品登録はしたものの、文フリに出る時には持っていきます。商品写真よりも実物を確認したほうが良いと思うので、気が向いたら見てみてねという感じで置いておきます。
(全ての人が文フリに来られるわけではないのだから、写真をもっときちんと載せたいと思ってはいます……。)
前回も書きましたが、安心BOOTHパックの送料にてサイズ的に合わせ買い推奨です。

──商品説明概要
2022年刊行予定『黒猫ギムナジウム新装版』最終章の扉絵で作ったデザインをベースにして、A4サイズのクリアファイルに仕立てました。
透明感があるクリアな仕上がりの「白版なしタイプ」で、半透明です。
中に何も入れない場合、裏側からも表のデザインが透けて見えます。
素材の半透明感をいかした、夜闇に浮かぶ花びらと炎のデザインで、陰影のある仕上がりになっています。──


中里友香による公開用・オリジナルクリアファイル210×330(花)

追記


クリアファイルを作ってみた [黒十字療養所出版部]

BOOTH→https://bcsanatoriumpub.booth.pm/items/2497450

クリアファイルを作りました。
何を血迷っているんだ。
だって……今年の文学フリマ用に準備をしていたもので……。
出店を見合わせた時点で、ゆったり進行に切り替えてはいたのが、仕上がったのだもの。

来年の文学フリマ用に大事に保管しておくつもりでいたのだが、ステンドグラスのデザインだから今の時期は意外にタイムリーなのでは?
と思い立ち、一応、BOOTHに商品登録しました。

文筆業の人間がデザインをしてオリジナルのクリアファイルを作って、何を考えてんの?
……という感じなのはわかっている。
それでも作ってみたかったんだ。

大丈夫、これはさすがに超控えめな数しか作っていない。
在庫を抱えてにっちもさっちもいかなくなったら自分で使う。
同じものがいくつあってもクリアファイルなら自分で使える。だからそんなに怖くないよ。
よくよくとなれば自分で使える分しか作っていないから。大丈夫。

BOOTHに商品登録はしたけれども、文フリに出る時には持っていくつもりなので、気が向いたら見てみてねという感じで置いておきます。A4サイズのクリアファイルというのは当然A4より一回り大きく、これを曲げずに送れるあんしんBOOTHパックは宅急便60サイズになり、送料が商品の倍以上かかってくるので、合わせ買いなどで、考慮にいれる余地があれば。

好みのオリジナルクリアファイルを単品でネット購入しようとすると、どうしていつも送料が商品に見合わぬほど高くてらっしゃるか、と思っていた謎が今、解けたよ……。

──商品説明概要
「名刺代わりの小冊子」で裏表紙に使ったデザインに手を入れ、A4サイズのクリアファイルに仕立てました。小冊子ではモノクロ加工したステンドグラスの写真を、クリアファイル用にカラーに出しています。写真は2007年にドイツのコンスタンツで撮ってきたものです。パブリックドメインにあるアーサー・ラッカムの絵と重ね合わせて、加工しました。透明感があるクリアな仕上がりの「白版なしタイプ」で、半透明です。中に何も入れない場合、裏側からも表のデザインが透けて見えます。──


中里友香による公開用・クリアファイルA4オリジナル

「黒猫ギムナジウム新装版」進捗状況・表紙カバー [黒十字療養所出版部]

来たる11月の文フリ東京出店を断念したため、
「この日までに何がなんでも仕上げなければならない」
という縛りがなくなった。
だったら、もうちょっと表紙のカラーカバーのデザインに手を入れたいのだ……。
見れば見るほど、今一つなんか気に入らぬのよ……。

そんなわけで色々と直しました。

使っている素材に大差はないが、けっこう変えた。


中里友香による公開用:黒猫ギムナジウム表紙カバーupdated
*リンクをクリックすると拡大版で見られます。

https://www.canva.com/design/DAEtDpm4ESE/4KI4M6-faM6VjR0NXTvVzQ/view?utm_content=DAEtDpm4ESE&utm_campaign=designshare&utm_medium=link&utm_source=homepage_design_menu

こちらのほうが作品イメージや世界観に合っていて、気に入っています。
手を入れる前のカバーデザイン案は、初版時の講談社ボックスが外箱に丸窓二つ仕様だったデザインを何とか引き継ごうと、固執しすぎたせいで、バランスが変だった。

技術やセンスや使える素材など、私自身がやれる範囲内でしか提供できないけれども、それでもある程度、納得がいくところまで作りこめたかなと。微調整はまだ必要ですが、このデザインで決める予定です。

帯はまだ未定で模索中。
明るいイメージにしようか、シックな路線で行こうか。
いっそトレーシングペーパーの帯にしようか……。

トレペ帯は色の選択肢が少ない反面、おしゃれ感が増すので、個人的には好きなのです。
ただトレペ帯を作ってくれる印刷会社は、非常に少ない。
素材の性質上、サイズや使えるインクの色なども相当制限がある。
普通の帯と比して予算がけっこうかさむにもかかわらず、人によっては「なんか薄っぺらい安っぽい帯がついていたんだよね」と思うケースもあるみたいなんですよね。


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第三十三回文学フリマ東京には出店しません [黒十字療養所出版部]

きたる11月23日に開催の東京文学フリマ東京の出店、今日が申し込み締め切り日です。
私は申しこみません。
今回、中里友香・黒十字療養所出版部は参加を見送ります。
出ません。

私自身とても楽しみにしていたイベントなので、かなり残念です。
参加を見合わせる理由はひとえに新型コロナの感染が収束および終息する気配がまったく見られないことに尽きます。3か月以内にこの感染爆発と病床ひっ迫が収まって、新規感染者数が300人レベルになるとは到底思えない。

なにより私自身、感染したくありません。
かつまた私が無症状感染などで知らず知らずのうちに、私の本を買いにわざわざ来てくれる人に不用意に感染を広めるかもしれないと思えば、恐ろしい。
この疫病下においてわざわざ私の所に本を買いに来てくれる人というのは、本当にありがたく尊ぶべき人なのに、その読者に感染リスクの高い行動を取らせて実際に感染したり後遺症が残ったりしたら……。私は本気で心底病む。
きれいごとじゃない、そんなのは耐え難いよ。
昨年の私はこの程度ならば出店者である私も、参加者である読者の方々も、大丈夫だろうというある種の自信もあったから申しこみ、開催日ギリギリまで様子を見続けたうえで出た。感染力と重症化傾向の強い今の変異株に対しては、しかしながら自信がありません。
私自身、もしも感染して命の危機にさらされたり、後遺症が残ったりしたら、イベントに出たことを後悔します、絶対に。

一つに文学フリマ運営の感染対策が万全か否か、このところ若干の疑問を抱いてもおり、というのも来月9月26日開催の文学フリマ大阪は、昨年と変わらず開催予定であるという。
東京を中心とした関東圏の感染爆発が憂慮する事態なのは言うに及ばず、大阪だって決して楽観視できる状況ではないはずだろう。

現在蔓延している変異株の感染力は従来株よりも2倍近いと言われている、であるならば、出店者数を昨年の半分にし、さらに入場者数も昨年の半分に抑えなければ、ざっくり昨年と同様の感染対策ができていると言えないはず(無論、感染症というのはその手の単純計算が通用するとも限らないので、あくまでざっくり目安としてですが)。
また文学フリマ参加者に推奨されている接触確認アプリ「COCOA」が実際ほとんど役に立っていないと明らかになってきているつけても、昨年と同規模の感染者数であるならば、カクテル療法など治療法が確立されてきている今、懸念材料にもなりませんが、変異株が連日拡大して流行蔓延している状況下で。いささか心許ない。
ワクチン接種は重症化を防ぐ一定の効果があるといえども、感染そのものを防ぐ効果は薄いし、すべての人が打てると限らない。事実、今も病床ひっ迫は深刻なわけです。

もちろん皆それぞれに事情がある。
たとえ話でも何でもなく、余命宣告をされている人もこの社会には必ず確実におられる。いま動けるこの時に、行ける時に行ける所へと強く望んでいる人を安易に責めたり止めたりできるか。私にはわかりません。
来年の文学フリマを待てない事情がある人もいるはずで、文学フリマに出る人を咎める気持ちはありません。

ただし「今、軽率に文学フリマに出ようとする人はいないだろう。つまり今回文学フリマに出る人は覚悟のある真の文学好きであり、文学の道を進む人にふさわしい」といった類の言動には、どうか振り回されないでほしい。
今回の参加や不参加を、文学への思いを測る物差しとしないでほしい。

この週末、フジロックが開催されましたね。
ネット上で、と或る書きこみを見かけました。
「今回は本当に音楽が好きな人だけがフジロックに行ったんだな」
「本当に音楽を生で聴きたい思いの強い人だけが危険を冒してまで、己の危険を顧みずにフジロックに行って、音楽に直接、触れることが許されたんだ」
といった感じの、つまりは興味本位の連中は淘汰され、本物の音楽好きだけが参戦したかの書きぶりだった。

えっと?
疫病下においてフジロックに行くことと、真の音楽好きか否かを決定付けることとは、等しくないよう?
さも音楽への誠実度合や、思いの強さ、好き度合いを試すような妄言で。音楽好きを盾にとった、それはまったく卑怯な物言いではないか。
(音楽好きがすべからく祭好きで、人混みや野外や真夏の天候が得意とも限るまいし)

昨今、この疫病下を戦時下にたとえる人が多すぎるとも感じます。
なるほどこれが戦時下であり、大勢の人が集まるところは焼夷弾が降りやすい、爆撃を受けやすい状況であったならば、フジロックに参加することはたしかに勇気ある行動になる。
たとえ爆撃されるかもしれなくとも、死を甘受し音楽を愛する行動というのは実に骨のある姿だ。全く見上げた根性だぜ。これが戦時下の戒厳令中であったならば、だよ。
まるで坂口安吾の『堕落論』で、戦時下の東京において疎開もせずに、空襲を待ち受けるカメラマンの姿に、安吾が驚嘆を覚えるくだりのようであることよ。

以下、ここ堕落論より抜粋(適宜、読みやすさ重視で改行。)
→私は疎開をすすめ又すすんで田舎の住宅を提供しようと申出てくれた数人の親切をしりぞけて東京にふみとどまっていた。大井広介の焼跡の防空壕を、最後の拠点にするつもりで、そして九州へ疎開する大井広介と別れたときは東京からあらゆる友達を失った時でもあったが、やがて米軍が上陸し四辺に重砲弾の炸裂(さくれつ)するさなかにその防空壕に息をひそめている私自身を想像して、私はその運命を甘受し待ち構える気持になっていたのである。

私は死ぬかも知れぬと思っていたが、より多く生きることを確信していたに相違ない。然し廃墟に生き残り、何か抱負を持っていたかと云えば、私はただ生き残ること以外の何の目算もなかったのだ。予想し得ぬ新世界への不思議な再生。その好奇心は私の一生の最も新鮮なものであり、その奇怪な鮮度に対する代償としても東京にとどまることを賭ける必要があるという奇妙な呪文に憑(つ)かれていたというだけであった。

そのくせ私は臆病で、昭和二十年の四月四日という日、私は*始めて四周に二時間にわたる爆撃を経験したのだが、頭上の照明弾で昼のように明るくなった、そのとき丁度上京していた次兄が防空壕の中から焼夷弾かと訊いた、いや照明弾が落ちてくるのだと答えようとした私は一応腹に力を入れた上でないと声が全然でないという状態を知った。

又、当時日本映画社の嘱託だった私は銀座が爆撃された直後、編隊の来襲を銀座の日映の屋上で迎えたが、五階の建物の上に塔があり、この上に三台のカメラが据えてある。空襲警報になると路上、窓、屋上、銀座からあらゆる人の姿が消え、屋上の高射砲陣地すらも掩壕(えんごう)に隠れて人影はなく、ただ天地に露出する人の姿は日映屋上の十名程の一団のみであった。先ず石川島に焼夷弾の雨がふり、次の編隊が真上へくる。私は足の力が抜け去ることを意識した。煙草をくわえてカメラを編隊に向けている憎々しいほど落着いたカメラマンの姿に驚嘆したのであった。
(坂口安吾『堕落論』青空文庫より抜粋終わり)

*青空文庫の原文ママ

ここでたったの一文で描写されている、「屋上で煙草をくわえてカメラを編隊に向けている憎々しいほど落着いたカメラマンの姿」に、私は憧れます。命が惜しいまともな人間は疎開し、あらかた人が出払ったような東京で、命知らずで孤独な人間しか残っていない。焼夷弾の雨が降る中、米軍の航空編隊を待ち構えて、屋上でカメラを向ける、煙草をくわえ憎々しいほど落ち着き払ったカメラマンの姿を思い浮かべるにつけて、
それは本気でカッコいい命知らず……
できることなら自分もそうなりたいけどきっとなれない、という意味でとても惚れこむ。

でもだ、この新型コロナの感染が蔓延している緊急事態宣言下において、感染前と変わらず好きなところに好きなように出向き、好きな相手と好きなように飲み食いし、感染のリスクにさらされると同時に新型コロナ変異株ウィルスをばらまきまくる行動と、戦時下においても努めて今までと変わらぬ生活を送ろうし、自分という個を見失わないでいる格好良い姿とは、似ても似つかない。
なのに、なぜか重ね合わせているかのような人が実は結構いるっぽいことに大いに驚く。感染症と戦争は本質が違うのに。
混同したらダサいよな。

そんなこんなでこの度の出店は控えますが、本づくりは着々と進めています。


中里友香による公開用・黒猫本体表紙・化粧扉・目次・章扉
中里友香著『黒猫ギムナジウム新装版』・本体表紙・化粧扉・目次・章扉

>をクリックすると全部で16頁、見られます。

まだ少し手を入れるつもりですが、こんな感じで進めているところです。
やたらめったら時間と手間暇が掛かったのが目次なのだが、にもかかわらずそこまで凝っているように見えないし、あくまでさり気なく作りこむのを頑張った、ということで。


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今のところは……黒猫ギムナジウム新装版・進捗 [黒十字療養所出版部]

昨2020年11月、文学フリマ東京開催時において、新型コロナの新規感染者数は、東京都が1日300人に達するという時期でした。
300人の大台に乗ってしまうが、それでも万全の対策をしていく!
と、当時私は不織布マスクと布マスク二枚重ねで、飛沫防御用にブルーライトカット用のメガネをかけて、本は一つ一つ個別にパッケージして1週間前に現地に送付、あれこれこまめにアルコール除菌をしつつ出店し、感染することなく無事に有意義な時間を過ごすことができた。

東京都内の新規感染者数が1日300人程度であれば、もはや私は恐れることなく出店するだけの経験値と心得は一応ある。
今は当時よりもマスクが容易に手に入る。不織布マスクを2枚重ねでかけられる。
都内新規感染者数が1日500人程度ならば、迷わずすんなり出店を決めるでしょう。

ただ、さすがに2021年7月末現在のように、都内新規感染者数が1日3000人をゆうに超える事態ならば控えます。文字通り桁が違いすぎる。

文フリ東京運営による感染対策は万全といってよく、信頼を置いている。
それでも現在流行しているデルタ株は従来の新型コロナよりも感染力が強いらしいし、また感染は会場内で起こるとも限らない。
道中、交通機関の移動中などでも起こりうるわけだし、それは私だけでなく来場者の方にとっても同じだけハイリスクなのだ。

スペース申し込みは8月23日まで。
開催日は11月23日。3箇月先の感染数を踏まえて計画を立てねばならない。
迷っています。

本づくり自体は、やめていません。
今回の新刊『黒猫ギムナジウム・新装版』をどのタイミングで出すかの差異はあれども、出すこと自体は決定事項です。
こんな感じで進めています。

表紙(カバーデザイン)

■公開用:黒猫ギムナジウム新装版表紙カバー(←こちらのリンクをクリックすると拡大します。)

カバー(帯無し)
カバー帯あり(A案)
カバー帯あり(B案)
──という順のスライドになっています。

新装版にするいっぽうで、初出時の表紙絵の色合い(紫・ピンク・黄色・黒)は意識して入れています。差し色の紅、あと青磁とエメラルドグリーンの中間みたいな色もそう。

初出時の本は丸形の窓が開いている講談社ボックス仕様で、丸窓から黄色の月が覗くデザインだった。そのニュアンスも継承しているつもりです。

物語の舞台が明治時代なので、パブリックドメインにある明治時代の着物の柄を取り入れています。明治時代の着物の模様と言ってもさまざまあるので、作中に出てくるアイテムが描かれているものを選んで加工した。

あとは、なんといっても杜若。

本に巻く帯のデザインに花弁を散らせるか(A案)、
花びらは無しでいくか(B案)、
どちらにしようか。
帯に書く文面の配置具合や内容量にもよるよなあ。


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名刺代わりの小冊子 [黒十字療養所出版部]

中綴じ小冊子チラ見せsyukusyou.png
表紙&表紙裏

中綴じ小冊子チラ見せ2syukusyou.png
「やみのいろ」の一部

中綴じ小冊子チラ見せ1syukusyou.png
裏表紙裏&裏表紙

チラ見せ。
サンプル画像と呼ぶべきか。

2020年文学フリマ東京、現時点では出るつもりで2ブース分のスペースの支払いも済ませ、
準備を進めているところです。
そうは言ってもどうなるかわからないけれど……。

B5サイズ・フルカラー中綴じ小冊子、
『名刺代わりの小冊子』
仕上がって手元に届きました。
フルカラー&オフセット印刷(オンデマンドではない)&マットコート紙を使った、
中綴じ印刷小冊子を作りたかったのだ。
このくらいのサイズ感と紙質が、
ごろごろしながらちょっとしたものを読むのにも心地良い、手に馴染むと思っているので。

フルカラーなので印刷会社も相当吟味しました。
まず、チラシや栞や名刺や絵葉書やポスターなどを、それぞれにあちこちで刷ってみて、
色の出方を比較検討した。
その結果、この色の出方なら間違いないぞ、という印刷会社を見つけられて良かった。
(奥付に印刷会社を明記しています。)
ちなみにこないだ、お試しポスターをブログ上で掲載した印刷会社ではない……。

カラーに関しては、想定していた色味で希望通りに刷られてくることって、
実はけっこう奇特です。
仕上がって手元に届いたカラー印刷が本当にきれいで、
納得の出来栄えで、本当に安心しました。良い感じだ……とても良い感じだ。

実際に紙に刷られて右綴じ小冊子になった物を見てみると、
画面上で見えていた時と見え方も違い、
ここはこの線で揃えたほうがきれいだったな……というデザイン部分も。
ただしそれも「この背景画像に文字がかからないようにすると、この位置」とか、
「見映えと読みやすさを比較して読みやすさを選んだつもり……」とか、
なんらかの事情があったのを思い出し、
まぁそこは……と自分で採点を甘くして、喜んでいます。

表紙・背表紙込みで総20ページ。
表紙裏等、すべてのページに何かしら書きこんであるので、
無地や白紙のページはありません。

文学フリマには私の作品を知らない人も当然たくさんいる。
そういう方々がパッと見て、なるべく手に取りやすい形態と価格帯で、
提供できる冊子を一種類は用意しておきたかった。

小説家・中里友香を知らない人に、
自己紹介するには何を読んでもらうのが手っ取り早いか。
小説作品より敷居の低い読み物、として──
これまでに発表してきたエッセイやコメント等、
また既出作品に対しての、補足情報や編集後記等を収録しました。
十年以上前に私が旅先でせっせと撮ってきた写真なども数点、載せています。
チラ見せサンプル画像の一番上右にある紋章の写真や、
一番下右にある聖堂のステンドグラスなど、旅行先で撮った写真の一部です。

発表済みのエッセイやコメント等のなかには、
雑誌に小さく掲載された、数ページにも満たぬ文章で、
今ではバックナンバーを見つけることさえ難しいものもある。
私の作品を熱心に読んでくださっている読者の方々にも、
なんらかのニーズを補う形になればいいな、と。

この小冊子でも載せている風景写真一点を、
フルカラーポストカードにして付録にします。
(ポストカードは違う印刷会社で刷っています。)
その絵葉書付録こみで、文フリイベント価格580円で出す予定です。

文フリの後、Boothで通販もする予定でいます。
そのときにはBooth既定の送料が別途かかるのと、
Booth取り扱い手数料(Boothが利用料として徴収するもの)相当を、
商品価格580円に加算します。
送料はBoothの場合、いくつかの商品とまとめて購入すれば、
一回分しかかからない仕様のはずです。

小冊子目次抜粋.png
『名刺代わりの小冊子』目次部分抜粋


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キンドル限定短編集を紙の本にする [黒十字療養所出版部]

『手腐レ風切り貴方まで』を自費で刷ります。
ただいま製作中です。
装幀等を、右にしたり左にしたり突いたり引いたりしてせっせと形にしている。
『黒十字サナトリウム』はハードカバーですが、こちらは新書判ソフトカバー(オフセット印刷、カラーカバーつき、内側本体は白黒印刷)で出すつもりで作業しています。


中里友香による公開用──中里友香短編集表紙カバー

右下端の矢印をクリックすると拡大します。
タイトル表紙の地模様が、折り返しに若干かかるデザインです。
(実際の紙カバーでは、この画像より上下左右の端3ミリ分が裁ち切られた仕上がりになります。)

私の小説にしては珍しく、明るめの短編も収録しているので、
カバーは私なりに軽やかで、清涼感を残しつつ、カラフルにしたかった。
短編集という作品の性質上、一つのイメージを煮詰めていくにしては、
物語の舞台となる場所や年代が大きく異なるので、
各作品の彩(いろどり)感を詰め合わせにしたつもりです。

カバーは、まっ平らに広げてみるのがデフォではなく、
タイトル表紙とその折り返し、裏表紙とその折り返し、背表紙、
という部位で見るのが一般的。
全体の統一感もほしいけど、見える面ごとに違う表情もほしい。
短編集ならではの、そのバランスの難しさが試行錯誤のし甲斐があって、
このデザインの仕上がりに、私自身は気に入っています。

これは画面上の色彩だから、実際、紙に刷ったらどうなるか、
カバーとしてかけて立体になったらどう見えるかが、けっこう手探りなのだが……。

今の情勢では2020年11月の文フリ東京が開催されるかわかりませんが、
開催された暁には、その時に出せたらよい。

文フリ開催が取りやめになったり、延期になったり、
あるいはこの短編集のほうが間に合わない場合には、
Boothをはじめとする通販で出すつもりです。
仮に文フリが開催になったとしても、様々な事情で来られない人もいるだろう。

オフセット印刷のクオリティにこだわりたいため、ある程度まとまった部数を刷ることになる。
どうせ1年やそこらで売り切れる冊数でもあるまい。
いつか晴れて文フリが開催されたときに、余裕で出せるし、
5年~10年かけて売るくらいの心づもりでいます。

気付けばデビューしてから10年余が経っている。
昨今、さまざまな即売会イベントの休止で日本の中小印刷業界が不況との話。
いつか刷ろう、いつかやろうと思っていて、印刷業者が潰れていたら困る。
頃合いの節目である、ということにしよう、と。

即売会イベントの開催が軒並み中止になって、
刷った本を売りにくい環境だから、みんな印刷を控えざるを得ない状況で、
だからこそ中小印刷会社の不況になっているわけです。
──そんなときに自費で刷るなんて……。

大量の在庫を抱えて途方に暮れることを考えれば、不安要素もリスクもあります。
先立つもの以上に、保管場所の確保も課題である。

ただ、今回にせよ次回にせよ、いつかは文フリに出すからには、
どうせならば1種類じゃなくて、自費で刷れそうなものは刷って持っていきたい。
出るときには2スペース(180センチ幅)を確保する予定なので。

なにしろ1スペースは180センチの横長デスクを2区画に分けての、90センチ幅です。
おとなりのスペースが雛壇上に本を積み重ねているお店だったとしたら、
搬入や設置作業中に、ちょっと蹴つまずいてぶつかったりして、
お隣商品のなだれ事故を引き起こしかねない……あァ想像に難くない。
……超やりそう……危険すぎる。

といって、180センチのデスクをあんまりガランとさせた状態で、
つくねんと店番しているのも色々、勿体ないんじゃなかろうかと。

鋭意制作中です。


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予告 『黒十字サナトリウム』 新装復刻版・紙書籍 [黒十字療養所出版部]

自費で復刊します。

長期保存・愛蔵版としても耐えうる品質の本にしたかったので、
ハードカバー・オフセット印刷の上製本です。

予告 黒十字サナトリウム 新装復刻版.jpg

近日中に刷り上がり、装幀されて私の所に届く予定です。
ちゃんと仕上がってくるといいな!

2020年の文学フリマ東京に出したいなあ、と思っています。
2020年5月の文フリ東京の申し込みはとうの昔に締め切りとなっているので、
せめて文フリ東京11月には出せるように。

当面はBoothで出していきたい構えでおり、
現在、鋭意準備中です。

目次画像



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『コンチェルト・ダスト』新装電子版制作中⑥ [黒十字療養所出版部]

「あれこれ進捗状況をアップしてるっぽいのは、もう分かった。
で、実際どれにするんです?」
という感じになってきた恐れもあるかと思われ。
電子新装版のデザイン部分をまとめておこう。

決定版『コンチェルト・ダスト』 電子新装版デザイン(まとめ)*
https://www.canva.com/design/DADbx6Zhoy4/gwywLu--aZfV3Y7buzJR5A/view?utm_content=DADbx6Zhoy4&utm_campaign=designshare&utm_medium=link&utm_source=sharebutton

スライドです。
表紙化粧扉 → 目次()→ 章扉(序章一章二章)→ あとがき扉奥付

微調整もしたので、決定版のつもりです。
ただ実際にKindleにアップロードした時、どう見えるか……に、左右される部分はある。

「はっきり言って受け手(購入者や読者)にとったら、作者がこだわってるっぽい事しかわからん。
そんな、ちみっちゃい部分、気にならないんですけど……」
みたいな点は、作り手の私にとっては、この場合それこそあんまり気にしない。

一つ一つのこだわりは伝わらなくても、別に構わないのだ。
ただその手の一つ一つのこだわりが、
作品全体の雰囲気や世界観を具現化する上で、無駄ではないから。
こだわりが大切と思っているのは、文章や物語の構成においても然り──。
たんに文章で物語を書き表していれば、自然に雰囲気が出るわけじゃない。

小説自体(文章、物語の構成、扱っている特定のトピック等)に関して、
自作語りをするのは正直、得意じゃない……というか異様に消耗する。
──当世風に言うならば、MPが削られる。
だからこれまでも、新しい単行本が出るときや、雑誌に短編が載るときなど、
概して私は装画家さんによる表紙絵、挿画についてだとか、
装丁についてなどを、強調してアピールしがちな部分がありました。

誰に水を向けられているでもないのに、
自作品について作者がやたらと語りだすの、浅ましい気がしないじゃないし。
(ズレた質問に対応するのと同じくらい疲れもするし。)
その自らの抵抗感に抗わねばならぬだけの労力が、惜しくもある。
書いた小説に関して、あれこれ説明するのは、
「全力で漫才したあと、いちいちギャグの説明をする感覚」的な、徒労感に陥るもんですよね。
書き終えて、やっと色々な争点をなだめつかせたのに、寝た子を起こすのか、と。
(余程のことがなくば、そっとしておきたい。)

いっぽう電子版の装丁デザインに関しては、基本的に畑違いのぶん、
抵抗感なく、進捗アップだの、思い入れ具合だのをかいつまんで語りやすいです。

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『コンチェルト・ダスト』新装電子版制作中⑤ [黒十字療養所出版部]

「決定版・表紙・コンチェルト・ダスト電子版」*制作者:中里友香

表紙のカタカナ・タイトル部分を改めた。
カタカナのフォントというのは、あまり好ましい感じのが見あたらず、
──Canvaにかかわらず、カタカナフォントに力を入れているフォントって、
そもそもあんまり見ない気が……。

個人的には、アールヌーヴォーっぽいカタカナフォントが欲しい……。
(アールデコっぽいのは辛うじて見あたるのだが……。)
かといい自作フォントを簡単に作れるほどのスキルも、またPCメモリの余裕もない。
──なにしろ先月の、ノートラダム大聖堂部分焼失のニュースをきっかけにして、
期間限定・PC版無料ダウンロード配布となっていた「アサシンクリード ユニティ」も、
私のPCでは、まったくもって容量が足りなかったのだ……。

これまで進捗upしていた電子版『コンチェルト・ダスト』のカタカナタイトルの入れ方は、
自分でこしらえておいて何だが、どこそこ決まってない。なんかダサい……。
フォントに頼れぬならば、なおのこと、レイアウトのデザイン性が命。
一旦寝かせたりしていたのを、ようやくこれで自己満足できる程度には仕上げられたかなと、
少なくとも現時点では感じています。

地味に情報量を増やしているのだが、前よりすっきり見える気もするし、
見ようによっては、ほんの少しだけ夢見がちにキラキラしく、
なんらかの欠片が降るようにカタカナが落下して、タイトルワードをなして映るかと。
多分これで行きます。

縦書きなのだから右から左だろうに、なぜなんだ……
と思われる人もあるかもしれないが、
英字タイトルをはじめ、著者名など、すべて左から右への横書きなので、
単純にそれら文字列をまたいで右書きにすると、視線がごちゃつく。
軽く乗り物酔いみたいになる。
左から右、かつ上から下に読む過程で、おのずとすんなり目に入るレイアウトにしてあります。

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『コンチェルト・ダスト』新装電子版制作中④ [黒十字療養所出版部]

章扉「序奏」、「あとがき」も仕上げた。
「目次・白」を、前回アップしてから更に少しだけ手を加えたりもした。

Concertodusteverparts2.png

上の3点はいずれも同じサイズなのに、
こう並べると真ん中が一番小さく見えるという、錯視が起こりますね。

ほぼ決定版『コンチェルト・ダスト』 電子新装版デザイン(スライド)
https://www.canva.com/design/DADYT6VgguA/qRTxxUjOCDFWUqLn8QhLdw/view?presentation

表紙化粧扉 → 目次()→ 章扉(序章一章二章)→ あとがき扉奥付
の順*

奥付の文字部分は、暫定的なものです。

-目次・白
マーブルのレイヤーをうっすらと敷いたのですが、
清潔感を損なわぬ程度に、ひび割れ、あるいは血痕のようにも見えたらなお良い──。
地味にあれやこれやと位置を試したりしました。

-章扉(序奏)
ローマ式の円柱と、石造りの三角破風が象牙色の外壁を晒しながら日光を遮っている。(後略)

……と、作中序盤に登場する屋敷内の霊廟、その外壁の質感に見えるなら、とても良し。
それが無理でも、こういう紙質のペーパーってあるよね、と。リネン混とかのやつ。

-あとがき扉
平面的な構図なので、奥行きや深みが感じられるように、
実はかなりのレイヤーを重ね、明暗や透明度を調節している。
(平面的すぎると飽きが来るので……。)
この章扉はそこはかとなくアールヌーヴォーを目指しています。

絵画や名画ではなく、
パブリックドメインで見つけたステンドグラスの写真を選んだのは、 
あとがきは作品世界とは別次元だからです。
といっても、本の余韻をみすみす壊したくはない。
本の後半にかけてちりばめてあるエッセンスを、なるべくたくさん盛りこんだ。

あとがきは物語とは別次元なのをクリアに表したかったので、題字のフォントも変えました。
本来、題字を違うフォントで見せるというのは、
普遍的ではないらしいが(←以前、ある編集部から、そう指摘されたことがあるのだった)。

海外デザインでは同じ題字を、扉と表紙とで、異なるフォントやパターンで見せるというのは、
別段、珍しくもないんじゃなかったかなあ……。

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『コンチェルト・ダスト』新装電子版制作中③ [黒十字療養所出版部]

1コンチェルト・ダスト新装電子版スクショ.png

コンチェルト・ダスト新装電子版スクショ.png

コンチェルトダスト電子新装版奥付.png

『コンチェルト・ダスト』 電子新装版デザイン(スライド)
https://www.canva.com/design/DADYH0oxCYU/UVj5G0_Ij_dsPyo6PKSnRA/view?presentation

表紙化粧扉→目次()→章扉()→奥付の順。*

Kindleの小説本は、画像ファイルがJPGファイルしか使えないので、
JPGに変換したときベストになる状態で、作っているつもりです。
上記スライドはJPGにする前の時点で公開しているので、
実際にKindleで見るのと、異なって映る部分があります。参考までに。

奥付の文字部分は(仮)です。少し変えるかも。

-表紙
1900年あたりの楽譜の表紙っぽさを意識しつつ、
作品世界の雰囲気を垣間見せられるようにしたかった。
ゴシック要素は抑え気味に、しかし忘れずに。
両脇背面に星空のレイヤーを置いています。

-化粧扉
絵の背面レイヤー、左側は星空を敷いており、
右側の背面レイヤーには大理石(マーブル模様)をうっすらと配置して、
いずれも透過性や明暗をいじっています。

ピアノの鍵盤をどことなくイメージさせる図形をシンメトリーに配置した。
この鍵盤チックなシンメトリーで、登場人物の対比と共通点を、そこはかとなく表したくもあった。
この化粧扉は情報量が多いので、
いかにスッキリ見せられるかに苦心しつつ、これが意外に楽しかった。

-目次
早川書房で『コンチェルト・ダスト』単行本を刊行時、
目次と章扉のデザインは「作品舞台と同年代の楽譜の装丁をイメージできるようにしたい」
というのが私の要望で、
時間の許すかぎりではあるが、ぎりぎりまでイメージに寄せてもらった。

個人レーベルでの電子化にあたって、早川書房にお願いして、
この目次と章扉のデザインを私が買い取らせていただき、画像データをいただきました。
その画像データは、そのままだと、単行本のページ数が記載されていて使えない。
サイズも不都合が出るので、
加工してもOKと許可をいただいた上で、買い取らせていただいたのだ。

単行本にはない、天使のオーナメントや文字、
あるいはページの上下を飾るオーナメントを、
白黒のページにそれぞれ、ちょこっとあしらっています。
単行本時のイメージを損なわず、さらにいっそう思い描いていた状態に近づけられたかと。
単行本をお持ちの方は、比較して見ていただいても良いのかも。

当時、この白ページと黒ページは、黒鍵と白鍵をなぞらえてもいた。
またこれはギュンツブルグ陣営と、クルゼンシュテールン陣営の対比も暗に意味していた。
両陣営、赤・ゴールド系(フェニックスと蜂蜜色)と、青・シルバー系(蒼龍と銀の蘭)であると、
作中で描写あるいは言及していますが、紙の単行本だと表紙以外は色彩を使えない。
そこで、対比を白と黒で表してもいました。

-章扉
前述のとおり、章扉は単行本のデザインを早川書房から買い取らせていただいたので、
第一章の扉は、サイズ以外はそのままで使わせてもらっています。

第二章の扉は、単行本時の白い扉に、大理石模様のレイヤーをうっすらと重ねてみました。
マーブル柄の章扉と思っていただいてもいい。
古びて滲んだセピア色の紙に見えても良し、と。

-奥付
ノルウェイの画家によるノルウェイの景色。
作中でノルウェイについて言及するシーンがあります。
また、この小説の最後のページの空気感と、
この絵がもたらす透きとおった空気感が、つながっている気がしたのであった。
両端の星空は雪のイメージも兼ねています。

選んだ絵画はいずれも『コンチェルト・ダスト』の舞台と、ざっくり同じ時代の作品。
エミール・ギュンツブルグや、ユリアン・フォン・クルゼンシュテールンは、
こんな風景の渦中に存在していて、
あるいはリオネラ、ドラガもかつてはこういう景色を当然のように目に映していた……
と彷彿とさせてくれる、絵画の作品世界です。

というかKarl Wilhelm Diefenbachの『ヴァイオリン奏者』を最初に見つけたときに、
「あ……! この谷、この風景、コンチェルト・ダストのエミールのいる世界観、そのまんまだ!
というか何なの……この少年、ほぼエミールじゃん……! この表紙で電子版を作りたいなあ」
と意欲がむくむくと湧いてきて、
次の瞬間にわたしはCanvaを開いて、チクチクと表紙を作り始めていたよね。

いずれもパブリックドメインの、著作権フリーの古い絵画です。
パブリックドメインの作品は、商業利用も無制限、アーティストの明記も必要ない。
加工もいくらでも好きにほどこし本題で、部分利用・切り取りもOKという、ほんまもんのフリー。
その恩恵を最大限に享受させてもらって、このたび制作がかなった。

せめて画家と作品に敬意と感謝を表し、次に記します。
==========
表紙
中央
Karl Wilhelm Diefenbach (1851-1913)
『ヴァイオリン奏者』

両脇外枠
Aubrey Beardsley (1872-1898)
『How Queen Guenever Made Her A Nun』(部分・外枠の蔓模様のみ)

化粧扉
左上
John Atkinson Grimshaw (1836–1893)
『November』(部分)
1879年

右上
Fernand Lungren (1859–1932)
『The Café』(部分)
1882/84年
(The Art Institute of Chicago所蔵)

左下
楕円の額縁の右
表紙と同じ(部分)

楕円の額縁の左
Karl Wilhelm Diefenbach (1851-1913)
『星への問いかけ』(部分)
1901年

右下
John Atkinson Grimshaw (1836–1893)
『Autumn Morning』(部分)


Aubrey Beardsley
『How Queen Guenever Made Her A Nun』(部分・外枠の蔓模様のみ)

奥付
Harald Sohlberg (1869-1935)
『Fisherman's Cottage』1906年(部分)
(The Art Institute of Chicago所蔵)

*追記*



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『コンチェルト・ダスト』新装電子版制作中② [黒十字療養所出版部]

『コンチェルト・ダスト』新装電子版制作中①の続き。

既にある本をKindle化するだけなのに、
そんなにやることってある?
と思われるだろうし、私自身も内心そう思っていたのだが、始めてみると、これが結構ある。

本当は「こうしたかった」のに、様々な事情からできなかったりした部分を、
なるべく当時、思い描いていた状態に、理想に近づけていこうとしている。
作品としての精度を上げる作業をしているので。

同作を知っている人なら、どこの部分を直しているかわかると思うが、
こんな箇所もチクチクと作り直しています。
チラ見せ。

Canvaであらかた作り、Windowsペイントで仕上げた。カーニングに気を配った。
MikahNameTagtrimmed.jpg

この部分は実際に単行本になってみてから、
「アルファベット名が横書きで見られる、図を挿入した状態で、見せれば良かったかもなあ」
と痛感したので。

ドラガン・ラクロワがMikahという猫の名前を、
「たしかミラァといったかな」
と、猫の首輪についていたペンダントスタイルの名札を目にしたときを思い起こして、発言する。

通常の縦書き表記の渦中に、アルファベットを混ぜて書くと、
わかりずらく、目線が上滑りしやすいんですよね。
(ミカとミラァじゃ、けっこう違うじゃん。ドラガって実は抜けてんの?)
と、思われかねない……。

実際は、ご覧のとおりで、KとRは書体によっては相当、似て見える。
(加えてドラガは実のところ出自がキリル文字文化圏でもあるからな……。)

こういうのは具体的に見せてわかってもらったほうが、
より作品の精度が上がって、より身近に引き寄せて味わってもらえるのではと。
私たちは日本語で暮らしている以上、
KとRが似ていて時として間違いやすいと、まず日々痛感して生活してはいないですよね。
アルファベットを多用していても昨今まず装飾体とかに触れはしないし、
タイピングなら、こういうミスはあまり起こらないですしね。

かといい、
「実際KとRは似て見えるものである」
というたぐいの文章を入れるのは避けたかった。
作品の内容を左右するほどの意味はないのだし、文章の流れがいたずらに妨げられるだけだから。
そこは実際に見て、感覚的に、なるほど間違えるかもなあ……確かに──。
と思ってもらったほうが、共感度(?)が高まるわけで、
そのためには、こちらのほうが一目瞭然だなあと。

むろん、この形式にしても、そうと気づかない人ならば、
まあ気付かなくても、仕方ない程度の些細な部分です。
(何度も言うが、本筋には差しさわりが無い。)
全ての人に一読でわかるように小説を書くことは、不可能だし、
親切な文章を書きすぎると、くどくなって鬱陶しい。それはもう小説ではなくて手引書になってしまうから。

ですので、まあこんな感じに、
当作品の初版の味わいを損なわないようにしつつ、
足さず、減らさず、
本来あるべき精度を高めて、補強していく作業をしています。


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『コンチェルト・ダスト』新装電子版制作中① [黒十字療養所出版部]

『コンチェルト・ダスト』
Kindle版を個人レーベル「黒十字療養所出版部」にて刊行すべく、鋭意制作中です。
いや、ゆったりペースで制作中かな。

コンチェルト・ダスト(早川書房)』はありがたいことに紙の本の在庫が、いまだ健在です。
藤原薫さんの装画が表紙になっております。背表紙にも装画が。
本の装丁も『カンパニュラの銀翼(早川書房)』のハードカバーと並んでも遜色ない、
かなり高級感あるあつらえにしてもらえて、素敵な本です。
コンテンツとしてだけでなく、物としての本の質感をも愛する者にとって、うれしい本です。

ですので電子版を出す必要性を、正直、私はこれまであまり感じなかった。

え、じゃあ『カンパニュラの銀翼』や、『みがかヌかがみ(講談社)』なども紙の在庫が健在だけど、
電子版もあるよ。なんで?
そう思われるかもしれない。
これらの本は、紙の本の刊行時に、
「いずれ電子化もしますので、いいですよね」という連絡が来て、
私はただ流れ作業的にOKサインを出すだけだったのだ。

わたしは『カンパニュラの銀翼』に至っては、
電子版の確認作業すらしていない(機会を与えられていない)。
その必要性もあまり感じていない(理由は後述)。

みがかヌかがみ(講談社)』も同様で、
ただ『みがかヌかがみ』の時点では、もう私は、
電子本はフォントが明朝とゴシックのいずれかにしか変換できないらしい、
というのを知っていた。
「フォントによって語り手の変化や、雰囲気の変化をつけている部分があるので、
フォントが異なる部分は、せめて字下げ処理にしてください!」
と伝えることができました。

じゃあ『カンパニュラの銀翼』はどうなんだと思われるかもしれませんが、
この作品は紙本の文庫版が出ていることもあり、
電子版が、1年に1冊も購入されていないのである。

いやぁ、呆れるほど電子版の購入がない本でして。

すでに刊行されている電子本を取り下げてまで、手を入れるべくもない。
編集部を騒がせて、あまつさえ嫌な顔をされるかもしれないリスクを冒すまでもないだろう。
そっとしておきたい……というのが現状。

──なにしろ、生ずるとしても字面の体裁の問題。
内容が変わっているわけではない。コンテンツとして支障は出ない。
あくまで紙の本が入手できないときの、救済策という位置づけの電子版だし、
文庫版『カンパニュラの銀翼 (ハヤカワ文庫JA)』も出ているのにもかかわらず、
電子書籍をより好んで買う人は、
もとより本と同じ読み心地や、リーダビリティを求めていないのだ。
コンテンツの入手で構わない、と割り切っている人ばかりだから──

そう分かってきたから……。

出版業界では昨今、電子版の伸び率が目覚ましい。
いまや本は完璧に、電子版が紙の本にとってかわったかのような言いぶりをされることも珍しくない。
とくに経済界などでは、もっぱらそんな見識だし、
出版業界の人間ですらそういう見方をする傾向がますます強くなっている。

しかし私の『カンパニュラの銀翼(第2回アガサ・クリスティー賞受賞作』の例しかり、
現実は全然そんなことないんですよ。

その一方で、書店がどんどん潰れているのは、やはり電子版の普及のせいも大きいらしく、
ネット書店ですらも倉庫に在庫を保管しなくなってきている。

これは先日、編集者にメールで訊ねてわかったことなのですが、
たとえば『みがかヌかがみ』(紙書籍版)
アマゾン以外のネット書店だと、いずれも倉庫に在庫が無い。
出版社に問い合わせて、取り寄せる必要がある、と表示されるんです。
現実はというと、講談社の在庫は、実は健在なのだ。

 もう少し詳しく書きます。
 たとえば楽天ブックスだと、現時点では、
 [メーカー取り寄せ/
 通常6~16日程度で発送
 商品確保が難しい場合、3週間程度でキャンセルとなる可能性があります。 ]
 
 と出ます。
 もう1年以上も、こういう状態で表示されているのです。
 アマゾン以外のネット書店は、いずれも似通った状態です。 
 以前は、この手の表示が長らく出るときには、もう版元の在庫が絶版間近と思って相違なかった。
 
 だから、在庫が厳しいのかな……?
 講談社に問い合わせたところ、在庫は依然、健在とのことなのだ。

では、なぜ倉庫に置いておかないのか……?

「各ネット書店の事情を全部、把握しているわけではないので、はっきりとは断言できないが、
昨今、どこの書店も在庫縮小傾向にある。リアル本に割く規模をどんどん減らしている。
というのも代替品として電子書籍があるからOKという考え方が、一般化してきているから」(要約)

という編集部からの回答であった。
……なるほどね。

担当編集者も、私のような作家にとっては、この状況が深刻で、
命取りにもなりかねないと分かってくれてはいるんです。
「ほしい本がすぐ手に入るのがネット書店のメリットなのに、
数週間もかからないと入手できないで、《取り寄せ》と出ると、
それだけで購買意欲が損なわれてしまいますね」(要約)

(そこまで分かっているのに私達は成す術なく手をこまねているしかできないのか……)

リアル書店で本を常時、平積みに置いてもらっている作家ならばいざしらず。
ネット書店で入手してもらうくらいしか術がないのに、
そのネット書店すら在庫管理を怠る傾向があり、
「本が無いなら電子版を買えば良いじゃない?」
……oh……

コミックの電子版普及が目ざましいのは、よくわかる。
コミックは、電子版のほうがむしろメリットがありますから。
たとえば、本だと見開き絵などが歪んでしまうけれども、
電子版だと、本の咽にあたる部分も、まっ平らに広々とクリアに見える。
見開きを多用する作品などは、紙の本より美しく見やすい。

上記の理由から、私も『ゴールデンカムイ』は電子版を購入してます
(北海道の未開地を表現するために、見開きが多いよね、あの作品)。

ほかにも、カラーがカラーのまま見られるという利点もある。
連載時にはカラーが素敵だったのに、コミック化されたら扉絵が全部白黒……となりがちな作品も、
電子版を購入することが多くなりました。

蔵書スペースの問題を解決するのにも、一役買ってくれる。
コミックは概して小説本より、圧倒的に場所を食いますからね。
『進撃の巨人』とか、こんなに長くなると知っていたなら、最初から電子版を入手したわ……。
当初は、いま既に出ている巻数よりも短めで終わりにする予定だと、
作者が発言したのを見かけていましたから……。
いや、作者が描きたいように描くべきことを描けるのが一番好ましいので、
ここまで紙の本で揃えたら、最後まで紙版コミック購入でついていきますけれどね。

だからそう、漫画ならではのメリットは少なくないんですが、
小説本は電子版におけるメリットを、正直、ほぼ享受できない。
なによりフォントが2種類しか選べないし。
(これは技術的な問題だから、徐々に解消されてくるのでは? と期待してもいるが。)

やはり一定以上の長文の小説、長編小説は、紙で読むのが最も読みやすいというのは、
さまざまな実感としてあるわけだ。
電子書籍は、小説本にとって紙書籍にとってかわれるものでは絶対ない。
ただ以前ほど「ありえない、読めない」というほど、使い勝手が悪くもない。
タブレット端末は進化してきているという実感も同時に、わいてきていて。

これも何度か言ってきているけれども、
出先とか、入院先とか、いつでもどこでも読めるから、
電子本も捨てたものではないもんだと。
電子版ならではの利用価値もあるなあと。
その可能性を頭ごなしに否定してつぶしてしまうのも良くない、と思い至りまして。

私の場合、単行本は『コンチェルト・ダスト』だけが電子化されていません。
ありがたいことに『コンチェルト・ダスト(早川書房)』は紙の本の在庫があるのだから、
中里友香の個人レーベル『黒十字療養所出版部』にて当該作品の電子版を出すならば、
単なる縮小再生産にしたくないし、そうする必要もない。

新装版にして出します。
電子版のメリットを私なりに最大限に引き出したいな……と、試行錯誤中です。

電子版用には、あとがきもつける予定でいます。
あとがきでは、ここでは触れにくいことも、ちらっと言及するつもりでいます。

に続く~


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デザイン公開 [黒十字療養所出版部]

これまで、Canvaで作ったデザインをいちいちダウンロードし、
サイズを当ブログ用に適当に小さく調整。
その小さく調整しなおしたデザインを、ブログにアップロードという面倒くさいステップを踏んでいたが、
ブログ上に埋め込みコードを貼ることで容易にシェアできると知った。

手腐レ風切り貴方まで: 中里友香短編集』をダウンロード購入してくださった読者の人には、
良い状態でデザインを見てもらえる! つもりでいるのですが、
Kindleは機種によって白黒にしか出ないものもあるらしい。
表紙以外、全部白黒って……なんてことだ! 電子書籍のメリット半減ではないか。
機種によって見え方がかなり違うというのは、電子書籍のメリットですよね。
紙の本ならこんな心配はいらぬ……。
一長一短ありますね。

カラーもOKなKindleの機種か、タブレット端末ならベストな状態で見られるはずですが、
ダウンロードする端末が小さいスマフォだったりすると、
その画面より大きくして画像を見られないということもあり、
ここでひっそり公開することにしました。
読者の方はけっしてデザイン目当てで、
私の短編集をダウンロード購入してくださるわけではないだろうし……。
まだダウンロード購入されてない方にとっては、こんな感じの世界観の短編集なんだな……と、
より伝わりやすいかと思うのだ。

スライドショーにできます。
https://www.canva.com/design/DACY0Yba_7I/Lg9w9Kx1Y4uUPO1VCkSR4A/view?utm_content=DACY0Yba_7I&utm_campaign=designshare&utm_medium=link&utm_source=sharebutton

しかしこの方法だと、ダウンロードする前の状態で公開することになるので、
「葉コボレ手腐レ死人花」
「奥付」
に使っている有料素材の花に網目が入って見えるわ……。
(Canvaの有料素材はダウンロードする時点で決済されるので、
ダウンロード前だと透かしが入った状態になるんですよ。)

実際のKindle版では、もちろん網目は入っていません。

Kindleは現在、JPGファイルしか使えないので、
JPGに変換したときベストになる状態を想定して作っています。
ですので、JPGにする前の時点で公開するこのスライドショーは、
厳密にいうと、キンドル上とちょっと見え方が異なります。

カーディガンと前あきセーター(その2) [黒十字療養所出版部]

http://blackcrosssanatorium.blog.so-net.ne.jp/2017-08-30
カーディガンと前あきセーター(その1)の続き。

カーディガンという語は、クリミア戦争で活躍して、
その名をとどろかせたカーディガン伯爵にちなんで、つけられた名称です。

クリミア戦争といえば、ナイチンゲールが活躍した戦争ですが、
日本のウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/カーディガン)によると、
================
クリミア戦争のバラクラヴァの戦いに於て無茶な突撃を行った事で有名な、英国陸軍軽騎兵旅団長の第7代カーディガン伯爵ジェイムズ・ブルデネル(en:James Brudenell, 7th Earl of Cardigan、1797年10月16日 - 1868年3月28日)が考案、その名前の由来となっている。
怪我をした者が着易いように、保温のための重ね着として着られていたVネックのセーターを前開きにしてボタンでとめられる様にしたのがその始まりと言われている。
================

このように書かれていて、引用文献も添えられているのだが、
はっきりいって、これは間違いというか……誇張を多分に含んでいる。

クリミア戦争で活躍したカーディガン伯爵にちなんで、
怪我人のケアに便利な、ボタンで前開きにできるセーターがカーディガンと名付けられた。
ここまでは良いんですが、
カーディガン伯爵が、カーディガンという前開きセーターを考案したというのは、言い過ぎかと。

英語でちょっとググってみても、まず、そんなふうには出てこない。
またカーディガン伯爵にちなんで呼ばれるようになったカーディガンは、
袖なし前あきボタン、ジレスタイルの編み物をいうようです。

そもそも長袖前あきのセーター(つまり今で言うところのカーディガン)は、
カーディガンという名前を付けられる前から、この世に普通に存在していた。

17世紀にはフランスの漁師が厚手の前あきセーターを着ていたというし、
長袖前あきの編み物は、ほかにも長いものはローブと呼ばれ、物珍しい衣服ではない。
わりと一般的に着られてきている。
ローブの短いバージョン(今でいうカーディガン)も当然あったわけなので、
今のカーディガンが、カーディガン伯爵による発明品とみなすのは、誤解を招く。

実際のところ、今、我々がカーディガンと聞いて思い浮かべるカーディガンを、
カーディガンという名称で広めたのは、コ・コ・シャネルのようです。
当初は男性の服だったカーディガンを女性向けにして発表したら、
男女問わず、たちどころに流行したらしい。

又、ボタンで留めるのがカーディガンというイメージが強いものの、
前開きでさえあれば、ボタンで留めるタイプでなくとも、
カーディガンと呼ばれることもあることは、我々も昨今、知っているとおり。
トグルで留めたり、ひもで結んだり、ブローチで留めたり、いろいろできるのがカーディガン。

かつてボタンは贅沢品であって、高価な一点もの。
昔はボタンの数に税金がかけられたそうです。
(どのくらい昔の話なのかが、よくわからないのだが、想像するに、相当な昔。
私はアメリカ留学時に、大学の先生から授業内の雑談でそう聞いた。)

ボタンは特権階級の贅沢品という概念は、その後もずっと受け継がれてきてるんですよね。
上流階級のご婦人のバッスルスタイルのドレスの背中に、
ずらっとこれ見よがしに、くるみボタンが並んでいるのなんか、
装飾・ファッションとしての意味合いだけでなく、
上流階級なめんなよ! という暗黙裡の印でもあるわけだ。
あんなに隙間なくボタンを並べなくとも、機能的には留まるもの。

男性の軍服などにも、重たくないのか……というレベルでキラッキラしたボタンが、
やたらとついているのは、
ボタンに服を留め、装飾する以上の価値があった、名残のはず。

前あきセーターをボタンで留めるスタイルが確立したのは、
ボタンが実用品として一般社会に広まるだけの、1800年代~の産業革命があってこそ。
『風切り羽の安息』の舞台は、由緒ある英国ボーディングスクールで、
生徒はいわゆる資産家の坊ちゃまばかり揃っている。
時代はヨーロッパの産業革命の渦中あたり
(一番産業革命が早かった英国においては産業革命後期くらいか)です。
生徒の一人が、はしりのボタンで留める前あきセーター、いわゆるカーディガンを着ていて不思議はない。

問題は、時期がクリミア戦争よりちょっと前、ということである。
カーディガンという名称が存在しなかったのに、カーディガン姿と言っちゃうのは、どうなんだ。

ティモシー・ギャレットが着ていたのは、今でいうところのカーディガンに間違いはなく、
しかも物語の舞台設定はさておき、読者は現代日本の読み手である。
そもそも日本語で物語を書いていること自体、ある種おかしい、矛盾といえば矛盾なのだし、今更だ。

日本人が「カーディガン姿」と書いてあるものを読んで、
思い浮かべる一定の共通概念のシルエットがある以上、
「前あきのセーター姿」と書いてあるものを読むより、
「カーディガン姿」のほうが、すんなり頭に入ってくるはず。

『風切り羽の安息』はミステリマガジンに掲載されたのが初出で、
雑誌掲載とは、私の短編に初めて触れる人が大多数なわけです。
第2回アガサ・クリスティー賞を受賞した『カンパニュラの銀翼』の刊行よりも前に、
「中里友香・入門編」といった感じで接してもらうための短編だった。
引っかかる言葉はなるべく避けたほうが賢明……。

と、カーディガン姿と書いて発表したわけですが、
いざ数年経って今になってみると、そのほうが個人的によっぽど引っかかるのだった。
多分、クリミア戦争、という言葉が作中に全く出てこなければ、
「カーディガン姿」と書いたまま、私は直さなかったと思います。
ただ、クリミア戦争という言葉が出てくるからには、ちょっと……と逡巡しまして、今回、
手腐レ風切り貴方まで: 中里友香短編集』に収録するにあたり、改めました。

一語を変えるとき、そこだけ変えるとかなり違和感が出てくるんです。
絵筆で例えると分かりやすいが、
勢いよくバッと塗り付けてあった油絵を、後世になって修繕するときに、
一部を直すとそこだけ色浮きしたり、筆跡の凹凸が違ったり、勢いが遮断されて不自然になりがち。
細心の注意を払って、復元しなくてはならない、あれです。

文章も、概して一語だけを入れ替えると、文章の流れが途絶えたり、
脳裏に浮かび上がるイメージが微妙に異なってきたりするので、
その辺を考慮しつつ、前後左右を見極めつつ、
ちくちくと目立たぬように……目立たせないために、周辺の語彙を改めることになるのだった。

また当時は編集部に、
「まだ『カンパニュラの銀翼』の刊行前です。
この台詞(後述)はシグモンドが冷酷なイメージに映るおそれもあるので、避けた方が無難かも」
と言われ、
そんなもんかな~と、時間が差し迫っていたこともあり、
すんなり受け入れて削除した台詞がありました。

今はもう『カンパニュラの銀翼』が刊行されているわけだし、
シグモンドの性格が、その台詞なしの短編だと単に、クールなわりに意外と世話焼き……
そんな一面的な印象になりがち。
その分、とっつきやすいともいえるかもしれませんが。
あとになって、
……やはりここは残したままで載せてもらいたかったなあ! と。 

シグモンドという人格に定着している猜疑心と用心深さ、
辛辣に見せかけた思いやり、冷やかしめいた物言いで相手に感謝させる隙をつくらない、
素っ気なく、ともすると冷淡な優しさとか、
一筋縄ではいかないタイプの奥行きの深さがチラと一瞬だけ覗く、
「私に濡れ衣でも着せる気なのか」
この台詞が有るのと無いのとでは、
私からすると大違いなのだった。

削除する前はそんなに気にしなかったのですが、
失くして初めて重要さに気がついたんだよ的な――削除してから後悔したのだ。
今回、元の通りに復元できて良かった。


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カーディガンと前あきセーター(その1) [黒十字療養所出版部]


手腐レ風切り貴方まで: 中里友香短編集

さて今回、電子化にあたって、すべての短編を加筆修正したのだが、
一番手を入れたのは必然的に『貴方綴り』
三田文学に掲載されたのは2004年。
当時は落選作の掲載という性質上、がっつり校正できなかった。
手を入れた箇所も、それでかえって誤りを増やした部分もあった。
デビュー前で不慣れゆえに、わたしの校正の赤の入れ方が編集側にうまく伝わらなかったのだ。

又、時代がかった繰り返し記号、(「あゝ」等)を使いたかったのだが、
使っていなかったので、その辺を、当時、本当にやりたかったように直しています。

とはいえ、今の感覚で文章を直してしまうと、別作品になってしまう。
ここはどうしてもちょっと……と、気に掛かって仕方がない所以外は、
当然、当時のままです。

一番、手を入れずに済んだ作品が、『葉コボレ手腐レ死人花』
これは編集部が誤ったルビをふったり、
或いは、私がふっておいたルビを、はからずも取られてしまった箇所などを、
自分好みにルビをふりなおしたりと、
その手の、ごくマイナーな修正にとどまります。

たとえば、私が
・杜若(かきつばた)紋

としたところが、
・杜若紋(かきつばた)
と誤ってルビがふられていた。

私としては、紋(もん)とルビをふらずとも、誰でも読めるだろうと、
杜若の部分だけに、ルビを入れたのでしたが、出来あがって蓋を開けると、
あらら、こういったミスが出るんだな……。
以降、私は一つの単語の読めない部分にだけルビをふる、ということをしなくなった。
勉強させてもらった。

この小説には当時、挿絵があったのだが(今回は挿絵は入りません)、
その挿絵がSFJ掲載時、ネタバレ状態で入っていた。
とある人物が、とある人物を殺す、読者を驚かせたい場面で。
つまり抜刀して殺す描写よりも、手前のページに、
殺害シーンの挿絵ががっつり入った。そのせいで、先の展開がもろばれに。
初見は愕然とした。
それが自分には、ずーっと引っかかっていたんです。

おそらくは挿絵が仕上がる前に、挿絵の部分を予測し、ページを仮確保しておいて、
挿絵が上がってきた時点で、文章を読まずに、ただ当てはめたんだろう。

これに関しては、すごく迷った末に、あとで編集部に控えめに抗議した。
編集部も陳謝してくださったが、出てしまったものは取り戻せない。
ようやく、読んでほしい状態で提供できて、数年もたったあとですが、ホッとしています。

そんなこのたびのキンドル化にあたって、すごく悩んだ加筆修正部分はというと、
まぁカーディガンでしょうなあぁ。
『風切り羽の安息』(2012年ミステリマガジン掲載)の作中に出てくる、
カーディガンという単語で。

シグモンドが一夏、ラテン語講師を受け持った、英国の名門ボーディングスクール。
その寄宿舎の敷地内にある古井戸のところで、
生徒のセルジュ・アンブローズが、ティモシー・ギャレットと初めて言葉を交わした。
その、事の発端となる当時を思い起こして、
アンブローズがシグモンドに語って聞かせるシーンです。

アンブローズは、ギャレットが「カーディガンを着ていた」といった趣旨のことを話すんです。
ミステリマガジン掲載時には「カーディガン」姿と書いた、この単語の選択について、
私は悩んだ。末に、
「前あきのセーター」という語に直しました。
なぜか。

~続く~

―情報再掲―



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不具合修正報告(*8/27追記しました) [黒十字療養所出版部]


手腐レ風切り貴方まで: 中里友香短編集

先日、アマゾンKindle限定で刊行いたしました、
手腐レ風切り貴方まで: 中里友香短編集
こちら、これまでのキンドル版と同様、縦書き、リフロースタイルで配信中ですが、
マイナーな不具合が生ずることがわかりました。

文字サイズにより、まれに改行部分が文頭にあたると、一行アケ状態で出るときが。
え、こんなところで章が変わる?
という行があく場合がありました。
(しかし文字サイズを変更すると直るので、当初は不具合だと把握していませんでした。)

リフロースタイルに良く起こりがちなデメリットなのだと思っていたのですが、
黒十字サナトリウム』や『黒猫ギムナジウム』では、このような状況にならない。

とすると、これは不具合……。
禁則処理的な何かがうまくいってないのだ。

この不具合、どうして生じていたかというと、
自分は文書作成において、文末改行を通常、Enterキーで行っている。
そのせいでした。
(すべての文末Enterが、章末扱いで表示されるわけではなかったので、
当初は原因が分からなかった。)

一般的に、わたしだけでなく多くの人が文書作成時、
文末改行にEnterキーを使っていると思います。
しかしEnterキーは厳密にいうと、本来、章末に使うキー。
文末の改行はShift+Enterでなくてはならなかった。

これはHPなどの文面を、Wordにコピペすると差がクリアにわかりますが、
Shift+Enterの文末には↓下向きの矢印が出る。
Enterの章末には、よく見慣れた直角に折れた矢印が出てきます。

これを自分は使い分けていませんでした。
Kindleが提供するファイル形式は、限りなくHPなどのフォーマットに近いので、
そこをきちんとやらねばならなかった。

これら文末改行部分を、
Shift+Enterに改めました。
そのうえで動作確認をいたしましたところ、正常に読めることがわかりました。
現在、問題は解消済みです。

また、小説内における傍点の部分が、
フォントサイズによっては適切に表示されない箇所がありました。
そちらも併せて修正いたしました。
現在は、いずれのフォントサイズでも正しく表示されると確認済みです。

いずれも内容には差支えありませんが、リーダビリティを左右するもので、
せっかく早めにダウンロードしてくださった方には、本当に申し訳ありませんでした。
上記の不具合は、いずれも修正済みで、
正常な状態で読めることを確認済みですので、
お手数ですが、これまで購入されたかたは、更新してくださいますようお願いします。
通常は、自動更新になっているかと思いますが、
念のため、更新のやりかたを記しておきます。

================== ・Kindleアプリ左上の「ライブラリ」をクリック。 ・ライブラリに行ったら、ライブラリの右横にあります円形やじるし(矢印二つで円になっている) その矢印をクリックします。「同期して新しいアイテムをチェック」の矢印です。 ================== 以上です。 これにより最新のコンテンツに更新されるはずです。

*追記しました。2017/8/27---------→(ここから)
上記の方法では更新されないことが分かりました。
(上記の打ち消し線部分は、端末の同期設定のやりかただ……。)
正しくはこちら→本の自動更新をオンまたはオフにする
https://www.amazon.co.jp/gp/help/customer/display.html?nodeId=201252670

ご自身で本をすでに購入しており、自動更新にしないで改訂版を確認したい場合は、 「お問い合わせ」のページから Amazon までご連絡ください。 Amazonがお使いの端末に改訂版のコンテンツをお送りします。 もう一度購入する必要はありません。

詳しくはこちらも参照してください。
「電子書籍の改訂版はどこで入手できますか:
https://kdp.amazon.co.jp/ja_JP/help/topic/A1RGGPBKDR1BPZ

←---------(ここまで)追記しました。2017/8/27

上記のやり方で改定版を入手することによって、
あらたにKindle料金が課せられることはありません。
(お使いの通信環境によっては、通信費用が掛かる場合があります。)

なお、化粧扉や章扉などのカラー画像は、
スマフォおよびタブレット端末の場合、
ダブルクリックで、想定された画面いっぱいのフルサイズで見られることを動作確認しております。
指でスワイプしてリサイズするのではなく、ダブルクリックです。
これはKindle側の仕様によるものですので、
ダブルクリックをして見てみてください。

~付記~


あと「化粧扉」と「奥付」もつきます [黒十字療養所出版部]


手腐レ風切り貴方まで: 中里友香短編集

Amazonキンドルで発売開始しました。
本の詳細ページhttps://www.amazon.co.jp/dp/B074SBT77N
自己出版の短編集『手腐レ風切り貴方まで
Amazon Kindle限定です。

その章扉をせっせとCanvaで自主制作。
(これまでの経緯↓
http://blackcrosssanatorium.blog.so-net.ne.jp/2017-07-19-1
http://blackcrosssanatorium.blog.so-net.ne.jp/2017-07-27-1
http://blackcrosssanatorium.blog.so-net.ne.jp/2017-08-03

その苦労話(?)の最終回となります。
こちら、
『葉コボレ手腐レ死人花』の章扉。

*5葉コボレ桜版鬼縮小版.jpg

このお話は平安時代、都のややはずれがメイン舞台。
姫とか、上達部(かんだちめ)とか、生き血を啜る美しい鬼とかが出てくる。
これまで作ってきた章扉のように、作品の色にあう写真を自分で用意して、
効果的にタイトル文字を入れれば済むわけではない。

そもそもCanvaはもともとオーストラリア発のデザインツールで、
和の素材は非常に乏しい。
(たとえばデフォルトで、縦書きテキストがありません。)
和風のデザインを作るのには、いちいち工夫が必要になってくる。
和風といっても……お江戸っぽさとか、商店街の盆踊りポスター風とかではなくて……
平安時代らしさは、これがけっこう難しい。
デザインのしかたに、センスが非常に問われる……。

我ながらよく撮れた風景写真を使おうにも、平安時代的な京都らしさ満点の写真は、
「そうだ 京都、行こう」
JR東海のポスターを全面でリスペクト。
となりがちで、一番、思案したのがこの章扉でした。

最終的には和風ゴシック色の強い作品世界と、相反しない扉になったので、
ひとまず満足しています。
(というかCanva+私の技術力で、現時点でこれ以上はできないの。)

章扉?
え、わりとどうでもいい……。
そう感じる読者のかたもひょっとしたら少なからずいるのかも。
なのになぜ私がこんなにこだわっているかというと、
本来ならば紙の本で提供したいのに、できない。
ならば紙でない分を補うプラスアルファ、キンドル版だらこそできる付加価値を添えねば、
という使命感に囚われているからです。

私は小説を紙媒体で読むのがベストだ、と感じているわけで、
「紙の本のほうが読書に向いていて、記憶に定着しやすい」という研究報告もありますし、
ただ誰もが、家の落ち着いた場所で、紙の本で読書に没頭する生活スタイルとは限らない。

私自身も昨今、タブレット端末で漫画を読んだりする機会がまれにあり、
かさばる本を持ちこめない、持ち歩けない状況で何日か過ごすときに、
本を読めるのは極めて便利で、殺伐としがちな感性が潤うものだった。

キンドル版で読んだ内容があまり定着しなくとも、
良い読書体験をしたという記憶は残るかも。
だったら電子書籍媒体版をあまり目の敵にするのはやめるんだ……。

紙の本の場合、小説の章扉をすべてカラーにすることは、ほぼ実現不可能です。
「せめてこの最初のこのページ部分だけ、紙色とインクをセピア色に……」
と頼んで、やはりだめだったこともある……。
そこだけ機械を使えずに手作業と同価になるので、コストがかかってできませんと。

文豪本なんか皆、画一の規格で並んでいても傑作・名作ぞろいじゃないか。
そう思われる方もいるかもしれないが、
そんな文豪も存命中は、思い入れたっぷりで、
装丁について侃々諤々(かんかんがくがく)やってる人が少なくないですからね。
売れっ子になる前によ。

たしか太宰なんて紙質の指定から、題字を誰それ先生に頼んでみる、等々……
何から何まで、
まぁそんなとこまでこだわってんのか……! 凝り性め!
呆れるレベルだったかと。

私の場合はいかに贅沢分のコストを抑えて、いかに良い装丁の本を作れるかという、
シビアな無理ゲーを戦いつつ、やってきてまして。
具体的にわかりやすい例でいうと、箔押しなどが縁遠い(というかコスト上、無理だといわれる)。
……にもかかわらず、
わあ素敵な本、贅沢な装丁だぁ!
と、ときめく本を目指して、知恵を絞って出版にこぎつけてきている。

箱入りでアンティーク風な布張りの装丁本、
中身も全編2色刷りの『はてしない物語(ミヒャエル・エンデ)』を、
後生大事に愛蔵している私としては、
えっ……あ……そういうのって無理なのか……。
あれは出版業界バブル時代 + 世界的著名作家ミヒャエル・エンデだったから出来たのか……。

とまあ、折々の本の出版を経て、鬱積した思い入れを、
自分なりにやれるだけ存分に具現化してみようと。
紙の本で出せる日がくるとしても(今のところこの短編集にその手の予定は気配もないですが)、
商業媒体だとカラーは難しいだろうな……
というところに、だから今回、あえてちょっと凝ってみたかった。

*All right reserved.

―追記―


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